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禁書館の魔導師は、万年2位の恋を綴る  作者: 秋津冴
第二話 禁書館ライフ

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ギクシャク期


「ちょっと待ってください! それは絶対に――あっ、危ない!」

禁書館の実習室で、私は慌てて魔法を展開しようとした。アーガムが誤って実験用の魔法陣に触れてしまい、暴走し始めた魔力の波動が部屋中に広がっていた。床に描かれた魔法陣が青白く光り、空気が震えている。本棚の本がパラパラと勝手にページをめくり始め、窓ガラスがビリビリと振動していた。

「《鎮まれ――カーム・ダウン》」

私は抑制魔法を唱えた。いつもなら完璧に制御できるはずの基礎魔法だ。でも――

パチッ。

魔法陣が弾けた。いや、弾けたというより――私の魔法が暴発した。

「え!?」

制御を失った魔力が、部屋中に散らばった。本棚から本が次々と飛び出し、まるで鳥の群れのように宙を舞い始めた。椅子が浮かび上がり、机がガタガタと震え、実験用の試験管が一斉に倒れた。

「うわっ! ネイサ、何やってんだ!?」

アーガムが驚いて叫んだ。彼の赤毛が魔力の余波で逆立っている。

「す、すみません! 今、止めます!」

私は慌てて修正魔法を唱えようとした。でも――アーガムの顔を見た瞬間、心臓が激しく跳ねた。彼の翡翠色の瞳が、驚きと心配で大きく見開かれている。その視線を受けて、私の思考は一瞬止まった。

――ダメだ、集中しないと。

「《戻れ――リターン》」

魔法を唱え直した。でも、焦りから詠唱が乱れ、魔力の制御がうまくいかない。宙を舞っていた本の一部は元の場所に戻ったが、残りはそのまま床に落下した。

バサバサバサッ!

「いたっ!」

アーガムの頭に、分厚い魔導書が直撃した。

「あ、アーガム様! 大丈夫ですか!?」

私は駆け寄ろうとして――自分の足に引っかかって転びそうになった。慌てて体勢を立て直す。心臓が口から飛び出しそうなほど激しく鼓動している。顔が熱い。手のひらに汗が滲んでいた。

「痛ってて……なんだよ、この本重すぎだろ……」

アーガムは頭をさすりながら、床に落ちた本を拾い上げた。『古代魔法大全 第七巻』――確かに分厚くて重い本だ。

「本当にすみません……」

私は申し訳なさと恥ずかしさで、顔を上げられなかった。床に散らばった本や試験管を見つめる。自分の不甲斐なさに、胸が痛んだ。

「いや、俺が悪かったんだって。勝手に魔法陣触ったし」

アーガムは優しく笑った。でも、その笑顔が――また私の心臓を激しく跳ねさせた。

「でも、お前……最近、魔法の制御おかしくねえ?」

彼の指摘は正しかった。ここ数日、私は何度も魔法を失敗していた。簡単な魔法でさえ、暴発させたり、制御を失ったりしていた。全て――アーガムのことを意識しすぎているせいだ。

「ちょっと……疲れてるだけです」

「そっか……無理すんなよ」

アーガムは心配そうに私を見た。その優しい視線が、胸を締め付ける。

――こんなの、私らしくない。

私は拳を握った。爪が手のひらに食い込んで、痛みが走る。でも、その痛みで少しだけ冷静になれた気がした。


片付けを終えた後、私たちは通常の目録作成作業に戻った。秋の午後の陽光が窓から差し込み、埃が光の中でキラキラと舞っている。静かな禁書館に、ページをめくる音とペンを走らせる音だけが響いていた。

私は机に向かって、魔導書の情報を記録していた。タイトル、著者、出版年、状態、保管場所――いつもなら機械的にこなせる作業だ。でも、今日は何度も書き間違えていた。アーガムが同じ部屋にいる。それだけで、私の集中力は散漫になっていた。

「ふう……」

アーガムの溜息が聞こえた。私は思わずそちらを見てしまった。彼は椅子に座って、本を読んでいる。いや、読んでいるというより――退屈そうに眺めている。時々、あくびをしたり、伸びをしたりしている。その仕草の一つ一つが、妙に気になった。

――見ちゃダメだ。仕事に集中しないと。

私は視線を戻した。でも、すぐにまた彼の方を見てしまった。今度は、彼が髪をかき上げていた。赤毛が指の間からこぼれ落ちる。その何気ない動作が――なぜかとても魅力的に見えた。

ドクン。

心臓が跳ねた。私は慌てて視線を逸らした。でも、もう集中できなかった。頭の中は、アーガムのことでいっぱいだった。

「なあ、ネイサ」

突然、彼が話しかけてきた。

「ひゃっ!」

私は変な声を出してしまった。手に持っていたペンを落とし、それが床に転がっていった。

「お、お前、大丈夫か?」

アーガムは驚いた様子で立ち上がった。

「だ、大丈夫です!」

私は慌ててペンを拾おうとした。でも、焦りから手が震えて、なかなか掴めない。三回目でようやくペンを掴んだ時には、顔が真っ赤になっていた。

「本当に、大丈夫か? 最近、お前変だぞ」

「へ、変じゃありません!」

私は必死に否定した。でも、声が上ずっている。自分でも分かった。

「いや、変だって。さっきも魔法暴発させたし、今もペン落としたし」

「それは……ちょっとしたミスです」

「ちょっとじゃねえだろ。ここ数日、ずっとそんな感じじゃん」

アーガムの指摘は的確だった。確かに、私はここ数日、失敗ばかりしていた。魔法の暴発、物を落とす、転びそうになる、会話で噛む――全て、彼の前でだけ起こっていた。

「それは……その……」

私は言い訳を探した。でも、何も思いつかない。

「何かあったのか? 悩み事とか」

アーガムは心配そうに私を見た。その優しい眼差しが――また胸を締め付ける。

「何もありません!」

「でも――」

「本当に何もないんです! だから、心配しないでください!」

私は少し強い口調で言ってしまった。アーガムは少し驚いた様子で、一歩後ずさった。

「そ、そうか……」

彼は傷ついたような表情を見せた。その顔を見て、私は後悔した。

――何やってるんだろう、私は。

でも、謝る言葉が見つからなかった。沈黙が、部屋を支配した。重苦しい、気まずい沈黙。時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえた。


翌日の授業中も、状況は改善しなかった。

魔法実習の時間。私たちは二人一組で魔法の練習をすることになった。そして――運悪く、私のペアはアーガムだった。

「よろしくな、ネイサ」

「よ、よろしくお願いします……」

私は彼の目を見ることができなかった。視線を床に向けたまま、小さく答えた。

「じゃあ、まず俺が魔法を使って、お前がそれを防御する練習な」

「はい……」

アーガムが火の魔法を準備する。彼の魔力が集まっていくのを感じた。温かい、力強い魔力。

「いくぞ。《小さな火よ――ミニ・フレイム》」

小さな火球が飛んできた。ゆっくりと、コントロールされた火球。私は防御魔法を展開しようとした。

「《水の盾よ――ウォーター・シールド》」

でも――アーガムの顔がちらりと視界に入った瞬間、集中が乱れた。魔法陣の構築が歪む。

「あ……」

水の盾が、いびつな形で展開された。本来なら綺麗な円形の盾が、歪んだ楕円形になっていた。火球は盾の端をすり抜けて――

「わっ!」

私の髪の先端を焦がした。焦げた匂いが鼻をつく。

「ネイサ! 大丈夫か!?」

アーガムが駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫です……」

私は髪の焦げた部分を確認した。ほんの少しだけだが、確実に焦げていた。

「すまん、火力弱めたつもりだったんだけど……」

「いえ、私の防御が失敗したんです。アーガム様は悪くありません」

「でも……」

アーガムは申し訳なさそうだった。その表情を見て、私はさらに自己嫌悪に陥った。

――私のせいだ。全部、私のせいだ。

「次は、私が攻撃します」

「お、おう……」

アーガムは少し戸惑った様子だったが、防御の構えをとった。

私は火の魔法を準備した。でも――彼の顔を見た瞬間、また心臓が跳ねた。彼の真剣な表情。集中している眼差し。その全てが、私の心をかき乱した。

「《小さな火よ――ミニ・フレイム》」

魔法を放った。でも、制御が甘かった。火球が、予想以上に大きくなってしまった。

「うお!」

アーガムは慌てて防御魔法を展開した。彼の魔力が壁を作り、火球を防ぐ。でも、その衝撃で彼は少し後ろによろめいた。

「すみません!」

「いや、大丈夫だけど……お前、今日本当に調子悪いな」

「申し訳ございません……」

私は深く頭を下げた。周囲のクラスメイトたちが、こちらを見ていた。心配そうな視線、不思議そうな視線――それらが、私をさらに追い詰めた。

「エルザ先生、すみません。ネイサの調子が悪いみたいなので、今日はここまでにしていいですか」

アーガムが先生に申し出た。

「そうですか。ネイサさん、大丈夫ですか?」

「は、はい……申し訳ございません」

「無理しないでくださいね。今日は早退してもいいですよ」

「いえ、大丈夫です……」

私は首を振った。でも、内心では――早退したかった。この場から逃げ出したかった。アーガムの心配そうな視線から、クラスメイトたちの好奇の目から、全てから。


昼休み、リリアが心配そうに話しかけてきた。

「ねえ、ネイサ。最近、アーガム様と何かあった?」

食堂の隅の席で、リリアは小声で聞いてきた。周囲には他の生徒たちもいるが、私たちの会話には気づいていないようだった。窓の外では、秋風が木々を揺らしている。

「え? 何もないけど……」

「嘘。絶対に何かあるよ」

リリアは断言した。彼女の茶色の瞳が、真剣に私を見つめている。

「だって、最近二人ともギクシャクしてるもん」

「ギクシャク……?」

「うん。前はあんなに仲良かったのに、今は何か距離があるっていうか……」

リリアの指摘は正しかった。確かに、私たちは以前ほど自然に会話できなくなっていた。私がアーガムを避けているせいだ。

「ネイサがアーガム様を避けてるように見えるんだけど……」

「避けてないわよ」

「避けてるって。目も合わせないし、話しかけられても素っ気ないし」

リリアは遠慮なく指摘してきた。彼女のストレートな物言いに、私は反論できなかった。

「それは……」

「喧嘩したの?」

「してない」

「じゃあ、なんで?」

リリアは追及してきた。私は答えに詰まった。本当のことは言えない。好きになってしまったから、うまく接することができない――そんなこと、恥ずかしくて言えない。

「ちょっと……色々あって……」

「色々って?」

「言えない」

「なんで?」

「言えないものは言えないの」

私は少し強く言ってしまった。リリアは少し驚いた様子だったが、それ以上は追及しなかった。

「そっか……まあ、言いたくないなら無理に聞かないけど」

「ごめん……」

「いいよ。でもね、ネイサ」

リリアは真剣な表情で言った。

「アーガム様、すごく心配してるよ。『ネイサが最近変だけど、何かあったのかな』って」

その言葉に、私の胸が痛んだ。彼を心配させている。それが、何より辛かった。

「そう……」

「うん。だから、ちゃんと話したほうがいいと思う」

「でも……話せないの」

「なんで?」

「理由があるの」

私は小さく答えた。リリアは溜息をついた。

「分かった。でも、このままじゃダメだよ。二人とも、すごく辛そうだもん」

「……そうね」

私は俯いた。食堂のトレイの上の料理を見つめる。食欲がなかった。胃が重い。


放課後、禁書館での勤務。

いつもなら楽しい時間なのに、今日は苦痛だった。アーガムと二人きり。沈黙が支配する空間。時折、どちらかが何か言おうとして――結局、言葉にならない。

私は本棚の整理をしていた。本を取り出して、埃を払い、元に戻す。単純作業に集中しようとしたが、アーガムの気配が常に意識から離れなかった。

「なあ、ネイサ」

突然、彼が声をかけてきた。私の手が止まった。

「はい……?」

「俺……何か悪いことしたか?」

その問いに、私は振り返った。アーガムは机の前に立って、真剣な表情で私を見ていた。

「何も……していません」

「じゃあ、なんでそんなに避けるんだ?」

「避けてません」

「避けてるだろ。ここ数日、まともに話してないじゃん」

アーガムの声には、傷ついた響きがあった。

「それは……」

私は言葉を探した。でも、何も思いつかない。本当のことは言えない。でも、嘘をつくのも辛い。

「俺、お前のこと怒らせたなら謝るよ。だから、教えてくれよ」

「怒ってません」

「じゃあ、なんで?」

「それは……言えません」

私は目を逸らした。アーガムの視線が痛い。

「言えない……?」

「はい」

「なんで言えないんだ?」

「理由があるんです」

「理由って?」

「言えません」

私は頑なに拒んだ。アーガムは溜息をついた。

「分かった。無理に聞かない」

彼は諦めたように言った。

「でも……俺、お前が心配なんだ」

その言葉に、私の胸が痛んだ。彼は、私を心配してくれている。優しさからの言葉だ。でも――その優しさが、今は重かった。

「心配しないでください。私は大丈夫です」

「大丈夫に見えねえよ」

「大丈夫です」

私は強く言った。これ以上、この話を続けたくなかった。

「……そっか」

アーガムは寂しそうに笑った。その笑顔を見て――私は自己嫌悪に襲われた。

――私、何やってるんだろう。

彼を傷つけている。それが、分かっていた。でも、どうすればいいのか分からなかった。


その日の夜、寮の部屋でランスと話していた。

「今日も、うまくいかなかったな」

ランスは同情するように言った。窓の外は真っ暗で、星が輝いている。部屋の中は、小さな魔法灯だけが灯っていた。

「ええ……」

私はベッドに座って、膝を抱えていた。体を小さくして、自分を守るような姿勢。

「魔法は暴発するし、会話は噛み合わないし……最悪だったわ」

「お前、空回りしすぎだ」

「分かってる……」

私は顔を膝に埋めた。

「王子も心配してたぞ」

「……知ってる」

「なら、ちゃんと話したらどうだ?」

「話せないわよ」

私は顔を上げた。

「好きになったから、うまく話せませんなんて……恥ずかしくて言えない」

「別に、好きだって告白しろって言ってるわけじゃない」

ランスは尻尾を揺らした。

「ただ、普通に話せばいいんだ。前みたいに」

「前みたいに……って、もう無理よ」

「なんで?」

「だって、彼の顔を見ると心臓がドキドキして、頭が真っ白になって……」

「それは慣れるって言っただろ」

「慣れないわよ! むしろ、日に日に悪化してる!」

私は叫んだ。ランスは少し驚いた様子だった。

「そんなに……ひどいのか」

「ええ……もう、どうしていいか分からない」

私は再び膝に顔を埋めた。涙が出そうだった。でも、泣くわけにはいかない。

「素直になれよ」

「無理だ」

「なんで?」

「だって……私は彼を欺いてるのよ。年齢も、正体も、全部嘘」

私は拳を握った。

「そんな私が、素直になるなんて……できない」

「……そうか」

ランスは悲しそうだった。

「でもな、このままじゃお前も王子も辛いぞ」

「分かってる……でも……」

私は言葉を続けられなかった。どうすればいいのか、本当に分からなかった。


数日後、状況はさらに悪化していた。

私とアーガムの間の距離は、明らかに広がっていた。会話は必要最低限。目も合わせない。二人きりになることを避ける。

周囲のクラスメイトたちも、明らかに気づいていた。

「ねえ、アーガム様とネイサさん、喧嘩したのかな?」

「最近、全然話してないよね」

「前はあんなに仲良かったのに……」

そんな噂が、教室で囁かれていた。私は、その噂を聞くたびに胸が痛んだ。

禁書館での勤務も、気まずいものになっていた。二人とも、黙々と仕事をこなす。会話はほとんどない。時折、業務上必要な会話をする程度だ。

「この本、第三カテゴリーに移動させていいですか?」

「ああ、いいよ」

「分かりました」

そんな、事務的なやり取りだけ。以前のような、他愛ない会話は全くなくなっていた。笑い合うこともない。ただ、沈黙だけがあった。


ある日の夕方、私は一人で禁書館の書架の間を歩いていた。アーガムは別の場所で作業をしている。古い本の匂いが鼻をつく。埃っぽい空気。静かすぎる空間。

――このままじゃダメだ。

私は立ち止まった。本棚に手をついて、深呼吸をする。

――でも、どうすればいいの?

答えは出なかった。ただ、胸が苦しいだけだった。

「ニャア」

突然、足元から声がした。見ると、ランスがいた。

「ランス……」

「大丈夫か?」

「……大丈夫じゃない」

私は正直に答えた。

「やっぱりな」

ランスは私の足に体を擦り寄せた。その温かさが、少しだけ心を癒してくれた。

「このままじゃダメだって、分かってる?」

「分かってる……」

「なら、何とかしろ」

「何とかって……どうすれば……」

「まずは、ちゃんと話すことだ」

ランスは真剣な表情で言った。

「王子と、ちゃんと向き合え」

「でも……」

「でも、じゃない。お前、このままずっと逃げ続けるつもりか?」

ランスの言葉が、心に突き刺さった。

「逃げてるわけじゃ……」

「逃げてるだろ。自分の気持ちから、王子から、全部から」

「……」

私は何も言えなかった。ランスの言う通りだった。私は、逃げていた。

「お前は強い。どんな困難も乗り越えてきた」

ランスは優しく言った。

「だから、この困難も乗り越えられるはずだ」

「でも……これは違うわ」

「何が違うんだ?」

「今までの困難は、魔法や戦闘で解決できた。でも、これは……」

私は言葉を探した。

「これは、心の問題だから……」

「心の問題も、乗り越えられるさ」

ランスは尻尾を揺らした。

「お前なら、できる」

「……本当に?」

「ああ。俺が保証する」

ランスの言葉に、少しだけ勇気が湧いた。でも、まだ不安だった。


その夜、私は師匠に定期報告をしていた。

「状況は?」

師匠の声が、魔法通信越しに聞こえてくる。

「それが……任務に支障が出ています」

私は正直に答えた。

「支障?」

「はい……私の……個人的な問題で……」

言いにくかった。でも、隠しても仕方がない。

「何があった?」

師匠の声が、少し厳しくなった。

「私……アーガム殿下を……」

私は言葉を探した。心臓が激しく跳ねている。

「好きになってしまいました」

沈黙。

長い、長い沈黙。

師匠は何も言わなかった。私は、その沈黙に耐えられなくなった。

「申し訳ございません。任務中に、護衛対象に感情移入してしまって……」

「……そうか」

ようやく、師匠が口を開いた。

「で、それが任務にどう影響している?」

「彼の前で、うまく振る舞えないんです。魔法は暴発するし、会話は噛み合わないし……」

私は自分の失態を報告した。

「それで、彼との関係がギクシャクしています」

「……困ったな」

師匠は溜息をついた。

「師匠……私、どうすれば……」

「ネイサ、お前に選択肢が二つある」

師匠は冷静に言った。

「一つ目は、任務を降りることだ」

「え……」

「お前の状態では、任務を遂行することが難しい。別の者に交代させることもできる」

「でも……」

私は抗議しようとした。でも、師匠は続けた。

「二つ目は、自分の気持ちと向き合い、任務を続けることだ」

「向き合う……」

「ああ。お前の感情を認めた上で、それでも任務を遂行する。簡単ではないが、不可能ではない」

師匠の言葉に、私は考え込んだ。

「どちらを選ぶかは、お前次第だ」

「私……」

私は迷った。任務を降りる? それとも、続ける?

「任務を……続けます」

私は答えた。

「彼を守りたいんです。誰にも任せたくない」

「そうか。なら、自分の気持ちと向き合え」

「はい……」

「それと、ネイサ」

「はい?」

「お前の気持ちは、決して悪いことではない」

師匠の声が、優しくなった。

「人を愛することは、美しいことだ。たとえ、それが困難を伴っても」

「師匠……」

「ただ、任務と感情のバランスを取ることを忘れるな」

「はい……」

「頑張れ、ネイサ」

「ありがとうございます」

通信が切れた。私は、少しだけ前向きな気持ちになっていた。


翌日、私は決意を新たに学園に向かった。

――今日こそは、ちゃんと話そう。

そう心に誓って、教室のドアを開けた。

でも――

「おはよう、ネイサ」

アーガムの声を聞いた瞬間、またドキドキが始まった。心臓が激しく跳ねる。顔が熱くなる。

「お、おはようございます」

結局、また目を合わせられなかった。

――ダメだ……やっぱり無理……


その日も、私とアーガムの関係は改善しなかった。

昼休み、私は一人で中庭のベンチに座っていた。秋の風が吹いて、落ち葉が舞っている。空は高く、雲が流れていた。

「ネイサ」

突然、声がした。振り返ると――アーガムが立っていた。

「あ……」

「ちょっと、話していいか?」

彼の表情は、真剣だった。

「は、はい……」

私は緊張しながら頷いた。アーガムは私の隣に座った。

「なあ、ネイサ」

「はい……」

「俺……お前のこと、大切に思ってる」

その言葉に、私の心臓は激しく跳ねた。

「だから、お前が何か悩んでるなら、力になりたいんだ」

「アーガム様……」

「でも、お前が話してくれないと、俺には何もできない」

彼は真っ直ぐに私を見た。

「だから……話してくれないか? 何があったのか」

私は――答えられなかった。

彼の優しさが、胸に染みた。でも、本当のことは言えない。好きになってしまったから、うまく話せない――そんなこと、言えるわけがない。

「……すみません」

私は小さく答えた。

「言えないんです」

「なんで?」

「理由があるんです」

「理由って……」

アーガムは困惑した様子だった。

「俺、お前に嫌われたのか?」

「え? いえ、そんなことは……!」

私は慌てて否定した。

「じゃあ、なんで避けるんだ?」

「避けてるわけじゃ……」

「避けてるだろ。もう、ずっと」

アーガムの声には、悲しみが滲んでいた。

「俺……お前のこと、親友だと思ってた。いや、今も思ってる」

親友――

その言葉が、胸に突き刺さった。

「でも、お前は違うのか? 俺のこと、友達だとも思ってないのか?」

「そんなこと……ありません……」

私は涙が出そうになった。でも、泣くわけにはいかない。

「じゃあ、なんで?」

「それは……言えないんです……」

私は俯いた。アーガムは溜息をついた。

「……分かった。もう、聞かない」

彼は立ち上がった。

「でもな、ネイサ」

「はい……」

「俺は、ずっとお前の味方だから」

その言葉を残して、アーガムは去っていった。

私は――その場に座り込んだまま、動けなかった。

彼の優しさが、痛かった。

彼の言葉が、胸を締め付けた。

そして――

自分の不甲斐なさが、情けなかった。


その夜、私は一人で泣いていた。

部屋の明かりを消して、ベッドに横たわり――涙を流した。

こんなに泣いたのは、いつ以来だろう。

声を殺して、ただ涙を流した。

「ニャア」

ランスが寄り添ってくれた。

「ランス……」

「泣いてるのか?」

「……ええ」

「辛いか?」

「とても……」

私は正直に答えた。

「でも、これは私が選んだ道だから……」

「そうか」

ランスは優しく私に寄り添った。

「でもな、ネイサ」

「何?」

「お前は、一人じゃないぞ」

「……ありがとう」

私はランスを抱きしめた。温かい毛並みが、心を癒してくれた。

でも――

この苦しみは、まだ続く。

アーガムへの想い。

任務との葛藤。

全てが、私を苦しめ続ける。

でも――

諦めるわけにはいかない。

私は、彼を守り続ける。

たとえ、この恋が叶わなくても。

たとえ、彼と距離ができても。

それが――

私の、選んだ道だから。


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