5 出国
宿の入口の時計の針は真上を少し過ぎていて、日にちが変わったことを示している。今頃国の兵士たちはリゼットの家に行っているのだろうか。荷物もなにもかも持ち出せなかった。とリゼットは若干勿体無い気持ちになった。
ディーに連れられて宿の外に出る。この時間は町民も寝静まっているころだが、酒に酔った老人がふらふらと歩いていた。それをなんとなく目で追った先に、何台か馬車が停まっていることに気づく。
馬車の周囲には町人とは雰囲気の違う、数人の男が立っている。
すぐにディーの仲間だと気づいた。誰も彼もディーと同じく質素な服装で、いかにも旅人という姿だったからすぐ仲間だとわかった。
彼らはやけに姿勢がよく、警戒心をもって周囲を見据えている。
訓練されているな、とリゼットは思った。
規則正しい配置で立っているとか、そういうことではないが、彼らの姿勢や視線がそのように感じさせる。
男の一人が、ディーに近づく。
薄い色のやわらかそうな髪の男だ。年頃はディーと同じくらいだろう。
「……説得できたのですか」
静かに男が言った。
「いんや、でも誘拐されてくれるらしい」
ディーが言うと、男は驚いてリゼットを見降ろす。リゼットが頷くと、さらに男は驚いたようで口をポカンと開けた。
「まぁそういう反応になるわな。この聖女様は、今はもう聖女じゃないらしいぞ、テオ」
「はい?」
「どうも王国は彼女を国外追放することにしたようだ」
「はい!?」
「行くところもないし、誘拐されてあげることにしたの」
リゼットが言うと、男――テオは眉間を押さえて黙ってしまった。それを無視してディーが馬車に乗るように促してくる。
二人はどんな関係なのか。一瞬考えて、リゼットはすぐに思考を放棄した。おそらく聞いても答えてくれないだろう。
大人しく馬車に向かう。外観は質素でよくあるものだったが、中に入って驚く。
ふかふかのクッションが引かれた椅子。シックな内装。床には絨毯。まるで貴族の馬車だ。
「随分、お金がかかってるわね」
「まぁな」
「あなた何者?」
「ただの盗賊さ」
一緒に乗り込んだディーに尋ねるも、すぐに適当にはぐらかされた。
「あの人たちは仲間?」
「ああ」
「盗賊の?」
「ああ」
「元軍人とかなのかしら」
「――なぜ、そう思う?」
面白そうにディーが片眉を上げる。
「訓練されている気がして。ちがう?」
素直に言ってみたが、ディーは楽しそうに笑うばかりで、やはり何も答えなかった。それが真実をつかれたから黙ったようにも見えたので、リゼットは彼らを軍人崩れと判断する。
軍人から盗賊になった者は、王家や国に恨みがあることが多い。待遇や規則に反発する者が多いからだ。その恨みの矛先を聖女に向けたのだろうか。しかしディーは帝国を俺の国と言った。
ドルフ帝国はアルサンテの北にある大国だ。
帝国出身の者がなぜアルサンテの聖女を連れ去るのか、全く理解できない。
聖女の力が欲しいと言っていたから、盗賊団に入れて医者の真似事をさせるつもりなのだろうか。あるいは子供のリゼットにまさか女としての役割を求めようと言うのか。
何にしても、もしリゼットに危害を加えようとしたら反撃してやるつもりでいた。
聖女は植物を操る能力をもつ。そのへんの男にはそう簡単に負けたりはしない。相手が軍人だとしても、まさか植物と戦ったことはあるまい。すくなくとも自然のある場所では負けないという自負があった。
それで懐には植物の種を仕込んでいる。きっと大丈夫だ。
そういうこともあって、リゼットは大人しくディーに従っていた。
行くところがないから誘拐される、というのも嘘ではない。お金もないから一人では国をでることも難しいのだ。ならば脚として使ってやろう。そういう気持ちだった。
馬車が動き出し、景色がすごい速さで変わっていく。リゼットは最初外の景色を眺めていた。
――どうして、ついてきてしまったのかしら。
不意にそんな疑問が沸き起こった。
いくら行く場所がないとはいえ、見ず知らずの、それも誘拐をするような男に、無言でついていく自分が理解できない。しかも、相手の目的もわからず、もしかしたら危害を加えるつもりかもしれないのだ。まずもって逃げるのが普通だろう。それをしないことがおかしいと、自分でもわかっているのだ。
なのになぜか。
リゼットは正面に座るディーへ視線を移した。
嘘をつくような男には見えない。などとは、お世辞にも言えない。しかし、変わらず笑顔を浮かべるディーをみていると、疑問や不安とは異なる、よくわからない気持ちになった。
――なんとなく、落ち着くというか。……ああ、そういえば、聖女になってからは、こんな乱暴な人と話すことなかったわ。
孤児として街でうろうろしている時は、そういう乱暴者ばかり周囲にいた。それは安全では決してなかったが、慣れた環境だった。聖女としてちやほやされるより、はるかに落ち着く環境だった。
そんな慣れ親しんだ空気を彼が出しているからかもしれない。
彼を見ていると、妙に落ち着く自分がいて、リゼットは不思議に思うばかりだった。
ふと、ディーがリゼットの視線に気づいたように目を瞬かせた。
「なんだ?」
「……別に」
不安を表に出さず気丈にふるまうしか、リゼットは心を守る方法をしらない。それでそっけない態度をとる。それに、正直に今の気持ちを伝える義理はない。
会話を切りたかったが、ディーは無言で続きを促していた。視線でそれを痛いほど感じていたリゼットは仕方なく、けれど思っていたこととは全く違うことを言った。
「聖女の力は、見世物じゃないから、そういう目的には使わないわよ」
ディーは一瞬目を丸くした。
「見世物にされるの、嫌なのか」
「いや。……そのつもりだったの?」
ディーは低く笑って、それから首を左右に振った。
「そういうつもりはない」
「……それ以外でも、やりたくないことはしないわよ」
「おお。わかった」
――本当にわかってるのかしら。
あまりにも朗らかに笑うので、わずかに不安になって、リゼットはため息をついた。
慣れ親しんだ感覚を味わっていても、安心できる要素はほかに何もない。ディーのことを信用する理由は一つもないので、警戒は怠らないほうがいいだろう。
そうはいっても、体は疲れ切っていて、結局背もたれに背中を預けた。
ため息をついて、リゼットは再び馬車の外に目を向ける。
王都の中心部からはすでに離れたらしい。外は森が広がっているようで、先の見えない暗闇だけがそこにあった。
リゼットの内心の不安を象徴するようだった。