9 聖女の力
驚いた声を上げたのは誰だろうか、力を出すことに集中しているリゼットにはわからない。
リンッと鈴のような音が鳴る。
緑は両手からこぼれ、さらに成長し、サワサワと音を立てながら上へ横へ下へ伸びた。やがてそれは緑から茶色の幹へと姿を変え、根が這うように地面を覆い、枝は高い天井に向かってスクスクと伸びる。
枝の先に葉が生い茂った。
謁見の間が緑に染る。
やがて、ふっと枝の先に、小さな白い蕾が一つ膨らんだ。
それがふわりと咲いた瞬間、一気に大量の花がブワッとひらき、濃厚な花の香りが広間に広がった。
「おおっ」
あちこちから、感嘆の声が上がる。
どこからともなく風が吹き、花びらをすくった。それは雪のようにふわふわと空中で踊り、さらに香りを遠くへと運んでいく。
リゼットの長く白い髪が風に煽られ、一緒に空を舞った。
いつのまにかその木はリゼットの手を離れていた。
気づけば輝く大木が広間の中央にそびえ立っている。
「すっげ」
ディーが呆然と木を見上げてつぶやく。
誰もが木に目を奪われる中、リゼットはそっと大木に歩み寄った。額を幹に当てて、両手で木肌を撫でる。そして再び小さな声で語りかけた。
木がざわりと音を立てて震えた。ように見えた。
次の瞬間、ふっと光の粒子へと姿を変える。
光の粒はリゼットの周囲を大きな塊のようになって、くるくると回りながら、上空へと登っていく。
ふと、リゼットがディーに視線をやった。途端に、サラサラと音を立てて粒子がディーを包み込んだ。
「おわっ!」
「じっとしてて」
リゼットは片手をディーの眼帯に添える。はっとしたディーに微笑んでから、リゼットは呟いた「治してあげて」と。
粒子がディーの眼帯に集まる。
そしてすぅっと飲み込まれるように消えた。
パサリと眼帯が床に落ちる。
パチパチと青い二つのガラス玉が瞬いた。
驚いて先程まで眼帯で覆われていた目にディーが手をかざす。それから反対の目の視界を遮って、残った目をパチパチと再び瞬かせた。
「見える……」
その呟きに、おお! と言う声が上がる。
「――ガキの頃に、病気で見えなくなったんだ」
「うん。そうみたいだけど、見えるならよかった」
「こんなことが、できたのか」
「普段はやらないの、これ、木に無理させちゃうから。だからこれはちょっとしたサービスかしら」
それから。と言葉を続ける。
「これで証明になった?」
小首を傾けたリゼットをディーは呆然とみつめ、そしてバッと音を立てる勢いで皇帝を見上げた。それにならってリゼットも皇帝を見上げる。皇帝はひどく驚いてディーの両目をじっと見つめていた。
「これは……すごいな……昔、聖女が傷を治すのを見たことはあるが、ここまでのものを見たのは初めてだ」
皇帝がつぶやく。
「古い傷のようだったので……。自力ではどうあっても治せないものは、このくらいしないと治らないんです」
リゼットは静かに言う。
実際そういう古いものは自己治癒力が働かないので治療が難しい。もっとむずかしいのは死に至るほどの傷だ。心臓をやられたとか、静脈がずたずたにされたとか、こちらも人間の治癒力をあてにできない例だ。何より、そういう場合は命が失われていく速度についていけない。
命が失われていくのを止める事は聖女にもできない。
しかし、いくら怪我人が近くにおらず、たまたまディーに古傷があったからやってみた事とはいえど、ちょっと大袈裟すぎたかもしれないと思った。
おかげで効果はあったらしく、貴族達は唖然となっているが。
その中には公爵もいた。
流石に何も言えなかったのか、半分笑いながら公爵は貴族達の中に戻っていく。
それは彼が聖女の力を目の当たりにして納得したことを示していた。
他の者たちも興奮しているのだろう。驚愕に何度も瞬きをする者。信じられないものを見たように半笑いを浮かべる者。中には脅威的な力に慄く者もいた。
皇帝はそれらの貴族をみて、大きく頷く。
「すばらしい。我が国の聖女として歓迎しよう」
リゼットは目を瞬かせる。
――そうだった!
なぜ疑われていたのか。リゼットが帝国の聖女に相応しいかどうかわからなかったからだ。ここでふさわしくないということを見せれば、こんな重責を負うこともなかったのに。しまった、とリゼットは思ったが、もう遅い。
「わ、私もう聖女は……」
「よかったな、リゼット」
――よくないんだけど!
顔を歪めてディーを見上げる。
ディーは満面の笑みを浮かべると、リゼットの腰に両手を差し込んた。
ふわりと小柄な体が浮く。
「ぅえ!?」
「これでお前は帝国の聖女だ」
「ま、まって、おろして!」
慌てるリゼットに気づかぬ振りをして、ディーが軽く笑う。
「ってことで、俺の婚約者ってことになるな」
「…………」
――は?
リゼットはあんぐりと口を開けた。
「い、今なんて……」
「だから、聖女件俺の婚約者。よろしくな、リゼット」
――え、え、えええええ!?
リゼットは声もなく叫んだ。