空に向かって
どこの世界にも要領の悪い人間というものはいる。
「おはようございます」
そう言いながら入る仕事場。挨拶したところでまだ誰もいない。仕事が始まるまで2時間以上あるのだ。ならばどうしてこんなに早い時間に出勤したのかというと、こう言っては身も蓋もないが、私としてはどんなに急いでも勤務時間内に仕事を終わらせることができないので、こんなに早く来るのである。だから今日が初めてというわけでもない。ほとんど毎日この時間に出勤している。この時間であれば会社には誰もいないわけだから、自分のペースで仕事ができる。誰の言葉も気にしなくて良い。この誰もいない2時間が、安心して働ける唯一の時間だった。
しかしこの日、誰もいないはずの仕事場に、その女性職員は倒れていた。そこは小さなスペースに湯沸かしポットだけが置かれた、人一人がようやく作業できる程度の狭い給湯室。なぜ倒れているのかわからなかったが、そういえば昨日この女性も、仕事が間に合わないとあわてていた。勤務調整で今日が休みになり、残って仕事をすると話していた。
おそらく徹夜で働いたのだろうが、とにかくこの状況は問題だった。
直接話を聞いたわけではないが、精神が不安定で、時々病院に通っているという話は聞いていた。その職員が目の前に倒れている。目は開いているが話しかけても返事はなかった。それを見て、一緒に暮らしていた姉のことを思い出した。うつ病だった姉は時折体が動かなくなることがあった。意識はあるのだが、身体が言うことを聞かなくなるらしい。姉の子供たちが心配して起こそうとするが、時間がたてば動くようになるのもわかっていたから、放っておいてもらったらしい。子供たちは母が動けるようになるまで傍にいたという。
健康で元気な人が、体のどこにも異常がなくても、精神の状態によっては、そのように体がいうことを聞かなくなるのを私は知っていた。金縛りと同じようなものだろう。
理由はともかくその職員の体が動かない状況なのは理解出来た。自律神経の働きがおかしくなり、意識は起きているが体は動かないという事だろう。目は開いていて、私を警戒するように睨みつけている。しかし起き上がることはできないようだった。
そうなったらもう時間を置くしかない。彼は周りに危険なものがないのを確認すると、とりあえず何か伝えなければと思い「わかりました」とだけ伝えた。意識があるなら、きっと聞こえているだろう。肩を貸したり、手を引っ張ったりなどということもしないで、自分の仕事の準備にかかった。10分ほどして様子を伺いに給湯室に戻ると、彼女は何事もなかったようにコップを洗っていた。私は少し休んでいるように話して、朝の仕事を交代した。今日はもう、彼女は休日なのだ。
「気絶してました」
しばらくしたとき、そう言って笑っていた。時々倒れていることがあるのだという。私は少し迷ったが仕事の準備が終わると、給湯室の小さな椅子に座る女性に「上司に報告します」と伝えた。笑っていた女性の表情から笑顔が消え、不安が広がった。そして私から視線をそらすと、小さな声で「どうぞ」とだけ言った。
私としては、車の運転など、何か起こる前にと思ってのことであったが、その後その女性職員は事務所によばれ、病院での検査を命じられ、車の運転を控えるようにと言われ、部署も変わった。私と話すとき、特に変わった様子は見せなかったが、苦しい立場に追いやってしまったことが申し訳なく思えた。2か月ほど過ぎたとき、社内の回覧板で退職する事を知った。それからしばらくしたころ、仕事から帰ろうとする私に「お世話になりました」と頭を下げて、その後姿を見ることはなくなった。退職したのだ。
残ったのは後悔の気持ちだけだった。自分のしたことは間違っていない。もし報告しなかったとしても後悔しただろう。それでもなんとなく他にやりようがあったのではないか、上司に報告する前に、同僚と相談した方が良かったのではないかと、そんな気持ちが残った。要領の悪い自分のしたことが、本当に正しい行動だったのかと、自信が持てなかった。できることなら、あの場所に自分はいたくなかったと思った。
一人同僚の減った仕事場。自分の席に座る。世界が少し暗く見えた。同じ風景、同じ場所が、昨日までと違う気がする。
もしこの先の人生、彼女が不幸になったとしたら、その責任の一端は自分にあるのかもしれないと思うと、なんとなくやるせなかった。
まだその時は気が付いていなかった。自分が悪魔であるということに。
何者が自分を選んだのか、もともとそうであったのか、それはわからない。私が何をするわけでもない。ただ一人の人間として生活し懸命に生きているだけだ。悪魔である私の両親が怪物かといえば、そうではない。彼らは愛し合い、子を授かり、私を慈しみ育てただけだ。その存在が悪魔とは知らずに。
私が何をしただろうか。特にこれといって悪意があるわけでもない。ただどこか注意力が欠けている。自分の考えを伝えるのが苦手で、他人の話をうまく聞き取れない。もちろん相手の言っていることはわかる。内容もわかる。しかし正しく聞き取るのが苦手なのだ。会話に含む内容を瞬間的につかむことが出来ない。つまり不器用なのである。だから次から次へと話が進むと大切な報告を理解できなくて、迷惑をかける。慌てて急いで行動し、ひとつひとつの仕事が雑になったり、何かを壊してしまったりする。それはコップや機械といった物だけではない。人間関係や信頼といったものも含む。
自分が物事をうまく処理できないことを知っているから、頑張ろうとしすぎて、いらないことをしてしまったり、何が正しいのか判断に迷って、結局誰かに仕事を背負わせてしまったりする。私の意思とは関係なく、私がそこにいると小さな失敗が重なり、少しずつ周りとの調和が崩れていく。
「いつも早いね」
「ギリギリに来ると何か忘れるので」
朝声をかけられると、そう答えた。
「身体を壊すからそろそろ帰ったら」
「はい。でも自分は仕事が遅いので、もう少し残って帰ります」
夕方声をかけられるといつもそう答えた。
「ろくな仕事ができてないのに、残業して給料を多くもらってる」
そう言われることもある。だから自分から手当てを欲しがることはなかった。
私はいつも朝早く仕事に出て、何か忘れていることはないかと思い、休憩時間も仕事場の机から離れることはなかった。周りから見ると滑稽なことだったろうが、私は私の考えた順番でしか物事がうまく運べなかった。要領の良いやり方を誰かに教えてもらってもうまくこなせず、朝早く出てきて遅くまで残っても、自分の順番でやるのが、私にとって一番早いやり方だった。
いつも不安だった。毎日家へ帰ると、仕事の順番をノートに書き込んで、翌日の仕事に備える。眠るときには一度仰向けに眠る。何を願うでもなく、ただ天井しか見えない空を見上げて、そこにいるはずの誰かにいつも何かを願っていた。
分からないことは積極的に誰かに聞いた。聞かれた方は何度も同じことを質問されて面倒くさいだろうが、見ようによっては一生懸命に仕事に取り組んでいるように見えただろうし、事実そうではあった。私は誰よりも自分が物事をうまく行えないことを知っていたし、自分が他人に劣るのを理解していた。だからいつも努力した。実際にほんの少しだけ1日うまく過ごせることもあった。
でも努力ではどうすることもできないことがある。本当は悪魔だから、誰かの役に立つことなどできない。私にできることといえば “迷惑を減らすこと” そんなことくらいだったろう。
よく失敗した。箇条書きで書いたメモをみて、終わった仕事から赤ペンで線を引いて消していき、確実に行おうとしたが、それでも細かなミスをした。時折違う仕事が入り、仕事の順序がかわったり、一つの仕事をしているうちに誰かに話しかけられたりすると、次の仕事が分からなくなってしまった。新しい社員が入ってきても段取りが悪く、仕事を教えることはできなかった。とにかくどうしようもなく不器用だった。
仕事を覚えるために書籍を買って休日に読んだり、あまり頑張りすぎていると考えて、ゆっくり休む日を作ってみるが、休んでも不安になるだけで、休日にはならなかった。
なんとなく苦手な人がいるとうち解けようと話しかけるが、一つの話が終わると次の話題は天気の話くらいしか思い浮かばなくて、結局気まずくなった。私が用意した書類は自分で何度もチェックをして提出するが必ず訂正が必要だった。訂正して再提出しても、結局その訂正の仕方が間違っていて、さらに訂正を繰り返した。
私を気にかける人もいる。しかしそれは私が悪いということが前提だった。誰も私を導くことなどできなかった。私にとっては人に迷惑をかけることに悪意など必要なかった。私がそこにいる。その存在が周りを混乱させ、少しずつ日常が壊れていく。毎日それを見てすごした。
しかし完全に壊れることはない。完全に壊れる前に私がその場を立ち去るから。
何度目かの仕事を見つけ、また周りが私に疲れていくのを感じた。そこに至って、私は自分を疑い始める。自分の行く場所、自分のいる場所が必ずおかしくなるのだ。自分のいる場所で繰り返し悪いことが起こる。結局それは自分に問題があるということだ。
“自分は何なのだろう”
役に立たない自分。自分の存在する理由。中学生のときに考えたような、そんな答えのない疑問が、意味を奪っていく。
最初は自分を “曲がったネジ” なのだと考えていた。どこにもあてはまらないオーパーツで、その場しのぎで使うと、いつか全体を壊してしまう。不必要な部品。自分のいる場所はアクシデントばかりが起こる。まともな人間関係も作れたためしもない。何か自分の気がつかない欠陥が、自分の中にあるはずなのに、それが分からない。答えがほしくて人と話し、紹介された本を読んで、自分とあてはまるものを見つけても、そこに書かれた解決方法などすでに何度も試していることばかり。
答えは人の言葉にも、本の中にもなかった。その答えはある日突然鏡の前に現れたけれど。
ある風の吹く夜。目が覚めると、つけっぱなしのはずのテレビは消えていて、雨が窓に打ち付ける音が聞こえた。電気をつけようとするがスイッチを押しても部屋は明るくならず、窓の外を見ると、いつも点灯しているはずの街灯も消えていた。停電のようだ。寝る前に飲んだビールのせいかやたら喉が渇く。水を飲もうと立ち上がり洗面所に行くと、コップと歯ブラシが床に落ちていた。手探りで拾った歯ブラシのホコリを服でぬぐい取ったとき、突然稲妻が激しく光り、数秒後に雷鳴がとどろく。私は自分の目を疑った。もちろん稲妻にではない。洗面所の鏡に映った自分の姿にだ。
呼吸すらできない緊張。そこに誰かいる。何かがいるのだ。
そこにある姿が自分だとは思えなかった。続く雷の後、一瞬あたりが白く光る。鏡に映った姿は、なんと邪悪であっただろうか。険しい目、高すぎる鼻、長く伸びた耳、ごつごつとした皺くちゃな皮膚に突き出た頬骨。曲がりくねった角。皮膚の色も人間ではありえなかった。だがそれは奇妙なほど私の面影を残していた。どれほど醜くゆがんでいても、二つの目、一つの口、耳も鼻も、それは自分だった。次の瞬間にはその姿は元の人間の姿に戻っていたが、目をそらすことができず、鏡の自分を見るだけだった。
理解できないまま、部屋にもどる。消えていた明かりが戻り、テレビからは大雨注意の指定区域を読み上げるアナウンサーの淀みのない声。今見たものは現実なのか、それとも心が生み出した幻なのか。私を支配するのは自分への疑い。自己嫌悪が作った幻か、とうとう頭が壊れたと思えば理解できる。
ふと、私はテレビに目を向けると 「消えろ」 と念じた。するとテレビの明かりは消えた。次は壊れろと念じた。すると画面は突然砕け、液晶が床に散った。この瞬間からすべてが変わった。子どものころ、テレビのスーパーヒーローに憧れて、空を飛びたいと思った私は、机の上からジャンプして空を飛ぶ練習をした。どうしても飛ぶことはできなかったが。マジシャンが布をかぶりそれを取った瞬間には別人になったりしているのを見て、そんなことが本当にできたらと思ったこともあったが、出来るはずはなかった。けれどこの時、自分が悪魔であったと気がつき、それはできる。出来て当たり前だと感じたとき。私に不可能はなくなった。雨の降る道路に飛び出し、空を見上げた私は地上から離れて飛んだ。その感覚はまるで夢をつかむようだった。今さっきまで自分を恐れていたことなど忘れて、私は手にした能力に夢中になった。
遠く見えたビルの中をのぞこうとすると、突然ピントがあって、私は何キロも離れたビルをのぞくことができた。それはただピントがあうなどといった単純なことではない。壁があってさえ、見たいと思うものが分かるのだ。見えるのではなく、分かるのだ。体の色を変えたいと思えば好きな色に変わったし、自分を火の玉にしたいと思えば何の痛みも感じず炎となった。そして元に戻った時にはほんの少しの火傷もない。そのほかにも、思いついたことは何もかも試した。
この日のすべての夜が終わり、遠く水平線が白み始めたころに部屋に戻ると一度眠った。そして翌日の夜も同じことが出来たとき、疑う理由はなくなった。自分は “曲がったネジ” ではなかった。「私は悪魔だ」 そう理解した。
夜が明けると私は仕事に向かった。いつもと変わらない。できるだけ失敗しないように、出来た仕事からメモ帳に書いた箇条書きを消していった。誰かの指示を受けると付箋に書いて机に貼った。汚いから剥がせと言われればはがした。時折ミスをすると、「何度言っても無駄だ。お前はどうせ間違える」 などと、気の合わない同僚に言われたりもしたが、気にならなかった。そんなことを言われて良い気持にはならなかったが圧倒的な力を手にして、余裕ができたからか、言われたことは正しいと思えた。
その日の仕事が終わるとまっすぐ家に帰り、その日言われたことを仕事用のノートに書き加えた。そしてまた、翌日の仕事を小さなメモ帳に書き留めていく。小さい方のメモ帳は常に持ち歩いた。その作業はその日だけではなく毎日続いた。
ある日、日中にやりきれなかった仕事を終わらせ時計を見ると夜の10時を回っていた。終電に間に合うように戸締りをして職場をでる。近道につかえる人気のない公園を突き抜けるように走っているとき、ふと足を止める。そこには何もない。こんな夜中、誰もいないはずのこの時間。「誰かがいる」私には分かった。好奇心と恐怖。誰かが誰かに襲われている。人には聞こえないはずの音や感覚を私の五感は感じていた。私には見える。若い女性が男に襲われ林に引き込まれる姿が。そしてその場所もこの場所からそう遠く離れてはいない。無表情であった私の口元に笑みがこぼれる。ずっと私はこの時を待っていたのだ。自分の持つ悪魔の力を、もし人助けのために使えたなら、きっと誰かの役に立てると考えていた。今まさにその時が来たのだ。私はすぐにその場所を目指した。道を駆け、林の中に分け入っていくと、そこには一人の女性と、三人の男性がいた。男はそれぞれ若い女の両手と両足を抑え、残った一人が女の口に布を詰め込み声が出ないようにしている。見たところ、若い女の衣服は乱れ、男たちは今まさに服を引きはがし、欲望を満たそうとしているところだった。だが草木の擦れる音をきいて男たちは動きを止める。林の陰から現れたものを見て、驚いたというより、固まっていた。私はすでに悪魔の姿に変わっていたし、それは西洋の映画にでも登場するような、現実にはありえない化け物、恐怖の異形だった。それが目の前に現れたのだ。クマやライオンが突然目の前に現れたほうがまだ理解もできただろう。
後は簡単だった。緊張に耐え切れなくなった最初の金髪が奇声をあげてむかってきたが、片腕で払い5メートルほど吹き飛ばす。残りの2人は腰が抜けてその場から動くこともできなかった。失禁もしている。右腕に彫られた 「最強」 のタトゥーが恥ずかしげだった。
特に痛めつける必要もない。二度と同じことができないように、男3人には呪いをかけて今後あらゆる女性にまともに近づけないようにした。
目を見開き固まっていた女性に声をかけようと近寄ると、彼女は気を失ってしまった。口から泡を吹いて気を失うことなど、本当にあるのだなと、妙に感心した。そしてそうさせてしまったことを気の毒に感じた。
人助けのつもりだった。
あの夜、自分が悪魔だと知った時、私は愕然とした。けれど嬉しくもあった。今まで何の能力もなく、迷惑ばかりかけていた自分が、本当は世界中のどんな人間も、オリンピック選手も、首相も、大統領も、王族だって、どんな立場のどれほどの人間も得られない力を持っていて、何一つ不可能なことはないと知った。私にとってそんな嬉しいことはなかった。あの夜空を飛びながら、この力を使えばなんだってできると感じた。すべてをかえられると信じた。この素晴らしい力を使えばどんな人だって救えると思ったのだ。子どものころに見たテレビアニメのヒーローのように。
あの頃見たヒーローは、特殊な力を正義に使い、見事に誰かを救って見せた。だからまねようとした。けれど私にそれはできなかった。
私が助けた女性はその日から心を病むことになる。あまりの恐怖に心が壊れたのだ。朝になりたまたまランニングで通りかかった青年が病院へ運び、そのまま入院した。半年たった今でも、「悪魔が・・・」 そう唸っている。その悪魔によって犯罪は未然に防がれたのだが、結局のところ悪魔と出会ったことでその女性にも不幸が訪れたのだ。女性が普段の生活に戻るまでには、2年を要した。その後も時折うなされているらしい。
もちろん私はこの女性に呪いなどかけていない。だが “悪魔を見た” ということそのものが呪いだった。男たちの方は、私が意識的にかけた呪いによって生涯性的に不能な人間となった。
私はその後も何人もの人間を危機から救った。けれど私に救われたものは必ず不幸になった。具体的に言えば、私が与えた 「救い」 よりも、より多くの 「苦しみ」 を味わうことになった。
いつだったか、駅のホームに落ちて列車にひかれる寸前の老人を救った。その時は老人に自分の姿は見せないように気をつけた。その老人は不思議な力に救われたことを喜び、神に感謝した。その日家に帰ると、自分がいかに危機一髪であったかを家族に話して聞かせ、幸せそうだった。だが結局10日もしないうちに重篤な病気になり、ひどく苦しみながら死んでいった。それは明らかに、悪魔の力を受けたことによる呪いであった。列車にひかれていれば一瞬で死ねたものを、数日の間、胸をかきむしり、衰弱しきって人生を終えた。私はそのことをつぶさに知ることができた。悪魔の力を使えば、遠くにいても観察することができる。私は老人の苦しむ姿を苦悩とともに見つめたのだった。
それ以外にも私は何度か人助けを試みた。私は一度でいいから、人の助けとなることをしてみたかった。自分が誰かの役に立てることを証明したかった。なるべく相手に気づかれないように、疲れた人や困っている人にひそかに力を貸した。助けられた相手も、自分が助かったのは運が良かった、神様のおかげだと感じている様子だった。けれども、私が魔力で助けたものたちは一人の例外もなく、不幸に陥った。
仕事中に機材に手を挟まれそうになった壮年の男性を助けると、しばらく後には事故で頸椎を痛め首から下は動かなくなった。必死で勉強したのに試験会場に間に合いそうになかった学生を会場まで送り届けたが、学生は試験にも落ち、身体も壊して1年を棒に振った。ある社会人の落とした書類を見つけて届けると、そのプロジェクト自体がつぶれてしまった。そんなふうに、私が魔力を使い助けると、必ずそれ以上の不幸が訪れた。
どうやらそれには法則があるようだった。私が人間のまま誰かを手伝っても特に誰にも不幸は訪れない。せいぜい私のつまらないミスで手伝わない方がよかったということがある程度だ。それはいってみれば、不幸というより、不器用な人間にかかわったことによる迷惑といったものだ。しかし悪魔となり、魔力を使うと、例えば小さな魔力で誰かを救うと、その人は小さく不幸になり、大きな魔力で誰かを救えばより多くの不幸を与えるようだった。
だから試してみることにした。適当な人物を見つけ、一人の人物に数か月分ほどのお金をあたえ、もう一人の人物には生涯贅沢ができるほどのお金をあたえた。結果は私の思った通りだった。数か月分のお金をあたえた人物はその後ある程度の不幸を背負い、元の生活に戻るのに1年ほどを要した。生涯贅沢ができるほどのお金をあたえた人物は、すぐに立ち直れないほどの不幸を背負い、一生を棒に振ることとなった。私はそういった実験を、あまり人柄のよろしくない人物を選び何度か試してみたが、結果は同じだった。大きな魔力を使った相手は大きく不幸になり、小さな魔力を使った相手は小さく不幸になった。私が手伝いをした人間は必ず思わぬ不幸を得たし、命を救った人間は苦しみながら死んでいった。どれほど魔力を用い、その人が幸せになれるであろうチャンスを与えても、ほんの束の間幸せを感じた後、彼らは必ず落ちぶれた。
その逆も試してみた。誰かを不幸にしたら、その反動で後に沢山の幸せを得られるのではないかと考えたからだ。ある日私は一人の罪のない男の体に負担をかけ、非常な苦しみを与えた。何か得体のしれない疫病に侵されたような深い苦痛であった。もちろん医者に見せたところで原因不明である。その男は数日間その苦しみを感じ、一時は危篤になるほど衰弱したが、もともと病気でも何でもないのだから、私が苦しめるのをやめると、その後はすぐに回復した。苦しんだ反動で大きな幸せが得られるのではないかと期待してしばらく様子を観察したが、ただ普段の生活に戻り、忙しく働く毎日に戻っただけだった。死ぬような苦しみから回復したのだから、人生観が変わり、生きることに真剣さが加わったようだが、それ以外にその男が得たものはなかった。
所詮は悪魔の力だ。人を幸せにすることなどできないものなのだろう。私はそう了解した。
その後私はどうしたか。特に何もしなかった。ただ毎日仕事に通い、失敗しながら日々をこなした。力は使わなくなった。夜に一人で空を飛びまわったりするのもやめてひっそりと日々を過ごした。
私にも楽しみはある。唯一親しみを感じ、時折一緒に食事をしていた友人がいた。ある日私は連絡を取り、安っぽいレストランに食事の予約をいれる。待ち合わせていたのは会社で倒れていたあの女性だ。彼女が会社を辞めるときに、責任を感じて落ち込んでいた私に声をかけてくれたのだ。それから時折、こうして会うようになっていた。
その日は二人で映画を見て、昼食を共にし、午後は美術館で絵を見て、なんでもない話をして過ごした。そうして夕方になり、別れて互いの家へ帰る時間になったとき、「ありがとう。一緒にいてくれて楽しかった」 そう伝えて、その日から連絡を絶った。女性からの連絡もすべて無視した。ひどい男だと思った。それからは二度と会うこともなく、結局最後まであさい友人関係だった。
その日私にできたこと。それは、空に向かって「ありがとう」と言って、空に向かって「ごめんなさい」と呟くことだけだった。馬鹿な話だが、もしこの空に誰かがいるなら、どうか彼女を幸せにしてほしいと願った。
生活の中で力はいっさい使わなかったが、やはり少しずつ私の周りはバランスを崩していくのだった。不器用だが、うまくこなそうと努力する私に親切に接する人もいたが、構わないでほしいと願った。
「あなたがいない方がはかどる」
そう言われることが多くなると、私は次の居場所を求め仕事をかえた。誰に何を言われても、決して報復のために力を使うことはなかった。
私はそんなふうに生き、そんなふうに暮らした。私は友達一人作らないで、いつの間にか誰かに理解されたいと思う気持ちもなくなっていた。笑うことも悲しむことも乏しくなり、無表情になっていった。本当は仕事などしなくてもいくらでも稼ぐことはできたが、自分にできる仕事を探しつづけた。この社会の中でうまく生きたいと思っていた。
あるとき深夜まで仕事をし、使い終わったコップを洗いながら、翌日のことを考えていたとき、何か妙に引っかかる感覚が私の神経を揺らした。それは以前女性が襲われていたときに感じたのとは少し違っていた。この頃の私にはそれがどういった感覚であるかは分かるようになっていた。なぜか体がそこにとどまっていられず焦りのような感覚、焦燥感とでもいえばいいだろうか、そんなものがあふれてくるような感覚だ。そういったときはいつも自分の近くで誰かが不幸になろうとしている。
放っておいた方がよいのだろう。そんな感覚はよくあることだったしこの頃には制御もできるようになっていた。しかしこの狂おしく自分を動かす気ぜわしさから考えると、それはかなり身近な場所で起こっている。自分のすぐ近くで今まさに不幸になろうとする者がいる。普段なら無視できるはずなのに、足は自然に家と違う方向へ進む。
久しぶりに力を使いその場所へ向かった。ついたのは家から何駅か離れた森だった。道路から外れた獣道すらない草と林の斜面を降りると少し平らな場所があった。スーツ姿の男がホームセンターの袋からロープを取り出し木の枝にぶら下げていた。見るからに安い折り畳み式の椅子を台にして、ロープの輪に首を通そうとしている。その表情にはまったく悲しみの色はなく、いらなくなった命をシュレッダーにかけるといった様子で、退屈そうにさえ見えた。何があったのかは知らないが、すでにずいぶん前から自分がいずれこうすることを知っていた。そんな感情のない表情だった。
この男はどうせ死ぬのだ。男が首を吊り、その足場となる椅子を蹴り飛ばす瞬間に私は悪魔の姿のまま男の前に歩みでた。男は私を見下ろすと少し驚いた表情はしたが、何か妙に納得した様子で、目元だけでわずかに笑ってみせた。そのまましばらくの間二人は黙っていた。
やがて首から輪を外し、椅子から降りた男は私に歩み寄り、少し離れて止まった。
「やあ。まさか本当に死神がいるとはな」
最初にそう口にすると、「ここは地獄なのか」 とあたりを見回し言葉をつづけた。
「俺はどんなだった。きっと汚かっただろうな、首つりなんて」
まるで他人事のように話す男に、私は答える。
「まだ君は生きている。もう手遅れだがね」
この姿を見たのだ。すでに呪われている。そう思いながら次の言葉をさがした。
どちらかが促したわけでもない。二人は木の幹を背にして座る。私が人間の姿に戻ると、初めて男は驚く。
「君だったのか」
男はそういうと、よく電車の中で見かける顔だといった。そういえば見たことのある顔だと私もうなずいた。もちろんお互い会話をしたことはない。同じ電車に別々の駅で乗り、別々の駅で降りる。それだけのことだ。
話を聞いてほしかったのだろう。男は人生を語り始めた。一生懸命に生きたつもりだが、何一つとしてうまくいかなかった日々。一言で言ってしまえば 「お前など必要ない」 と言われ続けた日々だ。まるで泣き言だな、そういうと男は笑った。男の口から出た言葉、その多くは私と重なるものだった。私が自分のことを話すと感心して 「俺と同じだ」 と言って笑った。「悪魔と同じとは、それでは幸せになれないな」 冗談でも言うように楽しそうだった。それから二人はお互いの失敗を笑いあった。互いの傷みが過去を洗い流すような、不思議な感覚だった。もっと早く会えたなら、お互い失うものも少なかった。そう思える。
何かもったいない気がして、もう少し生きてみないかと私は提案した。この男はどうせ死ぬつもりだったのだ。それにあのロープを首から外し、椅子から降りてきたのは悪魔の力を借りたからではない。自分の意思で降りてきたはずだ。すでに悪魔の姿は見ているが、私は男に何の力も使ってはいない。この男が今死ぬのをやめたらどうなるだろう。やはり不幸になるのだろうか。私はそれが知りたかった。
男は特に深く考えた様子もなく、その提案を受け入れた。もともと死にたい理由があったわけでもない。ただ長い人生の中でほんの少し疲れていただけの事だ。彼にとって自殺など、ちょっと休憩するような感覚なのだろう。二人はそのまま話しをつづけ、空が白くなり始めたころ、互いの家へ帰っていった。
結果は変わらなかった。男はほどなく病気になった。降ってわいたような病気で、会社の健康診断は毎回欠かさず受けていたのに、病気が見つかった時にはすでに手遅れだった。私は男と接触しないようにあえて距離を置くようにしていたが、すでに手遅れであると知ると病室へ見舞いに行った。
「やあ、君か」
男は笑って出迎えた。まるで長年の友と会うような親しみのある声だった。私は男に確認した。病気は一瞬で治すことができると。すると男は、
「その後さらに苦しんで死ぬんだろ。やめとくよ」
と、そっけなく拒否した。それからはもう二度と互いにその話を持ち出すことはなかった。
私は仕事の都合さえつけば毎日見舞いに通った。男は喜んで私を迎えた。もっと早く出会っていれば、もう少し楽しい人生であったと感じていた。隠すことなど何もない。不出来な男が二人、一緒にいる時間は楽しいものだった。
日に日に男は弱っていき長く話もできなくなった。時間を持て余し、テレビを見ているとニュースが始まった。南極の氷の中に閉じ込められた船。機関が故障している間に氷に囲まれてしまったらしい。乗組員60名の安否が心配されるが、天候も悪く空からも近づけない。すぐに助けに行ける場所でもない。
黙ってテレビを見ていた私に男が言う。
「できるだろう。行け」
私は画面を見つめたままそれを聞いた。何もしなければ誰も助からない。であれば助けたいと思った。しかし助けたところで私が力を使えば不幸になるだけだ。テレビに向けていた視線を男に向けると、
「行け。俺に見せてくれ」
迷っている私に男は言う。
「正しいことが、美しいこととは限らないさ」
笑っているが真剣な眼差しだった。
「さあ、行け」
そう言った。
賢明な修理が功を奏し、機関が復活していたので船の中は寒くはなかった。この船は耐氷船という船らしいが頑丈だということくらいしかよく分からない。乗り込んでみて分かったのは、今すぐにどうこうなるのではなく、ゆっくりと危機が迫っているということ。放っておけば皆死ぬが、そうなるにはまだ少し時間があった。悪魔の目で見れば、船はまだ完全に氷に閉じ込められたとはいいきれなかったのだ。船の甲板はすっかり凍り付き、歩くと足が張り付くようだった。何かに触るといちいち手が張り付いた。
私がしたことなど簡単なことだ。この乗組員の中で一番正しい考えを持った人間を選び出し、その考えに自信を持たせること。そしてこの船の責任者にその考えを支持させることだった。船の上から見れば何処も分厚い氷に見えるが、実際には薄い部分もある。船はゆっくりと氷から脱し、大海へと出ていく。もちろん、私の魔力を直接受けた者、脱出方法の発案者や責任者、船の船長、航海士たちの中の、あわせて13名の乗組員はみな不幸になった。船を救った彼らは、いったん英雄に祭り上げられた後、事故の責任を背負わされたのだ。それは悲惨なものだった。
しかしひどく不幸になったのはその13名のみであった。後の47名の乗組員は財布を落としたり、恋人と喧嘩したりといった程度のことはあったが、すぐに普段の生活に戻った。
13名もの人間を不幸にして喜べるほど、私は割り切った人間ではないが、60名の命を救えたことは素直に嬉しかった。あのまま何もしないでいれば、もっと良い結果になったかもしれない。しかしその可能性はわずかだったはずだ。
「死に土産になったよ」
男はそう言った。良かったとも悪かったとも言わない。ただ二人は握手した。
そうして過ごしたのはほんの2か月の間だった。その間に私は世界中で起こる事件を見つけては男と顔を見合わせてその現場に向かった。
ある現場では、地下の炭鉱に取り残された作業員たちを救った。ある時は空中でエンジンの停止した航空機を無事着地させた。そんな事件や事故は毎日世界中のどこにでもあった。もちろん私と係わった人間は一人残らず不幸になった。しかし直接私の影響を受けなかった多くの人は、そこで無くしたはずの人生を再開することができた。どんな現場でも私はなるべくかかわる人間を最小限にしていたので、被害者が多ければ多い事件ほど、助かる人間も多かった。私の性格上、不幸になる人間がひとりでもいれば、喜ぶことはできなかったが、自分の力の使い方がなんとなくわかった気がした。
「・・・・」
いよいよという頃になり、男は白いベッドの上で酸素マスクを付けられ、声掛けには反応するのだが、話す言葉は何を言っているのか理解できなくなった。もう終わりが近づいている。男の息遣い、ベッドを囲む計器や、頻回に訪れる医者や面会者。やせた体に点滴だけで栄養を送り、寝返りさえ私や看護師が手伝うようになったころに、男はゆっくりとテレビ画面を指さした。それは惑星探査に向かっていた無人の衛星が宇宙で行方不明になったという内容だった。小惑星の探査には成功したが、地球に結果を持ち帰れなければ、ニュースでいうところの「大変残念な挑戦」 となる。
理由はわからないが、衛星が発信しているはずの信号が途絶えたのだという。この国の宇宙開発機構とやらは必至で衛星を探している。
ニュースを見ていると、衛星の太陽光パネルが太陽光をキャッチし、信号を地球に送れれば問題は解決するらしい。しかしいくら何でも宇宙に行く、そんなことが出来るだろうか。多くの科学者や哲学者の言う通り、人間が神を生み出したのだとすれば、悪魔だって同じはずだ。人の世界である地球上ならばともかく、人のいない宇宙空間にまでこの力は通用するのだろうか。さすがに少し不安になった。
宇宙は暗く美しい。無重力とは何ともふわふわしていて興味深い。どうやら神は人間が作ったものではないらしい。悪魔とは便利なものだ。宇宙空間に生身で浮かんでいても血が沸騰することもなく、凍り付くこともない。太陽を直接見ても、目がつぶれることもない。さすがに人間の姿に戻ることを試す勇気はないが、刺激的な体験だった。
この誰もいない空間に、軽自動車ほどの小さな衛星が浮かんでいる。太陽光パネルの向きを少し変えればいい。触れる必要すらない、念じるだけ、簡単なことだった。
中で生活しているとあれほど大きな地球という星。その星が全く見えないほど遠く離れたところまで、計算だけでこんな物を送り出す人間の可能性に感動した。
帰ったらあいつにこのことを話そう。沢山の人に大迷惑をかけながら、誰も知らない場所で頑張っている。このちっぽけな衛星の話を。きっと返事はないだろうが。
数日後のテレビ番組は、衛星から信号が返ってきたと大騒動だった。それがどれほどすごい奇跡なのかを、いちいち模型やコンピューターグラフィックスを使って報道した。これで衛星は地球に戻ってくる。偉大な発見につながると、日本中がその話題で持ちきりだった。
私にとってもその衛星の件については興味深かった。あの暗い宇宙で自分がしたことがいったい誰を不幸にしたのか。全く想像がつかなかったからだ。そして結果はさらに興味深いものだった。つまるところ、誰も不幸にはならなかったのだ。関係者の中にパソコンが壊れた人間がいたが、それが私の力と関係があるとは思えなかったし、私の目から見て、悪魔の力に呪われた人間は一人もいなかった。私がたった一人宇宙でしたことによって起きたことは、小惑星の探査が成功し、人々が喝采したことだけだった。
まあ、衛星が持ち帰ってきたカプセルの中に、何も入っていなかったのは残念だったが。
桜の散る公園を、車椅子を押して進む。後ろから声をかけると、男はかすれた声で言った。
「やるじゃないか」
男の顔に苦しんでいる様子はない。声は細いが会話もできる。病状が改善したわけではない。病気が進み、神経も壊れ、苦しみを感じていないだけだ。あと数日の命だろう。医者からはそう言われている。車いすの下に隠された採尿バックに、あまり尿がたまらなくなっていた。
私は言った。
「誰も幸せにできない。より多くの死を防ぐことはしてきたつもりだが」
誰かを幸せにできない人生に、どれほどの意味があるのだろう。その声は、男にはため息のように聞こえたに違いない。
私の苦しみを男はよく理解していた。
「俺がいるじゃないか」
男の声もまた、ため息のようだった。
「あの日、あのまま死んでいたら、きっと俺は地獄へ行った。今なら天国へ行ける。そう思うんだ」
こぼれ落ちそうになる涙を、慌てて上を向いてこらえた。いい年をして恥ずかしかった。
お前に会えたからだと、男は膝の上で片腕を伸ばそうとした。私はその手を握った。
「天国へ行ったらお前には会えないだろうな。いっそ地獄へ行って、待っててやろうか」
私は苦笑しながら首を横に振った。どう答えていいのかわからなかった。
数日後、男は死んだ。
まだ自分が人間だったころに出会えていたら、私は孤独ではなかっただろう。
私の人生はその後も続いた。誰ともかかわりを持とうとせず、楽しみと言えば、休日にネットで映画を見たり、1日中本を読み続けることくらいだ。
やがて仕事もやめた。私のような人間がこの社会で生きることなど、迷惑でしかない。人と係わりたくなったときには、ゲームをして、その時だけの仲間と旅に出た。時々は魔力も使った。詐欺師や、人を追い込み喜ぶような人間を見つけると悪魔らしく幸せにしてやった。でも、いつしかそれもやめた。この力は使うべきではない。そんな気がしたから。
悪魔でも寿命はあるのだろうか。今はそれが気になる。鏡の前で自分が年老いていくのを確認すると安心する。いつ死ぬのか、考えても仕方ないが。
夕食が終わると、小さなメモ帳を取り出し明日の予定を書き込む。予定通り行かなかったところで今更誰にも迷惑はかけないが、それが日課だ。
私は読みかけの本を開く。こんなことが書かれていた。何十年も前の戦争で巨大な軍艦が沈んだ。その船から多くの兵隊が海に投げ出された。それを救おうとして、一人の隊長が別の船から1艘のボートを出した。いつ攻撃されるかわからない、今行ったら危険だと止められるのを無視してだ。救助が始まる。ボートはすぐに定員オーバーとなったが、一人でも多くの兵を助けようとして、次から次へと手を伸ばし救い続けた。人を乗せすぎたため、舷側と水面がほとんど同じ高さになる危険な状況となった。海に投げ出された兵隊たちも必死だ。「またすぐに助けに来る」とどんなに叫んでも、海から舷側に手を伸ばし這いのぼろうとする。舷側をこえてボートに水が入り沈んでしまえば、これまで救った人間も、救いに来た人間も、みな海に投げ出されてしまう。いつまた敵の攻撃があるのかわからない状況で、隊長は声を張り上げる。また救いに来るから待っていてくれと、さらに声を大きくして怒鳴る。だが海を漂う兵隊たちは次から次へと泳ぎより、ボートにしがみついてくる。沈むのは時間の問題だった。
やがて隊長は軍刀を振り上げると部下たちに命令を下す。そして舷側にしがみつく兵隊たちの腕を次から次へと切り落としていった。部下たちもそれに続く。そうすることで、ボートは無事に船へとかえった。
正しい行いが、誰かを救えるとは限らない。正しい行いが、道徳的であるとも限らない。
果たして隊長は、もう一度その海へ戻っただろうか。私は信じたい。仲間を救うためだけじゃない。自分の行動に嘘をつかないためにだ。
私にも何が正しいことなのか、本当はまだわからない。力を使うべきなのか、使わないべきなのか。
私は読み終わった本を閉じた。
ある晴れた日、私が信号待ちをしていると、反対の歩道に子供連れの母子がいた。その母親は、あの日 給湯室で倒れていた女性だった。傍らのかわいらしい女の子は、おそらく娘であったろう。何か買ってほしいものがあるらしく、ぐずる娘を優しくしかる女性。すれ違った私に気がついて、視線だけで挨拶を交し会釈する。優しく子供をあやすその姿を見ていると、奇妙だが、なんだかほっとした。自分が許されたような、そんな気持ちになれた。
私は空を見上げる。青く広い空だ。
「さあ、行け」
この道は続く。
了