5:先の約束
朝六時
エリシアの朝は日が登り始めた頃に始まる
「起きて、カルル。起きてってば・・・」
「むう・・・俺が、んだのは、うん・・・?」
「訳のわからない寝言はいいからさ。早く起きて!」
昨日からしっかり抱き枕にされていたエリシアにとって、カルルはある意味拘束具だ
いい夢を見ているのだろう。羊族を抱いて寝ればいい夢が見られる。その噂はきっとほんとうなのだろう
そうでなければ、昨日出会ったばかりの存在へ心を揺らし、緩んだ口からよだれを垂らした寝方は出来ない
しかし、彼の間抜けな寝顔を見続けている場合ではない
早くしないと手遅れになってしまう
「あ、エリちゃ・・・」
カルルの覚醒と共に、腕の力が少しだけ緩められる
その瞬間を狙ったようにエリシアは腕の中から抜け出して、部屋の外にあるトイレへと駆けて行った
「ふう・・・」
用を足して戻ってきたエリシアの表情は安堵と満足感で占められている
なんとなくその表情にカルルは申し訳なさを覚えた
「・・・おはよう。我慢させてごめんね?」
「こればっかりはね・・・おはよう。カルル。いい夢は見れたかな」
「うん。とってもいい夢だったよ。もしもの夢だけどさ、母さんが生きてたんだよね」
「それはいい夢だったね」
「忘れてた事とか思い出せたし、気分はとってもいいね。ありがとう、エリちゃん」
「何かをしたという実感はないけれど、役に立てて光栄だよ。どういたしまして。じゃあ、意識もはっきりしてきたし・・・そろそろ出かける準備をしよう。近場で朝ご飯を食べてから試験に行こうか」
「了解」
それぞれ行動に移して、身なりを整える
エリシアは養成学校の制服に、カルルは私服の上からローブを纏う
「準備はいいかな、エリちゃん」
「もちろんだよ。さあ、行こうか」
「うん」
宿屋を出て、店先で掃除をしていた店主にお礼と挨拶をする
かなり年配の店主は二人の姿を見送り、その後再び掃除に取り掛かろうとするが・・・その力は弱々しい
そんな店主を二人が放っておけるはずもなく・・・宿屋に引き返した
「おや、忘れ物ですか?」
「忘れ物というか、忘れ事というか」
「流石に見過ごせないというか」
「はあ・・・」
「箒、借りますね!」
「庭先の手入れ、俺が魔法でやるよ」
それからエリシアは店主から箒を借りて店先を、カルルはまだ手をつけていなかった庭先の掃除を魔法でこなしていった
一仕事終えた後に店主からお礼として彼が通っている喫茶店のドリンク券を受け取った二人はそこで朝食を摂ることにした
「しかしまあ、エリちゃんもお人好しってやつだね」
「そう言うカルルもさ、放っておけなかっただろ。おじいちゃんだしさ」
「うん。あんなフラフラだったら放っておけないよ」
「けど、お礼貰っちゃったね」
「断ってループするのも嫌だったから受け取ったけど、本当はね・・・」
温かいコンソメスープとトーストサンド。野菜にハムに卵ペースト
オーソドックスなサンドだ
飲み物はそれぞれミルク多めのカフェオレとコーヒー。店主のおじいさんから貰ったチケットで購入した
これから試験に挑むことになる二人は力を蓄えながらのんびり朝の時間を過ごす
「まあね。従業員も一人だけだったみたいだし、料金かなりまけてくれたし何かしたかったんだよね。次もあそこを利用しようかな」
「次?」
「うん。エリちゃんは今寮暮らしだよね?」
「そうだけど・・・」
「卒業試験なんだから、受かれば卒業。学校の寮からは追い出されるよ。伝聞師に合格したら配属先が決まるまでしばらく宿無しになるらしいから、宿を数日借りれるようにしないと」
「それはデリ先生から聞いたから大丈夫」
「よりによってあれかよ・・・まあ、嘘を言うような男ではないから大丈夫だと思うけどさ」
「カルルはデリ先生と知り合いなの?」
「まあ、そんな感じ。けれどエリちゃん。一ヶ月程度で見込んでいるなら甘いよ。合格者が多いと長くて三ヶ月とかかかるっぽいよ。それぐらい滞在できそう?」
「そ、それは少し厳しいかもだけど、宿代はきちんとバイトで貯めたから!しかし・・・カルルは伝聞師のことなのにとても詳しいね。なんだか見てきたみたい」
見てきた、と言う表現は違うけれど、見てきた人物から話は聞いたことがある
それは、彼が夢の中で思い出せたこと
エリシアのおかげで思い出せた記憶の一つだ
だからこそ、彼には隠したくなかった。むしろ、話したかった
「まあ、父さんがそうぼやいてたのを思い出したんだよね。母さんは考えなしだから無一文で、配属先が決まるまでしばらく路上で寝泊まりしてたってさ」
「凄いね。でもさ、カルルの両親って、伝聞師とその護衛だったの?」
「みたいだね。実感はないけどさ・・・夢で、そう言ってたんだよ」
具材を掬うスプーンを皿の上に置きながら、カルルは何かを思い出すように声を振り絞る
「カルルの両親も、誰か覚えているかも。デリ先生とか」
「あいつは現役時代込みで知っているだろうね。でも俺は「二人の息子」だって変な期待されるのは嫌だな。母さんとんでもない人だったみたいだし」
母親がとんでもない人
それを聞いたエリシアがふと思い浮かんだのは、あの教訓を作ったあの人物だが・・・流石にと思い、適当に話を流していく
「そういえば・・・僕らちゃんとした名前で名乗ってなかったよね?」
「そうだね。俺、あんまりフルネーム好きじゃないからさ。関わりが深い人以外に明かさないようにしてるんだ」
「カルルの両親の苗字がわかればどんな人なのかわかるからね」
「うん」
「でも、僕としては知りたいかな・・・」
「エリちゃんなら別にいいけど、せっかくだし試験が終わった後の楽しみにしようよ。俺の苗字、気になるでしょ?俺もエリちゃんの苗字気になるし」
「じゃあ、受かったらちゃんと自己紹介しようよ。それとさ」
「ん?」
少しだけ考えていたこと
時期尚早かもしれないが、先に予約という形で声をかけておきたいのだ
彼ほど実力がある魔法使いなら引く手数多だろう
エリシアが合格しようがしまいが、様々な誘いの声がかかりそうな彼に
「魔法もたくさん使えるし、護衛としてはとても信頼できる。でも何よりさ僕はこれからもカルルと一緒に仕事でたくさんの場所を巡りたいと思うんだ」
「・・・それって?」
「試験に受かったら、僕はカルルに護衛契約を正式に申し込むよ。これからも君と仕事を、冒険をしてみたいから」
少しだけ早い未来の話。いつか叶えられる約束の話だ
エリシアの言葉に偽りはない。素直に思ったまま、心の内を伝えただけ
二人出会い過ごした時間はまだ短いけれど、これからもやっていけると謎の確信が二人の中にはあった
だからこそ、カルルの返答も・・・
彼は小さく笑うが、そこには少しだけ悪戯心が含まれていた
「報酬は?」
「三食酒代つき。添い寝はまあ、気が向いた時に。後は、話し相手ぐらいにはなるよ」
「いいね。乗った!エリちゃんがしくじらなければ俺は正式にエリちゃんの護衛になるよ。で、落ちたらさ・・・」
「お、落ちたら?」
不穏なワード。受験中には聞きたくないワードを復唱したエリシアは無表情で何を考えているか読み取らせることのないカルルの目を見て息を飲む
しばらく沈黙が続いた後、カルルはやっと硬く噤んだ口を開いた
「・・・受かるまで護衛を引き受けてあげるよ。今度はお友達価格でね」
「それは、ありがたい・・・って!?落ちないから!」
「その意気で頑張ろうね、エリちゃん」
「もちろんだとも。絶対に合格して見せるから。よろしくね、カルル」
「うん。俺が合格まで運んであげるから絶対に受かりなよ、エリちゃん」
二人はそう告げた後に、急いで食事を口の中に入れ込んでいく
このやる気が落ちる前に行動に移すべきだと思ったからだ
しかし、礼儀作法を欠くことは養成学校の在校生としても、成人している大人としてもみっともない真似はできない
しっかり作法を守りつつ、素早く丁寧に食事を摂り、鋭気をさらに養っていく