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禁書館の魔導師は、万年2位の恋を綴る  作者: 秋津冴
第二話 禁書館ライフ

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22/27

ランスの指摘


「ちょっと待ってください!  そんな量のプロテインを一度に飲んだら危険です!  絶対にやめてください!」

 禁書館での午後の勤務中、私は再び全力でアーガムを止めようとしていた。秋の日差しが窓から差し込む静かな空間で、彼は休憩室のテーブルに巨大なプロテインの缶を五つも並べていた。それぞれ違う味らしく、チョコレート、バニラ、ストロベリー、バナナ、そして謎の「マッスル・スペシャル」という名前のものまである。

「でもさ、これ全部飲んだら、筋肉めっちゃつくんじゃね?」

 アーガムは無邪気な笑顔でそう言いながら、最初の缶を開けようとしていた。彼の赤毛が窓からの光を受けて、まるで炎のように輝いている。その横顔を見て、私の心臓が小さく跳ねた。

 ――違う、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 私は慌てて思考を切り替えた。魔導具泥棒事件以来、こんな風に彼の些細な仕草に心を奪われることが増えていた。それが私自身、とても困惑していた。

「つきません! というか、お腹を壊します!」

 私は彼の手からプロテインの缶を奪い取った。冷たい金属の感触が手のひらに伝わる。

「えー、なんでだよ」

「当たり前です! 一日の推奨摂取量というものがあるんです!」

「でも、俺筋肉つけたいし」

「筋肉をつけるには、適切な量を適切なタイミングで摂取することが大事なんです。一度に大量に摂取しても、体が   吸収できる量には限界があります」

 私は教科書的な説明をしながら、プロテインの缶を一つずつ棚に戻していった。アーガムは不満そうに頬を膨らませている。その表情が――また可愛いと思ってしまい、私は顔が熱くなるのを感じた。

「じゃあ、どれくらいならいいんだよ」

「一日に一、二回程度です。それも、運動後のタイミングが最適です」

「そっか……」

 アーガムは少し残念そうだったが、素直に頷いた。彼のこういう素直なところが――

 ――また、そんなことを考えている。

 私は自分の思考に戸惑いながら、最後のプロテイン缶を棚に戻した。

「まあ、お前が言うなら仕方ねえな」

「分かってくれて良かったです」

 私はほっとして、彼の方を見た。すると――アーガムも私を見ていた。翡翠色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。その視線に、私の心臓がまた激しく跳ねた。

「な、なんですか?」

 声が少し上ずってしまった。自分でも気付いて、恥ずかしくなる。

「いや、お前って本当に色々知ってるよな」

「そ、そうですか?」

「ああ。プロテインの飲み方まで知ってるなんて、すげえわ」

 アーガムは感心したように笑った。その笑顔が眩しくて、私は思わず目を逸らした。窓の外の景色に視線を向ける。学園の中庭では、秋の木々が色づき始めていた。赤や黄色、橙色の葉が、風に揺れている。

「別に……普通のことですよ」

「いや、普通じゃねえって。お前、マジで何でも知ってるもん」

 彼の言葉に、私は複雑な気持ちになった。私が色々知っているのは、21歳だからだ。彼より五歳も年上だからだ。それを、彼は知らない。16歳の同級生だと思っている。この嘘が――時々、胸を締め付ける。

「そんなことないです……」

 私は小さく答えた。

「そうか? まあ、謙遜しなくていいのに」

アーガムは立ち上がって、伸びをした。彼の筋骨隆々とした体が、制服の上からでも分かる。身長も高く、私より頭 一つ以上大きい。見上げると、彼の顎のラインが見えた。

 ――なんで、こんなところまで見てるんだろう、私は。

「じゃあ、そろそろ仕事に戻るか」

「は、はい!」

 私は慌てて頷いた。


 その日の夕方、勤務を終えて寮に戻ると、ランスが窓辺で待っていた。夕日が部屋に差し込んでいて、彼の黒い毛並みが金色に輝いている。外からは、生徒たちの笑い声や話し声が聞こえてくる。秋の夕暮れは早く、空はすでに茜色に染まっていた。

「お帰り」

「ただいま……」

 私はベッドに倒れ込んだ。柔らかいマットレスが体を包み込む。天井を見上げると、白い漆喰の表面に夕日の色が映っていた。

「疲れたか?」

「ええ……色々と」

 本当は、疲れたというより、頭が混乱していた。今日も、アーガムのことばかり考えてしまった。彼の笑顔、声、仕草――全てが、頭から離れない。

「今日も、王子と一緒だったんだろ?」

「そうね……」

「楽しかったか?」

「え? まあ……楽しかったけど……」

 私は曖昧に答えた。ランスは尻尾をゆっくりと揺らしながら、私をじっと見ている。その琥珀色の瞳が、何かを見 透かしているようだった。

「ねえ、ネイサ」

「何?」

「お前、王子のこと好きだろ」

 突然の指摘に、私は跳ね起きた。心臓が激しく跳ねる。顔が一気に熱くなった。

「は!? 何言ってるのよ!」

「だから、好きなんだろ?」

 ランスは平然と繰り返した。

「あ、ありえないわよ! だって、彼は年下だし! それに、私は任務中だし!」

 私は必死に否定した。両手を振って、否定のジェスチャーまでする。でも、自分でも声が上ずっているのが分かった。

「顔、真っ赤だぞ」

「赤くない!」

「赤いって。鏡見てみろよ」

 ランスが尻尾で部屋の隅の鏡を指した。私は恐る恐る鏡を見た。そこには――顔を真っ赤にした自分が映っていた。

「……っ」

 私は顔を手で覆った。熱い。とても熱い。

「ほら、認めたくないだけだろ」

「認めるも何も……そんなこと……」

 私は反論しようとしたが、言葉が続かなかった。本当に、私はアーガムのことが好きなのだろうか。確かに、彼のことをよく考える。彼の笑顔を見ると胸が温かくなる。彼と一緒にいると楽しい。でも、それは――

「それは……仕事仲間だから……」

「仕事仲間で、あんなに顔赤くなるか?」

 ランスは容赦なく追及してくる。

「それに、お前、王子の話をする時、いつも表情が柔らかくなるぞ」

「そんなこと……ない……」

「あるって。リリアも言ってただろ」

 そう言われて、私は思い出した。以前、リリアに「アーガム様のこと、好きでしょ?」と指摘されたことを。あの時も、私は否定した。でも――

「それに、今日も王子のことばかり考えてただろ」

「……見てたの?」

「ああ。お前、ぼーっとしてる時間が多かった」

 ランスの指摘は正しかった。今日、私は何度も作業の手を止めて、ぼんやりとアーガムのことを考えていた。彼の笑顔、声、仕草――それらが、まるで頭の中で映像のように再生されていた。

「それは……ただ……」

「ただ?」

「ただ……心配だっただけよ。護衛対象として」

「護衛対象ねえ……」

 ランスはニヤニヤと笑った。その表情が、何かを全て見透かしているようで、私は恥ずかしくなった。

「本当よ! 私は、任務で彼を守ってるだけ!」

「じゃあ、なんで彼の笑顔を見るとドキドキするんだ?」

「それは……」

「なんで、彼と目が合うと顔が赤くなるんだ?」

「それは……」

「なんで、彼のことを四六時中考えてるんだ?」

 ランスの連続攻撃に、私は言葉を失った。確かに、その通りだった。私は、アーガムの笑顔を見るとドキドキする。目が合うと顔が赤くなる。四六時中、彼のことを考えている。

 それは――

「それは……」

 私は口ごもった。心臓が激しく鼓動している。部屋が急に暑く感じられた。窓を開けていないのに、息苦しい。

「認めろよ。お前、王子のことが好きなんだ」

 ランスの言葉が、心に突き刺さった。

 好き――その言葉を聞いた瞬間、何かが胸の中で弾けた。これまで必死に抑えていた感情が、堰を切ったように溢れ出してきた。

「……分からないわよ」

 私は小さく呟いた。

「分からない?」

「ええ。これが……恋なのか……私には分からない」

 私はベッドに座り込んだ。膝を抱えて、小さくなる。

「私……恋愛経験ないから……」

「そうか」

 ランスは優しい声で言った。

「でもな、お前の症状を見る限り、間違いなく恋だ」

「症状って……病気みたいに言わないでよ」

「まあ、恋は病気みたいなもんだからな」

 ランスは笑った。私も、少し笑った。でも、笑顔はすぐに消えた。

「でも……どうしよう……」

「どうするも何も、それがお前の気持ちだ。受け入れるしかない」

「でも……彼は16歳よ。私は21歳。五歳も年上なのよ」

「年齢なんて、関係ないだろ」

「関係あるわよ! それに、私は彼を欺いてる。年齢も、正体も、全部嘘」

 私は拳を握った。爪が手のひらに食い込んで、痛い。

「こんな私が……彼を好きになるなんて……許されないわ」

「許されないってことはない」

 ランスは私の隣に来て、体を擦り寄せた。温かい毛並みが、腕に触れる。

「お前は、ただ人を好きになっただけだ。それは、悪いことじゃない」

「でも……」

「お前の気持ちは本物だろ?」

「……ええ」

 私は認めた。

「私の気持ちは……本物よ」

「なら、それでいいじゃないか」

「でも、いつか真実を告げなきゃいけない。その時、彼は私をどう思うのか……」

「それは、その時考えろ」

ランスは尻尾を揺らした。

「今は、お前の気持ちに正直になれ」

「正直に……」

 私は呟いた。

 正直になる――

 それは、とても怖いことだった。自分の気持ちを認めるということは、傷つく可能性も認めるということだ。彼に拒絶される可能性を。彼に嫌われる可能性を。

 でも――

「分かったわ」

 私は小さく頷いた。

「私……アーガム様のことが……好きなのかもしれない」

「かもしれない、じゃなくて、好きなんだろ」

「……好き」

 声に出して言うと、胸がぎゅっと締め付けられた。でも、同時に――少しだけ、楽になった気がした。

「私、アーガム様が好き」

 もう一度言った。今度は、少し大きな声で。

「よし、認めたな」

「ええ……認めたわ」

 私は顔を上げた。窓の外は、すっかり暗くなっていた。空には、星が輝き始めている。

「でも……どうしよう……これから、彼とどう接すればいいのか……」

「普通に接すればいいだろ」

「普通に……って……」

 私は不安になった。好きだと自覚してしまった今、彼の前で普通にいられるだろうか。


 翌日、私はその答えを知ることになった。

 朝、教室でアーガムに会った瞬間――私の心臓は激しく跳ね、顔が一気に熱くなった。

「おはよう、ネイサ」

 彼のいつもの挨拶。それだけで、私はパニックになった。

「お、おはよう……ございます……」

 声が震えている。自分でも分かった。アーガムは少し不思議そうな顔をした。

「どうした? 体調悪いのか?」

「だ、大丈夫です!」

 私は慌てて答えた。でも、顔を見ることができない。視線を逸らして、自分の席に向かおうとした。

「待てよ」

 アーガムが私の肩を掴んだ。その手の温かさが、制服越しに伝わってくる。心臓が、さらに激しく跳ねた。

「顔、赤いぞ? 本当に大丈夫か?」

「だ、大丈夫です! ちょっと走ってきただけで!」

「そうか……?」

 アーガムは心配そうだった。その優しさが――また胸を締め付ける。

「本当に大丈夫ですから! では、失礼します!」

 私は逃げるように席に着いた。


 授業中も、集中できなかった。

 アーガムの席は、私の斜め後ろ。時々、彼の気配を感じる。ペンを動かす音、ノートをめくる音、小さな溜息―― それら全てに、私の意識が引きつけられた。

 ――ダメだ。集中しないと。

 私は必死に教科書に目を向けた。魔法理論の授業。普段なら得意な科目だ。でも、今日は全く頭に入ってこない。文字が、ただの記号にしか見えない。

「ネイサ・フィルメント」

 突然、先生に名前を呼ばれた。

「は、はい!」

 私は慌てて立ち上がった。

「この魔法陣の構造について、説明してください」

 先生が黒板を指した。そこには、複雑な魔法陣が描かれている。見れば分かるはずなのに――今の私には、理解するのに時間がかかった。

「えっと……これは……」

 私は必死に考えた。周囲の視線が、私に集中している。その中に、アーガムの視線もあるはずだ。それを意識すると、さらに頭が混乱した。

「……六層構造の防御魔法陣です。外側から順に……」

 なんとか説明を始めた。でも、いつもよりずっと時間がかかった。

「はい、正解です。でも、ネイサ、今日は少し元気がないですね」

「す、すみません……」

 私は座った。周囲から、心配するような視線が向けられた。リリアも、不思議そうに私を見ている。

 ――恥ずかしい。こんなの、私らしくない。


 昼休み、リリアが話しかけてきた。

「ねえ、ネイサ、大丈夫? 今日、なんか変だよ」

「え? そう?」

「うん。授業中も、ぼーっとしてたし」

「ちょっと……寝不足で……」

 私は誤魔化した。リリアは少し疑わしそうだったが、それ以上は追及しなかった。

「そっか。じゃあ、今日は早く寝なよ」

「ええ……そうするわ」

 私は曖昧に答えた。リリアは優しく笑って、自分の席に戻っていった。

 ――このままじゃダメだ。

 私は自分に言い聞かせた。アーガムを好きだと自覚したからといって、仕事に支障をきたしてはいけない。彼を守るのが、私の任務だ。それなのに、こんな調子では――

「ネイサ」

 突然、後ろから声がした。

 振り返ると――アーガムが立っていた。

「ひっ!」

 私は思わず変な声を出してしまった。周囲の生徒たちが、不思議そうにこちらを見る。恥ずかしさで、顔が真っ赤になった。

「お、お前、本当に大丈夫か?」

 アーガムは心底心配そうだった。

「だ、大丈夫です!」

「でも、今朝からずっと変だぞ?」

「き、気のせいです!」

 私は必死に否定した。

「そうか……?」

 アーガムは納得していないようだった。でも、それ以上は追及しなかった。

「まあ、無理すんなよ」

「は、はい……」

 彼は自分の席に戻っていった。私は、ほっと息をついた。でも、同時に――自己嫌悪に襲われた。

 ――私、何やってるんだろう。


 放課後、禁書館での勤務。

 いつもなら楽しい時間なのに、今日は苦痛だった。アーガムと二人きり。それが、こんなに緊張するなんて。

「なあ、ネイサ」

「は、はい!」

 私は過剰に反応してしまった。手に持っていた本を、危うく落としそうになる。

「お前、今日本当に変だぞ」

「き、気のせいです!」

「気のせいじゃねえって。朝から、ずっとおかしい」

 アーガムは私の前に立った。彼の大きな体が、私を見下ろしている。近い。とても近い。彼の体温が、伝わってくるような距離だ。

「俺、何か悪いことしたか?」

「え? いえ、そんなことは……」

「じゃあ、なんでそんなに避けるんだ?」

「避けてません!」

「避けてるだろ。目も合わせないし」

 その指摘は正しかった。私は今日一日、彼と目を合わせることができなかった。彼の目を見ると、心臓が激しく跳ねて、頭が真っ白になってしまうから。

「それは……」

「それは?」

 アーガムが顔を近づけてきた。さらに近い。彼の翡翠色の瞳が、私を覗き込んでいる。その視線から逃れられない。

「……っ」

 私の心臓は、今にも破裂しそうなほど激しく跳ねていた。顔が熱い。耳まで赤くなっているのが分かる。呼吸が浅くなる。

「ネイサ……」

「な、なんでもないです! 本当に! ただ、ちょっと体調が……」

 私は必死に誤魔化そうとした。でも、声が震えている。

「体調が悪いなら、今日は休めよ」

「いえ、大丈夫です!」

「大丈夫じゃねえだろ。顔、真っ赤だぞ」

 アーガムが私の額に手を当てた。

 ――触れた!

 彼の手が、私の肌に触れた。その温かさに、私の思考は完全に停止した。

「熱は……ないみたいだけど……」

 アーガムは不思議そうに首を傾げた。

「ほら、今日はもう帰れよ。俺が学園長に言っとくから」

「い、いえ、本当に大丈夫ですから!」

「大丈夫じゃねえって」

「大丈夫です!」

 私は彼の手を払いのけて、後ずさった。背中が本棚にぶつかる。

「ネイサ……」

 アーガムは心配そうな顔をしていた。その表情が――また胸を締め付ける。

「俺、本当に何かしたのか? お前を怒らせるようなこと」

「何もしてません! 本当に!」

「じゃあ、なんでそんなに……」

「なんでもないんです! ただ、ちょっと……」

 私は言葉を探した。何か、説得力のある理由を。でも、何も思いつかない。

「ちょっと?」

「ちょっと……疲れてるだけです」

「そうか……」

 アーガムは納得していないようだった。でも、それ以上は追及しなかった。

「分かった。じゃあ、無理すんなよ」

「はい……」

 私は小さく答えた。

 アーガムは優しく笑って、仕事に戻っていった。私は――その場にへたり込みそうになった。

 ――ダメだ。こんなの、絶対ダメだ。


 その夜、寮の部屋で一人反省会をしていた。

「今日は……最悪だった……」

 私はベッドに倒れ込んだ。顔を枕に埋める。枕が、少し湿った。

「どうした?」

 ランスが心配そうに聞いてきた。

「今日……アーガム様の前で、全然普通にできなかった……」

「ああ、やっぱりな」

「やっぱりって……見てたの?」

「ああ。お前、めちゃくちゃぎこちなかったぞ」

「うう……」

 私は呻いた。

「自覚したばかりだからな。仕方ないだろ」

「でも……このままじゃダメよ。仕事に支障が出る」

「まあ、そうだな」

 ランスは同意した。

「どうすればいいの……?」

「慣れるしかないだろ」

「慣れる……?」

「ああ。好きだと自覚した状態で、王子と接することに慣れるんだ」

「そんなこと……できるかしら……」

「できるさ。お前なら」

 ランスは励ますように言った。

「それに、王子もお前のこと心配してたぞ」

「……そうね」

 私は思い出した。アーガムの心配そうな顔を。

「あんまり避けると、逆に心配かけるぞ」

「分かってる……でも……」

「でも?」

「彼の顔を見ると……心臓がドキドキして……頭が真っ白になって……」

「それが恋だ」

 ランスは笑った。

「でもな、お前は強い。きっと、乗り越えられる」

「……そうかしら」

「ああ。お前は、いつも困難を乗り越えてきただろ」

 ランスの言葉に、少し勇気が湧いた。

「そうね……頑張るわ」

「それでいい」


 翌日、私は決意を新たに学園に向かった。

 ――今日こそは、普通に接する。

 そう心に誓って、教室のドアを開けた。

「おはよう、ネイサ」

 アーガムの声が聞こえた。

 ――落ち着け。普通に。普通に。

「お、おはようございます」

 私は彼の方を見た。そして――目が合った。

 ドクン。

 心臓が跳ねた。顔が熱くなる。

 ――ダメだ、また……

「顔、赤いぞ?」

「き、気のせいです!」

 私は慌てて席に向かった。

 ――全然ダメじゃない!


 結局、その日も私はアーガムの前でぎこちないままだった。

 授業中も、昼休みも、放課後の勤務中も――彼と目を合わせることができなかった。彼と話す時も、声が震えてしまった。

「ネイサ、本当に大丈夫か?」

アーガムは何度も心配してくれた。でも、私は「大丈夫です」としか答えられなかった。

――どうしよう。このままじゃ……


 その夜、ランスに相談した。

「やっぱり無理だった……」

「そうか」

「どうすればいいの……?」

「うーん……」

 ランスは考え込んだ。

「まあ、時間が解決するだろ」

「時間……?」

「ああ。今は自覚したばかりで、パニックになってるんだ。でも、そのうち慣れる」

「本当に……?」

「ああ。人間の適応力は、すごいからな」

 ランスは励ますように言った。

「それに、お前は強い。きっと、大丈夫だ」

「……ありがとう、ランス」

 私は小さく笑った。

「でも……困ったわね」

「何が?」

「好きな人の前で、こんなにぎこちなくなるなんて……」

「それが恋だからな」

「恋って……大変ね」

「ああ。でも、楽しいだろ?」

 ランスの問いに、私は少し考えた。

 確かに、今は大変だ。苦しい。彼の前で普通にいられない。でも――

「……楽しいかもしれない」

 私は認めた。

「彼のことを考えると、胸が温かくなる」

「彼の笑顔を見ると、幸せな気持ちになる」

「それが、恋の楽しさだ」

 ランスは満足そうに頷いた。

「お前、いい顔してるぞ」

「そう?」

「ああ。恋する乙女の顔だ」

「恋する乙女……」

 私は少し照れくさくなった。

 でも――悪い気はしなかった。


 数日後、少しずつだが、私はアーガムの前で普通に話せるようになってきた。

 完璧ではない。まだ、彼の目を見ると心臓が跳ねる。彼が近づくと顔が赤くなる。でも――以前ほどパニックにはならなくなった。

「ネイサ、最近元気になったな」

 ある日、アーガムが言った。

「そうですか?」

「ああ。前は、なんか変だったけど」

「あれは……ちょっと体調が悪かっただけです」

「そっか。良くなって良かったわ」

 アーガムは嬉しそうに笑った。その笑顔を見て――私の心臓は、やはり激しく跳ねた。

 今は、その鼓動を楽しめるようになっていた。

 これが、恋。

 これが、好きという気持ち。

 それを、受け入れられるようになっていた。


 その夜、ランスが言った。

「お前、慣れてきたな」

「ええ……少しずつだけど」

「良かったじゃないか」

「ありがとう、ランス。あなたのおかげよ」

「いや、お前の努力の結果だ」

 ランスは尻尾を揺らした。

「でもな、これからが大変だぞ」

「これから?」

「ああ。好きな気持ちを隠し続けるのは、辛いからな」

 ランスの言葉に、私は胸が痛んだ。

 確かに、これから先――この気持ちを隠し続けなければならない。アーガムには、決して知られてはいけない。なぜなら――私は、彼を欺いているから。

 年齢も、正体も、全て嘘。

 そんな私が、彼を好きだなんて――許されない。

「でも……仕方ないわ」

 私は呟いた。

「これが、私の運命だから」

「運命、か」

 ランスは少し悲しそうだった。

「お前、いつか真実を告げる時が来る」

「ええ……」

「その時、どうするつもりだ?」

「分からない……」

 私は正直に答えた。

「でも、その時まで――私は彼を守る」

「そうか」

 ランスは頷いた。

「頑張れよ」

「ええ」

 私は窓の外を見た。

 星が、輝いている。

 アーガムの顔が、浮かぶ。

 彼を守りたい。

 彼に幸せでいてほしい。

 たとえ、私の恋が叶わなくても――それが、私の願いだ。

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