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「みんな、怪我はないか?」
アーガムが教室を見回りながら聞いた。
「は、はい! 大丈夫です!」
「ありがとうございます、殿下!」
生徒たちが口々に答える。
アーガムは、爆発の痕跡を見て、眉をひそめた。
「で、何が起きたんだ? 魔法実験の失敗か?」
「そ、そうです……私が……」
ゴードンが震える声で答えた。
「魔法陣を使って、新しい攻撃魔法を試そうとしたんですが……暴走して……」
「魔法陣? ……ああ、これか」
アーガムは床に残った魔法陣の痕跡を見下ろした。
そして――
「これ、構造が間違ってるじゃねえか」
え?
教室中が、再び静まり返った。
「ほら、ここ。第三魔力循環系の接続点が、こっちに繋がってないとダメだろ? 魔力がここで詰まって、当然爆発する」
彼が指差したのは、まさに私が指摘した箇所だ。
正確に。
完璧に。
「それに、安定化術式も入ってねえ。出力調整もない。これじゃ制御できるわけねえよ」
アーガムは呆れたように頭を掻いた。
「お前ら、基礎からやり直せ。魔力循環の理論、ちゃんと勉強してるか?」
「も、申し訳ございません……」
ゴードンが項垂れる。
私は、内心で驚いていた。
この王子、魔法理論を理解している。しかも、かなり深く。
見た目は完全に脳筋なのに。
「まあ、でも」
アーガムは教室を見回した。
「爆発の規模の割には、被害が少ねえな。運が良かったのか?」
そう言って、彼の視線が――
私を捉えた。
翡翠色の瞳が、じっと私を見つめている。
「おい、お前」
え?
「あ、はい?」
「お前、新入生だろ? 名前は?」
「ネイサ・フィルメントです」
「ネイサか」
アーガムは一歩、私に近づいた。
その存在感が、圧倒的だ。身長差が30センチ以上ある。見上げないと、顔が見えない。
「なあ、ネイサ」
彼は声を落として言った。
「お前、さっき魔法使っただろ?」
心臓が、跳ねた。
「え……?」
「とぼけるなよ。見てたぞ」
まずい。
見られていた?
いつから?
「爆発の瞬間、お前の周りに風が渦巻いてた。それも、めちゃくちゃ精密な制御で。しかも、飛び散った破片が空中で止まってたのも見た。あれ、時間魔法の応用だろ?」
彼の観察眼が、鋭すぎる。
私は言葉に詰まった。
どう答えるべきか。認めるべきか、否定するべきか――
「すげえな!」
突然、アーガムの表情が明るくなった。
「え?」
「咄嗟にあんな複雑な魔法を使えるなんて! しかも三つ同時だろ? お前、天才じゃねえか!」
彼は、怒っているのではなかった。
むしろ、感心している。
「あ、あの……」
「どうやったんだ? 詠唱も短かったし、魔法陣も展開してなかっただろ? 無詠唱魔法か?」
「え、えっと……」
周囲の生徒たちが、こちらを見始めた。
まずい。目立ちすぎている。
「あの、アーガム……殿下。その話は、後で……」
「ああ、悪い。みんなの前じゃ話しにくいか」
アーガムは理解を示してくれた。
そして、教室全体に向かって大声で言った。
「とにかく、みんな無事でよかったな! 爆発なんて危ねえことすんなよ! じゃあな!」
彼は豪快に手を振って、教室を出て行こうとした。
でも、ドアが壊れているので、壁の穴から出て行った。
教室に、静寂が戻った。
そして――
「ね、ネイサ……」
リリアが震える声で言った。
「アーガム様と……話してた……」
「う、うん……」
「しかも、魔法を褒められてた……」
「そ、そうみたい……」
周囲の生徒たちの視線が、一斉に私に向けられる。
「ネイサって、あんな魔法使えたんだ……」
「すごい……爆発から、みんなを守ってくれたのかな……」
「でも、どうして黙ってたの?」
ざわざわと囁き声が広がる。
ああ、もう。
完全に目立ってしまった。
万年2位の私が、目立つなんて。
師匠に怒られる。
その日の放課後、私は一人で図書館にいた。
今日の出来事を整理するために、静かな場所が欲しかった。
図書館は広く、蔵書も豊富だ。古代魔法の書から、最新の魔法理論まで、何でも揃っている。
私は魔法陣の構造に関する本を手に取って、読み始めた。
でも、集中できない。
頭の中で、今日の出来事が繰り返し再生される。
アーガムの顔。
翡翠色の瞳。
あの観察眼。
彼は、私の魔法を完全に見抜いていた。
しかも、魔法理論にも精通している。
情報と違う。
師匠からの報告では、第三王子は「筋肉だけで全てを解決する、脳筋タイプ」と聞いていた。でも、実際は違う。
彼は賢い。
そして、優しい。
爆発の後、真っ先に他の生徒の安全を確認していた。本棚の下敷きになりかけた生徒を、躊躇なく助けた。
あれは、演技じゃない。
本当に、人を助けたいという純粋な気持ちからの行動だった。
「見つけた」
突然、声がした。
私は顔を上げる。
本棚の影から、アーガムが現れた。
「え……アーガム殿下……?」
「だから、殿下って呼ぶなって。アーガムでいい」
彼は私の向かいの席に座った。
「探したぞ。お前、どこ行ったかと思った」
「あ、あの……何か御用でしょうか……」
「さっきの続き。お前の魔法のこと、教えてくれよ」
彼は興味津々といった表情だ。
「あの……別に、大したことじゃ……」
「とぼけんなって。あんな高度な魔法、普通の新入生が使えるわけねえだろ」
彼は身を乗り出した。
「お前、前の学校で何を学んでたんだ? 相当な実力者に師事してたんじゃねえか?」
「え、えっと……」
どう答えるべきか。
嘘をつくのは得意じゃない。でも、本当のことも言えない。
「前の学校の……先生が、優秀な方で……」
「だろうな。じゃないと、あんな魔法使えねえもん」
アーガムは満足そうに頷いた。
「なあ、今度さ、一緒に魔法の話しようぜ。俺も魔法、好きなんだよ」
「え……そうなんですか?」
「ああ。魔法陣の構造とか、魔力の流れとか、面白いだろ? みんな『王子なのに魔法オタク』って言うけど」
彼は少し照れくさそうに笑った。
その笑顔が――
やけに、眩しく見えた。
「あの……アーガム……様は、魔法が得意なんですか?」
「うーん、得意ってわけじゃねえけど、興味はある。でも、俺は魔力があんまりなくてさ」
「え?」
「だから、魔法より身体能力で戦うことの方が多い。筋肉が俺の武器だな」
そう言って、彼は自分の腕を叩いた。
筋肉が盛り上がる。
……本当に、規格外だ。
「でも、魔法の理論は好きなんだ。美しいだろ? 完璧に組み上げられた魔法陣とか、魔力の循環とか」
彼の言葉に、私の心が動いた。
同じだ。
私も、魔法の美しさに魅了されている。
「分かります……魔法陣の幾何学的な完璧さとか、魔力の流れが生み出す調和とか……」
「だろ!? お前も分かるか!」
アーガムの目が輝いた。
「みんな、魔法は力だって言うけど、俺は芸術だと思うんだよ。特に古代魔法の魔法陣なんて、もう芸術作品だろ」
「そうなんです! 古代魔法の魔法陣は、現代の魔法陣よりずっと複雑で、でもそれが逆に美しくて……」
気付けば、私たちは魔法談義に花を咲かせていた。
魔法陣の構造、魔力循環理論、属性魔法の分類、禁呪の危険性――
話は尽きなかった。
「なあ、ネイサ」
しばらくして、アーガムが言った。
「お前と話してると、楽しいな」
「え……」
「俺、こういう話ができる奴、少ないんだよ。みんな、俺のこと『脳筋王子』って呼ぶし」
彼は少し寂しそうに笑った。
「でも、お前は違う。ちゃんと魔法の話ができる」
「私も……楽しいです」
本当だった。
任務のことを忘れて、純粋に魔法について語り合えるのが、嬉しかった。
「じゃあ、また話そうぜ。あ、そうだ」
アーガムが思い出したように言った。
「お前、禁書館に興味あるか?」
「禁書館……ですか?」
「ああ。古代魔法の書とか、禁呪の研究書とか、ヤバい本がたくさんあるんだ。一般学生は入れないけど、俺なら入れる」
禁書館。
師匠から注意されていた場所だ。
第三王子を狙う者たちが、そこに収められた禁呪を狙っているという。
「……行きたいです」
「マジで? よし、じゃあ今度案内するわ!」
アーガムは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、私は決意を新たにした。
この人を、守らなければ。
命を狙われている彼を。
でも――
彼と一緒にいると、心が温かくなる。
これは、任務だから?
それとも――
いや、何でもない。
私は任務に集中しなければ。
「じゃあ、また明日な、ネイサ」
「はい……また明日」
アーガムは図書館を去っていった。
私は一人、椅子に座ったまま、天井を見上げた。
「出てきなさい、ランス」
本棚の影から、黒猫が姿を現した。
「見てたのか?」
「ええ。ずっと」
「で? 何か言いたいことでもあるの?」
「……お前、あの王子のこと、どう思ってる?」
「護衛対象よ。それ以上でも、それ以下でもない」
「本当に?」
ランスの黄色い瞳が、私を見つめる。
「本当よ」
そう言いながら、胸の奥に小さな違和感を感じた。
でも、それが何なのか、まだ分からなかった。
その夜、私は師匠に報告していた。
「本日、第三王子アーガム殿下との接触に成功しました」
「ほう。どのような経緯で?」
「魔法実験の事故があり、私が魔法で被害を抑えました。その際、殿下に魔法を見られてしまいました」
魔法通信の向こうで、師匠が眉をひそめた。
「……大丈夫なのか?」
「はい。殿下は私の魔法に興味を持たれただけで、正体には気付いていないようです」
「そうか。では、引き続き警戒を」
「はい。それと、師匠」
「何だ?」
「アーガム殿下は、情報と違います」
「どういうことだ?」
「脳筋ではありません。魔法理論に精通していますし、観察眼も鋭い。そして……優しい方です」
師匠は少し黙った後、言った。
「ネイサ、一つ忠告しておく」
「はい」
「護衛対象に感情移入するな。それは任務の妨げになる」
「……承知しています」
「本当にか?」
「はい」
通信が切れた。
私はベッドに横たわった。
窓の外には、満月が浮かんでいる。
アーガムの笑顔が、脳裏に浮かぶ。
護衛対象。
それだけだ。
そう、自分に言い聞かせた。
でも、心の奥底で、小さな感情が芽生えていることに――
この時の私は、まだ気付いていなかった。




