3
「入学手続き、こちらで完了いたします」
事務室の受付係が、私の偽造書類に承認印を押した。その音が、やけに大きく聞こえる。
私――ネイサ・フィルメント、本当は21歳だが本日より16歳ということになっている――は、王立魔法学園の事務室で、入学手続きを完了させたばかりだ。
偽造書類。
その言葉だけで、背中に冷や汗が流れる。
もちろん、これは師匠が王宮の正式な権限で作成した「公的な偽造書類」だ。法的には何の問題もない。でも、私の良心は激しく痛んでいる。
「ネイサ・フィルメントさん、16歳、前籍校はノーザンブルク魔法学院……」
受付係が書類を確認していく。全て嘘だ。私の本当の経歴は、14歳で王国筆頭宮廷魔導師アルフレッド様に弟子入りし、現在21歳。前籍校などない。ずっと師匠の下で研究していたのだから。
「魔法適性試験の結果も良好ですね。特に魔法理論と魔法陣構築の分野で高得点です」
「あ、ありがとうございます……」
声が震えている。落ち着け、私。これは任務だ。第三王子を守るための、正当な理由のある潜入なのだ。
「それでは、こちらが学生証と寮の部屋の鍵です。寮は女子棟の3階、307号室になります」
「はい、ありがとうございます」
私は学生証と鍵を受け取った。学生証には、私の顔写真と共に「ネイサ・フィルメント、16歳」と記載されている。
16歳。
5年も若く見えるだろうか、私。
「あ、それから」
受付係が付け加えた。
「今日は入学式です。講堂に10時集合ですので、遅れないようにしてくださいね」
「はい、分かりました」
私は一礼して、事務室を後にした。
廊下に出ると、深く息を吐いた。
第一関門突破。
でも、これからが本番だ。
寮の307号室は、思ったより広かった。
二人部屋で、ベッドが二つ、勉強机が二つ、それぞれのスペースは白いカーテンで仕切れるようになっている。窓からは学園の中庭が見え、噴水と色とりどりの花壇が美しい。
「荷物、ここに置いて……」
私は持ってきた鞄を自分のベッドの上に置いた。荷物は最小限だ。服と、いくつかの魔導書と、そして――
「ニャア」
鞄の中から、黒い影が飛び出した。
「ランス! もう出てきていいの?」
「ああ。周囲に人の気配はない。それに、使い魔を連れてくるのは学園でも許可されてるだろ?」
黒猫の使い魔、ランスが優雅に伸びをした。
「それにしても、本当に潜入するとはな。お前、演技とか得意じゃないだろ?」
「う、うるさいわね。やるしかないのよ」
「16歳の少女、か。お前が16歳だった頃って、どんなんだっけ?」
「……魔導書を読んで、魔法陣を描いて、師匠の研究を手伝ってた」
「全然変わってねえじゃねえか」
「そうなのよ! だから演技も何も……普通にしてればいいはずなんだけど……」
その時、部屋のドアが勢いよく開いた。
「やっほー! 新しいルームメイトちゃーん!」
ドアから飛び込んできたのは、明るい茶色の髪をツインテールにした、小柄な女の子だった。大きな瞳がキラキラと輝いていて、まるで小動物のような可愛らしさだ。
「あ、あの……」
「私、リリア・ローズウッド! あなたのルームメイトだよ! よろしくね!」
彼女は私の手を掴んで、ぶんぶんと振った。
「え、あ、ネイサ・フィルメントです。よろしくお願いします……」
「ネイサちゃんだね! 可愛い名前! ねえねえ、どこから来たの? 魔法は得意? 好きな食べ物は? 推しはいる?」
「お、推し……?」
また知らない単語が出てきた。
「推しだよ、推し! 好きな人! 憧れの人! 応援してる人!」
「あ、ああ……それなら、師匠……じゃなくて、前の学校の先生が尊敬できる人でした」
「へー、先生が推しなんだ。渋いね! 私は断然、第三王子アーガム様推しなんだけど!」
アーガム。
その名前に、私の耳がピクリと動いた。
「第三王子……アーガム殿下ですか?」
「そうそう! もう、超カッコいいんだよ! 赤い髪に翡翠色の瞳! 身長190センチ超えの筋肉美男子! 性格も豪快で優しくて! 完璧じゃない?」
リリアは目を輝かせて語る。
「でも、学園ではあんまり目立たないようにしてるんだよね。生徒会長のオルビス殿下の方が有名だし。でも私は断然アーガム様派!」
「そ、そうなんですか……」
護衛対象の情報を得られるのは有難い。でも、このテンションについていけるだろうか。
「ねえねえ、ネイサちゃんは魔導SNSやってる?」
「魔導SNS……?」
「え! やってないの!? 今時、魔導SNSやってない魔法使いなんているんだ!」
リリアは驚愕の表情を浮かべた。
「魔導SNSって、魔法陣を使ったコミュニケーションツールだよ! みんな自分の魔法を投稿したり、学園のイベント情報をチェックしたり! 超便利なんだよ!」
「あ、ああ……私、前の学校では……そういうのは……」
「田舎の学校だったの? 大丈夫! 今から教えてあげるから!」
リリアはそう言って、自分のベッドから小さな魔導具を取り出した。水晶玉のような形をしていて、触れると青白く光る。
「これが魔導端末! ここに魔力を込めると、魔導SNSにアクセスできるの! ほら!」
リリアが魔力を込めると、水晶の表面に文字や画像が浮かび上がった。まるで……そう、前世の記憶にある「スマートフォン」のようだ。
いや、待って。前世? 私に前世なんてないけど。何を考えているんだ。
「見て見て! これが今日の学園のトレンド! 『入学式』『新入生』『第三王子様激写』とか!」
「げ、激写……」
「そうそう! アーガム様、今日も学園に来てるんだよ! 入学式に出席されるんだって! 会えるかな、会えるかな!」
リリアは興奮して飛び跳ねている。
私は頭が痛くなってきた。
16歳の女の子って、こんなにハイテンションなのだろうか。私が16歳の頃は、もっと落ち着いて……いや、魔導書しか読んでなかったから比較対象にならないか。
「ねえ、ネイサちゃんも魔導端末、買おうよ! 一緒に買いに行こう!」
「え、でも……」
「いいからいいから! 友達になったんだし!」
友達。
その言葉に、少しだけ心が温かくなった。
任務とはいえ、こうして普通の学生生活を送るのも……悪くないかもしれない。
「……分かりました。お願いします、リリアさん」
「リリアでいいよ! 敬語も使わなくていいから! 私たち、同い年でしょ?」
「あ……うん。じゃあ、リリア」
「そうそう、その調子! じゃあ、入学式の前に、学園を案内してあげる! ついてきて!」
リリアは私の手を引いて、部屋を飛び出した。
ランスは呆れたように首を傾げて、それから私の後を追ってきた。




