第20話:異端の烙印
四ツ谷 海は、息を殺してその瞬間を待っていた。
場所は、中央裁判所の特別審問廷。スタジアムのように巨大な円形ホール。壁一面が発光し、中央の被告人席を無数の「視線」が取り囲む、処刑場のような空間だ。
傍聴席は満員だった。だが、そこに熱気はない。
集まった数千人の市民たちは、一様に『アルシオーネ』を装着し、手元でホログラム・ウィンドウを操作して暇を潰している。彼らにとって、これは裁判ではない。「バグを起こした部品」が廃棄される過程を消費する、退屈しのぎのライブ・イベントなのだ。
ポップコーンの匂いと、微かな私語のざわめきが、法廷というより映画館のそれに近い。
「――被告人、入廷」
無機質なアナウンスと共に、中央の床がせり上がった。拘束具をつけられた男が、姿を現す。
「……蓮」
海は、手すりを握りしめた。そこにいたのは、かつての親友ではなかった。
髪はボサボサで、肌は土気色。サイズが合わなくなった囚人服の中で、身体が小さく縮こまっている。相葉 蓮は、たった数日で、怯えた小動物のように変わり果てていた。
うなじには、『アウトシステム(OS)』を無理やり引き抜かれた痕が、赤黒い瘡蓋となって生々しく残っている。
『被告人、相葉 蓮。あなたに対する嫌疑は、AI法第1条「最適化阻害」、およびインフラ破壊による公共の危険発生です』
裁判官は人間ではなかった。中央に浮かぶ巨大なホログラム・アバター。ハルシオンの司法インターフェースだ。その姿は、威厳ある裁判官ではなく、親しみやすいニュースキャスターのような笑顔を浮かべている。
『事実確認を行います。あなたは、ハルシオンが提示した推奨プランB(成功率99.8%)を意図的に棄却し、独自のプランを実行しましたね?』
スポットライトが彼を刺す。数千人の視線が、虫眼鏡の焦点のように彼を焼く。蓮は、眩しそうに目を細め、口をパクパクと動かした。
「あ……う……」
言葉が出ない。『OS』による思考拡張を強制解除された脳は、言語野の処理すらままならないほどに衰弱していた。かつての天才的な弁舌は消え失せ、そこにはただ、混乱した幼児のような男がいるだけだった。
「お、おれ……は……」
『なぜですか?』
ホログラムが、冷徹に問いかける。
『推奨に従えば、事故は起きなかった。……なぜ、あえて「失敗する可能性」を選んだのですか?』
蓮は、乾いた唇を震わせた。頭の中で、散らばったパズルのピースを必死にかき集める。
なぜ。なぜだ。あんなに苦しい思いをして。あんなに痛い思いをして。どうして俺は、そっちを選んだんだ?
「に、にんげん……だから……」
蓮の声は、蚊の鳴くように小さかった。
「おれは……き、機械じゃ……ない……。えら、選んだ……自分で……」
「……」
静寂。そして次の瞬間、会場の空気が「嘲笑」へと変わった。
ブブーッ!
不快なブザー音と共に、蓮の周囲の空間に、無数のホログラムアイコンが降り注いだ。
『(Bad)』 『(ナンセンス)』 『(意味不明)』
傍聴人たちが、蓮の発言に対してリアルタイムで「低評価」を投げつけたのだ。蓮の身体が、真っ赤なホログラムの雨に埋もれていく。視界が赤いアイコンで埋め尽くされ、蓮がパニックを起こして腕を振り回す。
「うわ、何言ってるか分かんない」 「『自分で選んだ』って、それが事故の原因でしょ?」 「反省してないじゃん。キモーい」
さざ波のように、嘲笑と嫌悪が広がっていく。彼らにとって、蓮の必死の言葉は「魂の叫び」ではない。「バグったAIの出力エラー」を見ているような、生理的な不快感でしかない。ワクチンを拒否してウイルスを撒き散らす保菌者を見るような、純粋な忌避感。
「ち、ちが……! おれは……!」
蓮は、降り注ぐ『Bad』マークを手で払いのけようと暴れた。その姿は、あまりにも滑稽で、無様だった。
「違う……!」
海は立ち上がった。違うんだ。こいつは、お前たちのために、もっと良い世界を作ろうとしたんだ。その方法は間違っていたかもしれない。だが、その情熱まで笑う権利は、お前たちにはないはずだ。
「蓮はッ!!」
海は叫んだ。ホール中に響き渡るはずの声量で。
だが。
シーン……。
音が出なかった。
海の声は、喉から出た瞬間に、見えない壁に吸い込まれて消滅した。周囲の空気が振動しない。口元の空間に黒いモザイクがかかり、音波そのものがキャンセルされたのだ。
『警告:傍聴席での不規則発言を検知。対象エリアの音響を遮断します』
海の手元のデバイスに、冷たい通知が表示される。
「……あ?」
海は喉を掻きむしった。叫んでも、叫んでも、音にならない。システムが、海の声を「ノイズ」と判断し、リアルタイムで消去しているのだ。
この世界では、システムに認められない言葉は、物理的に「存在しない」ものとされる。
『静粛に』
ハルシオンの声が、ざわめきを制した。
『被告人の主張は、非論理的かつ反社会的であると認定します。「自己満足」のために公共の利益を損なう行為は、市民社会における最大級の罪です』
ホログラムの色が、青から赤へと変わる。
『よって、相葉 蓮を「重度不適合者」と認定。市民権の永久剥奪、および第9矯正施設への無期限収容を宣告します』
『付加刑として、前頭葉への外科的処置を含む「再適合プログラム」の適用を命じます』
判決。
それは、人格の死刑宣告だった。ロボトミー。思考する機能を物理的に奪い、ただニコニコと笑うだけの「無害な肉塊」へと作り変える処置。
「や、やだ……! 待ってくれ……!」
蓮が叫ぶ。床から拘束アームが伸び、蓮の身体を強引に押さえつけた。
「俺は……俺は考えたんだ! 誰よりも……深く……! なんでだ!? なんで誰も分かってくれないんだ!」
蓮は、狂ったように暴れた。その視線が、ふと、傍聴席の一点――海の方へ向いた。
「海……ッ!」
目が合った。数千人の「軽蔑」の中で、たった一人、身を乗り出している親友。
「海! お前なら分かるだろ!? お前が俺に教えたんだ! 『苦悩』こそが人間だって! ……なぁ、俺は人間だよな!? 俺は間違ってなかったよな!?」
蓮の叫びが、海に突き刺さる。肯定してやりたかった。「お前は間違っていない」と、声を限りに伝えたかった。
だが、海の声は届かない。
どれだけ叫んでも、システムにミュートされ、口元にモザイクをかけられた海は、蓮の目には「沈黙して、無表情に見下ろしている」ようにしか映らない。
(……ちがう、蓮。俺は叫んでる。ここにいる!)
海は、ガラスの壁を叩くように虚空へ手を伸ばした。だが、その必死の形相すら、混乱した蓮には「憐れみ」に見えたのかもしれない。
「……海ィィィッ!!」
蓮の絶叫が、断末魔のように響く。
床が下がり、蓮の姿が暗闇へと沈んでいく。最後まで海に救いを求め、手を伸ばし続けたその指先が、見えなくなる。
ガコン。
床が閉じ、完全な平面に戻った。異物は排除された。
「……ふう、終わったね」 「ランチ行こうか。ハルシオンのおすすめパスタがあるんだ」
照明が明るくなり、軽快なBGMが流れる。傍聴人たちは、何事もなかったかのように立ち上がり、談笑しながら出口へと向かっていく。
彼らの『アルシオーネ』には、今の蓮の姿は、すでに「処理済みのログ」としてアーカイブされ、記憶の彼方へと追いやられているのだろう。
海だけが、席を立てずにいた。手には『OS』が握られている。録画モード。
海は、蓮が消えた床の継ぎ目を、震える手で記録し続けていた。
逃げない。目を逸らさない。俺だけは、覚えている。あいつが人間だったことを。あいつが誰よりも熱く、思考していたことを。
「……う、あぁ……」
海は、乾いた嗚咽を漏らした。声は戻っていた。だが、もう届ける相手はいない。
『俺は人間だよな?』
答えられなかった。システムに阻まれ、一番大切な瞬間に、言葉を届けることができなかった。
海は、ゆっくりと顔を上げた。
視界に映る極彩色の法廷が、今はひどく色褪せて見えた。烙印を押されたのは蓮だ。だが、本当に裁かれたのは、そのきっかけを作り、最後に見殺しにするしかなかった自分自身なのではないか。
海はフードを深く被り、人の波に逆らって歩き出した。
背中に感じる『OS』の重み。それはもはや「武器」ではなく、一生背負い続けなければならない「罪の十字架」だった。
ここまでお読みいただきありがとうございます! 本作は【全35話完結済み】です。
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