8 疑いの目
「この流れだと、つまり、私を帝国の聖女にしようっていう?」
「ああ。そう言っただろう」
たしかに聖女が必要だと言われた。馬車の中で、権威のために必要なのだと言われ、先ほど皇帝の前で、民の病を直す為に必要と言われた。しかし、リゼットの中ではそれは 咀嚼されていないことで、今になってじわじわと実感してきていた。
同時に焦りが生まれる。
「に、荷が重い!」
「大丈夫だ。なんとかなる」
「なんとかってなに!?」
「なんとかは、なんとかだろ。聖女の力あるんだろ?」
「あるけど、それとこれとは……」
パン! と音が鳴って、リゼットとディーは 揃って顔を上げた。先程の髭の男、ディーは公爵と言ったが、彼がどうやら手を叩いたようだった。ディーが片目をすがめる。
「何か言いたいことでも? 公爵」
「ええ、はい。追い出されたと申されましたが、つまりもう一人の聖女と較べて拙劣であるということなのでしょうか。蓋しくもそのような方に、この帝国の聖女の栄位を 叙するおつもりですか?」
ニコニコと笑いながら、公爵は言った。
帝国を支える聖女が、他の国の聖女より劣るというのは看過できないだろうが、包み隠さず言うあたりいい度胸をしている。しかも相手は王子なのだ。
公爵の言葉を受けて、皇帝が興味深そうに言う。
「アルサンテの聖女は、他の追従を許さない優秀な聖女だと聞いているが?」
――は? そうなの? え、私そんなこと聞いたことないわよ?
「だから彼女を連れ帰ったのです」
ディーが言う。混乱しているのはリゼットばかりだ。
続けて公爵が唸るように言った。
「しかしながら殿下、今は相異なるのでは?」
「もう一人が画策したと言っただろう。力の大小で聖女の地位を追われたわけではない」
「そうはおっしゃいますが……。そもそも誠に聖女様なのでございますか?」
ディーがこめかみをピクリと動かした。
「外見をみればわかるだろう。ここまで伝承そっくりな聖女は歴代でもいないぞ」
「ええ、外見は伝承に聞く聖女様そのものですが、力は別儀でございましょう」
「俺が偽物を連れてきたと、そう言いたいわけか」
「まさかそのような……。しかし聖女と名乗る不届き者の可能性もございましょう。殿下はその方のお力をご覧になられたことが?」
舌戦を繰り広げていたディーが沈黙した。
ディーには力を見せていない。求められなかったから。その必要がなかったし、リゼット自身も自らの力を見世物にするのは気分が悪かった。
しかし考えてみれば、力の有無を確認せずに彼はリゼットを連れてきてしまったのだ。そして今その力があるという確信がないことをつかれてしまったわけである。
ディーは何かを反論しようとして、しかしすぐに口を閉じてまった。
「力があるかわからないのか?」
「では偽物だから追い出されたのでは?」
「殿下は偽物をお連れに?」
「まさか陛下を騙すつもりでか……」
「彼女と結婚したくて連れてきたのではあるまいな」
「なるほど」
そんな会話がコソコソとされている。
それらの会話に耳を傾けていたリゼットは、わずかに顔をしかめた。
彼らは王子のことを信用していないのだろうか。
ディーの横顔を見上げると、そこには蔑むように貴族たちを見る冷たい目があった。
「いつもこうなの?」
小声で尋ねる。
ディーは貴族たちから目をそらさずに頷いた。
「俺が奔放すぎるってな。兵士たちは信頼してくれているが、貴族ってのはそうもいかん。父上も昔はそうだったし、皇帝になればこいつらは文句が言えないが、気分はよくないな」
奔放すぎる。たしかにそうだろう。しかし今回の行動に関していえば、国のために動いたに違いない。それをこのように疑われて蔑まれるのは、なんだかひどく気分が悪かった。
「もしよろしければ、この拙老に何か拝覧させていただけませぬか」
そう言ったのは公爵だった。
一瞬ディーが眉を顰める。
唇は真一文字に結ばれていて、不快感と、わずかな逡巡が刻まれている。
――わかったって言って、何かやれって、私に言えばいいのに。
リゼットは一瞬そう思って、しかしそれを言わないのはきっとディーの気遣いなのではと考える。
最初に、見世物は嫌だ。やりたくないことはしない。そう宣言し、彼はわかったと言った。それをディーは律義に守っているのかもしれない。
頷かないディーを見て、貴族たちは一層ディーを批判した。
言葉を詰まらせたディーを嘲笑うかのような貴族達の会話。小声でも聞こえるのは、聞こえるように話しているからなのか。そう思うと、ひどく不快だった。
蔑む目。
あざ笑う目。
哀れみの目。
――いやだな。
リゼットはディーの手を離し、カツンと靴音をたてて一歩前に出た。
同時に周囲が鎮まりかえる。
リゼットは視線を下げ、胸元に触れた。
胸の内で燻っていた何かに火がついて、音を立てて燃えている気がする。
貴族達の言葉は、権力者達の言葉に反論できなかったリゼットを、抵抗できずに追い出されたあの時を、彷彿とさせた。
一気に気持ちが昂ぶる。
胸がチクチクとして、痛いような熱いような、圧迫されるような感覚に目が回りそうだ。
怒りで、燃えている。
――本当は、こんな気持ちで力を使ってはいけないのだけど……。
そう心の中で呟きながら、リゼットは掌を上にし、水を掬うように両手を胸の正面で合わせた。その掌には小さな種。
身を守るために持っていた植物の種。
それを見つめ、リゼットは「育って」と小さくつぶやいた。
次の瞬間、掌から緑が溢れた。