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002

 もう一人の美少女はどこから来たのだろう。

 全裸の少女が抱きついたと思えば先生が破裂し、ついさっきまで立っていた場所に突如としてもう一人、少女が現れた。見たままの感想を言うなら、体育教師が美少女に生まれ変わった。

 中年男性から生まれた美少女。

 現実と呼ぶにはあまりに唐突で異常な光景に、下世話な野次馬も言葉を失う。異変に気付かず愚直に授業を続ける教師の怒声が虚しく響き、日常と非日常の混在に脳がついていかない。

 二人の美少女が手を取り合う姿は、ただ美しく思える。白磁の如き肌に血飛沫を散らせ、血溜まりを裸足で歩く猟奇的な一場面にも関わらず、僕の頭は泉のほとりで戯れ合う妖精を連想している。これだけ近く、直線距離で言えばたかだか数十メートル先で、人が訳も分からず死んだというのに、まったく実感が湧かない。

 それは他の生徒、教師も同じようだ。手を繋ぎ、仲睦まじく歩く二人の美少女は、誰に止められることもなく校舎に入る。

 それから数十秒後、東棟の一階。

 一年生の教室が集まる辺りで、破裂音が連続して響いた。


「いやああーーー!!」


 喉の使い方を思い出した誰かが叫ぶ。末尾のひび割れた金切り声にようやく意識が覚醒する。

 逃げなければ。

 一拍置いた危険信号を誰もが受け取った。

 それは焦りとなり、混乱を呼んだ。

 罵声と怒号、それと絶え間ない足音。

 一階の窓から次々と生徒が飛び出し、そのうちの何人かは半ばのところで破裂した。校舎の壁がバケツの中身をぶち撒ける勢いで赤色に染まり、逃げ惑う生徒達を塗り潰していく。

 そしてまた、美少女が生まれる。

 どうやら、破裂した人間全てが美少女になるというわけではないらしい。人数が合わない。

 しかし、破裂から美少女が生まれるのは明らかで、ならば、美少女は指数関数的に増えていく。

 校内が美少女で溢れかえるのは時間の問題だ。

 至る所で響き渡る騒音にせっつかれ、慌ててベッドから降りる。保健室の戸を開くと、目の前をひと固まりの生徒達が駆け抜けていった。

 勢いに気圧され腰が抜けそうになるが、遅れるわけにはいかない。学校のように細く長い廊下で構成される建物は渋滞が起きやすい。巻き込まれれば身動きも取れないうちに死ぬだろう。

 走る生徒達の背中を追って、西側に走る。

 息切れしながら廊下の端まで走り抜き、人混みの隙間から階段を見下ろし、驚愕した。

 人で埋まっている。横幅一杯にまで人が詰まっていて、それがずらりと階下まで続いている。

 無理に降りようとして人に潰される者や、押し合いの中で流血している者もいて、地獄の釜の様相と化していた。

 階段は使えない。

 ごった返した行列の後ろについても、校外に抜けられるのはずっと先だ。それに、美少女は一階から増殖を始めているはずで、先頭が接触すれば芋蔓式に全滅する。

 並んで待つ危険の方が遥かに大きい。何処かに隠れて機を伺うことにし、一先ず保健室に戻ろうと踵を返す。


「ぎゃあ!!」


 また犠牲者が出たのだろう、階下から誰のとも分からぬ悲鳴が響く。

 伝染した恐怖は集団を瞬く間に支配して、狂乱の渦に巻き込んだ。


「ひっ」


 人が逆流する。

 壁と形容しても遜色ない人の波が迫り、避ける場所もなく奔流に飲まれる。

 我先に行かんとする生への執着心に、他者を省みる余裕があるはずもない。僕は振り返ることもできずにただ流されていく。

 肩が、肘が、ぶつかり通り過ぎる。

 痩せた体に降り注ぐ容赦のない衝突は、苦悶の声を上げても止まることはない。誰かが振り上げた拳が顎先を叩き、視界が左に傾いた。

 揺れる意識の中、いつかテレビで見た群衆事故を思い出す。集団が人を圧し殺すなどあり得ない話と思ったが、その恐ろしさを身をもって知った。

 押され、倒され、踏み潰されて、塵のように死ぬ。

 僕には似合いの死に様だ。

 群衆事故の被害者には同情するが、多量の人の中に囲まれながら、孤独と無力を抱えて迎える終わりは、僕が生きる今とよく似ている。

 ここまで醜く生き長らえてきたが、悪意のない人々の混乱によって仕方なく殺されるのであれば、悔いはなかった。

 寧ろ笑えた。

 得体の知れない脅威が迫る中、全く関係のないところで死ぬ。死後の世界を信じてはいないが、もしも話し相手がいるのなら、土産に丁度いい馬鹿話だ。

 ゆっくりと目を閉じて、勢いを増す人波に身を任せる。痛みが熱となり、自然と膝の力が抜ける。


「瑪瑙くんっ!!」


 意識すらも手放そうとしたその時、襟首を掴まれ力づくで引っ張られた。

 脱力した体はゴム人形のように軽々と引き寄せられ、勢い余って床に放り出される。


「大丈夫か瑪瑙くん!」


 白いタイル張りの床。事務机とパイプ椅子。ホワイトボード。トロフィーや盾を並べたショーケース。

 激しく流れる人波とは打って変わって静謐とした室内。


「ギリギリだったな」


 額に汗を浮かべたクラスメイト、杉石(すぎせき)(きく)君が、気遣うように僕を見下ろしていた。

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