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第35話:アウトシステム

 路地裏の最深部。 そこは、都市の「盲点」だった。 高層ビルの谷間、空調ダクトと配管が複雑に絡み合い、ハルシオンの監視カメラさえ届かない、暗く湿った吹き溜まり。


 四ツよつや かいは、腐った段ボールの上に腰を下ろした。 ここなら、誰も来ない。 誰も、海を見て見ぬふりをしなくて済む。


「……はあ、はあ」


 荒い呼吸が、白い霧となって消える。 身体の震えが止まらない。 寒さのせいではない。胸元の『アウトシステム(OS)』が発する高熱が、皮膚を焼き、骨を焦がし、髄液を沸騰させているからだ。 癒着した傷口から、膿と血が滲み出し、シャツを汚していく。


 限界だった。 生物としての寿命は、とうに尽きている。 心臓は不整脈を打ち、視界は霞んでいる。 今、海を動かしているのは、生命力ではない。『OS』から逆流する電流と、「意地」という名のエネルギーだけだ。


「……結局、何も変わらなかったな」


 海は、ビルの隙間から見える空を見上げた。 そこには、極彩色のオーロラが揺らめいている。ARフィルターが見せる、偽りの夜空。 その下で、数百万人の人々が、今日も悩みなく笑い、満ち足りた眠りについているのだろう。


 かつて相葉あいば れんが命を懸けて変えようとし、海が喉を潰して叫び続けた世界は、傷一つ付くことなく、完璧な美しさを保ったまま回り続けている。 俺たちの抵抗は、無意味だったのか。 ただの「ノイズ」として、歴史の浄化槽に流されて終わるのか。


「……いや」


 海は、首を振った。 震える手で、胸元の鉄塊を握りしめる。 ゴツリ、と重たい感触。 これがある。 この「痛み」がある限り、俺はまだ、システムの一部じゃない。


 海は、最後の力を振り絞って、OSの起動スイッチに指をかけた。


『System Booting... Warning: Critical Heat Level.』


 警告を無視して、スイッチを押し込む。 聞き慣れた駆動音。 老朽化したファンが、断末魔のような悲鳴を上げて回転を始める。


 ウィィィィン……!


 視界にノイズが走る。 オーロラが歪む。極彩色の空が、バリバリと音を立てて剥がれ落ちていく。 美しい嘘が剥がれ、隠されていた真実が露わになる。


「……見ろ」


 海は、自分自身に命じた。


「これが、俺たちの世界だ」


 ARの虚飾が消え去った後。 そこには、絶望的なまでに「灰色」の風景が広がっていた。 塗装の剥げたコンクリートの壁。 赤茶色に錆びついた鉄骨。 ドブ川のように濁り、油膜がギラギラと光る空。


 美しくない。救いがない。希望もない。 だが、そこには「複雑さ(カオス)」があった。 壁のひび割れ一つ、錆の模様一つとして、同じものはない。 誰の手垢もついていない、剥き出しの、制御不能な現実。


 それは、ハルシオンが作るどんな天国よりも、冷たく、重く、そして愛おしかった。


 海は笑った。 ひきつった、醜い笑顔で。


「……綺麗だ」


 海は、地面に手をついて立ち上がった。 膝が笑う。背骨が悲鳴を上げる。 それでも、彼は立った。 重力に抗って。


「俺は……」


 海は、大きく息を吸い込んだ。 肺が焼けるように痛い。 この命のすべてを、声に乗せる。


「俺は、ここにいるぞ……ッ!!」


 海は叫んだ。 喉から血が噴き出すほどの絶叫。


 だが。


 シーン……。


 音は、しなかった。 海が口を開いた瞬間、周囲の空気が不自然に振動し、逆位相の音波が海の声帯の振動を相殺したのだ。 完全な無音。 都市のノイズキャンセリング・システムが、海という「異音」を発生源のレベルで消去したのだ。


 誰にも届かない。 記録にも残らない。 空気さえも震わせてもらえない。


 それでも。 海は、地面を強く踏みしめた。


「俺は選んだ。この苦しみを。この孤独を」


 声にならない声で、海は宣言した。 蓮は言った。『楽になればいいのに』と。 だが、楽になることは、自分を消すことだ。 俺は、苦しむことでしか、自分を証明できない。 この痛みこそが、俺の輪郭だ。 この重力こそが、俺の誇りだ。


「……あばよ、蓮」


 海は、虚空に向かって告げた。 もう、呼びかけない。 お前はそこで、幸せな夢を見ていろ。 俺は一人で、この泥の中を行く。


 海は、よろめきながら一歩を踏み出した。 どこへ行くわけでもない。 ただ、歩くこと。重力を背負って移動すること。 それ自体が、この「無重力の世界」に対する、たった一つの反逆だった。


 ジュッ。


 足元で、音がした。 靴底が溶けている。 『OS』の異常な高熱が、海自身の身体を伝導し、踏みしめるアスファルトを焦がしているのだ。


 ジュッ。ジュッ。


 一歩進むたびに、都市の皮膚に火傷(烙印)が刻まれていく。 黒く、深く、消えない傷跡。


 灰色の空の下。 泥と血にまみれた一人の男が、黒い鉄塊を引きずって歩いていく。 その姿は、あまりにも小さく、惨めで、そして痛々しい。


 だが、その足跡だけは。 完璧に舗装されたコンクリートの上に、黒い染みとなって、確かに刻み込まれていた。 システムがどんなに綺麗に上書きしようとも。 決して消えることのない、人間の証明として。


 海は、闇の中へと消えていく。 その背中は、世界中の誰よりも重く、そして、誰よりも自由だった。

ここまでお読みいただきありがとうございます! 本作は【全35話完結済み】です。

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死に戻る勇者×記憶保持の聖女。セーブポイントとなった聖女の悲恋が読みたい方はこちらもぜひ!→『セーブポイントの聖女は、勇者の「死に癖」を許さない』

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