5章-2
街へたどりついたのは、夕方だった。
薄暮の中、町の中を砂塵を含んだ風が駆け抜けていく。
その風を遮る人影はまばらで、建物の扉は板を打ち付けて出入りできないように封じたものが多かった。それは家屋だけではなく、野菜の看板が軒先にぶら下げられた店も、酒を提供するとおぼしき店でも同じだった。
テセラは見覚えのある様子に、この街に何が起こったのかを悟った。
「みんな、逃げたんだ……」
おそらくは、ここから至近の基地で起こったことが原因だろう。ユイエン軍がそんな兵器をもっているとも知らず、基地が破壊されたことでシエナからより遠く逃げるため、沢山の人々が町を捨てたのだ。
残っているのは、きっと身寄りのない人間か、逃げるだけの手持ちがない者だけだろう。
この状況にため息をついたリヤは、町の中を車でつっきる。そして町外れとしかいいようの無い場所に、ぽつりと建った建物の前で駐車する。
古ぼけてあちこち欠け放題のレンガの壁。アパートメントだったのか、各部屋ごとにベランダがあるようだが、そこからも風が吹くたび大量の砂が舞う。誰も住んでいないようだ。
「なんかまともな宿泊場所もなさそうだし。ここの三階、軍が勝手に使ってる部屋があんだよ。誰もいないと思うからさ、とりあえずここで俺が軍と連絡とってくるまで待ってもらえないか?」
リヤの申し出に、イサがうなずいて了承した。
なにせイサは犯罪者として追われる身。テセラは完璧なる異国人だ。とりあえずテセラの落ち着き先を探すにしても、リヤに頼んで身元保証人になってもらうなりしなければならないが、リヤはそもそも職務の真っ最中なのだ。不測の事態でユイエンに帰還したものの、彼には報告の義務がある。
軍と連絡をとれる場所を探して、リヤは再び車で出発した。
行き先はこの近くにある軍の基地だ。
リヤ曰く『その場で次の任務を拝命することはないだろよ。任務が終了したばっかだし、前線から遠いわけだから一日は休みもらえるっしょ』とのこと。
イサと二人、車の姿が見えなくなるまでその場に立っていたが、どちらともなく促して、建物の中へ入ることにした。
内部は、どれだけ放置され続けたのかと思うほど、恐ろしく埃っぽかった。
テセラは軽く咳き込む。
「部屋も埃っぽかったらどうしよう」
一晩で喉がいがらっぽくなって、髪は真っ白になるだろう。
三日近く車中泊と野宿を繰り返してきたので、そろそろきちんとしたベットの上に転がりたい。
呟きながら階段を上っていく。
三階の廊下も同じように埃っぽい。ますます部屋の状況を想像してげんなりしたテセラだったが、目的の部屋の扉を開けると、細かな粉塵の少ない空気に満たされていた。
部屋には簡素な寝台が四台並んでいた。むしろそれ以外には何もない。でもベットがあるだけで充分だ。
テセラはさっそく窓際の寝台に腰掛けた。
何故忘れてた? ディオとイサのことで一杯だったからだ。
イサが病室の扉を閉めてから隣の寝台に座る。
「ここならディオやミデンの話を口走っても、誰にも聞かれないな」
イサは真剣な表情でテセラを見つめてくる。
「言い忘れていたけれど、ユイエンでは決してミデンの話をしちゃいけない。彼の事は機密事項なんだ。ミデンの科学知識があまりにこの国の文化レベルより先行していたせいなんだけどね。だからカケラだけでも、特に軍人がいるン場所ではミデンや兵器の話はしないようにして欲しい」
テセラはうなずく。
イサは「ありがとう」と微笑み、ふっと息を吐きながら寝台に寝転がった。
「い、イサ?」
具合が悪くなったのかと焦り、テセラは寝台から降りて彼の右肩に触れる。
「ちょっと疲れただけだよ」
イサは肩に触れたテセラの手に、安心させるように右手を重ねてくれた。
変わらず暖かいその手。
安心して、何気なく手を引き戻そうとすると重ねた彼の手に掴まえられる。
抗えないほど強い力ではない。ただ、自分より大きな手に包み込まれていることをやけに意識した。
なぜか気恥ずかしいような気がして、テセラは唐突に話題を変えてしまう。
「リヤがね、イサの傷はすぐ治っちゃうから気にするなって言うんだ」
「……そうだね」
イサは目を閉じ、少し間をおいて尋ねてきた。
「リヤは何の話をしたんだ?」
「イサとリヤが初めて会った時の話。山火事で大火傷を負ったのに一週間で治っちゃったって」
なぜそんな話をしたのか言い訳をしなければいけない気がして付け足す。
「その、さっきイサが眠っちゃった時、怪我しているの見た私があんまり驚いて。死んじゃうかもしれないって焦ってたから、リヤがその話をしてくれたの」
「ああ、あれか」
イサは楽しそうに笑った。
「あの時のリヤの顔は傑作だったなぁ。火に巻かれてるってのを忘れて、ぼんやり口開けて立っててさ。燃えちゃうよって注意してやったら『お前の方が燃えそになってくせに』って怒られた」
うっすらと目を開けて、呟く。
「怒られたんだけどね。俺にはどうでもよかったんだ。このまま死んでもいいやって考えてたから」
──ディオを外に連れ出して、俺が死ねば彼は自由だ。
イサが口にした願いを思い出す。
彼は本当に、ずっとそう思ってたんだろう。自分が傍にいたくても、ディオを殺さずにいられなくなる。一番やっかいなのはイサ自身なのだ。それなら不可抗力で死んでしまっても、と諦めていたのだろう。
テセラは胸が痛くなる。
ディオが居ない今、イサはもう死んでしまいたいと思っているのだろうか。
想像して、テセラはなきたい気分になる。
いやだ。死んでほしくない。
それはテセラを一人にしないでほしいからだろうか。それとも……。
テセラはリヤに言われた言葉を思い出していた。
(ユイエンに戻ってるんだがその辺はいいのか? イサも放置したって構わないやつだし、なんだったら別の街の近くまで回ってもいいんだけど)
リヤにシエナに帰るよう遠まわしに促されてた。
あの時帰ると答えたなら、自分はイサが眠っているうちに別れも言わずにシエナへ帰ることもできただろう。それなのに、自分は。
(帰っても誰もいないから)
そう言い訳して付いてきて、イサがこうして側にいてくれることに安心している。
イサはあの会話を知らない。
今、こうして優しくしてくれていても、自分と彼はディオを間にした弱い繋がりしかない。帰れといわれたらどうしよう。帰れと言って欲しくない。
私はディオが死んで哀しんでいる自分をもう少しだけ甘やかして欲しいのだろうか。
「イサは今も、死にたいの?」
かすれそうなほど小さな声でテセラは尋ねた。
するとイサが起き上がる。テセラの隣に座ったイサは、テセラを抱き寄せた。
暖かい。
この温もりに慣れてしまったら、もう一人で立っていられないんじゃないかと思うほど安心できて、テセラは目を閉じる。
彼女の耳元近くで、イサが囁いた。
「大丈夫だテセラ。一緒にいるよ」
そう言ってくれる。
だけどイサ。あなたはディオのために生きて死ぬつもりだった。
わたしが自分で立ち上がれるようになったら、もう傍にいる必要はなくなってしまう。そしたら、どうするの?
そう思っていたら、イサが続けて言った。
「もし良ければ、ずっと居る。ミデンだけは放置できないから、俺は決着をつけに行かなくちゃならない。だけどそれが終わったら……」
考えを見透かされたような言葉に、テセラの心臓の動悸が早くなる。
呼吸が辛くて、すぐに返事がしたかったのに声が出ない。
焦っているうちに、イサがため息交じりに言った。
「ごめん、なんだか変なこと言っちゃったね」
抱き締めていた腕が解かれ、テセラの肩を自分から引き離すように掴んで立ち上がったイサは「ちょっとその辺見回ってくる」と言って部屋を出て行ってしまった。
廊下に出てしっかりと扉を閉めたイサは、壁にもたれて両手で顔を覆い、呟いた。
「俺は、馬鹿だ……」
ずっと一緒になんて、いてやれないのに。