最初の暗殺未遂
「それは絶対に食べないでください! ダメです! 待ってください!」
私は禁書館の休憩室で、全力でアーガムを止めようとしていた。
事の発端は、十分前に遡る。
いつものように禁書館で目録作成をしていた時、突然配達員が現れた。
「アーガム・フォン・エルドリア殿下へ、お届け物です」
配達員が運んできたのは、豪華な銀のトレイに乗せられた料理の数々だった。
ローストチキン、トリュフのリゾット、高級ワイン、そして美しく飾られたデザート。まるで高級レストランのフルコースのようだ。
「おお! すげえ!」
アーガムは目を輝かせた。
「誰からだ?」
「差出人は……明記されておりません。ただ、『日頃の感謝を込めて』というメッセージカードが」
「へえ、誰だろうな。まあいいや、いただきまーす!」
アーガムは躊躇なく料理に手を伸ばそうとした。
その瞬間――
私の魔力感知が、警報を鳴らした。
この料理から、微かに――でも確実に――毒の気配を感じ取ったのだ。
「待ってください!」
私は慌ててアーガムの手を掴んだ。
「何だよ、腹減ってんだけど」
「その料理、検査させてください」
「検査? 何で?」
「とにかく、今すぐに!」
私は料理に魔法をかけた。
「《隠された危険を暴け――ディテクト・ポイズン》」
毒物検知魔法。これで、料理に毒が仕込まれていれば――
ピン、と音がして、料理全体が薄く青く光った。
「……やっぱり」
私の表情が凍りついた。
「毒が仕込まれています。しかも、かなり強力な」
「マジで!?」
アーガムも驚いた。
配達員は顔面蒼白になった。
「そ、そんな! 私は受け取った物をそのまま運んだだけで!」
「分かっています。あなたは悪くありません」
私は冷静に言った。
「毒を仕込んだのは、差出人でしょう」
「くそ、誰だよ……」
アーガムが拳を握った。
でも――
「でも、この料理……すげえうまそうなんだよな」
「は?」
私は耳を疑った。
「いや、見た目が。このローストチキンとか、すげえいい匂いするし」
「毒が入ってるんですよ!?」
「分かってるって。でも、もったいねえよな」
アーガムは本気で残念そうだった。
この人、本当に危機感あるのだろうか……
「とにかく、この料理は廃棄します」
私は魔法で料理を氷漬けにした。証拠として保存するためだ。
「そして、すぐに犯人を探さないと」
「ああ、そうだな」
アーガムも真剣な表情になった。
「でも、腹減ったな……」
「今はそれどころじゃないでしょう!」
私は溜息をついた。
配達員から事情を聞いた。
「料理は、今朝、学園の正門で受け取りました」
「渡した人物の特徴は?」
「黒いローブを着た人物で……顔は見えませんでした。声も、魔法で変えているようでした」
「そうですか……」
手がかりが少ない。
「メッセージカードは?」
「これです」
配達員が差し出したカードには、美しい筆記体で書かれていた。
『日頃の感謝を込めて。アーガム殿下の益々のご活躍を』
筆跡から犯人を特定できるかもしれない。
「このカードも証拠として預かります」
「はい……本当に申し訳ございませんでした」
配達員は深々と頭を下げて去っていった。
「さて……」
私は料理を見た。
毒物検知魔法で青く光っている。
この毒、何の毒だろう。
「《詳細分析――アナライズ》」
分析魔法を使って、毒の成分を調べる。
しばらくして、結果が出た。
「これは……『死の眠り草』の毒!」
「死の眠り草?」
「はい。摂取すると、数時間後に心臓が停止する、非常に危険な毒です」
「やべえじゃん」
「しかも、普通の解毒魔法では効かない。専用の解毒剤が必要なんです」
私は背筋が寒くなった。
もしアーガムが食べていたら――
「つーか」
アーガムが首を傾げた。
「俺が食ったら、どうなってたんだろうな」
「心臓が止まります」
「でも、俺って結構丈夫だぞ? この前も毒キノコ食ったけど平気だったし」
「毒キノコ食べたんですか!?」
「ああ。間違えて採ってきちゃってさ。でも、ちょっと腹痛くなっただけで済んだ」
「……信じられない」
この人の生命力、本当に異常だ。
「まあ、とにかく。犯人を探さないとな」
「そうですね」
私は考え込んだ。
誰が、アーガムを殺そうとしているのか。
そして――なぜ、今なのか。
翌日、私たちは学園の警備担当教師に事情を説明した。
「なるほど……毒入りの料理が届いたと」
警備担当のギルバート先生――筋骨隆々の元騎士――が腕を組んだ。
「配達員の証言では、差出人は黒いローブを着た人物。顔も声も分からない」
「はい」
「手がかりが少ないな……」
ギルバート先生は唸った。
「だが、学園内に潜んでいる可能性は高い。内部の者でないと、殿下の居場所を特定できないからな」
「内部の者……」
私の頭に、ある人物が浮かんだ。
オルビス。
そして、その側近たち。
「先生」
「何だ?」
「生徒会の人間を調べることは可能ですか?」
「生徒会? なぜだ?」
「……勘ですが、怪しいと思うんです」
ギルバート先生は少し考えた後、頷いた。
「分かった。調べてみよう。ただし、証拠がなければ尋問もできない」
「はい、承知しています」
私は深く頭を下げた。
その日の午後、生徒会室に呼び出された。
「やあ、弟よ。それにネイサも」
オルビスが優雅に微笑んだ。
「呼び出して悪かったね。実は、君たちに届いた毒入り料理の件で、話を聞きたくて」
「兄貴が?」
「ああ。生徒会長として、学園内で起きた事件は見過ごせないからね」
オルビスは椅子に座った。
その周りには、例の三人の側近――ラザール、セリーナ、ダミアン――が控えている。
「まず、君たちが無事で何よりだ」
「ああ、まあ……ネイサが止めてくれたから」
「流石だね、ネイサ。素晴らしい判断力だ」
オルビスが私を見た。
その視線が――
何か、探るようだった。
「それで、犯人に心当たりは?」
「いえ……全く」
私は慎重に答えた。
「差出人は不明で、配達員も顔を見ていません」
「そうか……困ったね」
オルビスは指を組んだ。
「でも、学園内に殿下の命を狙う者がいるとなると、看過できない」
「そうだな」
アーガムが頷いた。
「兄貴、何か情報ない?」
「残念ながら……」
オルビスは首を振った。
「でも、私の側近たちに調査をさせよう。ラザール、頼めるか?」
「はい、オルビス様」
ラザール――前に禁書館で呪いを受けた青年――が答えた。
私は彼をじっと見た。
怪しい。
あの時、禁書館を視察に来た理由も不明だった。
そして、今回の毒殺未遂――
もしかして、この人が犯人?
「ネイサ?」
オルビスの声で、我に返った。
「何か気になることでも?」
「いえ……」
今は、証拠がない。
軽々しく疑うわけにはいかない。
「そうか。では、何か分かったら教えてくれ」
「はい」
私たちは生徒会室を後にした。
廊下を歩きながら、アーガムが呟いた。
「なあ、ネイサ」
「はい?」
「お前、兄貴の側近たち、疑ってるだろ」
「……はい」
隠しても仕方ない。
「特に、ラザール。彼が一番怪しいと思います」
「でも、証拠ねえんだろ?」
「ええ……残念ながら」
私は悔しかった。
犯人が分かっていても、証拠がなければどうしようもない。
「まあ、気をつけようぜ」
アーガムが私の肩をぽんと叩いた。
「次は、もっと巧妙に来るかもしれねえ」
「そうですね……」
私は拳を握った。
次は、絶対に防いでみせる。
その日の夜、私は一人で配達員の証言を再確認していた。
「黒いローブ……魔法で変えられた声……」
手がかりが少なすぎる。
でも、何か見落としはないか。
「ニャア」
ランスが現れた。
「考え込んでるな」
「ええ……毒殺未遂の犯人が分からなくて」
「オルビスの側近だろ、どうせ」
「証拠がないのよ」
私は溜息をついた。
「それに、もし側近が犯人だとしても、オルビス本人の指示なのか、それとも側近の独断なのか……」
「どっちにしろ、危険だな」
ランスは尻尾を揺らした。
「お前、アーガムのこと、本気で守りたいんだな」
「当たり前よ。それが任務だもの」
「任務、ねえ……」
ランスは意味深に言った。
「本当に、それだけか?」
「何が言いたいの?」
「いや、最近のお前を見てると、任務以上の感情があるように見えるんだよ」
「そんなこと……」
私は言葉に詰まった。
確かに、最近アーガムのことを考える時間が増えている。
彼の笑顔、優しさ、強さ――
全てが、心に残る。
「まあ、いいけどな」
ランスはあくびをした。
「お前が幸せなら、俺は何も言わない」
「幸せ……?」
「ああ。お前、最近いい顔してるぞ」
ランスはそう言って、丸くなって眠り始めた。
私は窓の外を見た。
月が、静かに輝いている。
アーガムの顔が、浮かぶ。
彼を守りたい。
それは、任務だから?
それとも――
答えは、まだ出せなかった。
翌朝、私は早起きして図書館で毒物の資料を調べていた。
「『死の眠り草』の毒……入手経路は……」
分厚い本をめくっていく。
「この毒草は、王国北部の山岳地帯に自生している……採取には特別な許可が必要……」
つまり、誰でも手に入るわけではない。
「許可を持っているのは……王族、高位貴族、認可を受けた薬師……」
該当者は限られる。
「そして、学園内で該当するのは……」
リストを確認する。
オルビス・フォン・エルドリア――第二王子。
当然、彼には許可がある。
「やっぱり……」
私は拳を握った。
証拠は状況証拠だけだが、オルビスが怪しい。
「ネイサ?」
突然、声がした。
振り返ると、アーガムが立っていた。
「こんな朝早くから、何してんだ?」
「あ、アーガム様……毒物の調査を……」
「まだ調べてたのか。もう気にすんなって」
「気にするなって……あなたの命が狙われてるんですよ!?」
私は思わず声を荒げた。
「分かってる。でも、俺は大丈夫だから」
「大丈夫じゃないです! もし私が気付かなかったら、あなたは死んでいたかもしれないんですよ!」
「でも、お前が気付いてくれたじゃん」
アーガムは笑った。
「お前がいるから、俺は安心なんだよ」
「え……」
「お前、めちゃくちゃ頼りになるし。魔法も上手いし。それに――」
アーガムは少し照れくさそうに言った。
「優しいからさ」
「優しい……?」
「ああ。俺のことを、本気で心配してくれてる。それが、嬉しいんだ」
彼の言葉に、胸が熱くなった。
「当たり前です……あなたを守るのが、私の――」
任務だから、と言いかけて――
言葉を飲み込んだ。
本当に、任務だから?
それだけ?
「俺の、何?」
「……役目ですから」
私は誤魔化した。
「そっか」
アーガムは少し残念そうだった。
でも、すぐに笑顔を取り戻した。
「じゃあ、朝飯食いに行こうぜ。腹減っただろ?」
「そうですね……」
私たちは図書館を出た。
廊下を歩きながら、アーガムが言った。
「なあ、ネイサ」
「はい?」
「もし、また毒が来ても――」
「来ませんよ。次からは、私がちゃんとチェックしますから」
「でも、もし来たら」
アーガムは真剣な表情で言った。
「俺より、お前の安全を優先してくれ」
「え?」
「俺は丈夫だから、多少の毒なら平気だ。でも、お前は違う」
「私を心配してくれてるんですか?」
「当たり前だろ。お前は、大切な相棒だからな」
相棒。
その言葉が、なぜか少し寂しく聞こえた。
でも、それは贅沢な悩みだ。
「分かりました。でも、あなたも無茶しないでください」
「おう」
私たちは食堂に向かった。
その日の昼、再び事件が起きた。
アーガムの下駄箱に、小さな箱が入っていた。
「何だこれ?」
アーガムが箱を取り出そうとした瞬間――
「待って!」
私は慌てて彼の手を掴んだ。
「その箱、魔力を帯びています!」
「魔力?」
「はい。爆発する可能性があります!」
私は箱に魔法をかけた。
「《隠された術式を暴け――ディスペル・トラップ》」
箱から、青白い光が立ち上った。
そして――
シュウウウウ……
箱が煙を上げて、消滅した。
「爆発魔法が仕込まれていました」
「マジかよ……」
アーガムは呆れた。
「今度は爆弾かよ。しつこいな」
「しつこい、じゃないです! これは明確な殺意です!」
私は怒りを抑えきれなかった。
誰が、こんなことを。
「周りに誰かいませんでしたか?」
「いや……俺が来た時には、もう箱が入ってた」
「そうですか……」
また手がかりなし。
でも、諦めるわけにはいかない。
「とにかく、これも証拠として報告しましょう」
「ああ」
その時――
「おや、何かあったのかい?」
後ろから声がした。
振り返ると、オルビスとその側近たちが立っていた。
「兄貴……」
「下駄箱の前で何をしているのかと思って」
オルビスが近づいてくる。
「まさか、また何か?」
「……爆弾が仕掛けられていました」
私が答えた。
「爆弾!?」
オルビスは驚いた様子を見せた。
でも――
その驚きは、本物だろうか?
「大丈夫だったのか、弟よ?」
「ああ、ネイサが防いでくれた」
「そうか……」
オルビスは私を見た。
「君は本当に優秀だね、ネイサ。弟を守ってくれて、感謝する」
「いえ……当然のことをしたまでです」
「謙遜するな。君がいなければ、弟は――」
オルビスは言葉を切った。
「とにかく、これは看過できない。私も調査に協力しよう」
「ありがとう、兄貴」
アーガムが頭を下げた。
でも、私は疑念を捨てきれなかった。
オルビス、あなたが犯人なのか?
それとも――
その夜、私は師匠に報告していた。
「毒殺未遂と、爆破未遂……二件も続けて」
師匠の表情は厳しかった。
「犯人の目星は?」
「オルビス、もしくはその側近だと思います。でも、証拠がありません」
「そうか……」
師匠は考え込んだ。
「ネイサ、お前は今、非常に危険な状況にある」
「はい」
「アーガム王子を守ることは重要だ。だが、お前の命も大切だ。無理はするな」
「……はい」
「それと」
師匠が付け加えた。
「もし、お前が危険だと判断したら、すぐに撤退しろ。これは命令だ」
「でも、アーガム様を置いて――」
「お前が死んでしまえば、彼を守ることもできなくなる」
師匠の言葉は正しかった。
「分かりました」
「よろしい。引き続き、警戒を怠るな」
通信が切れた。
私はベッドに横たわった。
「大変だな」
ランスが言った。
「ええ……でも、諦めないわ」
「お前、本当にあの王子のこと――」
「分かってる」
私はランスの言葉を遮った。
「自分の気持ちくらい、分かってるわ」
「じゃあ、認めろよ」
「……まだよ」
「まだ?」
「任務が終わったら……考える」
私はそう言って、目を閉じた。
でも、心の中では――
既に答えが出ていた。
私は、アーガムを愛している。
任務としてではなく、一人の女性として。
でも、それを認めるのが――
怖かった。
なぜなら――この恋は、叶わないから。
年齢を偽っている。
正体を隠している。
全てが嘘の上に成り立っている。
そんな私に、彼を愛する資格があるのだろうか。
答えは、出せなかった。
ただ、一つだけ決意した。
彼を守る。
どんな犠牲を払っても。
それが、私にできる唯一のことだから。




