1話
1. 恋愛心理学と隣の席の男子
「恋愛は、脳内物質の反応です」
教授のその一言で、佐伯ひなた(法学部2年)はノートを取る手を止めた。
いや、止まったというより、ペンが“恋愛”という単語に反応して勝手に震えた。
隣の席の男子が、ちょっとだけ笑った。
その笑い声が、なぜか脳に直接響いた。
——ドーパミン、出たかも。
「恋ってさ、論理的に説明できると思ってたの。法学部だし。契約とか、合意形成とか、そういうやつ」
講義後、キャンパス内のカフェでひなたは友人のあかり(文学部)に語る。
「でもさ、隣の席の男子が、今日、シャーペン落としたの。で、拾ってくれたの。で、目が合ったの。で、笑ったの。で、私、死んだの」
「それ、恋じゃなくて事故じゃん」
「事故っていうか、脳内爆発。恋愛って、履修できないのかな。単位欲しい」
「恋愛は、シラバスに載ってないよ。載ってたら、みんなGPA爆上がりだよ」
「てか、恋ってGPAに影響ある? 私、今週ずっと集中できてない。あの笑顔、脳内リピート再生されてる」
「それ、恋じゃなくてSpotify」
「恋愛Spotify。プレイリスト:隣の男子の笑顔」
2. 恋愛と論理の矛盾
法学部のひなたは、恋愛を論理で処理しようとする癖がある。
「恋愛は契約だ。相手の意思表示と、自分の承諾があって初めて成立する」
そう思っていた。昨日までは。
でも、あの笑顔を見た瞬間、契約書なんて吹き飛んだ。
意思表示も承諾もない。あるのは、ただの“ときめき”だった。
「なんかさ、法学部って、恋に向いてない気がする。全部、条文で考えちゃう」
「文学部も向いてないよ。全部、比喩で考えちゃう。『彼の笑顔は春の陽だまり』とか言ってるうちに、現実逃す」
「経済学部はどうなの?」
「すずは恋愛を“投資”って言ってた。リターンが見込めないなら撤退するって」
「それ、恋愛じゃなくて株式市場」
3. 恋の履修登録
講義の終わり、教授が言った。
「恋愛は、論理ではなく、経験です。失敗も含めて、です」
ひなたはノートに書いた。
“恋愛=経験値。失敗=単位落とし。でも、再履修可能?”
隣の男子が、またシャーペンを落とした。
今度は、ひなたが拾った。
そして、笑った。
「……これ、履修登録ってことでいいですか?」
彼は、少し驚いた顔をして、でもすぐに笑った。
「じゃあ、来週も講義、出ますね」
その瞬間、ひなたの脳内で何かが確定した。
——この恋、履修します。




