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「あの、すみません。私、その実験には反対だと何度も言ったんですけど――」
入学から一週間が経った。今日は魔法実習の授業で、私たちA組は実習室に集まっていた。
そして今、目の前で起ころうとしている惨事を、どうにか止めようと必死になっている。
「うるせえ、ネイサ! お前、新入生のくせに生意気なんだよ!」
ゴードン・ブレイク――クラスメイトで、自称天才魔導士――が、私の忠告を完全に無視している。彼の前には、
明らかに欠陥のある魔法陣が描かれている。
第三魔力循環系の接続点が二箇所ずれている。安定化術式が完全に欠落している。出力調整機構も不完全だ。これでは確実に暴走する。
「ゴードン、本当に危険だから。その魔法陣、構造が――」
「黙れ! 俺は三年生の先輩から教わった魔法陣なんだよ! お前みたいな新入生に何が分かる!」
ゴードンの取り巻きたちも、私を睨んでいる。
「そうだそうだ! ネイサ、お前調子乗りすぎ!」
「この前の授業でも先生に褒められてたし、いい気になってんじゃないの?」
ああ、もう。やっぱり手加減が足りなかったか。目立たないようにしていたつもりだったのに。
教室の隅で、リリアが心配そうに私を見ている。
「ねえ、ネイサ。大丈夫?」
「うん……大丈夫」
でも、本当は大丈夫じゃない。
担当教官のフェリクス先生は、今日は体調不良で休んでいる。代わりに来た若い助手は、魔法陣の欠陥に気付いていない。というより、気付けるほどの実力がないのだ。
「では、ゴードン君。準備ができたら、魔法を発動させてください」
「はい! 見ててくださいよ、先生! 俺の新しい攻撃魔法!」
ゴードンが得意げに魔法陣の前に立った。
私は周囲を素早く確認した。実習室には30名の生徒がいる。爆発が起きたら、被害は甚大だ。
どうする?
本気で魔法を使えば、爆発を完全に防げる。でも、それでは正体がバレる。21歳の宮廷魔導士の実力が、16歳の新入生に隠せるはずがない。
でも、怪我人が出たら……
一瞬の逡巡。
その間に、ゴードンが魔力を注ぎ込み始めた。
「《火炎よ、我が意志に従い、敵を焼き尽くせ――》」
魔法陣が赤く輝く。
まずい。
魔力の流れが既に乱れている。第三循環系が想定以上の負荷を受けている。このままでは――
魔法陣の中心部が、激しく明滅し始めた。
「あ、あれ? おかしいぞ?」
ゴードンの声に、焦りが滲む。
「先生! 魔法が制御できません!」
「え? ちょ、ちょっと待って! 今、魔力供給を止めて!」
助手が慌てて指示を出すが、もう遅い。
暴走した魔力は、一度動き出したら止められない。
ドンッ!
魔法陣の中心から、真紅の光の柱が噴き上がった。
「うわああああ!」
悲鳴が響く。
爆発の衝撃波が、四方八方に広がっていく。
机が吹き飛ぶ。椅子が宙を舞う。ガラスが割れる音。
そして、炎が――
もう迷っている場合じゃない。
私は咄嗟に詠唱した。
「《静謐なる風よ、猛き力を包み込め――エアリアル・カーテン》」
小声で、できるだけ目立たないように。
透明な風の壁が、教室全体を覆う。爆発の衝撃波は風の壁に吸収され、威力が大幅に削減される。
同時に、二つ目の魔法を発動。
「《停滞の時よ――テンポラル・ホールド》」
飛び散った破片――ガラスの欠片、木片、金属片――が空中で静止する。時間魔法の応用だ。本来なら、人に突き刺さって大怪我をさせていたはずの破片たちを、ゆっくりと地面に降ろしていく。
そして三つ目。
「《炎よ、鎮まれ――フレイム・クエンチ》」
爆発で発生した火を、魔力で強制的に消火する。
全ての魔法を、3秒以内に。
同時に三つの魔法を制御するのは、相当な技術が必要だ。でも、私には簡単だった。5年間、こういう訓練ばかりしてきたのだから。
煙が晴れていく。
教室は滅茶苦茶だ。机や椅子が倒れ、床には魔法陣の焦げ跡が残っている。でも――
「み、みんな……無事?」
リリアの震える声。
生徒たちは、全員無事だった。転んで尻餅をついている者、呆然としている者はいるが、怪我人はいない。
「な、何が……」
「爆発したのに……なんで平気なの……?」
ざわめきが広がる。
私は内心、ほっとした。成功だ。誰も気付いていない。私が魔法を使ったことに――
「おおおおおおりゃああああああ!」
突如、実習室のドアが――いや、ドアごと壁が――吹き飛んだ。
え?
何が起きた?
土煙の中から、一つの影が現れた。
高身長。筋骨隆々。赤い髪が燃えるように輝いている。
そして、その人物は――
「おいおい、大丈夫か!? 爆発音が聞こえたぞ!」
制服を着ているが、その筋肉で今にも服が破れそうだ。翡翠色の瞳が、鋭く教室を見渡す。
彼は転がっている生徒たちを見て、すぐさま行動に移った。
「お前、立てるか?」
倒れているゴードンの手を掴んで、軽々と引き上げる。ゴードンは「うぐっ」と呻いた。
「つーか、何があったんだ? 廊下まで爆発音が聞こえたんだけど」
彼は周囲を見回した。そして――
「危ねえ!」
後方で、大きな本棚が倒れかけていた。その下には、動けずにいる生徒が二人。
彼は躊躇なく駆け出した。
そして――
素手で本棚を受け止めた。
は?
私の思考が停止する。
その本棚は、魔導書がぎっしり詰まった、重量級のものだ。軽く見積もっても300キロはある。それを、この男は――
「おい、大丈夫か! 怪我してないか!」
本棚を片手で支えたまま、下にいた生徒たちに声をかける。
片手で。
300キロはあるだろう本棚を。
本棚の下にいた生徒たちは、呆然としながらも這い出してきた。
「よし! 無事だな!」
彼は本棚を――まるで羽根のように軽々と――壁際に立てかけた。
教室中が、静まり返った。
「え……」
「今の……」
「本棚を……素手で……」
ざわめきが起こる。
そして、ようやく何人かの生徒が気付いた。
「あ、アーガム殿下!?」
「第三王子様!?」
赤い髪。翡翠色の瞳。圧倒的な存在感。
そして、規格外の身体能力。
私も、ようやく理解した。
これが――
第三王子、アーガム・フォン・エルドリア。
私の護衛対象だ。




