5章-1
国境を越えるのには、五日かかった。
あの町の事件はユイエン、シエナ軍双方にも刺激を与えてしまったようで、国境線の警戒範囲が広がっていたのだ。
遠回りして川を越えたテセラ達は、ユイエン軍の基地を目指して車を走らせていた。
そうして何時間過ぎただろう。
うたたねをしていたテセラは、舌打ちが聞こえて目を覚ました。
リヤが怖い顔をして前方を睨みつけている。どうしたのか尋ね難い気がして、テセラは自分で確認しようとフロントガラスの向こうを見た。
雨はもう止んでいた。
見慣れた砂混じりの風の向こうに、狼煙のように上がる黒い煙が見える。
その下に広がる無骨な建物らしき影がすこしずつはっきりと見えるようになる。
「くそっ。やっぱりだ」
毒づく声と共に車がスピードを上げる。
数秒送れて、見慣れていなかったテセラにも、煙を上げているのが何なのか、ようやくわかった。
「きち……?」
ユイエン軍の基地だろう。
外からの攻撃に備えていたはずの高い壁は壊され、一部がその原型を留めているだけだ。中の建物も、巨大なスプーンを使ったかのように抉られている。
崩れた建材は黒く変色して煙を上げている。
車は乱暴にスリップしながら止まった。後部座席のイサのことなど度外視し、テセラも思わずドアにしがみつくほどの急転回だった。
リヤは降車しながら後部座席に向って怒鳴る。
「起きろイサ! 俺は基地を見に行くからな!」
テセラが彼を振り返ると、死んだように眠り続けていたイサが身じろぎをし、目を開けた。
昨日から目覚めてはいるのだが、さすがのイサもまだ本調子ではないようだ。
彼はひしゃげた天井に気をつけながら体を起こして、ヒビの走る車窓から外を見た。
「イサ……大丈夫?」
声を掛けると、彼は微笑んだ。
「大丈夫。行こうセラ」
イサが車の外に出たのを追って、テセラも降りた。
イサの大怪我を負っていた背中はもう血が止まっていた。けれど足元がまだふらついている。テセラは無言で駆け寄ってイサの左腕を抱きしめるように支え、イサは「悪い」と一言彼女に詫びてきた。
先行したリヤは崩れた外壁の残骸をよじ登り、歯軋りしそうな表情で基地を見回している。
「ちょうど弾薬庫の上か……」
風に乗って呟きが聞こえてきた。リヤはそのまま基地の中へと進んでいく。
テセラは、イサに連れられて外周を見て歩いた。
基地は既に無人のようだ。遺体一つ見かけないと思ったら、基地の外に大きな盛り土があった。そこに突き立てられた、曲がった長い銃。
生存者によって放棄されたのは明らかだった。
もう一度、食べかけのケーキのような基地を見上げる。
「これって……シエナの時と?」
同じなのかとテセラが問いかけると、イサはうなずきを返して来た。彼の目つきが険しい。
「おそらく、ミデンはユイエンで兵器を作り上げてたんだろう。俺がユイエンでミデンを追いかけた時は兵器を使わなかった。だから兵器が完成していないと思ってたんだ……」
うかつだった、とイサは呟く。
「多分、重要な部分は既にミデンが作り上げてたんだろう。そのほかの場所を設計図どおりに残った研究者が作成して……、シエナの国境の町に打ち込んだ」
「でも、あそこにはミデンが」
「ユイエンもそこまでは分からなかったんだろう。ただ、ミデンにはそれでも生き残れる手段があった。ミデンはロスト・エイジの武器を持っていた。たぶん、あいつは生きてる」
だとすると、この基地が破壊されたのはなぜだろう。
疑問に思っていると、イサが「たぶんだけど」と答えてくれた。
「俺は詳しくないけれど、ミデンが全ての機械を一から作り上げたわけじゃないだろう。昔みたいに必要な部品を作れずに、代用した部分もあるだろう。その関係で、発生させるべき位置がずれたとも考えられる」
ロスト・エイジと呼ばれるのは、その頃あった科学技術の多くが失われてしまい、一時代前へと後退してしまったせいなのだ。加工できなくなった鉱物もあまたあるし、電気も過去の遺産を食い潰すか、昔のやり方で生み出す事しかできなくなっている。
例えばこれだ、とイサは地面に転がる灰水晶のカケラを拾い上げる。
「本当は、これも一つの機械として使われていた。ここは灰水晶が混ざった土壌のせいで耕作に適さないけれど、昔は宝の山扱いだったんだ」
テセラにとっては信じられないような話だった、荒野は誰もが使いようがなくて、放置された場所だった。だからこそここがシエナとユイエンの国境になったのだ。
「きっと基地にいた奴らも、何が起こったのかわからないままだったろうな。とりあえずシエナに攻め込まれたら、逃げるしかないから、ここを捨てて撤退したんだろう」
まぁ、ここまで徹底的に崩壊している場所に、シエナ軍が来るとは思えなかったが。
テセラは達は、一周して建物の入口付近へたどりついた。
そこも扉は外れ、枠も外れて壁にはヒビ。奥へ伸びる廊下は途中で瓦礫に埋もれている。
その奥からリヤが現われた。
「だめだ、なんもねぇ。とりあえずここにいてもどうしようもないし、近い街へ移動だ」
テセラたちはさらにユイエンの国内へと進んだ。