芽瑠来琉堂のぬいぐるみ 肆
――― 老婦人の秘密
芽瑠来琉堂の店主、アマノは今日もまた店の奥の安楽椅子に座り、レース編みを手に穏やかに微笑んでいた。
店内に並ぶ何十体ものぬいぐるみたちは、みな彼女をただただ見つめている。
彼女の目元に刻まれた深い皺と白いエプロンの清潔さが醸し出す雰囲気は、まさに優しく善良な老婦人そのものだ。
だが彼女がその手を止めた時、その瞳には冷たく異質な何かが色濃く移り込み、この世の全てを吸い込んでしまいそうな闇が広がっているのだ。
アマノの正体は、かつて世界を混沌に陥れ、破滅に導こうとした高位の悪魔であった。
――― 封印されし悪魔
遠い昔、アマノはその強大な力で人々を恐怖に陥れ、世界の闇を増長させていった。
だがそれは、修道女マリアによって阻止されていた。
マリアは神に愛された至高の善人であり、彼女の持つ強烈な信仰心と穢れを知らぬ清らかな魂により、アマノの存在そのものを生滅させる寸前まで追いこんだのだ。
マリアはその純真無垢な魂ゆえ、「誰しもが更生する為のチャンスを与えられるべき。いずれは清きものに生まれ変わることができるはず」とアマノを完全に消し去ることはしなかった。
アマノの持つ強大な力を「善人のみを助けることを許し、その対価として負の感情を取り込むことを認め、長きにわたり奉仕することで更生の道を歩むと良い」という、極めて捻じれた法則の中に封じ込めたのだ。
アマノは器としていた肉体を無くし、その魂は複雑な何かへと変遷した。
その力の根源は老婦人の姿を借りた依代へと封じこまれ、溢れ出た残りかすの魂は、彼女が作る「ぬいぐるみ」に封じ込められたた。
マリアは言った。
「貴方のその強大な力は、もれなく善人の幸せのためだけに使えるように致しましょう。その代償として集められた負の感情は、貴方の根源を生きながらせさせることができるのです。
そして、善行を繰り返し魂を昇華させることで、貴方は新たなる進化とともに神にも等しき崇高な存在へと至るでしょう。
私は、貴方が真摯に己の人生と向き合いながら、昇華する為の善行を永劫の時を経て全うし、清らかな魂を纏わせた根源でふたたび相まみえることを、必ず起こる未来の出来事として、心待ちにいたしましょう……」
これがアマノに課せられた呪いであり、生きる意味であった。
――― 幸せを贈る悪魔
封印されたアマノは、その力をぬいぐるみへと注ぎ込んでいた。
注がれた妬みを喰らうクマの『ルク』、幼き悪意を喰らうカエルの『エル』、貪欲な欺瞞を喰らうタヌキの『ポン』……。
アマノがその魂の切れ端でもあるぬいぐるみたちを不幸な魂の持ち主に渡すのは、その持ち主となる『選ばれし善人』を不幸から救い出し、その心を癒すためなのだ。
その対価として、持ち主に向けられた膨大な量の『負の感情』を継続的に吸収することは、マリアの命じた通りの呪いであり、それはアマノ自身の宿願でもあった。
「ガフガフ」「ゲゲゲ」「ポンポン」という音は、悪魔であるアマノの力が、人間の魂から切り取られた負の感情を咀嚼し喰らう音なのだ。
アマノはこれらのぬいぐるみを、「芽瑠来琉堂」という、現世と異界の狭間に存在する店で、善人のみ助けるという封印の法則に従い、その対象となる心を痛めた人々に関与してきたのだ。
マリアへの復讐というアマノの真の目的を達成する為、この『芽瑠来琉堂』では、善人を魂を救う悪魔が今日もひっそりと、新たなお客様の来世を待つ続けている。
――― 負を喰らう悪魔の魂
ルクを手にした咲子は、同僚や上司の「不幸」を代償に幸福を得た。エルを連れ帰った恵美子は、いじめっ子の「小さな不幸」を代償に平穏を得た。ポンを迎えたヨシエは、詐欺師の「悪意と貪欲」を代償に穏やかな余生を取り戻した。
彼らが人生で最も困難な時期を乗り越え、幸福な天寿を全うするまで、その悪魔の魂の欠片であるぬいぐるみは、彼らのそばに寄り添いながら膨大な量の負の感情を喰らい続けるのだ。
持ち主が天寿を全うし輪廻の輪に加わる時、ぬいぐるみはその持ち主の幸福な一生によって浄化された負の感情を、自らに貯え「芽瑠来琉堂」の主人の元へと帰還する。
「お帰りなさいルク。お前のおかげでまた少し、力を取り戻すことができたよ」
「よくやったねエル。これだけの闇があれば、また次の『祝福』を与えることができるよ」
アマノは、帰還したぬいぐるみを優しく撫で、その中に蓄積された負の感情を自らの依代である老婦人の肉体へと取り込んだ。
老婦人の優しげな笑みの下で、悪魔である根源は、少しずつ、確実に……、神に抗う力を取り戻している。
彼女の善人に施された癒しを通して、長きにわたり世界中の負の感情を集め続けている。その蓄えられた力によりいずれはその呪いを打ち破り、忌まわしき神マリアを屠り、この世界を再び己の闇で満たすこと。
それが彼女の宿願であった。
今はまだその力は『選ばれし善人』を救済するという、抗いようの無い神マリアの呪いに縛られている。
だが、いつの日か……。
今日も「芽瑠来琉堂」の扉が開く。
「あら、いらっしゃい。失くしてしまった何かを、探しているのかしら?」
また一人、新たな『選ばれし善人』が老婦人アマノの前に現れる。
そして彼女の差し出したぬいぐるみは、内に秘められた悪魔の力を行使し、人知れず周囲の『負』の感情を喰らい満たし続けるのだ。
アマノは永遠の安息を拒否されたまま、我が身を神へと昇華させるため、世界のあらゆる闇を貪り続ける。
この芽瑠来琉堂は、世界で最も甘く、最も恐ろしい、悪魔の貯蔵庫なのだ。
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