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005

「ふざけんな!!」


 真珠の顔面を思い切り殴る。

 体重を乗せて真っすぐに振り抜いた拳は、鼻血と共に前歯を一本弾き飛ばした。


「い゛でぇっ」


 顔を抑えて蹲る真珠の髪の毛を掴んで引き立たせ、もう一度顔面を殴りつける。鼻の骨が折れたらしく、半ばで四十五度に折れ曲がった。


「ちょっと、杉石くん?!」


 会長が肩を掴み止めようとしてきたが、感情を抑えられそうにない。

 身を捩って振り解き、真珠の耳を引っ張って頭を引き寄せると同時に、こめかみに膝を突き立てる。

 焦点の定まらない瞳は脳が揺れている証だ。あと数発打ち込めば死ぬかもしれない。


「殺してやる……!」


 死んでも構わない。本気で人を殺そうと思ったのは初めてだ。

 ついに倒れ伏した真珠は、涙と血でぐしゃぐしゃになった顔面をそれでも庇おうと地面を転がるが、許すつもりは毛頭ない。

 胸倉を押さえつけて体を固定し、右目を目掛けて拳を振り落とす。

 熱い。

 真珠の血か、俺の体温かは分からない。ただ、頭は湯気立つほどに煮え尽くし、制御は効かない。理性さえもが、こいつを殺せと叫んでいる。


「あ゛、あん゛なヤ゛ツ、なんの役にもたたね゛ぇだろうが!!」


 喧しい口に拳を振り下ろす。

 残った前歯もへし折れて、地面に打ちつけた頭蓋骨から何かが決定的に壊れた音がする。

 最初からこうすればよかった。

 こいつが瑪瑙くんにしていたことは知っていた。ただ、彼は目立つことを嫌い、助けを求めなかった。自分が耐えれば何事もなく過ぎ去るのだとひたすらに口を噤む姿を前に、俺は踏み込むことができないでいた。

 いつか。いつか。

 先延ばしにした結果がこれだ。下劣なカスが生き残り、瑪瑙くんは死んでしまった。


「お前が死ねばよかったんだ」


 襟元を引き絞って頸動脈を締める。

 真珠の手がバタバタともがつくが、すぐに力を失い、顔が鬱血して水揚げされた深海魚みたいに膨れ始める。


「死んじゃうよ」


 金剛が俺の腕を掴む。上背があるせいか、女にしては力が強い。身を捩るだけでは外れず、腕を振り回してようやく離れる。


「なんだよ」

「瑪瑙くんが大事なんでしょ」

「あ? だから、瑪瑙くんをこいつが」

「瑪瑙くんは生きてるよ」


 感情の読めない仏頂面で、金剛は当たり前のように言った。


「だから今決めないといけないのは、学校に戻って瑪瑙くんを探すか、ここで待つか、コンビニに向かうかの三つ」


 こいつは何を根拠に話しているんだ。俺を早く動かすために出まかせを言っているのか。

 知ったことじゃない。会長や金剛と行動しているのは、騒ぎが起きた時にたまたま近くにいたからだ。助ける義理はない。

 何より、瑪瑙くんを軽んじて自分達だけ助かろうという魂胆が気に入らない。


「……だったら、俺は瑪瑙くんを探しに行く。あんたらは好きにしてくれ」

「わかった。じゃあ、わたしも行く」

「あ?」

「学校に戻るんでしょ? 早くいこ」

「ちょっと待てよ。あんたは俺に諦めさせるつもりで──」

「そんなこと言ってないけど」


 どういうことだ。俺に瑪瑙くんを諦めされるためにでまかせを言っているのではないのか。

 くそ。言葉が足りなすぎて会話が上手くいかない。

 金剛の感情の読めない顔を向けられるうちに、段々と頭が冷えてきた。


「あー……、質問変えるぞ。さっきから瑪瑙くんが生きてるって言い張るが、根拠でもあるのか?」

「瑪瑙くんは運が良いから。多分生きてると思う」


 なんだそりゃ。

 呆れて物も言えない。隣の会長も我慢ならなくなったのか、声を張り上げて割り込んでくる。


「そんな理由で皆を危険に晒すつもり!? 金剛もさっきの真珠くんの話を聞いたでしょう!」

「大丈夫だと思うけどな。あ、ほら」


 金剛が通りの先を指す。先を追って視線を上げると、物陰からこちらを伺う人影が見えた。

 こじんまりとした小動物のような立ち姿を、見間違えることはない。


「まっ、待たせて、ごめんなさい」


 瑪瑙くん。


「瑪瑙くん!」


 本当に生きていた。

 感情が一気に反転し、彼のもとへ無我夢中で駆け寄る。


「無事で、よかった」


 白の下着シャツだけになった小さな体。

 一体どれだけの危険を潜り抜けたのだろう。彼が生きていた安心と、何もできなかった自分の不甲斐なさがこみ上げて、涙が出そうになる。


「ごめん。連絡できたらよかったんだけど、杉石君の連絡先、知らなくて」


 こんなときでも、彼は自分を省みる。

 控えめにはにかむ頼りなげな表情に、自然と一歩、足が前に出る。


「あっ」


 俺が近づいた分だけ、瑪瑙くんが退がった。

 男同士とはいえ、近すぎたか。それとも、真珠の血で汚れたこの体のせいか。

 一時の感情に任せて不躾な振舞いをしたことに気がつき、一気に背筋が冷える。


「あっ、違くて。その、僕に近寄らない方がいいと思う」


 瑪瑙くんは俺を拒絶したわけではないらしい。

 安堵するのも束の間、瑪瑙くんの動きが気になった。

 ワタワタと手を振り否定しつつも、然りに後ろを確認している。何かを隠しているのだろうか。


「後ろに何かあるの?」


 金剛が端的に聞く。視線を一身に受け観念した瑪瑙くんは、親に隠し事を打ち明ける子供のように、おずおずと横にずれる。


「は」


 瑪瑙くんの後ろには、JCがいた。


「なんか、懐いちゃって」


 申し訳なさそうに言う瑪瑙くんの腕を、JCが絡め取る。そいつは潤んだ瞳で彼の顔を見つめたかと思うと、急に唇を合わせた。


「んむっ」


 啄むようなキスを繰り返し、一呼吸置いて深く交わる。

 長く、唾液を流し込む濃厚なそれを受けても瑪瑙くんは目を白黒させるだけだ。


「……破裂しない?」


 会長がポツリと呟く。

 JCの体液を摂取しても、感染しない。

 それは地獄と化したこの世において、最も価値のある証明であった。

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