4章-3
「リヤ、生きてたの?」
「うっわ勝手に死んだ事にされてるし」
後部座席がひしゃげた車から降りたリヤは、服は砂だらけであちこち怪我をしているものの、テセラより元気そうだった。
彼はイサの顔を覗き込むと、ふっとため息をつく。
「ようやく怪我人らしい状態になったみたいだな。親鳥みたいにくっついて離れないわ、気が気じゃないのか、誰も歩き回れる奴なんていないって言ってるのに休まないわ、ここまで子煩悩な奴だったとは思わなかったよ」
一通り愚痴をしゃべり倒したリヤは、気が済んだのか人懐こい笑みを浮かべてテセラの頭を軽く叩いた。
「なんにせよお前さんも無事でよかったよ。立てるか? 車見つけてきたから、この大荷物を積むのを手伝ってほしいんだけどな」
「あ、うん」
リヤがイサの体を支えてくれているうちに立ち上がり、お互いあちこち痛む体をおして彼をなんとか引きずって車に乗せた。後部座席はひしゃげていても、一応イサ一人を転がす余裕は残っていた。
「怪我、どうしよう?」
血が止まっていないわけではないのだけれど、消毒や包帯はいらないのだろうか。
「ここじゃ無理だ。薬や包帯どころか水だってどこにあるんだか。とにかく乗れ」
運転席と助手席にそれぞれリヤとテセラが乗り込む。
「基地に帰るの?」
「それしかないだろうな」
リヤはエンジンを始動させる。
壁と屋根だけだった建物が後方に遠のき、街の様子が視界に広がる。
灰色の雨に煙る壊れた街。前線の町より原型を残しているものは少ないのではないだろうか。石壁は崩れて小さな岩山に変わり、木は燃えて雨の中で火種をくすぶらせていた。その合間に見える誰かの足も腕も、背中もうごくことはなかった。
『誰も歩き回れる奴なんていない』まさにその通りだった。
リヤは雨音に支配された世界を振り払う勢いで車を飛ばし続けた。それ以外の音といえば、フロントガラスを拭うワイパーのきしみと三人分の呼吸だけ。
「まぁ、なんだな……」
街を抜けて荒野に出ると、おもむろにリヤが口を開いた。
「あんまり見ていて気分は良くないよな。俺でさえ久々になんか言うのもためらっちゃうよ」
「あれは、どうして?」
遠ざかるにつれて、街の外縁をえぐるような大きな陥没も見えてくる。
「俺さぁ、頭悪くて今もまだ飲み込めてないから、上手く説明できないよ?」
「それでもいい」
想像はつくけれど、確認したくて質問しているだけだった。けれどリヤはちょっと情けなさそうな顔になる。
「そこはやっぱ『頭良くないわけがないじゃないですか』とかフォローが欲しかったなぁ」
案外ナイーブなようだ。
「それは分かりきってる事なんですから、早く教えて下さい」
「分かりきってるってなんなんだか……。ま、いいや。とにかくイサの言う事には、雷が地上で発生したんだってよ。なんか理系学者みたいなことを言ってたけど、正直俺にはよくわからん」
──町が一つ、崩壊した。
イサの言葉を心の中で反芻する。
もしかして町の惨状は、どこかに昔ミデン博士が作ったような兵器があって、それを誰かが使ったからなのだろうか。
イサやミデン、ディオまでもがロスト・エイジの時代の人などという、途方もない話だった。でも、一撃で街を破壊できるほどの兵器なんて、今まで聞いた事もない。もしかすると軍の極秘情報で市井に知らされてないだけなのかもしれないけれど、一度そういうことがあれば、間違いなく末端兵から噂話が広がるはずだ。
テセラでさえそう思うほど、町は徹底的に壊滅していた。
「なんだ、心当たりでもあるのか?」
リヤが考え込んでいたテセラに聞いた。テセラは首を横に振って問い返した。
「ねぇ、その雷を意図的に思ったとおりの場所に作れるとしたら、どうなのかな?」
リヤが呆けた顔をしてテセラを凝視した。当然車は道から外れていく。
「ちょっ、前、前!」
「あ、ああいけね」
慌てて道に車を戻したリヤは、今度は顔を前に向けたままちらちらと横目だけでテセラを見た。
「おまえ、突拍子もないこと言うよな」
「だって、ミデン博士がそういうのを発明したんだとしたら? だからシエナの軍が博士を基地内に迎えたとか。だって基地で博士は、捕虜みたいな扱いはされてなかったもの」
「そりゃ正論だけど、そんな発明ができるなら俺たちこんな苦労して前線で撃ち合いする必要なんてないんじゃないのか?」
「確かに……」
確かにリヤの言うとおりだ。そんな兵器があるなら、シエナ軍はミデンを迎えた時点でこの戦争に勝利しているはずだ。
ユイエンではもっと長い間軍にいたようだし、むしろユイエン軍が兵器を使用していないのがおかしい。でもミデンはその兵器にひどく執着していると、イサの話を聞いて思ったのだ。すると、ユイエンにあるものは未完成だったのか?
(ユイエンで……本当にミデン博士は同じ兵器を作っていたんだろうか)
心の中で呟く。
リヤは部外者のテセラにそれを教えてはくれないだろう。軍事機密だろう。うっかり尋ねて、今更シエナの密偵なのかと疑惑をかけられたくもない。
けれど、確信は心に根を下ろしていく。間違いなくあれはミデン博士が作った兵器だと。
車は無言になった二人を乗せて道をひた走る。
黙っていると時間の流れも遅く感じられた。
テセラは雨のそぼ降る景色を見るのをやめて、イサの様子を伺う。苦しむ様子もなく、ただ眠っているだけに見える横顔は少し青白い気もした。あまりに静かで呼吸をしているのか確かめたくなったテセラだったが、リヤの一言に手を止める。
「こいつは放って置いても大丈夫さ」
リヤの声に首をかしげる。
彼はフロントガラスの向こうを見つめたまま続ける。
「昔話をしようか。イサと最初に会ったのは、もっとユイエンの東山岳地帯だった」
そこで山火事が起きたので、近くで軍事訓練してたリヤ達の隊が、消火に駆り出された。
当然周りは火の海で、煙で隊の奴らも何人か倒れた。そのせいで人数が足りなくなって、近隣からも消化の手伝いを募ったらしい。
その中にイサがいた。
「水かぶって行かなきゃ自分まで燃えそうでやばいような所だった。掛けた土だって、枯葉も混じってっから煙を上げてくすぶってる始末だ」
そんな中でイサは黙々と働いていた。
黙々と働きすぎて、皆がほどほどのところで退避した中、イサは逃げ遅れて山の中に取り残されてしまった。
「手分けして探したさ。熱さでヤラレそうになりながらね。だけどこいつは火の中で、涼しい顔してまだ消火作業をしてたのさ」
驚くリヤの前で、イサはへらりと笑ってみせる余裕すらあったのだ。
でもその後がいけなかった。服は本人よりも熱さに弱く、端から燃えてきてしまった。驚いて大騒ぎしながら俺は消火のために土を掛けたんだ。ほっと一息つく頃には、あいつは半分土に埋もれてすっげー情けなさそうに笑ってた」
リヤは話しながら口の端が上がっていた。
「それでもなぁ、掛けた土だって焚き火の横でずっとあっためられて、笑っていられるような熱さじゃなかったのさ。案の定イサはあちこちヤケドした。だけどな、結局痛いとも言わないし笑った顔のまんまだった。俺は最初頭がオカシイんじゃないかと思ったね」
そして軍医に預けて一週間、リヤは山火事がおさまったのでイサの様子を見に行った。
「すっかり火傷は直っちまってたんだ」
リヤは眉をひそめる。
「けどな、あの火傷は一週間かそこらで跡形もなくなるような代物じゃなかったはずなんだ」
首をひねるリヤをよそに、イサは働き口を求めていたのでそのまま軍に入隊した。
そして何ヶ月か過ぎ、ちょっとした紛争に出かけた時に、リヤの疑惑は確信に変わった。
「確かに俺は左腕に銃弾が貫通するのを見たんだ。その傷も三日で塞がって、二週間経つ頃には怪我したんだかも分からなくなった。こいつは……ちょっと違うんだ」
リヤが何を言いたいのかは分かる気がした。
思い当たる節はいくらでもある。
一番最近のでいえば、ミデン博士の銃弾で右腕を負傷しても少し表情を変えただけで、痛がる様子もなかったこと。そしてさっき目覚めた後、あれだけの怪我をしているのにかかわらずそれを気づかせないほど長話をしていたこと。傷が塞がりかけていたこと。
これもロスト・エイジの科学のせいなのかもしれない。
「何か知ってるって顔だな」
指摘されてテセラは我にかえる。リヤは無表情のまま前方を見つめていた。
「隠せない質なんだな、おまいさん。全部顔に出てるぜ? それでもイサが何か話すってことは、お前さんを奴が助けたのもそれなりに理由があるってこったろ。当り?」
テセラは何も言えなかった。
リヤが知らされていないということは、イサは他の人間にあの話をするべきではないと判断していたのだだろう。
何が……どの辺りがしゃべってはいけないことなんだろう。
自分の兄と親しかったのだと説明しても、その場合はシエナ人と仲良くしていたことで、密告なんかの疑いを掛けられてしまうかもしれない。
なにも見分けがつかないテセラは、ただ黙っていることしかできなかった。
ややしばらくしてふっとリヤが息を吐く。
「気にすんな。言えないことの一つや二つ、誰にでもあるだろうさ」
テセラを気遣っての言葉なのだろう。でも、だからこそ少し淋しげな気がした。
うつむいているとリヤの手が肩に触れた。軽く一度叩いて離れていく。
「本当にお前さんは顔に出やすいよなぁ」
言われて思わず両手で顔を押さえる。そんなわかりやすい顔をしてたんだろうか。
それを見て噴き出したリヤは話題を変えた。
「ところでテセラちゃん、俺はユイエンに向って走ってるんだが、その辺はいいのか? イサも放置したって構わないやつだし、なんだったら別の街の近くまで回ってもいいんだけど」
聞かれてテセラは思い悩む。
何も考えずに車に乗ってしまったけれど、テセラの目的は達成されてしまったのだ。
もう、ユイエンにいる理由も何もない。何もないはずなのに、帰るという言葉が出てこない。
そうだった。もう、帰ろうとしても誰もいない。
「帰っても、誰もいないから……」
呟いたテセラはうつむく。
リヤは横目で彼女を見て言った。
「まぁ、その辺は保護者と相談したほうがいいかもな。イサも明日には話せるようになるだろうし? ただ、あいつが帰れと言ったら帰った方がいい。生活習慣の違う国で、一人で生きていくのは難しい。国に帰れば教会で一時保護もしてくれるだろうし、知り合いもいるだろ?」
リヤの言葉に、テセラは故郷の町の人を思い浮かべる。
神父様は既に預かっていた戦災孤児と一緒に、北の教区へ行こうと誘って下さった。隣のおばさんは何かあったら連絡をしなさいと、親戚の家の住所まで教えてくれた。
待ってくれている人たち。
彼らのことを誰かに聞かれるまで思い出せもしなかったことに、テセラは罪悪感を覚えた。ディオのことしか見えていなかったから、もう誰もいないように感じていた。すぐに帰ればよかったのに、どうしようと思う間もなく、無意識にイサの行くところへ付いてきていた。
まるで殻を割って生まれたばかりのひよこが、最初に見たものを母親だと信じ込むように、彼のことを信じていた。
イサは、ただ一人本当のディオを知っている人だから?
そうかもしれない。だからディオの記憶にすがりたくて、彼を知っている人の傍に居たいだけ。でも、もしリヤの言うとおりに彼が故郷へ帰れと言うなら。
「うん。わかった」
帰るしかない。誰も自分を必要としていない所にいるわけにはいかない。リヤの言うこともよくわかってるのだ。言葉が同じでも、生活習慣の違う土地で暮らしていくには誰かの援助が必要だ。
わかっていた。だからテセラはそう口にしたのに。
なぜ突き放されたように感じてしまったのか、その理由が思いつかなかった。