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びしょうじょ・ぱんでみっく!  作者: カシノ
破れた心

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19/26

019

 杉石君と別れてからおよそ三分が経った。

 外からは足音どころか物音ひとつ聞こえない。杉石君が身を挺して方解さんを引き付けてくれたおかげだ。


「……そろそろ行かないと」


 彼の献身を無駄にしてはいけない。太腿の感覚は未だ覚束ないが、今のうちに駐車場まで辿り着かなければ。

 幸い、外への恐怖は杉石君が刷り込んでくれている。建物から抜け出すことさえ出来たら、追っ手の心配はない。

 一呼吸おいて、そうっと外の様子を伺う。

 人の気配はない。しかし、逃げ込んだこの洋服店は吹き抜けの通路に面していて、階は二階、上と下から丸見えだ。少しでも面積を減らそうと四つん這いで進み、渡り廊下に設置された休憩用のソファに身を寄せる。


「ふう、ふう」


 目と鼻の先の距離の移動であるが、息が切れた。できることならずっと低い姿勢で進みたいが、僕の貧弱な体力では厳しい。見様見真似の隠密行動は早々に諦める。

 ソファを盾にして半分顔を出し、一階にある正面出入口を覗く。

 扉の両脇を挟むようにして、見張りが二人立っている。三十人という小さなグループ構成を鑑みれば厳重な守りだ。出入口は他にも東口、北口の二つがあるが、この様子だとどちらも警戒されているだろう。

 強行突破か。いや、それも難しい。

 見張りの二人は僕よりも体格がいい。見つかれば簡単に取り抑えられてしまう。不意をつこうにも、見晴らしがよく隠れ場はない。

 別の出入口を探すしかない。だが、そんな都合のいい場所があるのか。ソファの影に蹲って、必死に記憶を呼び起こす。


「あ」


 最初に案内されたバックヤード。

 あそこは他と比べてかなり広めに作られていた。詳しく見て回る時間はなかったが、ひょっとして資材の搬入口と繋がっているのではないだろうか。

 誰かが見張っている可能性はもちろんある。しかし、背の高い棚や荷物が多く、隠れ場所には困らない。警備の固い出入口に突撃するよりは可能性があるはずだ。


「よし」


 位置は覚えている。階を下る必要はあるが、ここからはそう遠くない。疲れた体に鞭を打ち、渡り廊下の先にある階段まで中腰になって走る。


「……ふ」


 階段に見張りはいない。息切れとは別の、安堵の息が漏れる。

 手摺のついた仕切りに凭れるようにして慎重に降る。そこから壁沿いに、食品売り場に向かって早足で歩を進める。

 目的地は見えているのに、距離が遠い。心臓がどんと胸骨を揺らし、酸素が欠乏した脳が視野の縁を黒く染める。見つかれば終わりの緊迫感に肌の触覚が研ぎ澄まされていく一方、精神に追いつけない体は節々が限界を訴えている。

 それでも。

 杉石君との約束を胸にひたすら足を動かすうちに、従業員用の扉に到達した。

 やった。

 気が緩んで座り込みそうになる。だが、安心するにはまだ早い。脱出するまでは一秒たりとも気が抜けない。物音を立てないよう細心の注意を払い慎重に扉を開き、空いたわずかな隙間に体を捩じ込んで素早く中を見回す。

 死角が多い。僕の侵入には気づかれていないようだが、反対に、どこで待ち伏せているか、そもそも人がいるのかさえも分からない。

 構うものか。ここまで来たら、突っ切るしかない。

 奥に向かって早足で進むと、明らかに大きいシャッターが見えた。トラックを横付けできそうなサイズだ。搬入口に違いない。足音が出るのも厭わず、全力で走り寄る。


 じり。


 シャッターに指をかけた直後、背後で床を踏む音がした。

 反射で振り返った先には、見知った彼が立っている。


「……瑪瑙くん」


 天河君。


「待て! 話を聞いてくれ!」


 彼は味方じゃない。急いでシャッターを上げる。

 が、持ち上がらない。僕一人では力が足りない。まごついているうちに、天河君が近づいてくる。

 捕まる。

 しかし、天河君は飛び掛かるようなことはせず、僕から数歩離れた位置で立ち止まった。戸惑うことしかできないでいると、彼は突然頭を下げる。


「その、突然追い回して悪かった。事情も知らずに、責めるような真似をして」


 油断を誘っているのか。いや、彼の身長は僕どころか杉石君よりも高い。僕を捕まえるのに小細工はいらない。

 なにより、視線を外した。

 天河君は直角に頭を下げ、顔は床を向いている。敵を目の前に急所を晒す人はいない。対話の意思があるのは本当だろう。

 シャッターから手を離して向き直ると、天河君はそろりと顔を上げる。


「……話、聞いてくれるか?」

「は、話すだけだ。方解さんを呼んだりしたらすぐに逃げる」


 声が上擦る。素人でも見抜けるはったりだ。けれど、天河君は距離を保ったままほっと息を吐き、額の汗を拭う。


「ありがとう。まず確認したいんだが、瑪瑙くんはJCに抗体があるのか?」


 嘘を吐くべきか。

 JCに詰め寄られるところは見られたが、幸いにも粘膜接触はしていない。誤魔化すことはできる。

 その場凌ぎの浅知恵が一瞬頭を過ぎるが、すぐに思い直す。どちらにしても僕の結末は変わらない。ならば、少しでも立場が良くなるよう正直であるべきだ。


「抗体じゃない。僕はすでに感染している」

「どういうことだ?」

「見た目が変わらないんだ。破裂もしてない。だけど、体液にはJCと同じ感染力がある」

「どうやって知った? 調べる方法なんて……まさか」

「天河君の考えている通りだよ。同級生に襲われたとき、指を噛んだら破裂した」


 天河君は暫し考え込んだあと、重そうに口を開く。


「でも君は、感染を拡大させるための行動はしていない。JCの味方じゃないんだよな」

「……そうだ」


 数秒、答えに間が空いた。

 思い出したのは、シャッちゃんとコンちゃんの姿。あの時の僕は彼女達の保護者になった気でいた。

 今は違う。

 茶髪のJCとの邂逅で甘い考えは正された。快楽に惑わされようと、JCへの危険意識は揺るがない。

 不自然な沈黙には天河君も気がついたようだが、正直な受け答えが功を奏した。彼は険しい顔になりながらも、はっきりと頷く。


「分かった。だけど、君を見逃すわけにはいかない。君の体は明らかに特別だ。信頼できる大人が管理しておく必要がある」

「……うん」


 僕の体には価値がある。いざというと時は気兼ねなく囮に使えるし、JCの脅威を目の当たりにした彼等が見過ごす道理はない。分かっていたことだ。


「僕のことはいい。でも杉石君は──」

「分かってる。君を守ろうとしただけなんだろ。大丈夫、皆んなにはちゃんと説明する」


 天河君の言葉に胸を撫で下ろす。

 杉石君が無事に脱出できて、食料を調達するラインも維持できるなら、思い残すことは何もない。厄介者が消えて玻璃さんも満足するだろう。

 どのみち今の生活は近いうちに限界を迎えていた。みんなが納得できる結末ではないものの、この体質の行き着く先としてはそれなりに上手く収まったと思う。


「とりあえず、方解さんのところに戻ろう」


 天河君の手招きに合わせて立ち上がる。

 杉石君にお別れを言う機会はあるだろうか。結局、彼の献身に応えられず裏切るような形になってしまった。許されるとは思わないが、一言だけでも謝りたい。


「あの、もう一つ頼んでもいいかな」

「ん? なんだ?」

「杉石君に挨拶したいんだ。天河君達と一緒にいることになったら、あんまり会えなくなると思うから」

「なんだ、そんなことか。瑪瑙くんに敵意がないのを分かって貰えば方解さんも手荒な真似はしないだろうし、会えないなんてことはないと思うが……でも、そうだな。こんな状況じゃどうなるか分かんないもんな。よし、ちゃんと話せる場を設けるよ」

「ありがとう」

「いいって。気にすんなよ。色々あったけど、これからよろしくな」


 天河君が優しげに笑い掛ける。その背後に、銀に光る残像が見える。


 かきん。


 硬質な高音が響くの同時に天河君の体が崩れ落ち、受け身も取らずに倒れ込む。

 へこんだ後頭部から流れるのは、ここ数日で見慣れてしまったJC特有の赤い液体ではない。

 赤く黒い、人間の静脈を流れる血液が淡々と広がっていく。


「瑪瑙くん」


 杉石君が立っている。彼はピンクの肉片がこびりついた金属バットを放り、動かなくなった天河君を跨ぐ。


「行こう」


 差し伸べられた右手には点々と赤色が散っている。

 ただ茫然とへたり込んでいると、手を掴まれて引き起こされる。


「そっち持ってくれ。せーので持ち上げるぞ」


 理解が追いつかない。

 それでも体は言われるがまま、シャッターの縁に指をかける。


「せーの」


 がらがらとアルミの蛇腹がけたたましい音を響かせ、空いた隙間から眩い日光が差し込む。

 暗いバックヤードの中を熱い光が照らしていく様子は、自由を感じさせると共に凄惨な現場を明らかにする。

 吹き込む真夏の緩い風。鼻腔を擽ぐる血の臭い。

 杉石君に連れられてシャッターを潜り、ようやく振り返る。

 天河君。

 彼は倒れ伏したまま動かない。破裂することもなく、うつ伏せで横たわっている。

 人が死んだ。JCとは無関係に、頭を殴られ殺された。

 人が死に、死体がそのままに残る、当たり前の光景が広がっていた。

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