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3章-3

 ――怖い。

 そう思うか思わないかのうちに、テセラはぐいと来ていたジャケットが引っ張られ、右手を掴まれた。

 腕の痛みに顔をしかめても頓着される事もなく引っ張りあげられたのは、元の屋上だった。

 自分を引き上げた人は、つないだ手を離さずにもう一方の腕で抱え込むように抱き締めてきた。

 広い肩に押し付けられた額に、砂色の髪が触れる。

「間に合ってよかった……」

 深い安堵のため息をついた彼は、彼女の背中を軽くあやすように叩いてから、紫に似た色の瞳でテセラの顔を覗き込む。

「気が、済んだか?」

 イサの声が心に染み込んでいく。

 テセラがどうしてあんな行動をしたのかも全く知らないはずなのに、なにもかもわかった上で言っているような言葉に、テセラの中で何かが溶け出し涙になって溢れ出た。

 イサはテセラの手を握り締めたまま、静かにささやく。

「泣いてもいい。泣いてもいいけど、もう同じ事をしちゃいけない。テセラ」

 テセラは唇をかみ締める。

 どうしてそんな優しいことを言ってくれるんだろう。

 銃で自分の頭を打ち抜くのが怖くて、誰かが殺してくれないかと思うような臆病者の自分に。

 引き金を引くよりは難しくないと思って、屋上から飛び降りたのだ。でも、他の誰に止められたとしてもこんなに後悔する気持ちにはなれなかっただろう。

 けれど、なぜイサは来てくれたのだろう。

 テセラが連れ去られるのを見て、追いかけてきてくれたのだろうか。

「どうして……?」

 泣きながらようやく一言声に出す。続かない言葉を補うためにイサが尋ねた。

「なんでここにいるのかってことかな?」

 うなずくと彼はちょっと苦笑いした。

「ミデンが軍に居るって聞いたから、中へちょっと。まさか君が連れてこられるとは思わなかったけど……ごめん、俺がうかつだったせいだ。ミデンに何か言われたのか? 言いにくいなら無理に話さなくていい。ただ、もしよかったら教えて欲しい」

 テセラは一生懸命話そうと努力した。

 たった一言だ。

 だけど言葉を絞りだそうとする度に、拭った涙がにじんで声が嗚咽にかき消される。

 しばらく待っていたイサが、ふと顔を上げて遠くを見つめる。

「ごめん、後にしよう」

 穏やかな口調で言いながら、テセラの腕を引いて立ち上がらせる。

「走って」

 言葉の中に緊迫感を嗅ぎ取ったテセラは、言うとおりにしようとしたが、それより先に階段を下りる出入り口から銃声が響く。

 天井の石畳に銃弾が穴を開けた。

 テセラの体が持ち上げられる。

「掴まってろ!」

 彼女を小脇に抱えて反転したイサが、屋上の縁からジャンプした。昨日のように、彼は空気の中を滑り降り、地面に着地した。すぐにテセラの手を引いて走り出す。

 サイレンが鳴った。

 無我夢中で足を動かしながら、テセラは自分の息遣いと追いかけてくる軍靴の音に焦りを感じていた。

 何人追ってきているんだろう。

 振り返ったテセラの視界が、大きく上下にぶれる。

 イサは彼女を一動作で担ぎ上げると、金網へ向って飛び上がり、格子につま先を引っ掛けて駆け上がると、ゆうに背丈の三倍はある柵を越えて着地した。急降下に思わず目を閉じていたテセラは、地面に接地した衝撃に目を開き、追いかけてきた十数人ものシエナ兵が高い金網に阻まれているのを見た。

 それも一瞬で、またイサに地面に下ろされて走るよう促される。

 足を踏み出そうとしたテセラとイサが息を呑んだ。

 前方からの足音。

 挟み撃ちかとテセラが覚悟しかけた時、まだ熱を持った目に映ったのは、暗闇の中で誰かを引きずってくるミデンの姿だった。襟を掴まれた人間が誰なのかはよく見えない。

「さすがだね、イサ君。監視が一人街の外に捨てられていると聞いて、きっと君じゃないかと思ったよ」

「ミデン、お前……」

 言いかけたイサをミデンがさえぎる。

「おっと動かないでほしいな。これは君の友達じゃないのか?」

 ミデンがもう一歩踏み出して、放り投げるようにその襟を放した。なされるがまま力なく倒れているのは、見覚えのある赤い髪。

「……リ、ャ?」

 呟いてテセラは口元を抑える。さっきよりも良く見えるようになったその顔は、リヤに間違いない。完全に気を失って瞳を閉じたまま、生きているのかどうかもわからない。

「さっき基地に潜り込んでいたところを捕まえたんだ。彼のお陰で建物の中に人がいなくて、ずいぶん静かだったよ」

「リヤは生きて……」

 尋ねるイサをまたミデンが押し留める。

「生きてる。だから先にこっちの用件を済ませようじゃないか。だって君は、私を殺しに来たんだろう? イサ」

「そうだ」

 その一言に、テセラの心が水を注いだように冷えていく。

 イサはミデンを殺しに来た。その理由がテセラの心に浮かぶ。

 ミデンは、処刑人に殺される。その処刑人は、ディオを殺している。

「ディオを殺したのは、貴方?」

 あの街にいたのは、偶然?

 それとも、ディオを殺した後で逃げ出したミデンの足跡を探していた?

 問いかけたテセラに、イサが目を見開いて彼女を見た後、剣呑な視線をミデンに向けた。

「貴様……」

「あり得ることを話して聞かせたんだよ。君はディオを見たら、殺さずにいられなくなるのも事実だろう?」

 テセラは唇を引き結ぶ。

 イサはディオを親戚だと言っていた。ディオを探してくれると言った。なのに彼は、変な事を聞いてくる。

 もし? もし……を殺したんだとしたら?

 からからと乾いた音を立てて地面を滑った何かがテセラの靴先に当たる。

 視線を向けて、見覚えのある銃を拾い上げ、右手の指を引き金にかける。

 銃を放ったミデンを見ると、微笑みすら浮かべていた。イサを振り返ると、彼は黙って見つめてくるばかりだった。

 撃ち方はディオが昔教えてくれた。

 むやみに人に向けちゃいけないと言ったのもディオだった。

 ではこの人は。ディオを殺したかもしれないこの人は……。

「どうして、さっき助けてくれたの?」

 なんでミデンの言葉を否定しないのか。

「俺がここまで連れてきたんだ。死なせたくなかった」

 イサの言葉は、テセラが聞きたいことではなかった。それでも心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥る。

 ──死なせたくなかった──

「教えて。ディオを殺したの?」

 イサは何か答えようとした。開きかけた口が引き結ばれて。

 うつむこうとしたイサの頭の横を、銃弾が駆け抜けた。風圧で切り傷ができた右の額に赤い血の線が走る。

 ミデンは銃を構えてもう一度狙いをつけていた。

「済まないな。あまり使ったことがないから上手く当たらないみたいだ」

 もう一度響き渡る銃声。

「早くしないとシエナの軍人が出張ってくるからな。そうしたら本当に殺せたのか確認できなくなる」

 三度目。

 イサがテセラを突き飛ばし、その腕を銃弾が掠めていく。

 たたらを踏んで転ぶのは避けたテセラは、呆然とイサを見つめたまま動けなくなった。

「お嬢さんには敵討ちが難しそうだからな、私が代わってあげるからそこで見ていなさい。ああでも……」

 ミデンは表情を和らげる。

「間違って当たったら許して欲しい。ディオみたいにね」

 その言葉にテセラは耳を疑った。

 四度目のわざと逸らした銃弾を、イサに腕を引かれてかわしたテセラは、もう一度信じられない言葉を聞く。

「その体勢の方がいいな。彼はこっちに友達が居る限り動かないのに、そんな大きな的に銃を向けられないならお嬢さんも利用価値なしだ」

 五度目はイサが彼女を抱き締めるように庇った。

 イサの肩をかすめた銃弾と血の色にテセラは頭の中が真っ白になった。そのまま何も考えず、握り締めたままの銃をミデンに向けていた。

 衝動的に撃ち出した銃弾は、しかしイサの手が狙いを狂わせて見当違いの地面を抉る。

「なんで……ディオ、殺したのあの人なんでしょうっ!」

 激情に流されて叫んだテセラに、イサが苦しそうにうつむく。

「起伏の激しいお嬢さんなのかな? でも私の足元に誰がいるのか忘れないで欲しいね」

 ミデンの手が下に向けられる。その先にあるのはリヤの頭だ。

 完全に忘れていたテセラの手から力が抜けて、銃を取り落としそうになる。左手を彼女の手に添えてイサが銃を落とさないように力を込める。

「持って。必要になるかもしれない」

 テセラが首をかしげると彼は少し笑って、駆け出した。

 目で追った時には既にミデンに肉薄し、いつ抜いたのかもわからなかったあの剣で、ミデンの右腕を切り落とそうとした。

 それまで笑みさえ浮かべていたミデンの顔が、醜いまでに恐怖に引きつる。

 テセラは思わず顔を背けた。

 死体は見慣れても、斬る瞬間を見るのはさすがに耐え難い。

 しかし。

「……なっ!」

 イサの驚愕の声と共に響く、鉄を鋸で引いたような音。

 振り返ったテセラは、まだ無傷のまま大きく後退したミデンの姿を見つけた。

「今はあの時代もロスト・エイジなどと呼ばれてるそうだな」

 勝ち誇るように笑みを浮かべるミデン。

「早々に終止符が打たれたせいで、私の発案した代物も、多少の小型化がされているだけで、大変扱いやすくて助かったよ」

「お前、シエナでもその技術をばらまいたのか!?」

「いや、惜しかった。まだシエナではロスト・エイジの遺物が使えるなどとは思っていないようでね。掘り返してくるように言っただけなんだよ」

 ミデンはじりじりと後ずさりを始める。何かから距離をとるかのように。

「でもユイエンはほぼ完全に機能が回復したはずなんだ。ほら、もうすぐここにも次元の雨が降るはずだよ、イサ」

 その言葉を聞いた瞬間、イサはリヤを拾い上げ、テセラの手を掴んだ。

 わけがわからないまま、テセラはイサに引かれて走り出した。

 次の瞬間、目の前が真っ白になって何も見えなくなった。

 意識を手離す瞬間に聞いた爆発音は、どこかで気泡がはじけるように頼りないくらい遠く感じられた。

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