プランB 01
西暦2228年、地球から約6億3000万kmの彼方にある木星、その衛星であるガニメデの軌道上にはステーションが存在している。
ステーションには常に約30人の男女が滞在しており、ミッションは木星宙域の監視とガニメデの観測、そして最も重要なのはヘリウムタンカーの拠点としての役割だ。
木星からはエネルギーとしてヘリウムを収集し、ガニメデからは生命誕生と宇宙の秘密を読み解くためのサンプルを収集している。
ステーションは国籍や人種に関係無く運営されている。
地球における国家間の紛争と意図的に無縁とされた場所で、完全中立で誰でも参加できる場所になっている。
但し参加費として、ガニメデまでの往復費用とステーション滞在の為の物資を用意出来ればだ。
そこにイレギュラーな、一組の男女が参加したのは4週間前になる。
2人は木星にもガニメデにも興味を示さず、毎日宇宙空間の観察を続けていた。
特に男性の方は1日8時間しか働かず、10時と15時にはキッチリ休憩をとっている。
実験や観測のためなら、寝食を忘れて没頭する科学者には見えなかった。
ステーションの存在意義を否定する様な行動だったが、2人とも人柄が良くそれなりに社交的で、知識にも能力にも問題は見られなかったため、ステーションの人々に馴染むのは早かった。
女性は有名な科学者だったが男性は科学者ではなかった。
朝08:00になると観測を始め、10:00に休憩して、12:00に食事をして、15:00に休憩して、17:00には自分の部屋に戻る。
まるでリタイアが近いサラリーマンの様だと噂されていたが、本人が気にしている風は無かった。
実際に彼は全く気にしていなかったし、彼はサラリーマンで間違いない。
そんな彼にとって、定時出勤で定時退社は彼の中では極々当たり前の事だった。
無理やり押し付けられた、気が向かない仕事なら猶更だろう。
西暦2228年06月01日
「 では、全ての研究を一旦中断しろと、そう言っているんだな? 」
「 いやいや。 全てのセンサーの使用権限を一時的に・・・そうですね。 最長でも7日ほど認めて頂きたいんです 」
「 ふむ・・・・・・ 」
それほど広くない疑似低重力環境下の食堂で、椅子に座ったまま腕を組んでるのはマーク、このステーションの責任者だ。
マークは白色人種で、背が高く理知的な顔立ちをしている。
筋肉だけではステーションの責任者にはなれない、どんな組織でも同じで筋肉だけでは組織の上には立てない。
それが伝説的な物語であってもだ。
宇宙ではそれほど必要の無い筋肉が多いのは、彼の国籍に無関係ではないだろう。
スキンヘッドなのは彼の個人的な嗜好で間違いない。
お願いしているのはヒロ、正しくは広。
イレギュラーな2人の内の1人で、日本人だ。
身長が約180cmで痩せている、NASA基準では宇宙で生活するには痩せすぎと言っていいだろう。
マークに言わせれば、全く筋肉が足りていない。
黒目で黒髪の日本人だが出っ歯ではない、眼鏡は掛けている。
彼の国籍は日本だが、ガニメデまでの費用は国ではなくスポンサーから出ている。
ヒロ達を運んできた宇宙船は燃料を除いて総質量7250トン、ガニメデステーションの約50%に達する巨大なもので、単体としては過去に例が無いほど巨大だ。
宇宙船と言うより小形のステーションと言っても良い。
ガニメデステーションは、少しづつ部品を運び組み立てられた。
最初はプリプログラムや遠隔操作で、仕上げは人の手で組み立てられた。
16年を掛けて、ようやくガニメデステーションは完成した。
ヒロ達が乗ってきた宇宙船があれば、建設期間は大幅に短縮できただろうし、滞在人員を減らせばそのままステーションとして機能する。
ヒロ達が2人だけで乗ってきた宇宙船はそれほど巨大なものだ。
「 しかしなヒロ、それではデイリーの測定と観測を止めることになる。 2週間後には定期のヘリウムタンカーもやってくる、安全確保のためにもやはり許可は出せんな 」
人類はヘリウムを利用した融合炉の開発に成功したことでエネルギー問題を解決し、地球の温暖化と大規模で急激な気候変動もほぼ収束しつつある。
最新の研究では、太陽光発電は地表を温める熱を奪い、風力発電は大気の循環を妨げ、海流発電は海流の循環を妨げる3大害悪として知られており、地表では決して使用されない。
日光や大気の循環や海流を少しだけ阻害して在られるエネルギーは人類にとっては有効だったが、決して地球にとって無害ではない。
むしろ少しづつ蓄積された歪が一気に解放されることによる、大規模で広範囲の異常気候の方が全ての生物にとってよほど有害とされ、もちろん地球にとっても有害だ。
大規模災害によって地表が受けた傷跡が元の姿に戻るまで、数十年の歳月を必要とする。
そんな災害が毎年どこかで発生していたのだ、むしろ気が付くのが遅かったと言える。
人類の為にも地球のためにも、木星からのヘリウムの採取と輸送は人類にとって最重要な案件となっており、ステーションでも最優先で対応するミッションだ。
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ヒロ達が乗ってきた宇宙船は最新の技術で製造されており( 少なくともガニメデステーションの建造時よりは最新だ )、大量の物資と余剰スペースをステーションにもたらした。
ステーションにドッキングした後、そのスペースも物資も2人だけで使用しても全く問題は無い、彼らが持って来た彼らの為だけに用意された物なのだから。
だがプライベートエリア等を除いたその他のほとんどの施設を、2人は全員に開放した。
彼らの行動は、長期間ステーションで過ごしてきた30人の科学者達には好意的に受け止められ、彼らの人柄もありステーション内に彼らの友人は多い。
「 申し訳ないんですがね、しかし必要な事なんです。 人類の発展のために、どうしても必要な事なんです 」
ヒロの態度は柔らかい。
お願いしていると言うより、年上の頑固な友人を説得しているように見える。
実際にステーションではマークの頑固さは有名だ、このお願いはもう10日間続いている。
マークはそれが気になっていた。
「 お前がそこまで拘るのはナゼだ? 何をしようって言うんだ? 」
「 う~ん、そうですよね。 どうしたものか・・・・・・ 」
ヒロは食堂の天井を見上げながら悩み始めた、悩むときに天井を見上げるのは彼の癖だ。
なんとかマークの質問に答えようとしているのは、彼が律儀な性格だからだ。
「 それで、奥さんはどうしたんだ? 」
「 他の方の説得に行ってますよ 」
天井とにらめっこしながらヒロが答える、彼はまだ回答を見つけられていない。
「 お前は行かなくて良いのか? 」
ヒロは ”なに言ってんだコイツは” と 言った目でマークを見る。
「 1番大変な説得を、引き受けたつもりなんですけどね 」
ヒロにしても、サボっていると思われるのは心外なのだろう。
「 何を言ってるんだ、お前は? 」
大きなため息をつくヒロ、ステーション内でマークの頑固さは有名なのだ。
マークが無自覚なのも有名だ。
だからこそ、残りの説得の全てを妻に任せて彼がここに居るのだから。
「 ヒロ、説得は終わった? 」
「 残念ながらまだだよ 」
低重力を利用して食堂の空間を飛び越えてきた女性が、ヒロに抱き付いて止まる。
イレギュラーな2人の内の1人でヒロの妻、ジュンだ。
ジュンの身長はヒロより頭一つ分ほど低い、太っているほどではないが痩せてもいない。
目の色は黒で髪の毛はライトベージュに染めているが、ヒロと同じで日本人だ。
2人とも、長期間宇宙空間で生活するような体形には見えないのは共通だ。
「 コッチは終わったわ、1人を除いてね 」
「 1人を除いて? 」
「 そう。 お隣さん 」
「 ・・・・・・ああそうか。 判った。 ありがとうジュン 」
「 どう致しまして。 それよりコッチは難航しているみたいね? 」
「 マークは頑固だからな 」
「 そうね。 頑固だからね、マークは 」
2人の視線に曝されるマーク。
無自覚な彼からすれば、身に覚えの無い理不尽な言いがかりなのだが、食堂に居合わせた者達からは失笑が漏れる。
「 随分な言い様だな。 それ以上続けるなら、スーツを着せてハッチから放り出してやろうか? 」
彼の言ってるスーツは、船外活動用の宇宙服では無くビジネススーツだ。
女性の場合はドレスに変わる、単なるジョークなのだが彼にはその権限がある。
彼が必要だと判断したらそれが実行に移されるのは間違いなく、ステーションの全員が彼に協力するだろう、追い出される人物を除いてだが。
「 仕方が無いか~ 」
「 ええ。 もう時間も迫っているし 」
がっくりと首を落とし、今度は床を見つめるヒロ。
ヒロは持っていた端末の両端を両手で握りしめる、彼の端末は最新型と比べてあり得ないほど厚い。
在りえない厚みは、高度なセキュリティーを実現するためのものだ。
握りしめた指と端末が接している所が僅かに光った。