2
禁書館の内部は、迷路のようだった。
本棚が複雑に入り組んでいて、一度曲がると元の場所が分からなくなりそうだ。
「迷いそうだな……」
アーガムが呟いた。
「最初はみんなそう言う。だが、慣れればすぐに覚えられる。魔力の流れを感じ取れば、現在位置が分かるようになっている」
学園長が本棚の間を歩いていく。
私は周囲の本を見た。
古びた革装丁の本、金文字で書かれたタイトル、中には鎖で縛られているものもある。
「この本は……」
一冊の本に目が留まった。
『失われし時の魔法――テンポラル・アーカイブ』
時間魔法の書だ。
「ああ、それは第一カテゴリーの書だ。時間魔法の理論が記されている。興味があるか?」
「はい……時間魔法は、最も難しい魔法の一つだと聞いています」
「その通り。使いこなせる者は、王国でも数人しかいない」
学園長が本を取り出した。
「読んでみるか?」
「え、いいんですか?」
「番人の特権だ。ただし、館内でのみ。持ち出しは厳禁だ」
私は本を受け取った。
ページを開くと、複雑な魔法陣と、古代文字で書かれた説明が並んでいる。
美しい……思わず見入ってしまった。
「おい、ネイサ」
アーガムの声で我に返る。
「お前、めちゃくちゃ嬉しそうな顔してるぞ」
「え?」
「いや、魔導書見てる時の顔、子供みたいだなって」
彼は笑っていた。
私は慌てて本を閉じた。
「べ、別に……」
「いいじゃん。好きなもの見てる時は、素直に楽しめばさ」
アーガムの言葉に、少しだけ心が温かくなった。
「こっちにも面白い本があるぞ」
学園長が別の本棚を指差した。
「『筋肉強化の古代魔法』――王子、これは君向きだろう」
「マジで!?」
アーガムの目が輝いた。
「筋肉を魔法で強化できるのか!?」
「ああ。ただし、副作用もある。使いすぎると、筋肉が暴走して制御できなくなる」
「……それはちょっと怖いな」
アーガムが苦笑した。
学園長は、さらに奥へと進んだ。
「ここからは、第二カテゴリーだ。禁呪の研究書が並んでいる」
雰囲気が変わった。
空気が重く、湿っている。魔力が淀んでいる感じがする。
「この辺りの本は、むやみに触らない方がいい。呪いがかかっているものもある」
「呪い……」
私は本棚を見た。
黒い革表紙の本が並んでいる。タイトルも不吉だ。
『大量殺戮魔法の研究』
『人体改造の禁術』
『魂を喰らう魔法』
読むだけで気分が悪くなりそうなタイトルばかりだ。
「これらの本は、過去に悪用された魔法の記録だ。二度と同じ過ちを繰り返さないために保管しているが、同時に、 悪意ある者が手に入れれば大惨事になる」
学園長の声が厳しくなる。
「だからこそ、君たちに守ってもらいたいのだ」
「……分かりました」
私は頷いた。
この責任の重さを、改めて実感した。
「そして、最奥には第三カテゴリーがある」
学園長が、館の一番奥を指差した。
そこには、鉄格子で囲まれた部屋があった。
「あそこには、最も危険な魔導書が保管されている。普段は絶対に近づかないこと。もし何か異変を感じたら、すぐに私に報告しなさい」
「はい」
「さて、一通り案内したが、質問はあるか?」
アーガムが手を挙げた。
「もし侵入者が来たら、どうすればいいんですか?」
「まず、警報魔法を発動させなさい。この鍵に、緊急通報機能が付いている」
学園長が鍵の使い方を説明した。
「そして、可能であれば侵入者を拘束する。ただし、無理はするな。君たちの安全が最優先だ」
「分かりました」
「他には?」
私が手を挙げた。
「あの……なぜ、私たちなんでしょうか。教師の方が、適任だと思うのですが……」
学園長は少し考えてから答えた。
「実は、教師陣の中に、内通者がいる可能性がある」
「え……?」
「禁書を狙っている者は、学園の内部情報を知っている。侵入の試みがあった時間帯、警備魔法の配置――それらを知っているのは、教師陣だけだ」
衝撃的な事実だった。
「だからこそ、教師ではない、信頼できる者に任せたい。君たち二人なら、その条件を満たしている」
「俺は王族だから、疑われにくいってことか」
「そうだ。そして、ネイサは新入生で、学園の内部事情を知らない。だから、内通者である可能性がゼロだ」
なるほど。
そういう理由か。
でも、学園長は知らない。
私が潜入者であることを。
もっとも、私の任務は第三王子の護衛であって、禁書を盗むことではないが。
「分かりました。引き受けます」
「私も」
アーガムも頷いた。
「よろしい。では、今日から君たちが禁書館の番人だ。頼んだぞ」
学園長は満足そうに微笑んだ。
学園長が去った後、私とアーガムは禁書館に残された。
「なんか、とんでもない仕事を引き受けちまったな」
アーガムが頭を掻いた。
「本当に……」
私も溜息をついた。
でも、内心では少し嬉しかった。
これで、アーガムの側にいる理由ができた。護衛任務がやりやすくなる。
「でも、まあ」
アーガムが本棚を見回した。
「悪くねえかもな。こんなにたくさんの魔導書、読み放題だし」
「そうですね……」
私も同意した。
魔法を愛する者として、これほど贅沢な環境はない。
「なあ、ネイサ」
「はい?」
「俺たち、いいコンビになれそうだな」
アーガムが笑った。
「お前は頭脳、俺は筋肉。完璧な組み合わせだろ?」
「筋肉……」
「おい、そこで溜息つくなよ」
私たちは笑い合った。
そして、初めての巡回を始めた。
本棚の間を歩き、異常がないか確認する。
魔導書の配置、魔法陣の状態、魔力の流れ――全てをチェックしていく。
「これ、慣れるまで時間かかりそうだな」
「そうですね……でも、やりがいはありそうです」
「ああ。つーか、お前、本当に魔導書好きだな」
「え?」
「さっきから、ずっと本見てるだろ。目がキラキラしてるぞ」
アーガムが笑う。
私は慌てて視線を逸らした。
「べ、別に……」
「隠さなくていいって。好きなもの見てる時の顔、可愛いから」
「か、可愛い!?」
思わず声が大きくなった。
「ああ。お前、普段は真面目な顔してるけど、魔導書見てる時は子供みたいに無邪気な顔するんだよ」
「そ、そんなこと……」
顔が熱くなる。
誰かに「可愛い」なんて言われたのは、初めてかもしれない。
「照れてんの? 珍しいな」
「照れてません!」
「嘘つけ。顔真っ赤だぞ」
アーガムがからかうように笑った。
私は怒ったフリをして、彼から離れた。
でも、心の中では――
少しだけ、嬉しかった。
二時間の巡回が終わり、私たちは禁書館を出た。
外は既に夕暮れだった。
「疲れたな……」
アーガムが伸びをした。
「でも、初日としては順調だったんじゃねえか?」
「そうですね。異常もありませんでしたし」
「じゃあ、飯食いに行こうぜ。腹減った」
「え、でも……」
「いいからいいから。お前も腹減ってるだろ?」
確かに、お腹が空いていた。
昼食もろくに食べていなかったし。
「じゃあ……お願いします」
「よし! 学食行こう!」
アーガムは私の手を掴んで歩き出した。
また握力が強い。
「い、痛いです……」
「おっと、悪い!」
彼は力を緩めたが、手は離さなかった。
手を繋いだまま、夕暮れの学園を歩く。
周囲の生徒たちが、私たちを見て驚いている。
「あ、あれって……」
「第三王子と……新入生の……」
ひそひそと囁き声が聞こえる。
恥ずかしい。
でも、アーガムは全く気にしていない様子だ。
「なあ、ネイサ」
「はい?」
「これから、よろしくな。番人として」
「はい……こちらこそ」
私は小さく答えた。
夕日が、彼の赤い髪を染めている。
横顔が――
やけに眩しく見えた。
そして、私は気付いていなかった。
この任務が、私の運命を大きく変えることを。
彼との距離が、これから縮まっていくことを。
さらに――心の中に、小さな恋の種が芽生え始めていることを。
その夜、私は師匠に報告していた。
「本日、禁書館の番人に任命されました」
「禁書館? ……それは好都合だな」
師匠が興味深そうに言った。
「禁書を狙う動きがあるらしいです。学園長は、教師陣の中に内通者がいると疑っています」
「ふむ。では、その内通者を探るのも、お前の任務に加えよう」
「はい」
「それと、アーガム王子との関係は?」
「順調です。番人として一緒に行動することになりましたので、護衛がしやすくなりました」
「そうか。引き続き、警戒を怠るな」
「承知しました」
通信が切れた。
私はベッドに横たわった。
「お疲れ様」
ランスが闇から現れた。
「禁書館の番人、か。面白い展開だな」
「ええ……でも、責任が重いわ」
「まあ、お前なら大丈夫だろ。それより――」
ランスが意味深に言った。
「王子との距離、縮まってるんじゃないか?」
「そ、そんなこと……」
「嘘つけ。手、繋いでただろ」
「あれは……向こうが勝手に……」
「お前、満更でもなさそうだったけどな」
「そんなこと……ない……わよ」
声が小さくなる。
ランスは呆れたように溜息をついた。
「まあ、いいけどな。でも、気をつけろよ。任務と恋愛は別だ」
「恋愛なんて……してないわ」
「本当に?」
「……本当よ」
そう言いながら、胸の奥に温かいものを感じていた。
アーガムの笑顔。
「可愛い」と言ってくれた言葉。
繋いだ手の温かさ。
全てが、心に残っている。
でも――
これは、任務だ。
そう自分に言い聞かせた。
窓の外には、星が輝いている。
明日から、本格的に番人としての仕事が始まる。
そして――アーガムとの時間が、増えていく。
その事実に、期待と不安が入り混じっていた。
この時の私は、まだ知らなかった。
禁書館での日々が、私の心を少しずつ変えていくことを。
そして、やがて訪れる大きな試練を――
まだ知らないまま、私は眠りについた。




