序章
鳥の夢をみていた。
灰色の空をついと飛び行く鳥影が、遠目には深い青のような気がした。大きさは鳶か鷲のようにも思える。
けれど青い鷲は神話の中にしかいない。
その翼で産まれた風から、世界に生命が産まれたといわれている。いわば人が想像した神の化身の姿だ。
そして時代の終わりには、鷲は雷となり世界を焼き尽くすという。
――鷲の名は、アクィラ……。
彼は自分の呟きで目を覚ました。
視界一杯に広がるのは、白く曇ったガラスだ。
もう、目覚めの時なのかとぼんやり考えながら、彼の身体を受け止めて、羽毛のように柔らかく沈むカプセルの内側に触れる。
ほんの少しだけ暖かい。
細胞の一粒までも硬く凍ったはずの自分を溶かしたのは、外気ではなく機械のようだ。
しかし、眠る前に説明を受けていた、目覚めの様子とは違う。
彼は罪人だ。目覚めの瞬間も監視されなければならないはずだった。近くの端末機械に何かを仕掛けて、脱走しないとも限らないからだ。そのため機械が覚醒モードで作動した時点で、監視員に知らされるはずなのだが、白く曇ったガラスの向こうで、誰かが自分を覗き込んでいる様子はない。
いくら待っても誰もカプセルを開けてくれないので、彼は内側からの開閉スイッチを押した。警報が鳴り響くかと思っていたが、ガラスの蓋が静かに開いただけで、物音一つ聞こえない。
工場のようなパイプばかりが目立つ灰色の天井を見つめて息を吐き、彼は起き上がる。
前髪が目にかかる。眠る前と同じ長さだ。それを払う手の大きさも変わらない。つま先から頭の天辺まで、特に異状はないようだ。医療衣のような白い服のまま、彼はカプセルを出た。
薄暗い冷凍睡眠室の中には、誰一人として動いている者はいない。
ふと思いついて部屋の隅にあるモニターと操作盤に近づく。
機械はすぐに起動できた。まずは他にもたくさん並んでいるカプセル。それらに異状がないかを調べる。
――解凍を実行したのは彼のカプセルだけだ。
不審に思ってコンピュータ内のパスワードを解析してネットワークを開き、現況を調べた。
現在の時間、RC一五六七年五月一日――眠りについてから経過した年数を知って彼はその短さに眉をひそめる。そのまま外部ネットワークを確認――接続不可。
いつネットワークが断ち切られたのかを調べていると、赤いエラー表示が空中にいくつもポップアップされた後、懐かしい名前とメッセージが表示された窓が現れる。
この機械の開発者からは外れているはずの人、両親の知人の名前だ。彼も何度か会っているし裁判も傍聴しにきていた。
裁判中、一言だって弁解しなかった自分に、激昂していた人がなぜこんな細工をしたのか。
疑問は、十数行のメッセージを読んだとたんに氷塊した。更に機械に表示された年数を確認して、思わず冷凍睡眠カプセルに駆け寄る。彼はカプセルの窓を一つ一つ曇りを手で暖めて拭って、中を確かめていった。
そして、探していた人を見つけた。
その青年は彼の五つ右隣のカプセルにいた。昔と変わらない穏やかな表情で。
「……どうして」
泣き出しそうな彼の声に、青年は応えない。
彼は唇をかみしめると、涙が出ないよう目に力を入れてカプセルから離れ、駆けだした。
部屋の扉は半開きのままだった。そこをすり抜けて真っ暗な廊下を走る。それから手探りで階段を上った。
そうしてたどり着いた外は、一面灰色の荒野だった。
施設を覆い隠していたはずの緑は、一つもない。
ただ砂利と低木、どこからか吹き飛ばされて転がり、酸化した鉄くずだけが転がっている。舗装されていた道路も、激しい地震の後のようにひび割れて陥没し、降り積もった灰色の砂に埋もれている。
彼は立ち止まり、施設を振り返った。外郭がほとんど禿げて廃墟にしか見えない。
そのむこうを、夢でみたような青い鳥が飛んでいったような気がした。