7章-1
ディオが自分の故郷で暮らしていたのは、十歳までの間だった。
普通の家庭に生まれたつもりだった。
六歳の頃はほんの少し人より頭がいいだけだと思っていた。
良いことと悪いこと。そんなものの差なんてはっきりとわからなかったから、一度いたずらのつもりで両親の研究所のデータを防御プログラムを壊して盗み見て、両親共々叱られたことがある。
そのせいで、大学から声が掛かったこともある。
でもディオは行かなかった。
大学を出てしまったら、研究者になるにせよどこかの企業に誘われるにせよ、両親の予想より早く親元を離れることになるのだ。ディオはまだ、子供らしい生活を続けたかったのだ。
隣の母方の祖父母の家。祖母が丹精したバラのアーチが残る一軒家に住む。軍人になった背の高い母の従弟。彼と遊ぶ時間もなくなってしまう。
紫がかった瞳で優しく笑い、小さい頃から可愛がってくれていたイサ。
事件以来、周囲が自分を子供として見てくれなくなりつつある事を察していたディオは、いつまでも他愛ない遊びにつきあってくれる母の従兄が大好きだった。
そんなイサを殺したと、祝杯を挙げるミデン達と共にいるのは苦痛だった。
苦労して無表情を保ちながら、ミデンが『今後の軍事侵攻について、良い案がある計画』と言いだし、皆が気をそらした隙にディオは会議室を出た。
時間は既に夜半をすぎていた。
ディオは部屋へ戻ると、書き物机に手を伸ばし、ノートを一枚破ってそこにペンを走らせた。
〈テセラへ〉
書き出した所で手を止め、ペンを机に置いた。ノートを乱暴に握り締めて机の脇にあったゴミ箱へ放り込む。
確か、あの時も万が一のために遺書を書き残そうと思ったのだ。
自分の感覚では、ほんの十年前。でも実際には一〇〇年もの遠い過去の出来事だ。
どうしても遠隔操作では兵器のプログラムを止め、書き換えることができなかったので、研究所へ侵入を決意した夜のこと。見つかれば殺される可能性があったが、それでも両親を、優しいイサを守れるのならと思っていた。
だから自分が死んだ時のことを考え、心の中を悲壮感で一杯にして白いノートに向かったのだ。けれど何を書いていいかわからなかった。
自分が幼かったからだと思っていたが、成長したはずの今でも、それは変わらないようだ。
書くことを諦めたディオは、白衣の隠しに入れて置いた鍵を確認し、部屋を出た。
イサがいなくなって、施設の警備はかなり緩くなっていた。目の上のたんこぶが消えたことに気をよくしたミデン達の祝宴も、未だ続いているようだ。
ディオは部屋を出て、階段を五階へと上った。そこが普通の階段で上れる最上階だ。
階段横の分厚い鉄の扉についた三つの鍵を開けた。扉を開いてすぐ脇に設置してあるスイッチを付けると、天井の明かりが点灯し、細く短い廊下をぼんやりと照らし出す。
その突き当たりにはこじんまりとした扉がある。中へ入ると、途端に羽虫が何匹も唸るような音に包まれた。
電灯がつけられっぱなしの部屋の中は、本来の広さとは反比例して窮屈な印象を与える。壁は見えず、色は天井と同じコンクリートのねずみ色かと想像をすることしかできない。中心に灰晶石を取り付けた何百枚もの基盤が、塔のように積み重なって、一見すると、棚のようにも見える。それらが部屋の中一杯に面積を占めているのだ。
これを見るたび、ディオはミデンの執念を感じる。
メインの機械は遺跡発掘してきたようだが、所々が欠けていて作動させることは困難だった。それをミデンは自力で復元したのだ。
一〇〇年後の今、ディオ達が日常的に使っていた機械や部品などはない。作りだそうにも、同じ物を作れる技術がない。仕方なくミデンは、単純な機械を大量に作り、同じだけの動作ができるようにした。結果、この広い部屋いっぱいを占領する数十台もの機械を組み上げたのだ。
ミデンがこの作業に着手した頃、既に七十を過ぎていたはずだ。
いくらロスト・エイジの時代が病気や怪我、老化への予防法に優れているとはいえ、上手く行っても百歳と少しまでしか生き延びられないことに変わりはない。それなのに、いつ終わるともしれない細かな作業を繰り返したミデン。
それほどまでに昔の栄光を再現したかったのだろうか。
「おや、機械のチェックですか?」
通りすがりの白衣の男が声を掛けてきた。名前は何といっただろう。
「ええ、先日の『実地テスト』では思った通りの出力が出なかったので。位置もぶれてしまいましたからね。気むずかしいんですよ、これは。明日実験するというので、調整しないとね」
答えると感心してみせた男は、思い出したように言った。
「そう言えば、ハヤ博士が頂いた機械の解剖にとり掛かっていましたよ。でもあまりに精密で、どこから手を着けていいのか考えあぐねているようで。ロスト・エイジの技術は本当にすごいですね」
笑顔でそう言った男は、また自分の作業に戻っていく。
この研究者もある程度の事はミデンから教わっている。けれど、プログラムを操作することはできない。
ディオは操作卓の前に座った。
他の研究者達にもわかりやすいよう、表示画面や操作盤がついている。けれどディオやミデンには不要だ。
手を操作盤中央の飴色をしたコースターのような部分に置く。
硬質の板にも見えたそこに、ディオの手がわずかに沈む。中指に填めた指輪からちりっと静電気にも似た感覚が伝わり、同時に、脳の中に様々な色や情報が広がる。
夢にも似た視覚情報で展開される、兵器『アクィラ』のプログラム。
それは美しい幾何学模様のように脳裏に浮かび、星のようにプログラムの一筋一筋が七色に輝いて見える。
ロスト・エイジの時代の人間は、こうして自分の脳と機械を直結させ、様々な機器を操作していた。このデバイスでも、人によって扱える情報は違うし、知らないことについては何もできないのに変わりはない。
「そういえば、イサは苦手だったんだよね」
だから体力勝負の方向へ走ったのだ。思い出して笑いそうになりながら、ディオはプログラムの作る模様の一筋一筋をなぞり、絡み合ったプログラムの線をほどいていく。
既に入っているプログラムを書き換えたら、すぐにミデンにはバレてしまうだろう。それは一〇〇年前に経験済みだったので、プログラムを別に付け足すことにする。
現在設定されている第一目標はシエナの国境だ。一度そちらに照準が設定された後で、副都の北東部へ照準しなおすように付け足す。中央に位置するこの施設からは五キロの地点だ。少し離れてはいるが、逃げる余裕を持たせるためには必要な距離だ。
第二目標をどうしようかと一瞬悩んだ。入力する。
第三目標は予定通り。
それらのプログラムを組んだ模様を、既に出来上がっている幾何学模様の裏に貼り付ける。
ただし、これらを続けて実行するにはかなり出力が落ちすぎて、効果がないかもしれない。第一回目と二回目の出力を調整した。ここはミデンのプログラムを既にディオが書き換えてしまっている部分だ。先の前線基地で出力調整プログラムが上手く動いたことは確認しているので、ミデンもそのままにしていたようだ。ここはそのまま書き換えても、すぐにはわからないだろう。
作業を終えたディオは、手を操作卓から離す。
一度、腕の時計を確認した。
それから懐に仕舞っていた銃を手に取り、目を閉じる。
自分の体温で暖められた鉄の手触りをゆっくりと鑑賞するように撫で、彼はその時を待つことにした。