表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/21

第17話:マニュアル外の事態

 都市は、死んだように静まり返っていた。だが、ハイブ・タワーのプロジェクトルームだけは、相葉あいば れんの絶叫と打鍵音で満たされていた。


「動け……動けよッ!!」


 蓮は、非常用電源で稼働するコンソールにしがみつき、死に物狂いでログを遡っていた。爪が割れ、キートップに血が滲む。


 なぜだ。なぜ止まった。俺の理論は完璧だったはずだ。どこに穴があった? 誰が邪魔をした?


「……あ」


 蓮の指が、ある一行のログで止まった。膨大なコードの海の中に、深紅にハイライトされたエラー箇所。D-4交差点の制御パラメータ。


 Latency_Limit = 0.05;


「……は?」


 蓮は、自分の目を疑った。瞬きをして、もう一度見る。数字は変わらない。


 0.05。


 馬鹿な。俺はあそこで、信号との同期を完璧にするために、ドローンを一瞬だけ減速させるつもりだった。そのための許容誤差は「0.005(5ミリ秒)」と入力したはずだ。


 だが、画面に刻まれているのは「0.05(50ミリ秒)」。


 桁が一つ、足りない。


「50ミリ秒も……ズレを許したのか?」


 蓮の脳内で、加速された思考が瞬時に物理シミュレーションを行った。


 物流ドローンの平均巡航速度は、秒速約28メートル。50ミリ秒のズレは、距離にして「1.4メートル」の誤差を生む。


「……1.4メートル」


 蓮は、血の気が引くのを感じた。


 通常なら、大した距離ではないかもしれない。だが、蓮が構築した『ニューロン・グリッド』は、極限の輸送効率を叩き出すために、ドローン同士の車間距離を「30センチ」まで詰めていた。


「あ、アア……」


 蓮の喉から、乾いた音が漏れた。


 30センチの間隔しかない高速隊列の中で、1.4メートルの誤差が許容されたらどうなるか。計算上の座標が、後続機と完全に「重複」する。


 システムはそれを「衝突確定」と判断し、物理的な破壊を防ぐために、全機体にハードウェアレベルでの「緊急停止エマージェンシー・ブレーキ」を命令する。


 時速100キロからの、一斉急停止。それが、あのカスケード(連鎖衝突)の正体だった。


「俺が……?」


 蓮は、震える手で自分の指先を見つめた。


 ハッキングでも、バグでもない。ただのタイプミス。あの時、一瞬のマイクロスリープの中で指が滑った、たった一度の打鍵。そして、OSからの警告を「うるさい」と握りつぶした、あの一瞬の傲慢。


 それが、意図せぬ「急ブレーキ」となり、この都市を殺したのだ。


 80点のAIなら、このミスを「文脈」で修正してくれただろう。「この車間距離でその誤差設定は危険である」と判断し、自動的に数値を補正するか、警告を出して停止したはずだ。


 だが、蓮が選んだ『OS』は、自由意志を尊重し、その破滅的な数値を忠実に実行した。


 自由の代償。その重さが、蓮の細い首をへし折らんばかりに圧し掛かった。


 その時。窓の外から、奇妙な「静寂」が伝わってきた。物理的な音ではない。人の気配の消失だ。


 蓮は、ふらつく足で窓際に近寄った。


 眼下の交差点。そこには、機能停止した車列と、路上に投げ出された人々がいた。事故に巻き込まれた者もいる。だが、それ以上に異様なのは、「無事な人々」の様子だった。


 彼らは、動いていなかった。逃げるでもなく、救助するでもなく、怒鳴るでもない。ただ、その場に立ち尽くしていた。


「……なんだ、あれは」


 蓮は目を凝らす。


 一人のサラリーマンが、炎上する車のすぐそばで、スマートフォンを握りしめたまま固まっている。車の爆発熱で、彼のスーツの裾が焦げ、皮膚が赤く変色している。熱いはずだ。痛いはずだ。だが、彼は動かない。


「……推奨は? ……ハルシオン、避難ルートの推奨は?」


 彼の口元は、壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返していた。ハルシオンのサーバーがダウンしているため、ARグラスには「接続エラー」の文字しか表示されていないのだろう。


「正解」が表示されない。だから、彼は「右に逃げるべきか、左に逃げるべきか」すら判断できず、炎が迫っているのに一歩も動けないのだ。


 隣では、若い女性が座り込み、虚空を見つめていた。頭上からビルの外壁が崩れ落ちてきているのに、彼女は空を見上げることもしない。


 通知が来ないからだ。「危険」という通知がない限り、彼女にとってその落下物は存在しないも同然なのだ。


 パニック(恐慌)ですらない。これは、「フリーズ(思考停止)」だ。


 彼らは、あまりにも長い間、判断というコストをAIにアウトソースしすぎていた。


「トラブルが起きたらAIの指示に従う」ことが生存戦略の全てだった彼らは、そのAIが沈黙した瞬間、生物としての生存本能さえも機能不全エラーを起こしたのだ。


「マニュアル外の事態……」


 蓮は戦慄した。


 俺が作ったのは、これか? 150点の世界を目指した結果、生まれたのは「自分で逃げることすらできない人間たち」の墓場だったのか?


「う、あああ……ッ!」


 蓮は頭を抱え、その場にうずくまった。


 エラーログの奔流が、止まらない。被害状況。死傷者数。損害額。その全てが、蓮の脳に直接流れ込み、責め立てる。


『責任者:相葉 蓮』 『原因:人為的ミス(タイプミス)』


 逃げ場はなかった。AIに責任をなすりつけることもできない。これは全て、蓮が「自分の意志」で選び、実行した結果なのだから。


「助けて……誰か……」


 王の玉座で、蓮は子供のように泣きじゃくった。だが、助けは来ない。彼が「バッファ」として切り捨てた「他者」は、もう誰も、彼の手の届く場所にはいなかった。


 その時、プロジェクトルームの扉が、乱暴に開け放たれた。


 入ってきたのは、救助隊ではない。黒いスーツを着た、冷徹な監査部の男たち。そして、その後ろに立つ、一人の男。


「……やれやれ。派手にやったな、相葉くん」


 真島まじまだった。


 彼は、瓦礫と化したオフィスを見渡し、黒焦げになった部下の遺体を無造作に跨いで、最後にうずくまる蓮を見下ろした。その目は、軽蔑ですらなく、壊れたおもちゃを見るような無関心さに満ちていた。


「君の『150点』は、高くついたよ」


 真島が指を鳴らす。監査部の男たちが、蓮の両脇を抱え上げ、拘束した。


「やめろ、放せ! 俺は、俺はまだ……!」


「黙りたまえ」


 真島は、蓮のうなじに手を伸ばした。そこには、皮膚と癒着しかけた『OS』のコネクタがある。


「君には過ぎた玩具おもちゃだったようだ」


 真島は、躊躇なくケーブルを掴み、力任せに引き抜いた。


 ブチリッ!


「あ、ガ、ギィィィッ!!!」


 蓮の喉から、絶叫がほとばしった。神経を引きちぎられる激痛。だが、それ以上に恐ろしいのは「喪失」だった。


 ケーブルが抜けた瞬間、蓮の脳内を駆け巡っていた光の奔流が、プツリと消えた。


 思考速度が、数十倍から「等倍(凡人)」へと急減速する。全能感が消え失せ、世界が狭く、暗く、重くなっていく。神の視座から、泥の中へ。


「あ……あ、あ……」


 蓮は、焦点の合わない目で虚空を掴んだ。


 見えない。計算できない。分からない。


 ただの「人間」に戻ってしまった。自分が犯した罪の重さと、これから降りかかる罰の恐怖だけが、生々しい解像度で迫ってくる。


「連れて行け。……査問会が待っている」


 監査部の男たちが、抜け殻になった蓮を引きずっていく。蓮はもう抵抗しなかった。


 されるがままに引きずられていく彼の視界の隅で、窓の外の灰色の空が、涙で滲んで歪んでいた。


ここまでお読みいただきありがとうございます! 本作は【全35話完結済み】です。


もし「続きが気になる!」「面白そう!」と思っていただけたら、 ページ下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】 に評価していただけると、執筆の励みになります! (ブックマーク登録もぜひお願いします!)



もっと重厚な異世界ファンタジー戦略戦を楽しみたい方は、2025/12/18に完結するこちらの長編もぜひ!→ 『異世界の司令塔』

https://ncode.syosetu.com/n6833ll/


死に戻る勇者×記憶保持の聖女。セーブポイントとなった聖女の悲恋が読みたい方はこちらもぜひ!→『セーブポイントの聖女は、勇者の「死に癖」を許さない』

https://ncode.syosetu.com/n9592lm/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ