忍び寄る影
「待ってください! そっちは危険です! 絶対にやめてください!」
私は必死にアーガムを止めようとしていた。
学園祭の夜。メインイベントの花火大会が始まる直前のことだった。
「何が危険なんだよ? これくらい平気だって!」
アーガムは、屋台で売られている『激辛地獄ラーメン』という恐ろしい名前の料理を注文しようとしていた。
看板には『完食できたら無料! ただし救急車を呼ぶ可能性あり』という不穏な但し書きがある。
「あなた、先週毒を盛られたばかりなんですよ!? 今、変なもの食べたら本当に危険です!」
「でも、これうまそうじゃん! 見ろよ、この真っ赤なスープ!」
「真っ赤すぎます! もはや食べ物の色じゃありません!」
「俺、辛いの得意だし」
「得意不得意の問題じゃないんです! 看板に『救急車』って書いてあるんですよ!?」
私とアーガムの押し問答を、屋台の店主――筋骨隆々の料理人――が面白そうに見ていた。
「お嬢ちゃん、心配しなくても大丈夫だよ。今まで完食した奴は三人いるし」
「三人だけじゃないですか! しかも、その三人は今どうなってるんですか!?」
「うーん、一人は入院、一人は三日間寝込んで、一人は……まあ、元気だよ」
「元気なの一人だけじゃないですか!」
私は頭を抱えた。
「ほら、元気な奴もいるんだって! 俺も大丈夫だよ!」
「その一人が特殊なだけです! 常識的に考えてください!」
「大丈夫大丈夫! それに、お前がいるから、何かあっても治してくれるだろ?」
「そういう問題じゃありません!」
結局、私が全力で阻止した結果、アーガムは普通の醤油ラーメンを食べることになった。
「ちぇ、つまんねえの」
「つまらなくて結構です。あなたの安全の方が大事です」
私は溜息をついた。
本当に、この人は心配性の人間を心配させる天才だ。
投票結果発表が終わり、A組のブースも片付けが完了した後、学園祭のメインイベント――花火大会が始まろうとしていた。
「ネイサ、一緒に見ようぜ!」
アーガムが私を誘ってくれた。
「はい」
私たちは学園の中庭に向かった。
既に大勢の生徒や来場者が集まっていて、花火が上がるのを待っている。
「すげえ人だな」
「そうですね……」
私は周囲を警戒しながら歩いた。
これだけ人が多いと、もし暗殺者が紛れ込んでいても気付きにくい。
魔力の流れを感じ取りながら、不審な気配がないか探る。
「ネイサ、そんな警戒しなくても大丈夫だって」
「そうはいきません。あなたの命を狙っている者がいるんですから」
「でも、今日くらいは楽しもうぜ。せっかくの学園祭なんだし」
アーガムが笑った。
「それに、お前と一緒なら安心だしな」
「え……」
「お前、めっちゃ強いし、頼りになるし。お前がいれば、俺は何も怖くねえよ」
彼の言葉に、胸が温かくなった。
信頼されている。
その事実が、嬉しかった。
「ありがとうございます……でも、油断は禁物です」
「分かってるって」
私たちは人混みをかき分けて、花火がよく見える場所を探した。
「あ、あそこ空いてるぞ!」
アーガムが指差した場所は、少し高台になっていて、見晴らしが良さそうだった。
「行きましょう」
私たちはその場所に移動した。
高台から見る学園の夜景は、美しかった。
無数の灯りが、まるで地上の星のように輝いている。
「綺麗だな」
アーガムが呟いた。
「はい……」
私も同意した。
そして――
花火が上がり始めた。
ドーン!
夜空に、色とりどりの花が咲く。
赤、青、緑、金――
様々な色の光が、闇を照らす。
「おお、すげえ!」
アーガムが興奮していた。
その横顔を、私はそっと見た。
花火の光に照らされた彼の顔は――
いつもより、優しく見えた。
「なあ、ネイサ」
「はい?」
「お前、今日一日、楽しかった?」
「はい……とても」
本当だった。
学園祭の準備から、当日の忙しさ、そして今、こうして彼と一緒に花火を見ている。
全てが、かけがえのない思い出だった。
「そっか。良かった」
アーガムが笑った。
「俺も、すげえ楽しかったよ。お前と一緒だったから」
「私も……あなたと一緒で、良かったです」
私は小さく答えた。
花火の音が、私たちの声を優しく包んでいた。
この瞬間が――
ずっと続けばいいのに。
そう思った。
でも――
その願いは、儚く打ち砕かれることになる。
花火大会が佳境に入った時だった。
突然、私の魔力感知が警報を鳴らした。
これは――
「アーガム様」
「ん?」
「禁書館の方向から、強い魔力の波動を感じます」
「マジで?」
アーガムも警戒態勢に入った。
「侵入者ですか?」
「おそらく……それも、複数」
私は集中して魔力の流れを追った。
三つ――いや、四つの魔力源。
しかも、全て高位の魔導士レベルだ。
「まずいですね……」
「行くぞ、ネイサ!」
「はい!」
私たちは花火大会の喧騒を後にして、禁書館へと走った。
禁書館に到着すると、扉が開いていた。
「入られてる……!」
「くそ、警報魔法は?」
「解除されています……かなり高度な魔法で」
私は扉の周りに残された魔力の痕跡を分析した。
「これは……古代魔法の術式?」
「古代魔法?」
「はい。現代の魔法とは違う、失われた技術です」
つまり、侵入者は相当な知識を持っている。
「とにかく、中に入りましょう」
「ああ」
私たちは慎重に禁書館に入った。
中は静かだった。
不気味なほどに。
「どこにいるんだ……」
アーガムが辺りを見回す。
その時――
「《火炎よ、襲い掛かれ――ファイア・ランス》」
突然、炎の槍が飛んできた。
「危ない!」
私は風の壁を展開した。
「《風よ、盾となれ――ウィンド・シールド》」
炎の槍は風の壁に阻まれて消滅した。
「そこか!」
アーガムが声のした方向へ突進した。
本棚の影から、黒いローブを着た人物が現れた。
「ほう、気付くとはな」
低い声。
男性だろうか。
「お前ら、何が目的だ!」
アーガムが叫んだ。
「目的? 決まっている。禁呪の書を手に入れることだ」
「禁呪の書……」
私は息を呑んだ。
「なぜ、そんなものを……」
「それは、お前たちには関係ない」
黒ローブの男が手を上げた。
「仲間たちよ、来い」
すると――
三人の黒ローブが、別の場所から現れた。
合計四人。
私たちを囲むように配置されている。
「まずいな……」
アーガムが呟いた。
「四人全員、高位の魔導士です」
私も警戒を強めた。
「どうする?」
「戦うしかありません」
私は魔法を構えた。
「準備はいいですか?」
「おう!」
アーガムも拳を構えた。
そして――
戦闘が始まった。
「《雷よ、敵を打て――サンダー・ボルト》」
一人目の黒ローブが雷撃魔法を放った。
「《水よ、流れとなれ――ウォーター・ストリーム》」
私は水の流れを作り、雷撃を逸らした。
雷は水を伝って地面に流れ、無力化される。
「やるな、小娘」
「小娘だと!」
私は反撃に出た。
「《氷よ、敵を縛れ――アイス・バインド》」
氷の鎖が黒ローブの足を拘束する。
「くっ!」
「今です、アーガム様!」
「おう!」
アーガムが拘束された黒ローブに突進した。
そして――
拳を振るった。
ドゴォッ!
黒ローブは壁に叩きつけられた。
「一人目、ダウン!」
「でも、まだ三人います!」
残りの三人が同時に魔法を唱え始めた。
「《火よ》」「《風よ》」「《土よ》」
三属性の魔法が同時に!
「複合魔法!?」
私は驚愕した。
火と風が合わさり、巨大な炎の竜巻が生成される。
そこに土の魔法が加わり、炎の竜巻に岩の破片が混ざる。
これは――
「アーガム様、伏せて!」
「おう!」
私たちは地面に伏せた。
炎と岩の竜巻が、私たちの頭上を通過した。
本棚が吹き飛ばされ、魔導書が宙を舞う。
「禁書館が……!」
「今はそれどころじゃねえ!」
アーガムが立ち上がった。
「ネイサ、俺が近接戦を仕掛ける。お前は遠距離から魔法で支援してくれ!」
「分かりました!」
私たちの連携が始まった。
アーガムが二人目の黒ローブに突進する。
「おりゃあ!」
「ふん、脳筋が」
黒ローブは魔法の壁を展開した。
でも――
アーガムの拳は、魔法の壁を粉砕した。
「な……!?」
「俺の筋肉を舐めんな!」
そして、黒ローブに拳を叩き込んだ。
「ぐはっ!」
二人目もダウン。
でも、残り二人が反撃してきた。
「《影よ、剣となれ――シャドウ・ブレード》」
影の刃が、アーガムに向かって飛んでくる。
「させません!」
私は光の壁を展開した。
「《光よ、闇を払え――ライト・ウォール》」
影の刃は光の壁に触れて消滅した。
「ちっ、邪魔を……」
「あなたたちの相手は、私です!」
私は攻撃魔法を連発した。
「《氷の矢よ――アイス・アロー》《火の玉よ――ファイア・ボール》《風の刃よ――ウィンド・カッター》」
三つの魔法を同時に制御する。
氷、火、風が同時に黒ローブたちに襲いかかる。
「くっ! この小娘、ただ者じゃない!」
「《土よ、壁となれ――アース・ウォール》」
黒ローブが土の壁を作って防御する。
でも――
「そこです!」
アーガムが土の壁を蹴破って突入した。
「うおおおお!」
「ぐあっ!」
三人目もダウン。
残るは一人。
最後の黒ローブ――最初に話しかけてきた男――は、一歩も動いていなかった。
「ほう、我が部下三人を倒すとはな」
彼は冷静だった。
「だが、私はお前たちとは格が違う」
そう言って、彼は魔法陣を展開した。
複雑な、多層構造の魔法陣。
「これは……」
私は戦慄した。
「古代魔法の……高位術式……」
「よく分かったな。そうだ、これは古代魔法『破壊の竜』――」
「させません!」
私は詠唱を妨害する魔法を放った。
「《沈黙よ――サイレンス》」
でも――
「無駄だ」
男は詠唱を続けた。
声なき詠唱。
無詠唱魔法だった。
「まずい……!」
「ネイサ、どうすんだ!?」
「私も対抗魔法を……」
私は急いで魔法陣を構築し始めた。
でも、間に合わない。
男の魔法陣が完成してしまう。
「《破壊の竜よ、顕現せよ――ドラゴン・オブ・デストラクション》」
魔法陣から、巨大な竜の姿が現れた。
いや、正確には竜の形をした純粋な破壊エネルギーだ。
「これは……やばい……!」
アーガムも青ざめた。
竜が咆哮する。
その咆哮だけで、周囲の本棚が崩壊した。
「くっ……」
私は必死に防御魔法を考えた。
でも、こんな高位の魔法、防げるのか?
いや、防がなければ。
アーガムを守らなければ。
私は決意した。
「《光よ、全てを包め――アブソリュート・シールド》」
私の持てる全ての魔力を込めて、最強の防御魔法を展開した。
光の盾が、私たちを包む。
そして――
破壊の竜が突進してきた。
ゴォォォォォ!
光の盾と破壊の竜がぶつかり合う。
凄まじい衝撃。
私の全身が軋む。
魔力が、急速に消耗していく。
「くっ……あああああ!」
必死に耐える。
絶対に、負けない。
アーガムを、守る。
「ネイサ!」
アーガムの声が聞こえた。
「無理すんな! もういい!」
「いえ……まだ……!」
私は歯を食いしばった。
そして――
限界まで魔力を放出した。
光の盾が、さらに強化される。
そして――
破壊の竜を、押し返した。
「な……!?」
男が驚愕の声を上げた。
「あり得ない……この魔法を防ぐとは……」
「私は……負けない……!」
私は叫んだ。
そして、最後の力を振り絞った。
「《光よ、反撃せよ――カウンター・ブラスト》」
光の盾が反転し、破壊の竜に向かって突進した。
光と闇がぶつかり合い――
大爆発が起きた。
煙が晴れた時、男はもういなかった。
転移魔法で逃げたようだ。
他の三人の黒ローブも、姿を消していた。
「逃げられた……」
私は膝をついた。
魔力を使い果たして、立っていられなかった。
「おい、ネイサ! 大丈夫か!?」
アーガムが駆け寄ってきた。
「はい……大丈夫です……」
「無理すんなって! お前、魔力使い果たしてるだろ!」
「でも……あなたを守らないと……」
「バカ! お前が倒れたら、俺が困るだろうが!」
アーガムは私を抱き起こした。
「ありがとな、ネイサ。お前のおかげで、助かった」
「いえ……これが私の役目ですから……」
私は小さく答えた。
そして――
意識が遠くなっていった。
「おい、ネイサ! しっかりしろ!」
アーガムの声が、遠くから聞こえた。
でも――
もう、答える力がなかった。
私は、彼の腕の中で意識を失った。
どれくらい経ったのだろう。
ふと、意識が戻った。
「……ここは?」
私は見知らぬ天井を見上げていた。
白い天井。清潔な匂い。
「保健室……?」
「あ、気付いたか!」
アーガムの声がした。
顔を向けると、彼が椅子に座って、私の手を握っていた。
「アーガム様……」
「良かった……本当に、良かった……」
彼の目が、潤んでいた。
「お前、三時間も意識なかったんだぞ。心配したじゃねえか……」
「ご、ごめんなさい……」
「謝んなくていい。お前は、俺を守ってくれたんだから」
アーガムは私の手を強く握った。
「ありがとな、ネイサ」
「いえ……当然のことを……」
私は微笑んだ。
そして、思い出した。
「侵入者は……?」
「逃げた。でも、禁書館は無事だ。禁呪の書も、盗まれてない」
「そうですか……良かった……」
「ああ。お前のおかげだ」
アーガムが笑った。
「それに、学園長にも報告した。これから、警備が強化されるらしい」
「そうですか……」
私はほっとした。
でも――
「彼らの目的は、やはり禁呪の書だったんですね……」
「ああ。学園長も、かなり警戒してた」
「これからも、襲撃があるかもしれません」
「だろうな」
アーガムは真剣な表情になった。
「でも、大丈夫だ。俺たちがいるからな」
「はい」
私は頷いた。
戦いは、始まったばかりだ。
禁呪の書を狙う者たち。
その背後にいるであろう、黒幕。
そして――
オルビス。
彼が、どう関わっているのか。
全ての答えは、まだ闇の中だ。
でも――
「アーガム様」
「ん?」
「私、あなたを守ります。何があっても」
「お前……」
「それが、私の役目ですから」
私は微笑んだ。
アーガムは、少し複雑な表情をした。
「役目、か……」
「はい」
「……そっか」
彼は小さく呟いた。
その言葉に、何か寂しさが混じっていた気がした。
でも――
私には、それ以上のことは言えなかった。
なぜなら――
本当の気持ちを言ってしまったら、全てが崩れてしまうから。
その夜、私は師匠に詳細な報告をした。
「四人の高位魔導士……しかも古代魔法を使う者まで……」
師匠は深刻な表情だった。
「事態は、予想以上に深刻だ」
「はい……」
「ネイサ、お前は限界まで魔力を使ったそうだな」
「はい……でも、アーガム様を守るためには、必要なことでした」
「……そうか」
師匠は少し黙った後、言った。
「ネイサ、お前は任務に忠実だ。それは素晴らしいことだ」
「ありがとうございます」
「だが」
師匠の声が厳しくなった。
「自分の命も大切にしろ。お前が死んでしまえば、アーガム王子を守ることもできなくなる」
「……はい」
「それと」
師匠が付け加えた。
「お前、アーガム王子に感情移入しすぎていないか?」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「い、いえ……そんなことは……」
「嘘をつくな。お前の報告書からも、お前の声からも、それは明らかだ」
「……」
私は何も言えなかった。
「ネイサ、忠告しておく。任務と恋愛は別だ。混同するな」
「はい……」
「それと、いつか真実を告げる時が来る。その時、お前はどうするつもりだ?」
「……分かりません」
私は正直に答えた。
「でも、今は、彼を守ることだけを考えます」
「……そうか」
師匠は溜息をついた。
「分かった。引き続き、任務を続けろ。だが、無理はするな」
「はい」
通信が切れた。
私は窓の外を見た。
月が、静かに輝いている。
戦いは、始まったばかりだ。
これから、どんな困難が待ち受けているのか。
そして――
私と彼の関係は、どうなっていくのか。
全ては、まだ見えない。
でも、一つだけ確かなことがある。
私は、彼を守り抜く。
どんな犠牲を払っても。
それが――
私の、愛だから。




