チーズキャッチ♥チギュキュア
「「「オタクくんさぁ……」」」
新人期間である1年目を終えて早2年目となった。就職して初日レベルとさほど変わらない仕事の出来なさ加減に辟易した上司は、無能と評し、常に俺をサンドバック相手にしている。
大学受験も頑張らず適当なところを選んで、就職活動もなんとかなるの精神でいたら、知名度のない零細企業、いわばアットホームな職場に就職することになった。
最速で窓際社員と化した俺は、現在進行系でDQN系の上司たちに絡まれている。
左から逆だっている髪型が特徴的な男、ワックスの匂いが強烈なツーブロックの男、ヒゲが顎まで伸び切っている男の三人組だ。まさに彼らは陽キャというものを形容していて、あまりにも俺みたいなブサイク眼鏡とは正反対だった。
「は、はひぃ!ななななんでしょう!?」
ドモりながらもなんとか応答する俺。
よく頑張った。
「地牛くんさぁ」
「確か今夜」
「暇だよねぇ?」
三人が交互に口を出す。
彼らはそれぞれが同じタイミングで声を出すので頭が混乱しそうだ。
「は、はい……」
「じゃあ駅前の」
「居酒屋に20時」
「ちゃんと来いよ」
威圧的な態度を緩めない陽キャ三人組。
く、くやしい……!
今日は家でプ○キュア鑑賞会をして眠りにつきたかったのに~!
不服そうな表情を見抜いたのか、彼らはギロリと俺を睨んだ。
「「「オタクくんさぁ!!!」」」
「ごめんなさいすぐに行きます!」
***
俺はアパート暮らしで、最寄りの駅から徒歩五分という近場を拠点としている。
つまりは彼らが指定した居酒屋にはアパートから歩いていける距離であり、電車が遅れたなどの言い訳はできないのである。
「く、くそお! あのWAN○MAみたいな三人組めッ! イケているからって調子に乗りやがって」
イライラした気持ちを抑える為、時間ギリギリまでプ○キュアを見ることにした。
モニターに映し出されているのは可愛らしいデザインの服を着飾った少女たち。
そう、彼女たちこそが「プ○キュア」である。
「ぷいきゅあがんばえ〜!」
童心に戻ったように応援する。彼女たちはいつだって俺を癒やしてくれるのだ。
『夢をあきらめないで!』
ピンク髪の主人公が叫んだ。
……は? なんだよそれ。
俺はテレビのモニターをすぐに止めた。
「夢を諦めるな」だって?
「夢を持てなかったんだよッ!」
誰も居ない空間で叫ぶ。
それは彼女たちプ○キュアに向けてというよりは、もはや独白に近かった。
「生まれつき容姿も悪くて不器用で……他のヒトが出来ることも俺がやったら全部平均以下! 何をやらせても中途半端で通知表で先生からのコメントは書くことがないときに使われる定番の『トラブルを起こさない優しい生徒です』! 優しいんじゃない。自分が弱者だから気が弱いだけなんだ! そんな負け組ゴミステータスの俺に夢を持てだと? ふざけるのもいい加減にしろッ!」
――溜まった鬱憤をすべて外に吐き出す。
しかし返ってくるのは醜い自分の残響だった。
……我に返る。
「ああ、俺はアニメになにやってんだろ。人間失格だな――」
そのときだった。
『負けないで。アナタの人生は……まだ終わってない!』
「え……」
確かに停止したはずのモニター。
しかし主人公だけが動いているのである。
他のプ○キュアも敵も動きが止まっているのに。
「おいおい……どういうことだよ?」
彼女が俺の方向を向いている。
彼女が俺に話しかけている。
『大丈夫。頑張ってきたアナタをずっと見てきたから』
画面に映るプ○キュアは、モニターを超えて俺の頭を撫でた。
『ごめんね。完全にそっち側にいけないの。だから干渉出来るのはここまで』
「俺……俺……ッ! 頑張ったんだ! 自分なりに努力したんだッ! でも――でも――」
嗚咽混じりに吐き出した言葉はついに言葉ですらなくなった。
今までの努力。しかし決まっている容姿や能力による不当な差別。
もはや俺の心はとっくに限界を迎えていた。
彼女は黙って俺の話を聞いてくれた。
ネットスラングで流行った『チー牛』というあだ名をつけられたこと。
三人組の先輩から攻撃対象にされていること。
小中高大学友達が一人もいないこと。
いい感じだと思っていた女子が実は美人局でお金を騙し取られたこと。
全部、全部、全部――
***
泣いて、泣いて、掛け値なしの本音を吐露し終わった時。
彼女の姿は何処にも見あたらなかった。
宅配で受け取った牛丼が床に放置されていたことに気づく。
触れてみるとひんやりと冷たかった。
「長い――夢を見ていたんだな」
時刻は8:50を指している。
急いで準備をして走ればきっと間に合う距離だろう。
「動かなきゃ……変わらないんだ!」
ボサボサの髪を父から借りたまま放置していたムースで整える。
そして私服に用意していたチェックシャツを破り捨てる。メガネを割りコンタクトを入れ、無難に白いパーカーと暗めのトップスに着替え、よれよれの靴紐をしっかりと結んだ。
本当はスニーカーはよくないって聞くけど……靴はこれしかないんだ。
不思議と勇気が湧いた俺は、駅前の居酒屋に向かって走り出したのだ。
***
俺が居酒屋に入った途端、奥で笑い声がした。
もう飲み会は始まっているようだ。
「えーと……地牛ですけど」
「こちらです」
店員から奥の部屋に案内された俺の目には衝撃的な光景が映っていた。
対面には女性が二人も座っていたのだ。
それも初対面だ。先輩たちのツテなのだろうか。
片側の女性は、金髪を肩まで伸ばした明るそうな雰囲気で、俺を見るとすぐに手を招いてくれた。
もう一人は黒髪ショートでしっかり者の印象を受ける女性だった。俺と目が合うと軽く会釈する。
どちらも目鼻立ちが整っており、美人といっていいだろう。
「うす……地牛牛尾です。よろしくっす」
「ほらほら地牛くん」
「ちゃんと二人に」
「自己紹介するっしょ!」
あのトリオはニヤニヤとした表情を崩さずそう催促する。
自己紹介? さっきしたじゃないか。
「「「オタクくんさぁ……」」」
ヤバい。先輩たちの表情がだんだん険しくなっている。
せっかく夢でプ○キュアに会って、少し変われたと思ったのに……結局自分にはなにも――
「はやく」
「一発芸とか」
「しろよゴラァ!」
「ごめんなさいもう帰ります!」
彼女たちは困惑の表情を浮かべている。
本当にごめんなさい、俺はやっぱりこういう場は向いていないんだ!
立ち上がろうとした時、スマホから着信音がなった。
と、思うとその音はバイブと共にずっと鳴っている。
――もしかして通話?
誰かが通話をしてきたんだ。今この場所、このタイミングでッ!
スマホをポケットから取り出すと非通知からだった。
「もしもし、地牛です」
『夢をあきらめないで!』
「プ○……キュア?」
『夢をあきらめて逃げたらダメ。ここまで来た地牛クンならきっと出来るよ一発芸!』
「で、でも俺は一度も――」
返事はない。
返ってくるのは沈黙だ。
「プ○キュアさん……?」
『わかった』
次に返ってきたのは衝撃の一言だった。
きっと彼女にとって苦渋の決断だっただろうに。
『アタシのステッキを貸してあげる。今ここで変身するのよッ! アナタはここで生まれ変わるのッ!』
通話は途切れてしまった。
変身だって? 今の俺にはこれが限界だっていうのに――
「ねぇ、今プ○キュアって言ったよね……」
「きっつ……」
「「「オタクくんさぁ」」」
俺以外の全員がドン引きの表情を浮かべていた。
なんだよ。結局俺はここまでだっていうのか。
「――あれ」
掴んでいたスマホはステッキに変化していた。
これは……見たことがある! プ○キュアがいつも変身する時に使う魔法のステッキじゃないか!
もれなく魔法のステッキから声が聞こえてきた。
『このステッキで変身してッ! ”特盛級”の一発芸を見せてあげなさいッ!』
唐突にこんなことを言われても……あんな冷めた空気を作ってしまった俺に原因がある。
だから――やるしかないッ!
『準備はいい? じゃあ流すわよ』
流すだって……なにをってうわぁ!
魔法のステッキが、ぼんやりと黄色く発光し始めた。
少し遅れて、聞き慣れない歌詞とともに音楽が流れる。
『チーズ♪ チーズ♪ 三色チーズ♪ 温玉特盛牛じこみ♫』
「おい、早く戻れよ」
先輩の一人が声をあげる。
まさか……一般人にはこのステッキが見えていないのか?
少しぎこちない表情の女子が俺に声をかけた。
「ねぇ。店員に迷惑だからさ……はやくこっち来てよ」
間違いない。
何も見えていないんだ。
何も聞こえていないんだ。
『音楽流してるから! ステッキを強く握って変身って叫んでッ!』
そうか。流れているこれは変身可能な合図だったんだな。
俺は大きく息を吸って彼らに向かってこう叫ぶ。
「そんなに見たいなら特盛級の一発芸――見せてやんよ!《変身》ッ!」
そう叫んだ瞬間。俺はすぐに身体の異変に気づいた。荒立っていた感情の波が穏やかで均一なものになっていったのだ。チー牛と揶揄され、常に誰かのサンドバックにされた怒り・後悔の感情に振り回されて、口には出さずとも心の中で悪態をついていた。
それがどうだろう。彼たちの煽りにも汚物を見るような表情を眺めても、もはや悔しさも滲まない。畏怖しない。彼らに初めて「対等」に対峙している。ステッキから発する恒星のような輝きは、どんなココロの絶望をも飲み込んでいく。宿った覚悟の表情は、もはや歴戦の戦士のそれだ。
「「「オタクくんさぁ。"本気”出しちゃったみたいだね」」」
確証のない直感。しかし歪んだ表情を浮かべた先輩たちを見れば、内なる劣等感を刺激したのが見える。
それとも恐怖に駆られた感情だろうか。明らかに”下”だと思っていたヒトに越されてしまう恐怖をッ!
奴らは人間離れした八重歯をガリッと噛み締めた。
怒り――の感情だ。
ヒトであるのに理性をコントロール出来ない獣と同じッ!
「「「気持ち悪いんだよぉぉぉぉぉ!!!」」」
先輩たちが怒りの表情で殴りかかってくる。
しかし動きは驚くほどにぶい。
「あれ……? 先輩ってこんなに遅いっけ――」
いや、ちがう。すべての動きがスローモーションに見えるんだ。
なんだか変身と叫んでから記憶が曖昧だ。それになんだか頭がボーッとしている。
それに膝下がスースーするような……なにこの感覚?
気持ちはひどく落ち着いているんだ。だけれど身体はそわそわしている。
気分転換でもしよう。
背伸びをして、右腕を大きく振りかぶって――
「うりゃぁッ!」
―――――ドシュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!!!!!
先輩たちに向けた右ストレートから衝撃波が放たれた。
空気が揺れ、前を向くと風穴の空いた先輩たちが突っ立ていた。
なにこのパンチ!?
これがあの魔法のステッキの威力だっていうのか!?
どうしよう。ヒトを三人も殺してしまった。これじゃあプリキュアが見れないよ――
「なんだよ、これ……」
魔法のステッキを受け取って、《変身》と叫んでから感じた違和感。
格好が変わっているんだ……。
膝下まですっぽりとはまるブーツ! ワンピースのようなフリフリの可愛いスカート!
首には……なにコレ? チーズ型のペンダント?
「もしかして俺……プ○キュアになっちゃた~~!!??」
え、ヤバい。
いやヤバいなんてレベルじゃない。
しかもさっきから俺の声めっちゃ高温になってるし。
これって完全に「女の子」のボイスですよね?
「やっばぁ……♥ コーフンするぅ……♥」
一人で盛り上がっているとどこからか声が聞こえた。
その声はあのステッキからではない。
(――地牛! やっと同化に成功したようね、おめでとう!)
そう、彼女の声はココロの中から聞こえた。
胸のあたりがポカポカと温かい。
「お、おれ……憧れのプ○キュアになったんだな」
(アナタの負けたくないという思いが――このステッキに伝わったの! さあ、新生プ○キュアの誕生よ。敵さんにご挨拶しなくていいの?)
そこで俺は目を閉じた。
自身のココロの中に意識を集中させる――――――――――――――――――
すると俺がテレビで見ていたプ○キュアの姿がはっきりと見えた。彼女は俺と同様に目を閉じていて、黄金色の闘志を燃やしている。でもこれはイメージ。
本当のプ○キュアは――そして本当の地牛牛尾は――
「―――――――――自分自身だ……!」
俺はステッキをさらに強く握りしめる。
目を閉じたまま零れそうな想いを口にした。
――――――――――――アタシをプ○キュアにしてくれてありがとう。
現実世界と、テレビの向こう側の世界。
そして、それは互いに干渉できないもの。
だけど今。アタシはプ○キュアと繋がっている!
一心同体で、こうして繋がっているんだ!
もう夢を”あきらめない”。
アタシを救ってくれたプリキュアを、そして。どうしようもないこのセカイを守りたいから!
「――三色チーズは多様性の証ッ! キュアチーズッ!!」
そう、今日こそが地牛牛尾こと《キュアチーズ》の誕生日だった。
***
「「「オタクくんさぁ……!!!」」」
風穴が空いて戦闘不能になったハズの先輩たち。
どうしてまだ立ち上がっているの――
するとワックスの匂いが強烈なツーブロックの男を中心に二人の男が吸収されていった。なんだコレ……だんだんカタチが変わっていって――
『チギュッシャァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!?!?!?!?!?!?!?』
全長5mはゆうにある――今世紀最大の超巨大な二足歩行の……ワニが降臨した。
奴は四肢を身体に密着させたかと思うと、身体を大波きく波打たせ二人の女性を尻尾で叩きつけた。
彼女たちは一瞬で残骸となり、奴の尻尾にのっぺりと引きついている。
骨も残らないほどの破壊力――こんな罪のないヒトを……許せない!
気づくと大地を蹴っていた。一瞬で巨大なワニの間合いまで駆ける。
こんなに身体が軽い――これがプ○キュアのチカラ!
身体を思いっきりひねる。足の指先から髪の毛一本一本までエネルギーが循環していくのが感じる。
強く握りしめた拳に、身体中に巡るエネルギーを集中させた。
火花がパチパチと散っていく。そのまま、確実に、流れるように――――――
―――ぶん殴るッッッ!
ワニの懐の中に右の拳が確実に入った。勢いを崩してはダメだ。
そのまま連続で――思いのまま――
「反撃は許さないッ!」
重みのかかる左足に軸足としての役割を強くする。
重心そのものを左に集中させて――
―――叩きつけるッッッ!
ワニが一瞬、後方に揺らいだ。
アタシはその瞬間を逃さない。
「うぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!」
重心を瞬時に入れ替え、ほぼ機械的に、そしてゼロ距離で。
左右の拳を奴に連撃で叩きつける。
奴のガートが緩む。
真ん中ががら空きだ。
とっくにパンチのスピードは、奴の防御の速度を超えていた。
もっと速く――
音速を超えて光速へ。光速を超えて誰にも辿り着けない領域へ!
奴を射貫くんじゃない。奴を超えた向こう側のセカイに届くまで――
拳を放とうとした瞬間。
全身が震え上がった。
中央を狙うために腰を落とし、相手を見据えたときに見えてしまったのだ。
刺繍のあとが残った、青いハンカチが。
ところどころに糸の縫い目が顔を出している、不器用なヒトが不慣れながらも相手の為に作ったのだとわかるハンカチが。
そしてその相手は――アタシ自身であることが。
記憶が蘇る。
そのハンカチの送り主は先輩たちだった。
今ではアタシをサンドバックにしている彼らだけれど、入社して一年目の夏。仕事が出来なくて悩んでいた時にプレゼントしてくれたんだ。頑張れよ、という言葉を添えて。
思い出した。
動きが止まった。
呼吸の仕方さえ思い出せなかった。
「あぁ……ごめんなさ――」
(……地牛! ―――避けてッ!)
あの時にハンカチが見えなかったら、先輩たちを確実に葬ることが出来ただろう。
だから、だからアタシはここで――
「敗けてよかったんだ」
***
視界が滲む。流石食物連鎖の頂点に君臨するといわれているだけである。
何十発も放った全力のパンチをあのワニは――あの先輩たちは耐えてしまったのだ。
もう身体は動かない。
けれど思考はとてもクリアだった。
「サイゴに――先輩たちと―――なかよくして――牛丼。食べたかったなぁ」
最期に思い出せてよかった。
最初から悪いヒトじゃなかったことを。
震える手で転がっていた魔法のステッキを手に取る。
そっと胸に抱いて、アタシはこう囁いた。
「こんな――アタシを―――プ○キュアにしてくれて―――」
ああ、言わなきゃ。だけどもう全身が痛くて喋れないや。
こんなに情けないことってあるのかな。
テレビに出ているプリキュアはやっぱり強いよ。こんな葛藤や矛盾したキモチを。ぐちゃぐちゃなキモチをぐっと飲み込んで、街の為に、ヒトの為にただひたむきに闘っているんだよね。
アタシはアタシの為に。最期までわがままだった。
「あ……れ?」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
沈んでいく、夢をみた。
たぶん、ふかいふかい海の中。
まっくらで、なにもみえない。
まっくらで、なにもきこえない。
だけれどふしぎなきぶんだ。
なんだかとても―――あたたかい。
目を見開くとアタシは透明の上に立っていた。
正確にいえば、透明な床が張り巡らされた……それ以外になにもない空間。
ここはどこだろう?
やっぱり死んでしまったのだろうか?
あのプ○キュアは何処へ行ってしまったんだろう?
あのワニは今頃、街で破壊活動をしているのだろうか。
ぼんやりと目の前をみつめていると、見覚えのある光景が映し出された。
――ああ、よく知っている。大好きな牛丼屋だ。
チー牛というネットスラングが流行る前の、ただただ純粋に牛丼が好きだった頃の自分がいた。
高校入学してからずっと通っていた駅前の牛丼屋。
ああ、顔馴染みの店員のおばちゃん――懐かしいなぁ……もう食べにいけないんだ。ごめんね。
全然話し相手がいなかった自分にとって、すごく居心地の良い空間だったんだ。
ありがとう―――
すると映像は切り替わり、よく知っている男の人と女の人が現れた。
「父さん――母さん――」
手を繋いでいるのは小学生の頃の自分だろうか。きっと遊園地へ行った帰りだ――
中学に入ってから反抗期になって、結局今までほとんど口を聞かなくなっていたな。
そんな自分に毎日ご飯を作ってくれて。
そんな自分を大切にしようとしてくれてありがとう――
目をぎゅっと瞑ると、今度は見覚えのある少年がいた。
忘れるもんか。唯一無二の友達だ。
内気な性格だった俺と遊んでくれた唯一の友達だった。
当時流行っていたカードゲーム。ハマっていたのを見て、ソイツはゼロからルールを覚えて遊んでくれたなぁ。わざわざ自分なんかの為に……ありがとう――
いつの間にか、アタシは両膝をつき大粒の涙を零して泣いていた。
そうか、この世界はアニメじゃない。
アタシも、アタシの大切なヒトだって――小さな命なんだ。
ひとつひとつ、輝いているんだ。
「まけて……たまるか」
この世界に守るべき大切な命を。
この世界で暮らすヒトの大切な『当たり前』を――
奴が壊そうとするならば全力で抗おう。
「このセカイを守りたいッッッ!!!!!!」
そう叫んだら身体は軽かった。
いかなきゃ。いかなくちゃ。
過去の想い出に背を向けて、アタシは何もない空間を歩き出した。
照らす光は徐々に強くなっていき――アタシを包み込んでいく。
大丈夫。
アタシはもう負けない。
***
《SIZE SELECT!》
COUNT 2:59
SMALL
REGULAR
MEDIUM
LARGE
SPECIAL
GIGA
???
目を見開くと謎のメッセージウィンドが出現していた。
サイズ選択……?
しかも既視感のある羅列――
「まさかコレ……牛丼のコト!?」
……といっても、闘うのは、あのワニであってアタシはフードファイターでもなんでもないし――
でも選べって書いてあるし! カウントダウンもあるみたいだからとりあえず急がないとッ!
牛丼だったら大盛りを頼むけれど……実態が不明瞭だから迂闊な選択は出来ない。
アタシは上から三つ目にあるMEDIUMを選択した。
《TOPPING SELECT!》
COUNT 2:46
CHEESE
……ってえぇぇぇぇぇ!?
カウントダウンまだ続いているしトッピングって完全に牛丼じゃん!
しかも選べるのがチーズだけって――
「もういい! チーズでもなんでもいいからチカラを貸してッ!」
そしてアタシはチーズを選択した。
すると魔法のステッキが目の前にふわりと舞った。
「今度こそ、離さない」
しっかりと右手で握り締めると、それは黄金色のエネルギーを放って呼応した。
《READY?》
こくりと頷くと、止まっていた時が動き出した。
身体中からエネルギーが集まっている感覚を感じながら、アタシは遠くを見据えて構えた。
***
変形、という表現が正しいのだろうか。
魔法のステッキは姿を変え銃の形になっていた。
それもまた同様に黄金色を輝かせている。
『チギュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥァァァァァァァァァァァァァァァァァ!?!??!?』
背中を向けていたワニが強いエネルギーを感じたのかアタシの方に身体を向き直した。
強い咆哮が全身の神経を逆立ちさせる。
(……平気だったのね!? この銃はきっと地牛専用のウェポンだわ!)
――自分専用の武器……嬉しい。
でも、そんな事よりも奴がまだ近くにいてよかった。
もし街で四方八方に暴れてしまったら――たくさんの命が消えてしまう。
「あの二人は救えなかった――だけど」
『チギュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!?!?!?』
ワニはアタシに向かって突進してくる。
「―――諦めていい理由にはならないッ!」
すっと重心を低くして構えの姿勢をとる――――
喰らった一撃のお返しの意味も込めて思い切り闘志を集中させた。
「どりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
右手を全力で振りかぶった。
パンチが吸い込まれるように、ワニの身体に直撃する。
―――――――――――――――ドォォォォォォォォォン!!!
重低音が密室に鳴り響く。
数歩後ろに下がり、そのまま膝を落としたかと思うと、睨んだ表情でアタシの瞳を見つめていた。
ワニといえども攻撃は蓄積されている。しっかり効いているんだ――
「ごめんね先輩。……お互い不器用すぎたね」
銃に視線を落とし、秘めたる覚悟を決めた。
もう揺るがない。
守りたいヒトがいるから。
未来を守りたいから――――――
銃をくるくると振り回し、銃口をワニへと向けた。
頭の中で何度も反芻されている言葉――――きっとこれが、アタシの”必殺技”なんだね。
《孤独な夜に囚われし一閃の輝きよ。幾千の時を経て舞い戻れ―――――――――》
頭に浮かんだ詠唱。
手に掴んだ銃は輝きを更に増していく。
《チーズイン・ブラスタァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!》
眩い輝きの光の束が―――
集まって、交わって、重なって――――――
エネルギーの放流がワニの全身を包み込み、吸い込まれるように消えていった。
***
消滅したワニを見届けたとき、蓄積された疲労が一気に襲いかかる。
そして脱力感と共にそのまま倒れ込んでしまった。
「かっ……たんだ―――」
身体中を蝕む痛みよりも、全身を包むような疲労感よりも、初戦でここまで闘えて、そして訳のわからない怪物に勝利できた喜びのほうが遙かに大きかった。
(スゴイ……スゴいよ地牛! 誰かを願うキモチは誰よりもつよ)
電源が切れたように、プ○キュアの声が途絶えた。
「――は?」
それどころじゃない。
全部”元通り”になっているのだ。
めちゃくちゃに破壊された居酒屋も。
死んでいった二人の女性も。
――――そしてあの先輩たちも。
通話がかかる直前まで時間が戻ったんだ……!
魔法のステッキなんてものはなく、存在したのはスマホを取り出している自分だった。
プリキュアからの通話もかかってこない――――
本来ならここで一発芸代わりにセリフを唱えて変身して――
その過程が全部消去されている!?
でも通話はいつまで経ってもかかってこない。
未来が変わったというのか―――
命を懸けて闘った確かな現実が、この一瞬で全て否定されているようだ。
「おーい、大丈夫か?」
「――うるさいッ!!」
気が付けば夜の街へと駆けだしていった。
戦士になれると思っていた。誰かを救える強い戦士に。
カッコ良くて、可愛くて、誰よりも優しい戦士に。
「すべては……間違いだったんだ」
大人が嗚咽と涙を零しているものならば、それは立派な不審者かよっぱらいだろう。
自分だって、その立場ならばきっとそう思う。
無論、すれ違う人々はゴミを見るような表情を浮かべていた。
しかし止まらない涙を抑えることなどできなかった。
結局、見ていたものは夢だったんだ。
そう思うと、そう思わざるを得ない現実が襲いかかってくると――――
たしかに握っていたステッキの感触が強く胸を締めつけた。