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4章-1

 雨の音が聞こえた。

 ぱたぱたと屋根を、地面を叩いて跳ねる水音だ。

 それはテセラにとって、懐かしい事を思い出させる音だ。

 あの時も雨が降っていたから。

 その時、いつものようにソファの背もたれによじ登って窓に張り付いていると、見慣れない男の子が一人、傘もささずに歩いてくるのが見えた。金色の髪が濡れて鼈甲色になり、日に焼けて色あせたようなシャツは水を吸って重たく肌にまとわり付いている。

 どこの子だろう。

 見たことのない少年は、近寄りがたい雰囲気を持っていて、だからこそ異質でテセラの目を引いた。

 少年は自分の家の玄関の前に立つ。

 しばらくじっと扉を見つめていて、いい加減気味が悪いとテセラが思い始めた頃、手がゆっくりと動いて小さくノックした。

 木の実が落ちるかというほどのかすかな音に、折よく玄関先を通りかかった母親が気づいて扉を開ける。

「まぁ、こんなに濡れて……どこかからお使いでも頼まれたの?」

 尋ねる母親の声に、ぼそぼそと小さな声が答えた。

 上手く聞き取れない。

 だけど聞き耳を立てたりしたら、見つかったときお行儀が悪いと叱られるだろう。

 テセラはじっとがまんしていた。

 母親と少年の話は長く、やがて少年を連れて母親が居間に入ってきたときには、待ち疲れてしまっていた。

 彼の背を支えるように手を当てた母親が、テセラに言った。

「お兄さんを紹介するわ、テセラ。いままでお父さんと一緒にいたんだけど、お父さんが亡くなって知らせにきてくれたんですって。名前はディオよ」

 少年はぼんやりと彼女を見ていた。

 テセラは何と返事をしていいのかわからず、じっと見つめ返していた。


 今、視界に映る彼も同じだった。

 目の前のものを観察しながらも、どう扱っていいのか分からないような。どこかあきらめているような目をしている。

「イサ……」

 ディオの時も彼女が先に声をかけた。名前を復唱するように。

 あの時ディオは、ほんの少し物珍しそうにテセラのことを見た。

 イサは視線を和らげて尋ねる。

「どこか痛いところは?」

 かすれるほど小さな声。

 テセラは首を横に振って、起き上がろうとした。けれど動かした手首や、力を入れた背中に走った鈍い痛みに思わず力を抜く。

「なんで、いつ……?」

 つぶやいて、周りに目を向けたテセラは、視界に入るイサの服に目を見張った。

 地面を引きずられたように擦り切れ、血がにじんでいる。その視線はイサの右肩で止まった。赤黒い広範囲の染み。腕を伸ばそうとしてそれも痛くて顔をしかめる。

「無理しないほうがいい」

 そう言うイサは痛くないのだろうか。

 労るように優しく頬に触れられて、テセラは涙が滲んだ。

 それを見てイサが不安そうな表情になる。

「やっぱりどこか……」

 テセラは首を振って痛いからじゃないと否定した。

「わたし、泣いてばっかりだね」

 安心させるように笑ってみせる。

 上手く笑えたのかもわからないけど、でもそれ以上どう切り出して良いのかわからなかった。

「そんなことないさ。その年頃の女の子にしてはよくがんばってる」

 頭を撫でる手。なんだか心が落ち着いていくのは、自分が子供だからだろうか。

 でも言葉が出てこない。

 優しくしてくれるのに甘えて、許してくれたんだと思い込みたくなる。

 自分が銃を向けたことを。

 テセラはなんとか自分で涙を拭おうと思った。泣いている場合じゃないから。

 イサは絶対傷ついてるはずだ。なのにどうして止まらないんだろう。

 腕の痛みに顔をしかめながらもなんとか左目だけ拭いた。左手が疲れてしまったから今度は右手を動かそうとしたが、その前に冷たい指先が右の頬に触れる。

 指先で涙をすくいながら彼は言った。

「もう、思い出すな」

 息が止まりそうになる。

「思い出すなって、何を……」

 イサが「くそっ」と毒づく声。今まで聞いた事がなかった。

 なんで?

「なんて言えばいい?」

 吐き出すような言葉とうつむいて見えなくなる顔。

「なんて言えば、泣かずにいてくれるんだ。俺にはディオを連れてきてやることなんてできないのに」

 ああそうか、とテセラはようやく思い至る。

 ディオが死んだから、自分は泣いてるんだ。

 ミデンの口から告げられたその事実を、イサも聞いていた。だから彼にはテセラの泣いている理由がわかったのだろう。

「ディオのこと、ミデンがいろいろ話してた。ディオがミデンを探してた理由、イサはわざと隠してたの?」

「ああ、そうだ。知らないままでいられるなら、そのままにしておきたかったんだ」

 話すのは苦しそうだった。それでも聞きたい気持ちを優先させてしまう。何か聞いていないといられない気持ちが、イサを気遣う事を忘れさせた。

「全部話して」

「どこまで話せばいい。どこまで知ってる?」

「ディオもミデンも……人を殺したことがあるって。なんとか戦争はやりすごしたけど、国の偉い人達が知識の流出を怖がって、処刑人を用意してたって」

 イサは顔を上げて苦笑した。

「そうだ。でも二人だけじゃない。俺も人を殺した犯罪者だ。最初は……ミデンが賽を振った」

 イサはぽつぽつと話してくれた。まだ話してくれなかった事実を。


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