18 宣戦布告?
「皇后……だと?」
思わずといった様子で、パトリックが茫然とつぶやいた。
それを見たリゼットは――――ディーの靴を踏みつけた。
「あいたっ」
「ちょっと、何勝手に宣言してんのよ。まだなるって言ってないでしょう」
ディーがリゼットを見る。
「何よ、その不憫なものを見るような眼は」
「いやぁ、普通に考えてなんでここで反対するかなと思ってよ」
「するわよっ。まだ1年たってないわよ」
「いや、そうだけど」
「約束がちがうでしょ」
リゼットは状況を忘れてディーを怒鳴りつける。
こう言う時は引くべきではない。引いたらどんどん話が確定として進んでしまう。そう思って内心慌てるリゼットをよそに、ディーはなんだか楽しそうに口角を上げて、頭をぽりぽりとかいた。
「でもいずれそうなるだろ」
「はぁ?」
「まぁそう照れるなよ」
「て、照れてないわよ!」
声をあげて、皇帝は笑った。
ふっと、その笑い声がやむ。
笑みを収めて、ディーは茫然としているパトリックを見た。
「彼女は王族になる。王族で聖女。これほど発言力のある人もいないだろう。その彼女が言うんだ。俺はそれを信じる」
「な……」
「それから、そういう事なので、そちらに返すことはできない。なにせ、俺の妻になるのだから」
「こらっ」
何とか声を上げるが、ディーはリゼットを黙殺した。
「パトリック王子。残念ですがそういう事ですから、あきらめてください」
言って微笑む。それは普段外に見せない、野生みを帯びていて、リゼットは一瞬ドキリとした。この手の顔がリゼットは苦手だったりする。妙に気が抜けるというか、なんだかすべて任せてしまいたくなるのだ。
「だめだ!」
叫んだのは、パトリックだった。
先ほどとは雰囲気が一変し、唇を震わせ、血走った目でディーを見つめる。さらに両手で頭をかきむしって、呼吸を荒くした。
頭を振って唸ったりもする。
「ちょっと……なに?」
驚くリゼットの前で、髪を振り乱したパトリックは、驚くほど大きな声で叫んだ。
「それは困る! それは困る!」
自分が次期国王であるということに誇りを持って、普段高飛車にもなっている彼は、普段人前で声を荒らげたりはしない。その彼が、なりふり構わないという様子で叫んでいるのだ。とても正気とは思えない
さらにパトリックは続ける。
「リゼットは我が国の聖女だ。帝国はそれを盗んだ。奪った。これは事実だ! 帝国は戦争を……戦争を始めるつもりか!?」
「なっ!?」
まさかの発言にリゼットは目を見開く。
「な、なに言ってるんです殿下、そんなわけないでしょう!」
「リゼットは黙っていろ!」
ぴしゃりとパトリックがリゼットの言葉を遮るように怒鳴った。
ディーのこめかみがピクリと動いたのを、リゼットは見落とさなかった。
「あ……」
まずい。そう思うのに、リゼットが何かを言おうとすると、かぶせるようにパトリックが叫ぶ。
「聖女を奪うなど国として大罪! 帝国はそれを犯そうという。そんなことは他国は認めない! 我が国とて認めない!」
いつのまにか、休憩室の外には人だかりができていた。
気付いて声を鎮めろと思うのだが、それでもパトリックの言葉は止まらない。
「ちょ、殿下、あの、その辺で……」
「帝国は我が国を侵略するつもりなのか? 聖女を奪ってそうするつもりなのではないか!」
「それは、宣戦布告と受け取ってよいか」
「――は?」
静かなディーの声に、パトリックはぽかんと口を開けて黙った。
周囲もまた、沈黙に包まれる。
皆、固唾をのんで見守っているのだ。この言い争いがどこに帰結するのか、それに興味と恐怖を持って見守っている。
リゼットもまた恐怖していた。恐ろしい方向に話が進んでいるのがわかる。
「ディー……」
「帝国があなたの国の聖女を奪った。なるほど、事実だけ見るならば、そう見えなくもない。だが真実は、アルサンテ王国が捨てた聖女を帝国が保護しただけのこと。それを我が国が奪ったなどと、言われるのは心外だ。たしかに、これは国際問題だろうな。話し合いで解決すべきこと。秘密裏に行われるべきことだろう。が、しかし、それをこの場で、この各国貴族の集まるこの場で声高々に叫ぶのだ。当然、一歩も引く気はないということだろう。戦争を口にするくらいだ。なるほど、つまり、戦争をお望みか」
ディーは一気にそういうと、リゼットを離して数歩、歩く。
パトリックに近づいて、その顔を見下ろした。
身長差がたしかにある。目の前でディーを見ているパトリックには、今、ディーはどんなふうに映っているのだろうか。
リゼットには獰猛な獣が威勢の良い子犬を見下ろしているように見えた。
「我が国は、聖女の、そして私の妃の無実を証明するためならば、戦争も厭わないが、アルサンテはいかがか」
真っ青になったパトリックをディーは威圧的に見下ろす。
リゼットもまた顔を青くした。
まさか、戦争など起きるはずもない。
もし起きたら、それは――。
「……む、むろん。無論だ。わが、我が王国は聖女を、聖女を取り戻す」
パトリックは心ここにあらずと言った様子で、つぶやいた。
思わずリゼットが叫ぶ。
「殿下! 愚かなことを!」
リゼットの声に、パトリックは、はっとした様子でリゼットに目を向けた。それで思いとどまればよかったものを、彼は目を怒らせて、リゼットを見据え、そして再びディーを見上げた。
「私は愚かではない。私は、アルサンテ王国の次期国王である」
「二言はないな」
「な、ない!」
「ディー! 殿下!」
これはもはや言わされたと言っても過言ではない。
ディーは冷たい目でパトリックを見下ろし、それから周囲に目を向けた。
「その宣戦布告。確かに受け取った」
リゼットはざぁ。っと音をたてて血の気が引くのを全身で感じとった。