4章-2
――その時代は、『失われた時代』と呼ばれている。
「驚かないで聞いてほしい。俺たちはみんな、一〇〇年前の人間なんだ」
一〇〇年前、世界には科学があふれていた。
街は夜も煌々と輝き続け、様々なことを機械が代行し、さらには人間自身もその機能を強化することができた。今と同じように戦争の火種はくすぶっていたけれど、人々はおおむね平和に暮していた。
悲劇は、ディオが十歳の時に起こった。
「ミデンはそれなりの名声がある科学者だった。ディオの母親もミデンの部下として働いてた。そんな時、ミデンは兵器にも転化できる技術を発見した」
ミデンはその技術を実証したかった。
その実験は、予測通りなら都市ひとつが崩壊するものだった。が、ミデンにとっては人間さえ実験動物と同じだった。けれども実際に行えば、自分は犯罪者になってしまい、研究が続けられなくなってしまう。
そんな理由で逡巡していたミデンに対し、戦争の気配を感じていた政府が、ミデンに研究費と実験後の身の保証を与えてしまった。
「ミデンは部下を政府に脅させ、兵器開発に携わらせた。その中に俺の従姉がいた。彼女はディオを殺すと脅されていた。だけどディオも聡い子供だった。母親の様子がおかしいことに気づいて、ミデンが母親を脅していること、そして何をさせているのかを調べ上げた」
ディオは天才すぎたんだ、とイサはつぶやく。
天才すぎたから、何も知らないまま守られていることができず、そして周囲に迷惑をかけずに、自力で解決する道を見つけてしまった。
「ディオは実験を阻止しようとした。けれど土壇場でミデンに見つかって、機械は作動してしまった。だけどディオのおかげで小規模で済んだ。だけど……町が一つ、崩壊した」
ディオが天才とはいえ、政府が情報操作を行ってしまえば、孤立無援の子供でしかない。
しかも施設近くの町が消失し、そこにいた従姉夫婦は亡くなった。
ディオもまた、それにショックを受けてなされるがままになってしまった。
「ディオはミデンに罪をなすりつけられる死刑になるところだった」
更にディオは、自分が人を殺してしまったという自責の念から、裁判でも反論一つしなかったのだ。
「俺が事件の真相を知ったのは、政府に監視されてたせいだ。ディオが親類の俺に情報を漏らした場合、すぐに消すために」
ショックだった、とイサは呟く。
「実は俺の親も従姉夫婦と一緒に亡くなっていた。だけどディオは何も話してくれなかったんだ。ディオは俺まで巻き込むまいと考えたんだろう。それが余計に辛くて。そして俺は両親や従姉の仇が誰なのかを知って……報復した」
イサは一人で、その黒幕たちが集まる場所へ向った。
手には剣一本をぶら下げて。
「ディオに罪をなすりつけ、ミデンは被害者面をして追尾の手を逃れたんだ。そして、ミデンにいらないことを吹き込んだ政治家は、今でもどこかで笑っていると思うと、たまらなかった……」
テセラにはなんとなく、その先がわかるような気がした。
イサが、どうして自分も犯罪者だったと言ったのか。
「その人を、殺したの?」
彼はうなずく。
「警備で雇われただけの人間も、最後までそいつを庇おうとした家族もだ。皆が庇おうとしている男は、あいつらには優しいかもしれない。けど、それでも俺には悪魔でしかなかったんだ。
俺は罪をその男に認めさせる方法なんてわからない馬鹿な人間だ。そしてそいつが罪を認めても、両親も従姉も帰ってきやしない。ディオの心の傷も消えない。
庇う余裕のある奴が憎かったよ。被害者みたいな顔ができるやつらも、みんな憎かったんだ……」
憎いと話すイサの顔は、それでも話す前より穏やかになった。
イサが行動したことで、全てが明るみに出た。
そのおかげでイサもディオも情状酌量されて、死刑は免れたらしい。
でも、結局この惨事の背後には国家単位でのあれこれがあり、死人に口なしとばかりに国はその政治家一人を悪者にして事を治めた。
「やがて戦争がおきた」
ミデンの技術を隠すため、国は彼らを長い眠りにつかせた。
さらに独占欲の強い彼らは、自分達の国が負けた時にはミデンとその技術について知っていたディオを処分するために、処刑人まで用意した。
「俺はディオを殺すように暗示をかけられてる。ディオを目の前にしたら自分でもどうなるか自信が無い。この暗示は死ぬまで解けない」
「でも……それじゃ、イサ……」
イサはディオを助けたかったはずなのに。
なんてむごいんだろうと考えたテセラの前で、イサが笑う。
「俺は諸手を挙げて神を讃えたかったよ。それでよかったんだ。だってディオをなんとか逃がしたら、俺が自分を何とかすればいいだけだ。俺が死ねば彼は自由だ。ディオはまだ子供だ。自分の罪なんて知らない新しい世界で、生きていけるならその方がいいくらいだ」
イサは知人にディオを早く目覚めさせるよう依頼した。そしてイサの装置はミデンの起床に連動するように。
ディオのために自分の命を代償にすると言ったイサの笑みは、安らいで見えた。
そしてテセラは思う。自分たちは、きっと同じ事を考えていたのだと。
ディオに生きていて欲しい。ただそれだけを。
「だけど、もう……」
ディオはいない。止まりかけた涙がにじみそうになる。
自分も、イサも可哀想だった。一生懸命追いかけてきたのに、その当人は追いつけないほど遠くへ行ってしまった後だった。
唇を噛みしめて、その痛みに思う。どうしてこうまで涙を堪える必要があるだろう。本当にひとりぼっちになってしまったのに。
ふとイサの様子を伺う。
彼はうなだれたまま、顔に笑みを張り付けて壁に背を預けていた。
壁を視線でたどり、天井が半分に引きちぎられているようになっているのを見つけた。
その先は灰色の空、そして片側とは違う低さになってしまった壁の残骸。
まるで前線の町みたいだった。
そういえば最後に見たあの白い光はなんだったんだろう。
起き上がってみた。さっきよりは手の痛みも少なくなってきている。腕まくりしてみて、すぐに袖を元に戻す。擦り傷や打ち身が無数にある。イサよりは軽いけれど、足もしばらく痛むだろう。
もう一度イサを見る。もう笑みは消えていた。
たぶん、彼のおかげでテセラの傷は軽くて済んだのだろう。
状況を見ればなんとなく想像がつく。あのおかしな音の後で――爆発が起こって町が壊されてしまう状況のなかで、余波や瓦礫からイサが守ってくれていたのだ。でなければ彼がこんなにぼろぼろになっているわけがない。
膝立ちで移動して、イサの傍らに座る。
どうして自分を助けてくれるのか。テセラはもう知っていた。
イサが顔を上げて不思議そうに見つめる。
「それ、ディオと同じ仕草」
テセラは目覚めてから初めて微笑んだ。
「私、ディオには手が届かなかったけど、イサに会えて良かった」
そうか。と小さく返事をしたイサは、前のめりに倒れてテセラの肩に頭を預ける形になる。
「え? イサ?」
彼は静かに目を閉じたまま返事もしない。
「あの、どうしたの?」
眠っているのかと不安定な態勢を直そうとして、テセラはイサの背中に回した手が何かに触れて思わず手を離す。イサが地面に横倒しになりそうになって右手でかろうじて支えたものの、左手を凝視したまま動けなくなった。
べっとりと血に濡れた自分の掌。
慌てて横たえたイサの背中を見ると、大きな裂傷を塞ぐように血が固まりかけている。
ただ呆然とその傷を見つめていると車のエンジン音が近づいてきた。声をかけられて振り返ったテセラは、そういえばもう一人怪我人がいたことを思い出した。