5
「待ってください、そこは触らないでください!」
私は慌てて声を上げた。
禁書館での勤務を始めて一週間。今日も放課後、アーガムと一緒に禁書館の整理をしていた時のことだ。
突然、扉が開いて複数の人物が入ってきた。
先頭にいるのは――赤い髪、整った顔立ち、優雅な物腰。学園の制服の上に、生徒会長の紋章が入った深紅のマントを羽織っている。
第二王子、オルビス・フォン・エルドリア。
そして、その後ろには三人の側近らしき生徒たちが続いていた。
「おや、驚かせてしまったかな」
オルビスが優雅に微笑んだ。
「生徒会長として、禁書館の視察に来たのだが――」
「あ、兄貴!?」
アーガムが驚いて声を上げた。
「何しに来たんだよ!」
「何って、生徒会長の職務だよ。学園施設の安全確認は、私の重要な仕事だからね」
オルビスは穏やかに答えた。
でも――私の叫びの理由に気付いていないようだ。
「あの、本当に触らないでください!」
私は再び叫んだ。
オルビスの側近の一人――背の高い、神経質そうな青年――が、禁書館の本棚に手を伸ばしていたのだ。
「え? これ? ただの本でしょ?」
「それは『触れると呪いを発動する魔導書』です! 触ったら大変なことに――」
私の警告が終わる前に、側近の手が本に触れた。
瞬間――
ビリビリビリッ!
青白い電撃が、側近の体を駆け巡った。
「ぎゃああああああ!」
側近は悲鳴を上げて、その場で痙攣し始めた。
そして――
モクモクモク……
彼の髪が、煙を上げながら逆立ち始めた。まるで、雷に打たれた人のように。
「な、何だこれ!?」
「電撃呪詛です! 早く解呪しないと、しばらくあのままですよ!」
私は慌てて駆け寄った。
「《静めよ、荒ぶる雷――カーム・サンダー》《解呪――ディスペル》」
二つの魔法を連続で唱える。
電撃が収まり、側近の体から煙が消えていく。
「はあ……はあ……」
側近は床に倒れ込んだ。
髪は完全に逆立ったまま、顔は真っ黒に煤けている。
「大丈夫か、ラザール!」
オルビスが心配そうに駆け寄った。
「も、申し訳ございません、オルビス様……」
「いや、私が事前に注意すべきだった」
オルビスは自分の側近を起こしながら、私に向き直った。
「助けてくれてありがとう。君が……ネイサ・フィルメント、だったかな?」
「は、はい……」
「素晴らしい魔法制御だ。咄嗟に二つの魔法を使いこなすとは」
彼は感心したように言った。
でも――
その瞳が、私を値踏みするように見ている気がした。
「改めて自己紹介しよう。私はオルビス・フォン・エルドリア。生徒会長を務めている」
オルビスは優雅に一礼した。
「こちらは私の側近たち。ラザール・グレイ、セリーナ・ローレンス、ダミアン・ブラック」
三人の側近が順番に頭を下げた。
ラザール――さっき呪いを受けた青年――は、まだ髪が逆立ったままだ。
セリーナは、黒髪のショートカットで、鋭い目つきをした女性。
ダミアンは、筋肉質で無口そうな大男だ。
「で、兄貴。視察って、具体的に何すんの?」
アーガムが警戒するように聞いた。
「安全確認だよ。最近、禁書館に侵入者が出たと聞いてね。心配になって」
「ああ、それは……」
「君たちが撃退してくれたそうだね。流石だ、弟よ」
オルビスは優しく微笑んだ。
でも、どこか作り物のような笑顔だ。
「別に、俺だけじゃねえよ。ネイサも頑張ったし」
「そうか。では、二人とも素晴らしい働きをしているんだね」
オルビスの視線が、私に向けられる。
その瞬間――
背筋に冷たいものが走った。
この人の魔力――
どこか、歪んでいる。
普通の魔力とは違う。まるで、闇に染まったような――
「ネイサ? どうした?」
アーガムの声で、我に返った。
「い、いえ。何でも……」
「そうか? 顔色悪いぞ」
「大丈夫です」
私は笑顔を作った。
オルビスは何も言わなかったが、私が動揺していることに気付いているようだった。
「では、館内を案内してもらえるかな? 安全確認をしたいんだ」
「あ、ああ……分かった」
アーガムが渋々頷いた。
館内の案内が始まった。
オルビスは優雅に本棚を見て回り、時々質問をした。
「この辺りは、どのカテゴリーの書物かな?」
「第一カテゴリーです。古代魔法の書が並んでます」
「ふむ。管理は適切に行われているようだね」
オルビスは満足そうに頷いた。
その後ろで、側近たちが館内をチェックしている。
セリーナは本棚の配置を記録しているようだ。
ダミアンは、無言で壁の魔法陣を観察している。
ラザールは――まだ髪が逆立ったまま、恨めしそうに魔導書を見ている。
「なあ、兄貴」
アーガムが不満そうに言った。
「なんで側近まで連れてきたんだよ。俺とネイサだけで十分だろ」
「ダメだよ、弟。複数の目でチェックしないと、見落としがあるかもしれない」
「でも――」
「それに」
オルビスは少し真剣な表情になった。
「君たちが危険な目に遭っていると聞いて、兄として心配なんだ」
「心配……?」
「ああ。侵入者が現れたんだろ? もし君に何かあったら、私は――」
オルビスの声が、わずかに震えた。
演技だろうか。
それとも、本心だろうか。
「兄貴……」
アーガムの表情が、少し柔らかくなった。
「悪い。心配かけて」
「いいんだよ。ただ、無理はしないでくれ」
オルビスはアーガムの肩に手を置いた。
「君は、この国の大切な王子なんだから」
その仕草は、優しい兄のものだった。
でも――
私には、分かった。
オルビスの手に込められた魔力が、わずかに乱れていた。
まるで、何かを抑え込んでいるような――
「オルビス様」
セリーナが呼んだ。
「第二カテゴリーの確認が完了しました」
「そうか。ご苦労様」
オルビスはアーガムから手を離した。
「では、第三カテゴリーも見せてもらえるかな?」
「第三カテゴリー?」
私は思わず声を上げた。
「あそこは、最も危険な魔導書が保管されている場所です。一般の方は――」
「私は一般ではないよ」
オルビスが微笑んだ。
「第二王子であり、生徒会長だ。見る権利はあるはずだが?」
「それは……そうですが……」
私は困った。
確かに、王族なら立ち入る権限はあるだろう。
でも、何かが引っかかる。
「ネイサ、いいぜ。案内しようぜ」
アーガムが気軽に言った。
「でも……」
「平気平気。兄貴なら信用できるし」
アーガムは、自分の兄を疑っていないようだ。
私は仕方なく頷いた。
「分かりました。では、こちらへ」
第三カテゴリーは、禁書館の最奥にあった。
鉄格子で囲まれた部屋。扉には、複雑な魔法陣が刻まれている。
「ここが……」
オルビスが感嘆の声を上げた。
「素晴らしい防御魔法だ。この魔法陣、少なくとも20層は重なっている」
「よく分かりましたね」
私は驚いた。
普通の魔導士では、この魔法陣の構造を見抜けない。
「私も魔法の研究をしているからね」
オルビスは微笑んだ。
「特に、古代魔法には興味がある」
「古代魔法……」
「ああ。失われた技術、封印された知識――それらを解き明かすことが、私の趣味なんだ」
彼の目が、わずかに輝いた。
その輝きが――
どこか、危険な光に見えた。
「中には入らないでください」
私は釘を刺した。
「あそこには、触れただけで命を落とす魔導書もあります」
「分かっているよ。外から見るだけだ」
オルビスは鉄格子に近づいた。
そして、中を覗き込む。
「……これは」
彼の表情が、一瞬変わった。
驚き? いや、違う。
まるで、何かを見つけたような――
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
オルビスはすぐに表情を戻した。
「素晴らしい蔵書だね。これらが悪用されないよう、しっかり管理してほしい」
「はい」
「では、視察はこれで終わりにしよう」
オルビス一行が帰った後、私とアーガムは禁書館に残された。
「ふう……疲れたな」
アーガムが伸びをした。
「兄貴、ああ見えて結構細かいんだよな」
「そうですね……」
私は浮かない顔をしていた。
「どうした? 元気ねえぞ」
「いえ……ただ、気になることが」
「何が?」
「オルビス様の魔力……何か、違和感がありました」
「違和感?」
「はい。普通の魔力とは違う、何か……歪んだような」
アーガムは首を傾げた。
「俺には分かんなかったけどな。兄貴、普通だったぞ」
「そうですか……」
もしかしたら、私の気のせいかもしれない。
でも――第三カテゴリーを見た時のオルビスの表情。
あれは、何かを企んでいる顔だった。
「まあ、気をつけるに越したことはねえな」
アーガムが私の頭をぽんぽんと叩いた。
「お前が言うなら、何かあるんだろ。俺、お前の勘を信じるから」
「……ありがとうございます」
彼の言葉に、少し救われた気がした。
その日の夜、寮の部屋でランスと話していた。
「あの人……危険だわ」
「オルビスのことか?」
「ええ。表面上は優しい兄を演じているけど、内側に何か恐ろしいものを隠している」
私はベッドに座りながら、今日のことを振り返っていた。
「魔力が歪んでいた。普通の人間の魔力じゃない」
「禁呪でも使ってるんじゃないか?」
「その可能性はあるわ。それに、第三カテゴリーを見た時の表情……明らかに何かを探していた」
「厄介だな」
ランスが尻尾を揺らした。
「師匠に報告した方がいいんじゃないか?」
「そうね……今すぐ報告するわ」
私は魔法通信を起動した。
「師匠、報告があります」
水晶に映し出された師匠の顔は、いつも通り厳しかった。
「何だ?」
「本日、第二王子オルビス殿下が禁書館を視察に訪れました」
「……オルビスが?」
師匠の表情が、わずかに変わった。
「理由は?」
「生徒会長としての職務、とのことです。安全確認のためだと」
「ふむ……」
師匠は考え込んだ。
「で、お前の印象は?」
「危険です」
私は断言した。
「彼の魔力は歪んでいます。何か、禁じられた魔法を使っている可能性があります」
「具体的には?」
「分かりません。でも、間違いなく普通ではありません。それに、第三カテゴリーの魔導書に異常な関心を示していました」
「……やはりか」
師匠が呟いた。
「やはり、とは?」
「実は、王宮でも第二王子の動きを警戒している。彼は表向きは優秀な王子だが、裏では怪しい動きをしているという情報がある」
「怪しい動き?」
「禁呪の研究、闇魔法の蒐集――そういった噂だ。確証はないが、無視できない」
師匠は真剣な表情で言った。
「ネイサ、お前の任務を追加する」
「はい」
「第二王子オルビスの動きを探れ。ただし、絶対に気付かれるな」
「承知しました」
「それと」
師匠が付け加えた。
「アーガム王子を、オルビスから遠ざけろ。彼が弟を狙っている可能性がある」
「分かりました」
通信が切れた。
私は深く息を吐いた。
「大変なことになったな」
ランスが言った。
「ええ……でも、やるしかないわ」
「お前、本当にアーガムのことを守りたいんだな」
「当たり前よ。それが任務だもの」
「任務、ねえ……」
ランスは意味深に言った。
「本当に、それだけか?」
「何が言いたいのよ」
「いや、別に」
ランスはくるりと背を向けた。
「ただ、お前の顔が、最近変わってきたなって思ってさ」
「変わった?」
「ああ。アーガムの話をする時、表情が柔らかくなる」
「そ、そんなこと……」
「まあ、いいけどな。お前が幸せなら、俺も嬉しいし」
ランスはそう言って、丸くなって眠り始めた。
私は一人、窓の外を見た。
月が、静かに輝いている。
アーガムの顔が、脳裏に浮かぶ。
彼を守らなければ。
オルビスから。
そして、他の全ての危険から。
それが、私の使命だ。
でも――
ランスの言葉が、頭から離れなかった。
「本当に、それだけか?」
私は、自分の心に問いかけた。
アーガムを守りたいのは、任務だからか?
それとも――
いや、考えるのはやめよう。
今は、任務に集中しなければ。
私はベッドに横たわり、目を閉じた。
明日から、新しい任務が始まる。
オルビスの監視。
これは、きっと困難な道になるだろう。
でも、私は諦めない。
アーガムを、必ず守ってみせる。
その決意を胸に、私は眠りについた。




