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[全九話]芽瑠来琉堂のぬいぐるみ ~ 善人だけが訪れる雑貨店 ~  作者: 安ころもっち


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1/9

芽瑠来琉堂のぬいぐるみ 壱


――― 幸せを呼ぶ雑貨店


 夜風が、高層ビル群の隙間をすり抜けていく。

 東京・丸の内の雑居ビルの片隅で、残業を終えた咲子(24歳)は疲れきった足を引きずっていた。


「またか……」


 スマートフォンには、課長からの嫌がらせめいたメール。


『君の報告書は読むに堪えない。どうせろくに寝てないんだろう?早く結婚でもして落ち着いたらどうだ?相手がいないなら考えてやらないことも無いぞ?』


 保険会社の営業事務として働いている。

 咲子はもうすぐ2年になるがこの殺伐とした社会は彼女にとって常に墓場のようなものだった。上司からは毎日小言を言われ、同僚からは目の敵にされている。


 心は常にささくれ立っていた。


 フラフラといつもと違う道を歩く。

 ふと目に入った路地裏の灯りに目を奪われた。


 まるで時代に取り残されたような小さな木造の雑貨店。看板には古風な文字で「芽瑠来琉(めるくる)堂」とある。


「こんな場所にこんなお店、あったかしら?」


 好奇心に引かれ、咲子は重い扉を開いた。


「あら、いらっしゃい」


 迎えてくれたのは、目元に優しい皺をたたえた白いエプロン姿の老婦人。

 店内は、木工品やレース、そして何十体ものぬいぐるみで溢れていて独特の甘い香りがした。


「疲れた顔をしているね。何か、心と体が安らぐものを探してるんじゃないかい?」


 老婦人は咲子の手を取り、奥の棚へ案内した。

 そこにちょこんと座っていたのが、一際年季の入ったクマのぬいぐるみだった。その毛並みは少し擦り切れ、片方の目がボタンで、もう片方は刺繍。


「この子はね、『ルク』というんだ。最近うちに来たばかりだけど、この子のことは私が一番よく知っている。この子ときたら、持ち主の不幸を食べることが大好きなのさ」


 その話に咲子は思わず笑った。


「不幸を?まるで悪魔みたいですね?」


「ふふ、違うんだよ。この子はね、持ち主が幸せになるために、そっと、こっそりと、不幸を食べてくれるんだよ。悪い気運、悲しい気持ち、嫌な出来事……。『ガフガフ』って言いながらね」


 老婦人は優しく微笑み、ルクを咲子の腕に押し付けた。

 古びたぬいぐるみは想像以上に温かかった。


 なぜか抗えず、言われるがままに咲子はルクを連れて帰ることにした。




――― ガフガフ、という音


 その夜、咲子はルクをベッドサイドの棚に座らせ、泥のように眠りに落ちた。


 日付が変わる頃。


「ガフガフ……、ガフガフ……」


 ほんの小さな、乾いたような音が静かに部屋に響いた。

 咲子は夢と現実の境目でうっすらと意識を覚ます。


 ルクが、棚の上で微かに震えている。


「ガフガフ……、ガフッ……」


 音のする方へ目を凝らすと、ぼんやりとだがルクが何かを懸命に食べているように見えた。

 その小さな手には何も持っていない。

 ただ咲子を苛んでいたあの課長の嫌味や、同僚の冷たい視線が作り出した、黒くてモヤモヤとした『負の感情』が、まるで小さな煙のようにルクの口元に吸い込まれていくように感じられた。


 ルクは、少し苦しそうに、けれどどこか誇らしげに、その負の感情を「ガフガフガフッ」と喰らっていく。


 咲子はその様子に恐怖を感じることは無く、心がじんわりと温かくなるのを感じた。


 まるで長い間こびりついていた汚れが、少しずつ剥がれていくような安堵感を覚えていた。


「ガフッ……、ガフガフッ!」


 そしてルクは大量の悪意を喰らった後、眠りについたように動かなくなった。


 翌朝、咲子は久しぶりにスッキリとした目覚めを迎えた。

 鏡に映る顔は少しだけ血色が良くなっている気もする。


「何か夢を見ていたような?」


 そんな感覚に微睡むが、さして気にすることも無く家を出た。




――― 幸せな副作用


 会社に行くと不思議なことが起こっていた。


 いつもの朝の挨拶で目を合わせてくれないはずの同僚が、一瞬だが「おはよ」と声をかけてきた。


 朝一番の課長からのメールはいつもの嫌味ではなく、ただの業務的な指示、最低限の要件のみが書かれていた。


「あれ?」


 昨日まで感じていたピリピリとした殺気のようなものが、確かに薄らいでいることが感じられた咲子。


 その日の午前中、またしてもスマホに課長からのメールが届いた。


「ガフ……、ガフ……」


 咲子にはそんな音が聞こえた気がした。



「ガフフ、ガフガフ!」


 咲子の誰もいないはずの部屋ではそんな音が響いている。


 咲子がメールを開くと、そこには「すまない、先の指示は私の勘違いだった。今日は最初のものだけをやっておいてくれ」という、いつもなら考えられないような内容が書かれていた。

 さらにそのメールの末尾には「追伸。コーヒーでも飲んで少し休憩しろ」という普段の課長からは絶対に送られてこない一文が添えられていた。


 咲子は、思わずガッツポーズをしていた。


「ルク……」


 思わずその名をつぶやく咲子。


 きっとあの課長が送る直前に心に浮かんだであろう「怒り」や「傲慢さ」を、全部食べてしまったのかな?そんな非現実的なことを考えてしまう。




 不幸を『ガフガフ』と食べ尽くすぬいぐるみ。

 そして持ち主の咲子を幸せにする。


 その目的の為、ルクは周囲の人々の心にあるトゲまで少しずつ削り取り丸く喰らっていった。その代償は……。


 咲子は与えられた指示を早々に終わらせると、休憩室でコーヒーを飲みながら肘をつき微笑んだ。


 その微笑みの代償が、咲子を不幸に貶めようとした悪意を向けた者達の不幸であることを知らずに。



 翌朝、課長の姿が見えないなと思いながらも朝礼が始まった。


 支社長が顔を出し、新たな課長を紹介していた。

 あの課長は急遽他県へ移動となったらしい。


 新しい課長は人当たりの良い人だった。


 それから数日、同僚の様子がおかしい。

 以前のように冷たい視線は無いが、なぜか私によそよそしく気を使っているような気がする。


 それでも仕事は順調だった。

 定時で帰れる日も多く、これなら多少の苦労も我慢できるだろう。


 精神的にも余裕ができた咲子は、今日もルクを可愛がりながら、毎日を邁進していった。




 この殺伐とした東京で、彼女の隣には夜な夜な彼女の心の埃を食べてくれるルクと言う名の悪魔がいる。


 今日も明日も明後日も、咲子の元には穏やかな夜が訪れる。


 そして今夜も、「ガフガフ」という幸せの音が響くのだろう。


ブクマ、評価、励みになります。感想お気軽にお書きください。


※なんだかずっぽり話が抜けていたようで、修正しました;

2025//10/16 18:00

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