1:アリエスのエリシア
羊族のエリシアは愚直な少年である
生来、羊族は温厚で、のんびりとした・・・・まあ率直にいえば毎日睡眠だけで大半の時間を浪費しているような種族
エリシアの出身地域・・・「ひだまり丘」に住む羊族は特にその傾向が強かった
彼はそんなひだまり丘に住む羊族生まれだが・・・その性質を持ち合わせていなかった
エリシアだけ、まるで遺伝子変異を起こしたかのように常にキビキビ走り回り、夜遅くまで勉強していたそうだ
それがエリシアという個の存在にとってはいいことであっただろうけど、ひだまり丘に住む羊族としては異色で、親兄弟から気味悪がられたそうだ
そんな反応を気にせずに己の研鑽に時間を費やしたエリシアは羊族で辿り着く者はいないだろうと言われた、統治機関「星刻天秤」が運営する伝聞師養成学校への最年少入学を果たした
しかし、それまでである
この世には努力だけで補えないものは多い
例えば・・・成長期をまだ迎えていない少年の身体能力とか
最年少だから適正年齢で入学を果たした者と比べ、体力の基礎が身についていない
学力だって、周囲に比べればかなり劣っている方だ
しかし入試では合格基準の二百人の中に滑り込んでいた
しかし、二百人中二百位。本当にギリギリな合格
成績不良も仕方のない話かもしれない。むしろ健闘しているだけ十分だ
誰もがいつ自主退学するのかと彼に注目した
けれど、彼は他の生徒より気力があった
折れない不屈の心があった。諦めない精神があった
「落ちこぼれ」だと「間抜け」だと揶揄されようとも、年相応の瞳に涙を浮かばせるが、涙をグッと堪えて努力を重ね続けた
だからだろうか
入学しても、志半端に消える生徒が多いこの伝聞師養成学校
彼が、エリシアが卒業試験まで辿り着くことができたのは・・・
掲示板の前で、今年度の卒業試験に挑める者が掲示されてる
それは一ヶ月以上前に掲示されたものだが、試験当日である今日提示されたものように、嬉しさを隠さない表情で見つめるのは、白の髪を持つ少年
その頭には羊を連想させる小さな巻角
彼こそが噂のエリシア
最年少で伝聞師養成学校に入学し、卒業試験に挑む少年だ
「伝聞師たるもの、常に依頼人に寄り添え・・・依頼を、選ぶな。投げ出すな。絶対の教訓である。今日もこの訓を心に刻み、依頼人の声と心を許した相棒と共に永久の旅路を歩き続けよ・・・」
一日一回、登校したら彼はかつて存在した伝説的存在である伝聞師が残した言葉を読み上げる
それは、今の伝聞師たちの教訓でもあり、破ってはいけないルールとなっている
しかし、毎朝ご丁寧に読み上げる生徒は・・・エリシアしか存在しないが
そんな彼に、一人の男性が声をかける
彼は魔族のデリ
既に引退した身だが、彼はエリシアが目標としている伝聞師の一人であり、今はこの養成学校の講師をしている
もちろん、担当は「魔族言語」の指導となる
「エリシア。卒業試験資格ゲットですね。おめでとうございます」
「・・・デリ先生。ありがとうございます」
「最年少入学に、最年少卒業資格!まだ十二歳の子供とは思えません!」
「でも、三年頑張っても・・・一回も一番になれない落ちこぼれですし、間抜けですから」
「むしろ九歳の子供に負けた十六歳が何人もいたことの方が驚きですよ。ほら、試験要項の説明がありますから、講堂へ行きましょう」
「はい、先生。あ・・・荷物重そうですね。僕が持っていいものなら持ちましょうか?」
「お気遣いありがとうございます。この資料は持っていいものなので・・・お願いしても?」
「はい!」
デリと他愛ない話をしつつ、二人は講堂へと向かっていく
そこで話される卒業試験の要項を聞く為に
・・
講堂にたどり着き、エリシアは指定された自分の席に座る
隣には、学年一位の獅子族の「キーファ」
彼はエリシアを視界に入れた瞬間、お気に入りのおもちゃを見つけた子供のように笑う
「よお落ちこぼれ。十位にギリギリ滑り込んで卒業試験を受けられるなんてよかったでちゅね〜」
「・・・・・」
「キーファ、私語は慎みなさい」
「・・・はい」
エリシアを主に落ちこぼれと揶揄するのはキーファだけだ
先生は何度も注意してくれるが、一向に好機に向かう傾向はない
むしろ第三者の介入で悪化している気さえ覚える
他の生徒は、そんなキーファとエリシアと関わらない。否、関わろうとしない
面倒ごとになるのが、分かっているから
講堂が静かになったことを確認したデリは、壇上に上がり、持っていた原稿を読み上げる
「えー。では、卒業試験要項を説明します。まず、みなさん、この伝聞師養成学校。その卒業試験の資格獲得、おめでとうございます」
ただ原稿を読み上げるだけ。その言葉には、先ほどのエリシアの資格獲得を喜ぶような思いは一切込められていない
ただ、無感情に淡々と必要なことだけを述べていく
「今回の卒業試験。君たちは伝聞師見習いとして本当の配達に出向いてもらいます。本職と同じように、護衛をつけて、伝聞を行う。それが卒業試験です」
「依頼は、受験者が自ら探さなければいけないのですか?」
「いい質問です。流石に、依頼を探してこいとか、本職が扱う伝聞を使うわけにはいかないので、試験に自分の伝聞内容が使われることを許可してくれた方に絞っています。君たちは依頼人が提示する依頼から一つ選び、護衛役を探し、共に依頼を完遂させるのが試験となります」
「護衛役は自らですか?」
「ええ。今回の護衛役が一生の相棒になるパターンもあります。なんせ、背中を預ける友でもあるのですから」
デリは試験要項の説明の中で、その話をする時だけ表情を若干崩す
彼が伝聞師を引退した理由は、護衛役の戦死
そしてその護衛役と出会ったのも、この試験の時だったのだ
だからこそ、教え子たちにここだけはきちんと伝えたいのだ
護衛役という名の、相棒の存在を
そして家族より長い時を共にした今は亡き友のことを思いながら
「護衛依頼料と二人分の路銀は学校側から支給します。あともう一つ」
「もう一つ・・・」
「この試験、毎年死者が出ています。死んでも学校側は責任を負いませんので、あしからず。試験要項は以上です。では、一位のキーファから別室に移り、依頼を選んでください」
「は、はい・・・」
一位から順番に依頼を選んでいく
それはつまり、十位のエリシアは自然と余り物の依頼となる
「・・・どんな依頼が来ても、しっかりやり遂げよう」
自分の順番が来るまで、エリシアはどんどん出ていく上位の面々の背中を見ながら依頼のことを思い描いた
どんな依頼が来るのだろうか。初めての依頼はどんなものだろうかと
死ぬ可能性があるのに、こんなに楽しみなのはなぜだろうかと
「最後に、エリシア」
「はい」
「・・・まだ君は他の子と比べて子供だ。十二歳なのだから、これから成長という段階での挑戦。他の子よりも苦難が待っているだろう」
「はい。それは重々わかっています」
「これはね、私の一個人の意見だ。大多数の意見ではないことを承知の上で聞いて欲しい」
元伝聞師の彼は、他の子と比べて幼い少年に向かった微笑みかける
試験開始前だからまだ大丈夫
始まってしまえば、声をかけることも、助言することもできないのだから
そうしてしまえば、期待を寄せるエリシアの不合格はすぐに決まってしまう
けれど・・・まだ。今はまだ、彼に伝えられる
「私はね、君だけに合格して欲しい。驕らず、多人数の中に紛れる性質も持たない、まっすぐな君に。そして何よりも、誰かの事を思いやれる君に」
「・・・っ」
「頑張りなさい、エリシア。君の合格を、ここで待っている」
「はい、先生・・・行ってきます!」
この学校に来て、何度も涙を堪えて流すことのなかったエリシアはこの試験に挑む日に初めて涙を零した
それほどまでに自分に期待してくれている人がいる
そんな思いと期待を受け止めて、彼は依頼人が待つ部屋へと向かって行った