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教室の片付けは、予想以上に大変だった。
アーガムは力任せに家具を運び、私は魔法で細かい破片を集める。意外と息が合っていて、30分ほどで教室はほぼ元通りになった。
「ふう、終わったな!」
アーガムは満足そうに腕を組んだ。その額には汗一つかいていない。
「お疲れ様でした、アーガム……殿下」
「だから殿下って呼ぶなって。俺ら、同じ学生だろ?」
「で、でも……」
「いいから。ネイサ、お前とは友達になれそうな気がするんだよな」
友達。
その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。
私は彼を欺いている。年齢も、正体も、全てが嘘だ。そんな私が、彼と友達になる資格があるのだろうか。
「どうした? 変な顔してるぞ?」
「い、いえ、何でもありません」
「そっか。じゃあ、これから飯食いに行こうぜ! 腹減っただろ?」
「え? あ、でも……」
「遠慮すんな! 俺が奢るから!」
彼は私の返事を待たずに、私の手を掴んで歩き出した。
また痛い。
「い、痛いです……」
「おっと、また力入れすぎた! 悪い悪い!」
彼は笑いながら、少しだけ力を緩めた。でも、手は離さない。
私は引きずられるようにして、彼の後を歩いた。
教室の窓から差し込む夕日が、彼の赤い髪を黄金色に染めている。その横顔は、どこか寂しげに見えた。
いや、気のせいだろうか。
「なあ、ネイサ」
「はい?」
「お前、魔法陣が好きなんだろ?」
「え? ……はい、とても」
「だったら今度、禁書館に行こうぜ。あそこには古代の魔導書がたくさんあるんだ。お前、絶対気に入るぞ」
「禁書館……ですか?」
「ああ。まあ、一般学生は入れねえんだけど、俺なら特別に入れるからさ」
禁書館。
それは、危険な魔導書や禁呪の書が収められている、学園で最も厳重に管理された場所だ。
そして――
私の任務に関わる、重要な場所でもある。
師匠からの情報では、第三王子を狙う者たちが、禁書館に収められた禁呪を狙っている可能性があるという。
「……行きたいです」
「マジで? よし、じゃあ決まりだな!」
アーガムは嬉しそうに笑った。
その笑顔は、まるで子供のように無邪気で――
そして、どこか危うげで。
私は心の中で、小さく呟いた。
あなたを、必ず守る。
それが私の任務だから。
そして――いや、何でもない。
この時の私は、まだ自分の気持ちに気付いていなかった。
これが、全ての始まりだった。
その日の夜、私は寮の自室で師匠に報告書を送っていた。
「本日、第三王子アーガム殿下との接触に成功。今後、禁書館への同行を予定」
送信ボタンを押す。すぐに返信が来た。
「良好だ。引き続き警戒を怠るな。そして、正体は絶対に明かすな」
「承知しました」
私は魔法通信を切って、ベッドに横たわった。
窓の外には、三日月が浮かんでいる。
「ネイサ」
突然、声がした。
私は飛び起きる。部屋の隅、影の中から、黒い何かが姿を現した。
黒猫――いや、私の使い魔、ランスだ。
「ランス! 帰ってきてたの?」
「ああ。お前の学園初日を見守ってたんだよ」
ランスは優雅に歩いて、ベッドの上に飛び乗った。
「で、どうだった? 第三王子は」
「……予想以上に、規格外だったわ」
「ほう。どんな風に?」
「筋肉で本棚を持ち上げてた」
「……は?」
「魔法陣の欠陥を一目で見抜いてた」
「……魔法の知識もあるのか」
「そして、握手しただけで手が潰れそうになった」
「……大変だな、お前」
ランスは呆れたように溜息をついた。
「でも、これで任務は順調だな。第三王子と親しくなれたんだろ?」
「ええ。次は禁書館に一緒に行くことになってる」
「完璧じゃないか。あとは――」
ランスは意味深に私を見た。
「正体がバレないように気をつけろよ。お前、16歳の演技、下手だからな」
「う、うるさいわね」
「それと」
ランスは尻尾を揺らした。
「あの王子、結構いい奴そうだな」
「……そうね」
アーガムの笑顔が脳裏に浮かぶ。
無邪気で、豪快で、でもどこか寂しげな――
「気をつけろよ、ネイサ」
「何を?」
「お前、感情移入しやすいタイプだからな。護衛対象に情が移ると、任務に支障が出る」
「大丈夫よ。私はプロだもの」
「ならいいけどな」
ランスはそう言って、丸くなって眠り始めた。
私は再び窓の外を見た。
三日月が、静かに輝いている。
アーガム・フォン・エルドリア。
あなたを守る。それが私の使命。
それ以上でも、それ以下でもない。
そう、自分に言い聞かせた。
でも、胸の奥に芽生えた小さな感情を、この時の私は無視していた。
それが、後にどんな嵐を呼ぶのか――
まだ知らないまま。




