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告白

会社 飲み会 後編 ~告白

作者: 時司 龍
掲載日:2026/03/02

 ポケットの中で、スマホが震える。

 現実に引き戻される。

 画面を開くと、(せい)からのメッセージ。


《ここ。二階な》

 店への地図が添付されている。


 大樹(だいじゅ)は小さく息を吐く。

 今なら、このまま帰れる。

 さっきの手を振る仕草だけを持ち帰って、静かな夜のまま終わらせる事もできる。


 ・・・いや。

 それはない。


「行かないとダメだよな」


 誰に言うでもなく呟く。


 付き合いの良さは、ほとんど病気だ。自覚はあるし、そう印象づけているふしもある。


 仕方ない。


 踵を返す。

 ネオンの路地を抜け、地図の示すビルへ。

 二階のバーは、思ったより落ち着いた照明だった。

 ドアを開けると、すぐに声が飛ぶ。


「おっ、戻ってこないかと思ってたぞ」

 

 (せい)が笑いながらグラスを掲げる。

 紫音(しおん)も振り向く。


「意外と早かったっすね」


 カウンター席の端で、(あおい)がちらりと見る。ほんの少しだけ、口元がふくれている。


 わかりやすい。


 大樹はいつもの調子で歩み寄る。


「そんな事しませんよ」


 軽く笑って。

 そのまま葵の隣に腰を下ろす。


「ね、葵さん」


 少しだけ声を柔らかくする。

 機嫌を取るみたいに。

 葵は視線をグラスに落としたまま言う。


「別に、怒ってないですけど」

「顔に出てますよ」

「出てません」


 誠が吹き出す。


「ほらな」


 紫音が面白そうに頬杖をつく。


「大樹さん、送るだけで満足しちゃうタイプなんすか?」

「何それ」

「戻ってこないって、顔してましたよ」


 一瞬だけ、言葉に詰まる。図星だ。

 バーテンダーに視線を向ける。


「同じのください」


 グラスが置かれる。縁を指でなぞる。

 氷が、かすかに鳴る。

 送るだけのはずだった。間違いない。それ以上は踏み込まない。

 軽くて、きれいな距離。それが一番、波風が立たない。


 わかっている。


 なのに。


 バス停の灯りの下で、あの背中が少し遠ざかった時。

 胸の奥が、冷えた。あれは、送っただけの男の感情じゃない。少しだけ・・・違った。


 戻ってこない顔。


 あのまま、もう少し引き止めていたらどうなっていたか。

 そんなことを考えた時点で、もう十分だ。


 自覚はある。

 あるからこそ、黙っている。

 誠も、紫音も、葵も。たぶん、気づいている。茶化し半分の言葉。測るような視線。


 それでも、誰も踏み込まない。


 自分が踏み込まない限り、ただのよくある夜で済むからだ。


 それでいい。

 今はまだ。


 誰かに取られるかも。

 あの男みたいに、何時どんな顔で近づいてくるかしれない、という発想がよぎる。その瞬間、胸の奥がわずかに熱を持つ。

 自分のものでもないのに。


 おかしい。


 でも、その熱は消えない。

 グラスを傾ける。


「ちゃんと戻ってきたろ?」


 いつも通りの声。

 人当たりのいい男の顔。


 隣で葵が静かに見る。

 誠は笑っている。

 紫音は面白そうに目を細めている。

 全員、わかっている。


 それでも。


 誰も何も言わない。

 言われない限り、これはまだ『始まっていない』。始める気もない・・・はずだ。

 グラスの氷が音を立てる。

 あの小さく振られた手が、頭から離れない。

 ただ送っただけ。たったそれだけで。もう、十分すぎる。


 肩をすくめる。

 氷がまた静かに鳴る。

 さっきまで胸の奥にあった静かな熱は、少し形を変えて残っている。

 葵が横目で見る。


「・・・楽しかったですか?」

「何が?」

「バス停まで」


 大樹はグラスを持ち上げる。

 少しだけ笑う。


「普通だよ」


 嘘ではない。

 でも、全部でもない。


 グラスを傾けながら、窓の外の夜を思い出す。小さく手を振る姿。


 それだけで、今日は十分だった。

 熱は消えていない。ただ、奥底に沈んだだけだ。


 ふと気づくと、葵の視線はもう外れていた。

 誠と向かい合い、スマホを覗き込んでいる。


「来月さ、あそこ行かない? 新しくできたとこ」

「いいですね。紫音くんも来る?」

「俺、バイトなければ」


 大樹はグラスを傾けながら、そのやり取りを横で聞く。

 いつの間にか話題は、遊びの予定から昔話へと流れていた。


「そういえばさ、百万石まつりってもうすぐだよな」


 誠がグラスを傾けながら言う。

 店内のざわめきが、ほんの少しだけ地元の匂いを帯びた気がした。


「あー、懐かしい」


 葵がすぐに反応する。頬がゆるむ。


「子どもの頃は行ったな~。親に連れて行ってって、ねだってさ」

「私も行きましたよ」


 紫音が頷く。


「屋台目当てでしたけど」

「わかるわかる。綿あめとか、型抜きとか。普段ない屋台とか出てるの。今でもあるかな」

「くじ引きとかな。絶っ対、当たらないやつ」

「風船もね」


 葵が笑う。


「買ってて言って、やっと買ってもらったんだけど、離して飛ばしちゃってさ、お母さんにえらい怒られた~」

「今じゃ絶っ対、家から出ないけどな」


 誠が即答する。


「市内交通規制、面倒」

「それ、私もわかります」


 葵が強く同意する。


「車動かないし、人多いし」


 三人のテンポは軽い。重ならないのに、途切れない。

 地元の共通言語。


 俺は氷をくるりと回す。カラン、と小さく鳴る。輪の中にはいる。ちゃんと笑える。でも、どこか一歩外側に立っている感覚が抜けない。


「俺、東京なんで。まだ一回も見た事ないんだよな」


 少し間があく。


「あ、そっか」


 葵が思い出したように言う。


「転勤でしたもんね。よく一緒に飲むから、忘れてましたよ」

「こっちに来る前に、地元ネタ探しで一応ググったけど」

「それじゃ足りないっすよ」


 紫音がにやりとする。


「現地は人の密度が違います」

「勧めてんの、それ?」


 誠が噴き出し笑う。

 その笑いの向こうで、誠がちらりと俺を見る。


 さっき、交差点から戻ってきたときの俺の顔。

 あの、隠せていなかった熱。

 何も言わない。

 けど、忘れていない目だ。


 大樹は氷を口に含む。溶けかけの冷たさが、舌の奥に残る。

 さっきの熱は、まだ沈んでいる。


 会話は続く。

 笑いもある。

 予定も増える。


 それでも。


 ふと、思う。


 溶けかけの氷の冷たさが、熱の残る喉を静める。

 百万石まつり。人混み。交通規制。渋滞。

 正直、面倒だと思う。今までなら、間違いなく避ける側だった。


 でも。

 もし、あの人が「行ってみたい」と言ったら。


 頭に浮かぶのは、黒いロングカーディガンが夜風に揺れる姿。

 人波の中で、隣に立つ横顔。


 交通規制? どうでもいい。人混み? 構わない。

 多分、俺は、即答する。行きましょうって。

 想像した自分があまりに単純で、思わず苦笑が漏れる。


 氷がカランと鳴る。


 表面はいつも通り。

 笑って、軽口を返して、地元ネタに相槌を打つ。

 でも心の奥では、もうとっくに答えが出ている。


 ● ●


 (せい)が「先、払っとくわ」と伝票をつまんで立ち上がる。

 (あおい)は「ちょっとお手洗い」と小さく手を振った。


 カウンターに残るのは、大樹(だいじゅ)紫音(しおん)


 照明は低く、ボトルの影が壁に長く伸びている。

 スピーカーから流れるジャズは、会話の隙間を埋める程度の音量だ。

 紫音が氷の溶けたグラスをくるりと回す。


「大樹さんって」

「ん?」

「人のこと、わりと平気でさわりますよね」


 唐突すぎて、笑いそうになる。


「悪い?」

「いや」


 口元だけで笑う。


「俺も肩組まれましたし」

「お前デカいから組みにくいんだよ」

「そこじゃなくて」


 紫音は視線を上げる。店の灯りが瞳に細く反射する。


「今日、さわらなかったですよね」


 その一言で、時間が僅かに滞る。


 大樹の手が止まる。グラスの縁にかけた指先が、冷えたガラスに吸いついたみたいに動かない。僅かに冷える。


「・・・」


 名前は出ない。出さない。

 でも、わかる。

 あの時、隣に並んだ横顔。頭に中で繰り返す、ありがとうの声。


「・・・仕事だろ」


 自分でも、薄い言い訳だと思う。


「だから?」


 紫音は間を置かない。

 責めるでもなく、ただ次の石を置く。


 短い沈黙。


 音楽が遠い。氷の溶ける音だけが、やけに大きい。


「大樹さんって、距離近いのがデフォじゃないですか」


 否定はしない。できない。


 肩を組む。肘を引く。手を繋ぐ。頭を軽く叩く。

 それは俺にとって、呼吸みたいなものだ。男女も、年齢も区別はしない。


「でも今日、並んで歩いても、ちゃんと隙間ありましたよ」


 視線が上がる。

 紫音は笑っていない。


「送る時も、さわらなかった」


 脳裏に浮かぶ。

 ドームの灯りの下、数センチの空白。

 伸ばせば届く距離。

 でも、伸ばさなかった手。


 大樹はグラスを傾ける。氷はもうほどんど形を失っている。


「さわる必要なかっただけだ」


 自分で口に出した瞬間、嘘くさい言い訳だと思う。


 必要はあった。

 ふれたかった。

 でも。


「へえ」


 紫音が小さく息を漏らす。


「大事にしてる時って、さわらない人いるらしいですよ」


 大樹の胸の奥が、ざらつく。


「どこ情報だよ」

「美大情報。俺ら観察眼って大事なんで」


 小さく笑う。

 冗談の体裁。でも、目は笑っていない。


「形にしちゃうと、壊れそうなやつってあるじゃないですか」


 言葉が、静かに落ちる。


「距離、詰めすぎると、自分のものみたいになるでしょ。でも本気の時って、それが怖くてできない」


 怖い。


 その単語が、内側のどこかに引っかかる。

 確かに、あの数センチは怖かった。

 ふれたら、戻れなくなる気がした。軽口も、冗談も、今までの立ち位置も。


「俺、ちょっと意外でした」

「何が」


 紫音は少しだけ考える素振りをして、言葉を選ぶように言う。


「大樹さん、短い付き合いですけど、ずっと取る側の人だと思ってたんで」


 紫音は淡々と言う。

 取る。何を、とは聞かない。

 確かに、そうやってきた。取るつもりなんてなくても、結果的にそうなった事もある。そうしても、深くなる前に笑って終わらせる。


「でも今日、守る側の顔してた」


 喉が鳴る。


 取る。

 守る。

 その言葉が妙に重い。


 どっちでもないふりをしてきた。

 本気じゃない顔で、全部やり過ごしてきた。


「大樹さんにも、そういう顔あるんだなって」


 大樹は視線を落とす。自分の顔なんて、自分では見えない。


「どんな顔だよ」


 紫音は即答しない。少し考えてから言う。


「取られたくない人の顔」


 静かな声だった。

 責めてもいない。からかいも優越感もない。ただ、事実を置くみたいに。

 胸の奥に、音もなく染み込む。

 大樹は小さく笑う。


「十九に言われる筋合いないな」

「十九だから言えるんですよ。恥ずかしい台詞も、遅れてきた厨二病って事で大目に見てください」


 一瞬だけ空気が緩む。でも紫音はすぐに続ける


「大人って、余裕あるふりうまいですけど。今日の大樹さん、余裕なかったですよ」


 図星だ。

 交差点を走った時から、ずっと。

 紫音はグラスを置く。


「さわらなかったんじゃなくて、さわれなかったんですよね」


 静かに言う。


「壊したくないから」


 言葉が、まっすぐ胸に入る。

 否定が出てこない。

 いつもなら軽口で、冗談交じりに切り返す事なんて簡単だ。今もできるはず。でも、否定する言葉を自分の口から出したくなかった。

 その沈黙こそが、答えだと自分でわかる。


 会話はそこで途切れる。

 ちょうど誠が戻ってくる。


 けれど。


 取られたくない。

 その言葉が、胸の奥に落ちる。否定しなかった自分に一番驚いているのは、自分だ。

 大樹は空になったグラスをただ見つめた。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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