芽瑠来琉堂のぬいぐるみ 参
――― 奪われた老後
夕焼けが長閑な田畑に長く伸びる頃、田中ヨシエ(78歳)は疲れきった足取りで、町の警察署を後にしていた。
手には何の解決にも繋がらなかった事情聴取の際の書類が握られている。悔しさで思わず手に力が入り、すでにシワだらけとなっている。
「まさか私がこんな事件に巻き込まれるなんて……」
息子を名乗る電話を信じ切ってしまった。
息子が困っているのだと聞けば、親としては何とかしてやりたい……、その一心だった。
気が付けば、老後の資金として身を切る思いで蓄えてきた1000万円が、あっという間に見知らぬ口座に振り込まれ、すでにこの口座からは引き下ろされているという。
若い警察官が面倒そうに言った。
「残念だけど、回収は難しいですかねー」
その言葉がヨシエの胸に重くのしかかる。
希望も生き甲斐も、人生のすべて奪われたような喪失感に、ヨシエの背中は丸くなり、心は真っ暗な闇だけが広がっていた。
失意を心に纏わせながらヨタヨタと歩くヨシエ。
町はずれの薄暗い路地裏を眺めたヨシエは、ポツンと灯る暖かな光が映り足を止めた。長くこの町で生きてきたけど、こんなところにお店なんてあっただろうか?
そう感じながらその古びた木造の雑貨店、「芽瑠来琉堂」というお店の前まで足を進めた。ヨシエは吸い寄せられるようにその店の扉を開け、明るい店内へ足を踏み入れた。
「あら、いらっしゃい。お疲れのようですね?」
優しい笑顔の老婦人がそこに立っていた。
店内は、木工品やレース、そしてたくさんのぬいぐるみで溢れ、独特の甘く懐かしい香りがした。
「何か心が安らぐものを、探しているんじゃないかい?」
老婦人は優しくヨシエの手を取り、奥の棚へと案内をした。
そこにちょこんと座っていたのが、ずんぐりとしたお腹が特徴的な茶色のタヌキのぬいぐるみだった。
大きな瞳はどこか愛嬌があり、大きな尻尾はふさふさと立っている。
「この子はね、『ポン』というんだよ。この子ときたらね、騙そうと近づいてきた嘘つきの心を透かして、持ち主が奪われた全てを取り戻すために化かしちゃうのが得意なのさ」
老婦人の言葉に警戒を強めるヨシエ。なぜそんなことを……、そう思ったヨシエに、老婦人は優しく微笑みポンをその腕に押し付けた。
ポンのずっしりとした重みがヨシエの心に不思議な安堵感をもたらてゆく。
この老婦人の言う通り、この子なら自分の失ったものを取り戻してくれるかもしれない?そんな気がした。
ヨシエはポンを連れて帰ることにした。
――― ポンポン、という音
その夜、ヨシエはいつものように寝室で眠りに落ちた。その部屋にある仏壇の隣の低い棚の上には、ポンが満足そうに座っている。
日付が変わる頃。
「ポンポン……、ポンポン……」
ほんの小さな音がする。
何か良からぬものを祓ってくれるような優しい音が部屋中に響きわたった。ヨシエはその音でうっすらと意識を覚まし目を開ける。
おぼろげな意識の中、ポンが机の上で楽しく踊っているように感じる。
「ポンポン……、ポンッ!」
音のする方へ目を凝らすと、ポンのずんぐりとしたお腹がまるで何かを叩きつけるかのように弾ませながら「ポンポンポン」と音を立てている。
その小さな手には何も持ってはいないが、ヨシエを騙した者たちの『貪欲な心』や、彼女をカモと見下した『悪意の塊』が、まるで小さな黒い霧となってポンの周りに集まり、大きな口を開けたポンに喰らわれているように見えた。
ポンは少し苦しそうに、けれど満足そうにその悪意を「ポンポンポン!」と音を鳴らしながら飲み込んエいく。
ヨシエはその不思議な光景に怖くなるどころか、音と一緒に踊り出しそうなほど心が弾んてしまうように感じた。
「ポホンッ……」
そしてポンは再び静かになり、そのまま眠ったように動かなくなった。
翌朝、ヨシエは久しぶりに清々しい目覚めを迎えた。
鏡に映る自分の顔はまだ少し疲れているものの、昨日までの絶望感は薄らいでいる気がした。
「昨日の夜、何か楽しい夢を見ていたような?」
どうやらヨシエは昨夜の事をまったく覚えていないようだ。
――― 奪われたもの、取り戻したもの
数日後、ヨシエの家の電話が鳴った。
「もしもし、田中様でいらっしゃいますか? わたくし〇×銀行の者なのですが、先日田中様が送金された件でいくつか確認したいことがございまして……」
また詐欺かも……。
そう警戒したヨシエだが、頭の中でポポンと楽しい音が聞こえた気がした。
棚の上を見ると静かに座っているポンと目があった気がしたヨシエ。
警戒しながら話を聞くとその相手は詐欺師ではなく、本当に老後の資金を預けていた銀行の人に思えた。
詐欺グループの口座が凍結され、ヨシエが送金した履歴が確認されたため、返還手続きを進めたいという連絡だったのだ。
「不安を覚えるのは当然なので、時間のある時にこちらへお越しいただけますか?」
そう言われてやっと信じることができたヨシエ。
「本当に、本当に戻ってくるんですか?」
何度も聞き返してしまう。
警察では回収は困難と言われたばかりだったのに。嬉しくて涙が出てしまったヨシエは電話口の銀行員に宥めらられ、午後にも一度窺うと約束をして電話を置いた。
午後にはその銀行の支店長である正木という男性行員に話を聞いて、書類を書いた後、自身の口座にお金が戻ってきたのを確認し、また涙が溢れてしまった。
だがしかし、ヨシエの元には新たな詐欺師たちが次々もやってきていた。
どうやら捕まった詐欺師グループのカモリストが、すでに他のグループにも共有されてしまっていたようだ。
今日も健康食品の無料サンプルを届けに来た2人の男性は、執拗に高額なサプリメントを売りつけようと彼是と説明を続けていた。ヨシエが強く断ってもなかなか帰ろうとしない強引な男達。
ヨシエがどうしようかと泣き出しそうになった時、脳内で『ポンポン、ポンポン!』と強く叩かれたような音が聞こえた気がした。
ちらりと仏壇横を見るが、ポンはもちろん動き出したりはしていない。
だが先ほどまでセールストークを続けていた男達は、なぜか真っ青な顔をして、「失礼しました!」と叫んで逃げ出してしまった。ヨシエは思わずポンを抱き上げ、頭を撫で抱きしめた。
数日後、訪問販売の男が屋根の無料点検と称して上がり込んできた。あれこれと室内を物色し、あらぬ欠陥をでっち上げ、高額な修理契約を薦めてくるその男性販売員。
嫌気がさしてため息をついたヨシエの脳内で『ポンッ!ポポンッ!』と強い音が鳴り響いたと感じたヨシエ。そして口を閉じ立ち尽くす販売員をじっと見つめる。販売員は「ご、ごめんんさーい!」と逃げ出した。
「あらあら……、本当に、この子は私の守り神様ね。ありがとう、ポン」
ヨシエは抱き上げたポンをふたたび撫でまわした。
そのお腹は、少し膨れ上がっているような気がしたが、多分気のせいでしょ?と思いながら、ヨシエはポンを抱き抱えながら鼻歌を歌っていた。
「頭の中で悪魔が笑うと、体の中がポンと弾けてしまう!これ以上は無理なんだよ!早く助けてくれよ。医者を、いや、霊媒師でもなんでも良い!俺を助けてくれー!」
捕まった詐欺師グループのまとめ役が、拘留されていた留置所で叫び失神したそうだ。他にも精神に異常をきたした者達もいるようたが、その話を聞いた署内の誰もが、「変な薬でもやっていたのだろう?」と特に気に留めずにいた。
その後も度々そのような言動を繰り返し弱って行く男達は、いつまで続くか分からない苦しみを耐え続けることになる。
そんなことはつゆ知らずのんびりとした生活を送るヨシエ。
ここ最近はヨシエを騙そうと忍び寄ってくる者達は現れてはいない。家の周りを物色する者達はなぜかヨシエの家を避けるように目をそらしてしまうようだ。
それはヨシエの家に飾られているタヌキの悪魔のおかげなのだろう。どうやらヨシエにとってポンがこの家の守り神になっていることは、疑いようの無い事実であった。
今日もまた穏やかな夜が来る。
仏壇の横からは今夜も、「ポンポンポン」という平和な守る悪魔の音が鳴り響くのだろう。
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