生きている死者と死んでいる生者
これは夢だ。夢に決まっている。もう二度と取り返せない日常の面影を昨晩見てしまったせいだろう。だが、目を醒すにはあまりにも惜しい。それがどれほど恐ろしい光景であるとしても、これだけは決して目を逸らしてはならないのだ。傍観者として、空中から地面を見ることができているのだ。だが、しかしながら、まず見えたのが、季節外れのシオンの花束が机の上に置かれているのは、いささかおかしいのではないか?夢だから、非現実なことは当然であるかもしれないが、だが、夢だからと片付けるには不審な光景が広がっていた。視界が広がっていくにつれて、なるほど、ここは高校なのだと理解した。そうか、もう通うことなどなくなる青春の思い出の塊と離れるのが怖いのだろう。怖い、明日になんて進まなくていい。なにせ、三年生になって、手に入れたものがあまりにも多すぎて、すべてを捨てて、先に進まないといけないのが、どれだけ辛いことか!
校舎の窓。なるほど、夢に整合性などないはずが、この窓は、自分が取っていた美術Ⅲの授業での文化祭の思い出か。文化祭で、窓に描いた四枚の絵。キットパスを使用して、ぐちゃぐちゃした色彩を見せつけたあの絵たち。あの絵を見た部活の先輩から、色彩の暴力と呼ばれたほどの大作。大作のはずなのだ。次に見るのが過去か未来の光景が。気になっていると、“黒”が窓の中から、校舎の内へと侵略してきた。侵食。そう呼ぶべき光景が、窓の外の世界のキラキラとした風景を覆い隠していく。断ち切れない。断ち切れない過去。
そうして、昏い昏い谷の底に、視界が移り変わる。
そのあと、谷の底で巨大な一つの目玉に、見られて目を覚ました。驚きのあまり、跳ね起きて、時計を見る。
『6:13』
寝汗でびっしょりのパジャマを、洗濯かごに放り投げて、リビングへと入る。全灯とリモコンを押して、テレビの電源をつける。また、無意味だと罵られるのか。今日も。
[1:シオンの花言葉]
ワタシは、駅前の交差点で、信号が青へと変わるのをただただ待ち続けていた。その時は、目の前の時計曰く午後一時半、奴らの姿が現れない“希望の時間”であった。そうだな。奴らについて知らない人も、今のワタシの物語を見ている人であれば、多いはずだろう。だが、少しだけ奴らについて語る時間は待ってほしい。もう、歩車分離信号が青へと変わったんだ。あの信号は、一度進むのが遅れてしまうと、何時間も経過したように感じてしまう。
全く、昔はもっと信号も変わりやすかったのに……
信号を渡り終えて、また押しボタン式の信号が赤へと変わる。こちら側からは干渉ができない。貴重な時間が奪われていくことに焦りと怒りを覚えてしまう。
そう感じた瞬間に、何もないはずの日陰から黒い燕尾服を着て、黒い山高帽を被った紳士のような何かが現れた。電信柱から伸びた電線の三角形。その中点へと男は立つ。黒い男は、本当に真っ黒い。まるで影が浮き出てしまったようではないか。黒き影は、ワタシの前を横切る女をじっと見続けているのだ。その口元が、口裂け女のように広がっていたのを見て、二つの意味で忘れられなくなる。
一つは、昔に見たオディロン・ルドンの画集の最初のページのイラストに描かれているような強いインパクト。それは、何も記憶に残さないようにし続けてきたワタシにも、強く記憶に刻み付けられる。そしてもう一つは、畏れをそいつに抱くからだ。神秘的なその黒に、創作の中に、そいつを描きたい、書きたいという気持ちが爆発してしまったからだ。
その女は、世間から食い物にされた有名人。過去の名声に、醜くもしがみ付くが、もはや誰もお前を見ていない。必死に名声にしがみつこうとしている様は、さぞ喜劇の題材になるのではないか。いやいや、この程度では、誰もお前を見ない。
ワタシはその考えを我ながら皮肉なことだと思う。いや、なぜ皮肉だと思ったのだろうか。
思考にエラーが走って、頭を抱えて気にしないようにする。傍観者のように横目で見続けていることにも気付かずに、女が去っていく。黒い男は、女についていく。あ、信号が点滅。もう何も気にしなかったようにして、さっさと百貨店へと向かおう。だって、今日はあの人の作品をようやく買いに行ける日なのだから!
ワタシは、百貨店へと向かう道を、風を感じながら駆け抜けていく中に、思わず変なことを考えてしまう。
死んでいるものと生きているものとの境界線とは、どういうような区切りをされて、どのように決められているのだろうか。なぜ、そんなことを思ったのかと頭の中でストーリーを考えるように組み立てていく。
日光が燦々と降り注ぐような夏であれば、こんなことも考えなかっただろうに。今年の冬は暖冬。そして、今は2月。だが、こんなにも肌を刺すような冷たい風が、あの夏の日照りのせいで頭が沸く状態にさせるわけがないだろうに。
「ただ感傷的な気分ということにしておこう。そっちの方も理由の一つなはずだから」
ふと漏れた本音に、お口にチャックをしようとも時すでに遅し。漏れ出た本音が、思った以上にワタシの大部分を占めていたのだと気付いたら、悲しいやら虚しいやらという思いが流星雨のように降り注いだ。だが、もう語ろうかという時に信号が青へと変わる。語りたい気分を抑えて、目の前どころかあたりに誰もいない真っ白い道を突き進む。さっきのことを振り返って、思わず安堵してため息を一つ。
力強くペダルをこげ!
あとは、信号も遮るものも何一つとしてないのだから。これ以上時間をかけてしまうと、帰り道に奴らが現れ始めるぞ!
力強くペダルを漕いだ結果、ペダルが空転して、頭の中にあのトラウマが襲う。そう、ペダルを踏み外して、思わずパニックになるあのトラウマ。慌てて、ブレーキを力強く握りしめて、信号を抜けた先の駅前のコンビニの前で一度ゆっくりと深呼吸をする。一度ここで気を落ち着かせようとしたが、はやる気持ちは治らない。ペダルにさらに力を入れて、駐輪場へと走り抜ける。駐輪場はほとんどが埋まっているが、一台の空白スペースがあるのだ。思わず顔がほころびる。それもそのはず。
「人間なんてそんなもんだよな。皆の生活を守るために食糧をイナゴのように買い占めるのも当然かな。まあ、安息の日だからとワタシみたいに娯楽を手に入れたいのか?」
人類が奴らのようになりたくない。奴らはまるで物語に出てくる吸血鬼やゾンビだ。襲われたが最後、奴らと同じモノへと成り下がる。だから、奴らが出てこない時間帯は外出を控える。しかし、今のように奴らが出現しない時間帯こそ、安心して買い物ができるのだ。
たどり着いたのは、13:17分。
さて、百貨店のエレベーターの前で上三角型のボタンを押して、しばらく待つ。その間にさっきの問いの、感傷的な気分の理由を答えておこう。
先に本心から言えば、本当の理由は、ワタシの行きつけの本屋が閉店していたことだ。家の近くの駅前にある本屋だったのだが、アイのない人間たちによる万引きの被害で倒産。もう一つの行きつけの本屋は、ワタシが試験休みの間の息抜きも図書館にしていたせいだろうか、それともその本屋に行かなくなった天罰なのだろうか?
どちらの理由にせよ、どちらの理由かもわからない。それでも、その知らせを見た時にうっすらと“死”を理解してしまった。“死”に惹かれてしまったのだ。
“死”とは決して終わりではない。歪曲された思い出の中で、永遠に等しい時間を、その人の中に良くも悪くも残り続けるのだ。まるで白黒写真のようか。いいや、例えば偉人が、物語やゲームでデフォルメされて登場するおかげで、やすやすとは人の心から消えないように。
エレベーターの到来のピコンという合図が聞こえたので、気分を切り替える。その様子を書くとしたら、まるで、善良で正直な人間が手に握りしめたコインの中身は裏であるが、周りに気づかれないように裏から表へとしているようだろう。この痛々しい偽善を糾されるのが怖いのだ、常日頃から周りの目に怯えている私はシアワセになることに怯えているのだろうなあ。
「キミは空気を読むべきだ。いや、空気を読む努力を見せかけでもするべきだろう。なのに、キミはいつも自分さえ良ければなのだから、本当にどうしようもないね」
耳の痛いあの言葉が、頭の中にフラッシュバックするもんだから、早くにこの閉鎖空間から抜け出したかった。元々、エレベーターのような閉所が嫌いなのだ。嫌な思い出があるから。出られない、四階に止まったまま、動かないエレベーター。あの嫌な思い出を振り返るだけで、気が滅入る。
でも、この記憶はきっと私のものであってワタシのものではないということに気づき始めていたのではないか。後になって付け足した蛇足の文ゆえに、確証は持てないが。
さてさて、ついにやってきた四階の本屋、本がワタシを誘惑する。本がワタシに購入してほしいとワタシの感覚へと殴りにきているもの。だから、フラフラとあっちに行ったり、こっちに行ったり、右往左往とはこのことのようだと言わんばかりに彷徨う。すると、ワタシは目立たない棚に置かれた一冊の本に釘付けになる。
最近は自分のレゾンタートルに必死になるあまりに本屋へ行けなかった。そのため、三日前に発売された『ラピュタの失墜』に気づかなかった。
追記させていただくと、この話がワタシが遺していた話を見る時には売られていないと思われる。それ故に、この話について補足させていただく。この話は、星の賢者の書いた『ユートピアシリーズ』の本編の第六作目。番外編を含めると8作目になる作品である。千三百二円。シオンの花束が描かれている表表紙。元々、この作品の魅力は、そこまでいるかというほどの濃密な設定と、設定を伏線として何度も何度も設定を読み返させることだ。
だから、設定を読み返すのが億劫になりやすい“ヒト”にはオススメできない。飽きてしまうヒトは、この話をあまり好きにはなれないかもしれない。
しかしながら、部誌にあげる小説にも、結構な裏設定を秘めさせるタイプのワタシにはこの本が“want”なのだ。この英単語には、欠落という原義から、かけていたものを埋めてくれるという意味も含まれているから、ここではこう書かせていただいた。
周りからも骨組みだけはいいと添削の師匠から言われているものの、こういう骨組みを疎かにする作者にだけはなりたくない。なぜならば、自分は主観的な作家だからだ。
ああ、そうだ!設定が大好きなワタシには、もうワタシの欠けていたものを埋めてしまうかのような勢いでワタシはこの本を愛するようになった。
ワタシが私であった頃、このお話を推してくれた人がいた。そのお方こそが、部活動の中の小説班であったものの、小説の肉付けが致命的に下手くそだった私に添削のやり方を懇切丁寧に教えてくださったのだ。あのお方には、ワタシは足を向けて眠れない。
『ユートピアシリーズ』
第1作:「アガルタの落陽」
第2作:「ニライカナイの愚弄」
第3作:「桃源郷の欺瞞」
番外編:「エリュシオンの追憶」
第4作:「エデンの堕落」
第5作:「エルドラドの罪業」
番外編:「アトランティスの懺悔」
第6作:「ラピュタの失墜」
主人公エリューカ=キュイ=ウィルファが、ユグリナ王国含めた中央大陸を舞台とした第一巻。この本の最大の特徴は、理想を目指して邁進する主人公が欠落を埋めて、次の理想へと受け継がせていく。現在は、エラルド=リューリュ=ウィルファの話なのだが……このままでは語りすぎるので、また後で語ろう。
そのほかにも裏表紙やイラストレーターなどの自分の価値基準に照らし合わせて、お小遣いをつぎ込むかの勢いでカゴへと入れて行く。ワタシはこの聖域しょてんに長居するつもりが満々だったから、きちんと物事を客観的に考える。
「ワタシが家から百貨店まで来た時間はおおよそ30分、奴らが現れる時間は4時59分くらい。今が2時17分だから、残りは二時間と三十分、その中でも百貨店から出る時間は余裕を持ちたいから、ちょいと見て回ろう」
シオンの花が描かれた最新作。それを見ていると、部活でこういうシオンの花言葉を使った小説の事を思い出す。
「お前の話は、やっぱり設定はいいんだよ。でも、肉付けがね。もうちょっと、肉付けに気を配れ。もうちょっとだけ空気を読めるようになれ」
論理的な思考が必須となるから、それを磨くためにあの大学へ行く。指定校推薦を使ってまでも、誰かの指定校で行きたいという願いを踏みにじってまで、手に入れた入学。おおよそあと二ヶ月後ではあるが、気を抜けば、あっという間なんだろうな。
そう考えたのには、自分のこの二面性の反省なのかもしれない。代わり映えのない日常は素晴らしいものなのだろうとこれまでの人生経験の中で理解している。しかしながら、全てに焦って早急に事を済ませてしまおうとするワタシの性格上、急にやることがなくなる。もしくは色褪せてしまう、飽きてしまう。ああ、嫌だ。刺激を欲しているが、叱られたり、負へと追い込まれたり、そうなるような行動で刺激を与えられたくはないかな。でも、その焦りが周りに嫌な気を与えているなら……
かといって、のんびりしすぎるのもダメなことなのだろう。適度が一番。知っている、やり方もなんとなくは分かっている。でもできなかった、できないまま、他人の優しさという残酷な無視という行為に見逃されて、見放されているせいだ。きっと自分が怠けているせいなんだ。つまり、食指が動かないことを言い訳にしているのではないだろうか?先日、毎日ショートストーリーを二作は『イラストコミュニケーションサービス』で書くという己に課した誓いを、誓ってから始めて破ってしまった。毎日2回ほど愛読していたユートピアシリーズも、一回しか読まなくなってしまっていた。
始めた頃は、何事にもやる気があった。ただ他者から評価しみてもらっていなかっただけで……
始めた頃とは違い、ワタシはたくさんの人からいいねも、ブックマークもしていただける作家見習いにはなった、貴重なご意見もいただけるようになった。書くたびにワタシは認めてもらえているという耽溺を味わえているはずなのに、それなのに、無性に虚しい。つまらなくなってしまっていた。ただただ書くことが義務となり、当たり前となった。それをしていないだけで他者から全否定されるのではないかと、手を抜いたつもりはなくともクオリティが少しでも起きたならば、あんなにも見てくださっていた人がいなくなってしまうのではないかという不安がどす黒い塊となって心の奥深くから心の表側へとのしかかった、住みかとしているのだ。
この不安を取り除くためには、カレーの甘口を食べていた人がカレーの中辛に挑むような挑戦心と、塩コショウのような刺激?いいや、キーマカレーのような刺激が必要なのだ。しかし、キーマカレーというよりかは、カレーの辛味を中和するような玉子を使用せずに、普通の中辛カレー(辛さランクの中間点)のような刺激が必要なのだ。間違っても、高すぎるハードル、カレーの辛口はダメだ。周りの人にも、自分にも多大な負担がかかる。もう少し失敗を具体的に言うとしたら、B5サイズの部誌に小説をあげている小説班の人が平均2〜4ページなのに、自分だけが12ページや20ページをあげているような感じになってしまう。そうすると、どうなるか。自分の部誌にあげる小説の重要文以外を切り取られて細かい小ネタもできなくなる。さらには、周りの人間から、きちんと言ったはずだよねという正論によってフルボッコになった。もうあんな失敗はこりごりだと思わなければいけない。
まあ、どうでもいい話はさておき、その話をなぜ独り言でウダウダ言ってしまったのかを私から言わせてもらうと……見るからに禍々しい魔道書のような本を見つけたからだ。もう瞬時にそれをカゴに入れる。それが自分の持っているクオカードなどの残りを用いて、図書カードもフルに使う。厳密に言うと財布をスカスカにすればちょうど手に入るからだ。もう即決。あまりにも高い代償だ。なら、こう言うのも仕方がないんだ!
「しかし、これは千載一遇の好機ではないか?ワタシにもう一歩進み、さらに素晴らしい物語を書けと神の思し召しに違いない。そうだ、きっとそうなんだ!家族の誕生日は……来月がワタシの誕生日だ。昨日に父の誕生日会が終わった。うん、大丈夫なはず」
自己暗示をして、買い物にかかる心理的負担を減らす。
その魔道書は図書館にある普通の大判本とは違う。まず、クトゥルフ神話TRPGのルールブックや、TRPGのルールブックではないかと見間違うような分厚さだ。うん、さらにそのクトゥルフ神話に出てくる魔道書と言うような、なんと言ったらいいのかがわからないが、読み手を選ぶ本の匂いがする。これがワタシの目に留まったというのは、買うべき運命だった。(私の死に際の時に明かされるとはわからなかったけれども)
これだけの心を揺さぶられる魔道書に巡り合えた奇跡に感謝せぬほど信仰心が薄いわけでもなければ、購入できるだけの金を持ち合わせていた巡り合わせに感謝できないほど、ワタシは愚かな人間ではない。断じて愚かな人間だと否定してはいなかったのだ。
どうせ、もうすぐ自己嫌悪にやられてしまうから。
自己嫌悪にやられる前に買おうとレジに並んでいると、たまたま知り合いに出会った。忘れられているだろうが……軽音楽部のライブでいつもお世話になった人だった。自分の一つの趣味として、軽音楽部のライブに行って、はしゃぎ回るということがあった。盛り上げ役というやつだ。
三年生が部活に来なくてもいい。受験勉強に集中しろや。そんな時分、ワタシと元部長は毎日のように部活へと来ていた。いつから来なくなったのかわからない。わかるのは、いくことが怖くなったからだ。誰もワタシを必要としていない現実に没入するよりかは、必要としてくれているはずの虚構に没頭してしまうのも仕方がないだろう。
「お前はな、もうちょっとおちつけ。先輩方も引いているやろ」
反省して、反省して、自分を徹底的に隠した。ワタシは常に目立たないようにしようと心がけるようになった?いや、まあ。反省した結果、必要最低限の挨拶と、大きな独り言以外は言わなくなった。変わらない、何も自分は変われない。
エレベーターから一階へと下りている最中に、シオンの花言葉を思い浮かべてしまう。
「『遠方にある人を思う』『君を忘れない』『追憶』だったよね。書こう。家に帰ったら、一年や二年がワタシ達を追い出すために追い本を書くなら、ワタシも後に残す彼らに物語を残すのも悪くはないんじゃないかな」
久々に創作意欲がモリモリと湧いているので、気分良く風を感じていたのに、あの交差点がワタシの気分の良さを妨げた。交差点には、黒い男がまだいる。黒い男のとなりにいた女は、恨めしそうに太陽を睨んでいる。
ワタシは不気味な感じがして、思わず自転車のペダルを漕いで逃げようとしたが、歩車分離信号だ。絶望感に支配されかけていた。黒い影がジワリジワリと這い寄っていく。いつのまにか、消えていて、後ろを振り向くと、黒い男がいた。三日月の弧を描いたような口、漆黒の燕尾服を着た男性が、ワタシを見て嗤う。
ワタシの日常を壊して、非日常へと誘うかのようなそのピエロの笑みに思わず石像になる。周りの時間は息を止めた。うるさい世界は、静寂へと変わる。
男は荘厳にワタシに告げる。
「見つけましたぞ!我が主!冥府の底であろうと、アイが奪われた世界になろうと、嘘に不寛容な世界であろうと、『いづくなりとも、まかりなむ』と言いましょう。何かご不便なことがあれば、ワタクシをお呼びください。愛しく、優しく、この願いの歪んだ世界で、たった一人だけ願望を告げてくださる我が主よ」
黒い男は慈愛に満ちた表情で、ワタシを見ている。
「損な役回りを押し付けてごめんね。でも、こうでもしないとワタシを許してしまうから。あの子は優しすぎるから、きっと毎日毎日墓の前で懺悔するのでしょう。でも、そんな懺悔、聞きたくないもの」
ワタシの中にフラッシュバックしてきたありうべからざる微睡みの記憶。頭を抱えて、苦痛に歪んだ顔を見られないように俯く。赤色に連れて行かれたその人間、その人間には頭が上がらない、足を向けて眠ったら、自責ゆえに首を吊りかねないだろう。それほどまでに大切だったはずのその人間の名前が思い出せない。思い出せないから……もうそんな優しげな瞳で見ないでください。あなたには何も返せない。返すはずのものも、もう何も持ってはいないから。
ワタシは黒い男が目の前から去っていたのを安堵しながら、その実、心のどこかで隙間風が吹いていることに気づいた。知りたかったのだろうか。きっと気のせいだろうか。
前世は信じてはいる。書いている話は、輪廻転生の価値観が根底にあるからだ。そのせいで、あのお方とは意見が対立していた。だが、前世に関係があったのかもしれないが、アイツは変な人だ。彼に絡まれたことにより、肥沃に湧き出た創作意欲が萎みかけていた。どんよりとした黒雲が心の中に曇っている。実態のないはずのそれが、心に広辞苑を載せたように重くのしかかり、心を惑わすのだ。
何事もなかったように、脳裡からあの記憶を消そうと自己暗示をかけながら、家へと駆け抜ける。
日常に刻まれた規定をなぞりながらも、今日にしか訪れない特別な時間。その時間をたっぷりと味わうために、しないといけないことは全部行った。宴に必要なのはさっき購入した先生の作品と、謎の本。他の本は後でゆっくりと読ませてもらおう。
だからワタシは星の賢者著のユートピアシリーズ第六作目『ラピュタの失墜』を読み始めるのだ。
「前作のエルドラドの罪業の続きがまさかあんな展開になるだなんて!ああ、やっぱ、生きてて良かったな。さて、もう一度読み返すか」
この作品は来年秋にアニメ化が決定するらしい。だが、もう語り合う友達もいない。消えたから。
喰われたはずのあなたが虚な眼で、ワタシを見ていた。
冷静になったワタシは、今までのことを書き留めていた『生きている死者と死んでいる生者』を消そうかと思いながらも、思いとどまる。なぜなら、アレはワタシの人生だ。アレはワタシの人間らしさなのだから。アレを消したら、何者でもない人間へと堕ちる。
主観的な傍観者を気取っているワタシの高校最後の物語になる。高校時代の幸せな時代の物語として最後は誰もがシアワセになる終末を書きたかった。恐らくは、これが部員に遺せる最期の話になるのだと私は薄々感づいていた。元部長に掲載予定の原稿を見せようかとしたが、元部長はもう見てはくれないだろう。
もうただの無関係な他人なのだ。そもそも、部長にSNSを使って、添削してもらうのは気が引ける。負へと傾きかけたが、スマートフォンのアラームが鳴り出す。
そこで、ワタシは思い出す。おまじない辞典を読む前に忘れてはいけないことをしなければならない。それこそが、ワタシがこの世界で死んでいる生者に死を、生きている死者に生を与える。矛盾だろと誰かが小言をいう。気にせず、ワタシがこの電脳世界で生存報告をすることだけに集中していた。具体的に執筆という行為で、ワタシを主体として周りの世界はそこにあるのだという証を刻み込まなければ……奴らのような存在をこの世界へと解き放つことだろう。つまりは、窓の外にいるような、生きていながらも、世界から忘却された哀れな幽霊へと変わるのを防ぐためなのだ。言うならば、語られざる怨念。あの幽霊が生きている人間だと知っているのは、小説家と呼ばれる異能者だけだから。
彼らのその異能は、世界のありとあらゆることを観測する。世界から忘却されそうになっている人の生き様を書物へと遺し続ける。簡潔に言うと、あの幽霊を浄化できる唯一の存在だ。そう言い換えてもらっても構わない。
「書物や電脳世界に遺すのは偽善でしかない」
「ああ、そんなことはわかっているんだよ!知っているんだよ」
苦虫を噛み潰したような顔で、ワタシは重々しく、内なる自分に向けて呟いた。
ワタシが書くのは、自己満足と承認欲求を満たすために行う。だからこそ、ワタシは天国への階段を上る許可証をもらえないような悪人なのだろうと考えてしまうわけだ。
「『昔々にも名前も忘れられたカミサマからの贈り物、人、それを異能と呼ぶ』アガルタの落陽の23pの11行目にも書かれている。ああ、たしかに異能というギフトとはその通りだよ。人間はカミサマから押し付けられた才能の負債の返済に忙しい。自分しか見られない。責任の押し付け合いだろうな。それでも、私にはあの子の墓を作る権利も価値もありゃしねえんだ。最低なお願いを今からしよう、どうか、あの子の墓をダレカが作ってくれないかな?」
あの死者とも呼ばれていた存在の習性が徐々に物書きによって剥がされていった結果、ある一つの共通点が見つかってしまった。物書きに書かれた人間は、まず大原則として、死者のいるとされる場所、あるいは生きていると確定される場所には踏み入れることができない。無論、例外はある。それは、物書きが物書きとしての異能を手にする前に一定周期で一定回数以上行っていた場所である。
そのため、ワタシは本屋と図書館と、自宅以外は行けない。学校に入っても、自分の席が無かったことにされたのだ。理由はなぜなのかわからないままだ。いや、本当は卒業式が近いので、登校しなくてもいいと言われてしまったからなのだが、私はそれをワタシに教えてあげるつもりはない。
墓参りという習慣がなくなったのは、生きている死者と死んでいる生者が集まっているからだろう。墓参りという言葉が残っているのが、悲惨さを語っていることにどれほどの人間が気づいているのだろうか。生きていた人間が消されたあの日から、ワタシは覚え続けてしまっていた。あの覚えている人間が私一人しかいなかったあの苦痛を誰にも味わってもらいたくはないな。
……だから、こんなしょうもない嘘で欺こうと生きているのだ。
真実なんかに価値はない。
正直者がバカを見て、嘘つき扱いされる世界なんて意味を見いだせるはずがない。
お調子ものが空気読めない人間扱いで縛り付けて、誰しもが偏見のフィルターを持って、誰かに称号をつけて嘲り笑っているような世界なんて……
自分たちが窮屈な檻の中に生きる鑑賞用の動物ではないかと考えるのが普通なはずなんだ。だから、こんな愛おしいという感情は、こんな世界が最高なんだっていう意思は不要品なはずなんだ。
ゆえにこそ、無意味と偽りの看板を掲げられた檻の中にいつまでも囚われている現実から目を逸らす。そして蒼空に目を向けるのだ。自分のペンネームと同じ雲一つない晴天に、希望と未来を見出しながら。
そうだ。ワタシは他者の人生を偏見に満ちた瞳で観測して、自分の子ども達を食いものにしていくのだ。
ただ交差点で無責任な群衆のおやつにされた女性の話も書く。供養なんてご大層なものではなく、偽善だと頭の中に巣食う天使に言われながら、ただ描く。
書き終えた時の世界はあいも変わらず赤色のままだった。赤糸のままだった。見ている景色の色からはアイが感じられない。耳に流れてくる残留思念の色が藍色だった。ひどく冷たく、理不尽な色。そいつにココロを麻縄で雁字搦めにされたようになっているので、今日も心がギシギシと軋む音が聞こえた。
「イタイ、居たい、痛い」
叫びが聞こえたんだ。間違いなく叫びが聞こえていたんだよ!誰も信じちゃくれないけど。
それにしてもだ。自分の絵を再び見てしまうと、やはりごちゃごちゃした色だなと思われる。だが、よく見て欲しい。赤と青系の色の対比がキラリと光るね。自画自賛でもしていないと、自己否定で押しつぶされてしまう。自己嫌悪で、息詰まる。行き詰まる。
気分を切り替えていかないとやっていけない。魔道書を手に取って、読み始めようとした。タイトルの文字を見て、顔を真っ青にする。それはありえないはずのものだったから。
……ありえないはずのもの?なぜ、それをそう思ったのだろうか?旧時代とは一般的な概念のはずなのに。
そう、書かれていたのは、アイのない世界の頃だったから。旧時代とは、人の進歩が一足先に進み、人の心が原始時代へと退行していった時期のことだ。その時代以来、アイが消え去ってしまった。だから、ワタシはアイされる幸せを知らない。旧時代の本を持っているだけであの子は死んだ。
「あの子が死んだのは……のせいなのに。そうやって、また誤魔化すんだ……キミは名前も知らないアナタなんて言った。誤魔化して」
ノイズがまた聞こえたような気がした。
『消しゴム少年』を持っているだけであの子はこの世界から消されてしまった。だから、この本を持っているだけでオトナ様に知られたらと思うだけで、背筋からはダラダラと冷や汗が流れてきて、顔は彫像のようにこわばってしまう。
「この本が書かれた年代は、ああ、新時代と旧時代の転換期か。この本のタイトルは、アイのなくなった世界と読むのか。どうやら、この本はまじないというよりかは、優しい願いだな。胸を締め付けるくらいの願いのようにも見えてしまうな。これは異端認定されて、ろくに何も読めないような教主様によって封印されたのだろうか。この本から痛々しさが見えているんだよな」
書き出しの後には、旧時代の字で読めないけれどもニュアンスだけが伝わってくる呪いの文がそこにはあった。
「死にたくない。でも、死にたい。いいや、消えたい。私が日を数え始めてからもう何回指折りした?ああ、はじめの頃は明日になれば、きっと世界は元どおりになるはずだと信じていたけれども……何も変わらなかった。子供の純粋無垢の心のままに変わらない日常を取り戻したかっただけなのに。なにかを変えようとは思ってはいなかった。このアイを信じて欲しかった。つい先日、自ら死んでみようと、死のなくなった世界で死ぬかどうかの検証を行う。だが:なにも変わらず。諦めは来ない、私の身体になにも傷はない。心に傷が残るだけ。空中の開放感はなかった。あるのは恐怖だけだった。でも、明日になったら、その恐怖の感情も消えてしまうんだろう。世界がまた元どおりになったら、北町の第三公園の桜の木の下で待っているあの子にアイを伝えないと……アイを……アイを……アイを伝えなきゃ。どうか、カミサマ、アンタという存在がいるのであれば、傍観者であり続けると騙るのなら、私が神を騙ろう。アンタが見捨てた世界。アンタが見放した世界、そんな世界に今更介入してくんな。介入されても、突っぱねてやるよ。アイを教えよう。哀を伝えよう。愛を伝授しよう。最後に、私はアイの伝道者という無知蒙昧な輩に言われてはいる。だが、本当の名前をキミだけでも覚えていてくれ。そうして、この本を携えていくものに忠告させていただこう。『オボロニ溺れるなよ。いつであれ、己がココロにカミサマを棲まわせろ』私の名前は結縁絆けちえん ほだし」
この本がカナシミ様と呼ばれている人の残滓なのだと気づくに時間は要さない。
[2:ユメ]
いつかの終わりのユメを見た。
「カナシミ様の隣の男の子が泣きじゃくってアイを取り戻そうと、アイのなくなった世界を認めようともしない」
いつかの始まりのユメを見た。
「アイのなくなる前の、少年の懺悔と忘れられない願いで必死こいて立ち向かった独裁者のユメを」
いつかの願いのユメを見てしまう。
「ウソに支配された世界で、終わらない悪夢から、いつかのハッピーエンドの蜜の味に溺れたキミの願いを」
どこかで既視感のあるいつかの別れのユメを見た。
「自分の大切な人が、死んで忘れられたくないから、永遠に覚えていてほしい。死者は人の思い出の中で永遠に生きていくことを許されるべきだ」
いつかの結びのユメが。
「ムスビヤさん、アナタはなんで人の願いを叶えるようになったのですか?」
「そりゃ、人の笑顔が見たかったんだ」
忘却されたいつかの追求のユメを見た。
「理想郷プログラム始動」
いつかの和のユメを見た。
いつかのスイートピーの記憶も、誰にも見てもらえずに書き残していった終わらせられなかったユメも、終わったはずのユメも、みんながみんな見えてしまうから。
すれ違いのユメを見た。
「ボクはぼくのことを憎んでいるのに、ぼくはボクのことを愛している。きさらぎのユメを」
最後のユメは、カナシミのユメだった。
墓の前には、見覚えのある黒髪の女性が墓の前に手を合わせている。その隣には、知らないはずなのに知っている一人の少年がいる。どうやら、始まりのユメの続きであるらしい。少年は朱色の盃から漏れ出た酒を墓に垂らす。
「この酒、師匠、大好きだったよね。ことあるごとに、酒蔵から取り出して、未成年の俺は飲めなくて、師匠、下戸だから、いつも俺が介抱していたよね。師匠、いいえ、おじさん、これを俺が飲めるようにはなったけれども、美味しくないよ。不味いんだ。このおじさんとの思い出がこもった酒盃や空っぽの酒瓶を見るたびにさ、思い出が脳裏から離れてくれないんだ。だから、おじさん、おれは葬送の言葉を言いたくない。もう三年間、おじさんから死んでから時間が経ったけれども、言いたいのにうまく言葉に言い表すことができないまま、こんだけ時間が経ったんだ。だから一回だけしか言わないから、よく聞いとけ。『おじさんと二人で導き出したのが本当の答えだ。おじさんだけだよね。アイを本当に知っていたのは、おじさんだけだったから、カミサマに罰されてしまったんだね』だから、もういくよ」
「もう逝くよ。おじさんのいない世界がアイのなくなった世界なんだから。俺はおじさんとの日々を絶対に忘れない」
ふと人の顔に見える天井が視えて、飛び起きようとした。今まで見ていたのは、まるで現実のようで、映画のようだったから。しかしながら、身体は金縛りにあったように動けない。まさか、飼いネコが布団の上にのしかかっているのかと見てみるが、動物の姿はない。人の顔に見えていた三つの点が、ドロドロと湧き出てきて、人の形を取り出す。深淵の無明の闇の中に潜む巨大な影が、喜怒哀楽が見えない燕尾服を着た執事の様なソレが、高らかに声を上げて、見えない観客席に向けて一礼する。
「お目覚めですかな?我が主人よ!さあ、我が主人よ。最終解答の時間が近づいてきましたなあ。どのようなユメだったのかはわかりかねますが、一言ヒントを出すとすれば、これは我が主宛の呪いの手紙なのでございますよ。ですが、決してチェーンメールではありませぬ。これは我が主単体へ向けられた恋文なのでございます。他人に幸福を奪い取り、他人に不幸を押し付けたあなた様の四つ葉のクローバーの罪が、きっと三日後に結末を伝えに来るでしょう。まあ、真実など大衆にはどうでもいいのだ。お前らは、いつだって面白ければ、どうだっていいのだから」
「ねえ、君の名前を教えてはもらえないだろうか?結論を出すには早すぎる」
「ええ、ワタクシの名前はオボロ。一言主と呼ばれていた神の分霊でございますかね。そうですな。結論を出すのは早急だというあなた様に昔話を語らせていただきましょう。そう、この舞台こそが、我が主をくそったれで最高な遊戯の会場の無限循環の中から救い出して、幻想の起は幕を下ろした。さあ、憐憫の承の始まりでございますぞ」
君の物語なんて聞きたくないはずなのに、耳を塞ぎこまないと、気付きたくないことに気づかれそうなのに、襟首を正して聴いているワタシがそこにはいた。君の涙に心を動かされたわけではない。知らない人間に心を動かされるようなチョロインではない。でも、君が流した雫なみだは心を揺さぶった。いつか誰かが遺した“ワタシ”という記憶のかけらを、教えてくれるような気がしたから。
卒業アルバム。それを受け取る日が近づいていく。遥かと校歌を歌わねばならないので練習しないといけないという思いは脇に寄せる。それよりも、部員たちに何かを残してあげたかった。自分がここで所属していた記憶を残して欲しかった。正真正銘のエゴ。だから、どうした?きっと、ここから語るは失った思い出。ナイトメア。
[3:アメトイナ]
ワタシはあの子を、黄泉と現世とを繋ぐ川の端から、鏡を通してあなたを見るたびに胸が締め付けられてしまうな。
いつも、カナシミさまに綴じ込められてしまうんだ。あの子は取り憑かれている。スマートフォンに文字を黙々と打ち込む姿からは、以前のような純粋さもない。狂気しか見えない。スマートフォンを充電している時間も物語の制作に注ぎ込む姿からは、感銘よりも侮蔑が打ち克つ。
「物語を書くためだけしかワタシの存在意義はないから。決してあの子のせいではないんだ!」
あの子はワタシの名前も忘れちゃっているくせに、そう強がって……本当に馬鹿だよ。間抜けだよ。ああ、キミは愚者だ。でも、そんな愚者にしたのはワタシの責任だから。
あの子を物語の底なし沼へと落としたのは、ワタシなのだから。
あの子にワタシというお面を被せて、今日もあの子はワタシとして生きている。
雨と否に満ちた人生の中で、最後の発車のベルが鳴り出すまでは、ちょっとは語らせてほしいな。これを人はナイトメアと読むのだろう。あの子はワタシに決してなれはしないのに、否と言わなかったキミへの罰だ。
空模様は、狐の嫁入りだった。快晴の空ではあるが、お互いの気持ちに黒雲が垂れ広がり、お互いの心の傷口に塩を塗りこむように雨が降り注ぐ。雨がポツリポツリと心の空白に降り注ぐ。おやおや、あの子はワタシのことを思い出したらしい。ああ、嫌だね。
今日はここまでにしておこう。これ以上話したところで、きっと何もわかってはもらえないから。いつか、この黒歴史が立派な青春の思い出のワンシーンになったらまた会おう。お互いにゲラゲラと笑い合って、悔やみ合って、それでお別れを言おう。その時こそがお互いの未熟さと幼さを後悔できる時間になっているさ。時は最大の黒歴史の特効薬なのだから。痛みは徐々に誇れる記憶へと改ざんされて、楽しかったで笑い合おう。
だって、死は決して終わりではないのだから。だから、あの子の持論を否定しよう。死とは始まりでもなく終わりでもない。循環する世界の、一つの通過点、トンネルなのだ。死とは生であって、あの子の断絶であり、次はないという悲嘆主義ではない。裏表が一体となって、初めて成熟するから。
ワタシの罪は幼さ。あの子の罪は無垢。いや、スポンジのような吸収性だったのかもしれない。それすなわち好奇心。イギリスのことわざにもある通り、好奇心とは九つの命のある悪魔の使いを死へと至らしめるのだから。
まあ、いいさ。あの子の墓も、ワタシの墓も必要ない。墓を作っちゃったら、あの子はきっと壊れちゃうよ……墓は死を認めてしまうから。
うん、だから、いいんだ。この独白も、これから言うことも……流した思いも、全部優しさで出来ていたんだから。
あの子がワタシの墓へと訪れないのは、ワタシの死を否定したが故。ワタシが植物人間として、遠い遠い病院で治療を受けていて、きっと良い子にして生きていれば、もう一度仲直りができるはずだと……あり得るはずもないのにね、そんな未来を信じている貴方は、きっと無限の夢で満ちているのかな。子供のままの心で信じ続けているあの子に、最後に一つ。
「これまでご静聴ありがとうございました、ああ、ワタシの名前かね?そんな個体識別番号へと成り下がったモノに意味を見出そうとするなんて、相当酔狂な御仁であることか。ワタシの名前は無いんだよ。二重に歩くものドッペルゲンガーに奪われてしまったもんですから。うん、喰われたんだ。ワタシの名前よりもキミには解答時間が迫っているのではないでしょうか?あの子の具合も気になることだし、これにて閉幕」
「そうそう言い忘れていたが、あの子に、忘れてとだけ告げておいてくれ」
『忘れられるわけがないじゃないか』
[4:死んでいるのはどなた様]
素敵で愉快で、最高の夢を見た。だが、内容がほとんど思い出せない。
早朝、ワタシは目を覚まして、仏壇にある祖母の墓碑に手を合わせて、木魚を叩く。私は生きていると首を傾げながら、念仏を唱えている。髑髏は、今日も変わらぬ日常を望むが、外にはお札が貼られており、一歩も出ることができない。なぜならば、朝と夜は怪物が世界の王だからだ。獅子のごとく、颯爽と平野を駆け巡る。もし、外に出て仕舞えば、あの人のようになってしまうのだろう。だから、カーテンで外との世界を遮断して、この生きた屍は死者へと落ちないように現実を逃避し続けるのだ。
晦のあの日、一月三十一日から、きっと私は何も変わることができていない。
臆病なワタシは、死んでいる生者の安寧を祈るために、言霊に縋ることしかできない我が身を悔やむ。この世界はディストピアだと、部長が喩えていたっけ。部長の喩え通り、この世界には何の希望もなく、未来の楽観的観測もあり得るはずがないな。だから、部活に救いを求めて、部活で書くこの本こそが最高の生きる意味へとなっていたのかもしれない。
この本だけが私を許してくれた気がした。きっと気のせいだろうけど……
三年ほど前のワタシは、とても良い気分だったように感じる。恐らくは、まだあの怪物も出てこなかったことだろう。確か、出てきたのが、おばあちゃんの葬式の後だったと思う。そして、ワタシが初めて書いたころしたのはおばあちゃんだったから、今でも覚えている。
おばあちゃんのあの優しい笑顔が、私を狂わせて、世界を書き換えたのだから。おばあちゃんのために私はユートピアシリーズを混沌という名前で「若菜」という部誌に書いた。ユートピアシリーズは、部活でのあの日々を基にした異世界系ファンタジー、濃密に設定と設定を重ねて、部長たちに添削してもらって出来上がった自信作だ。そして、いつも私の味方であったおばあちゃんを救ったころしたのだから。私とワタシが、そろそろ分離し始めているな。このままでは、いいや、何でもない。聞かなかったことにしよう。三年前に死んだのは、父方のおばあちゃんなのにね。
『だから、私が悪い奴になればいいんだろ。オボロ』
ワタシがユートピアシリーズに出会ったのは3年前。
ワタシが部活に入ったのは、三年前。何もかもが3年前を起点にしているのか?三年前、あの子が死んだ。三年前、私はワタシの死を認めてしまって、認めたくない私はワタシへと偽ったなった。だって、私にとっての死は終わりだから。どれだけ、来世を信じても前世の記憶のない来世に意味などないでしょう。
真実が暗鬱たる雲を払いにやってきた。靉靆たる(雲のたなびく様、陰鬱たるさま)空は、消えて、もはや、虚飾は剥がれてしまったな。
ああ、じゃあ、真実を語る公開処刑のお時間だ。
「我が主は、まずはどちらかわかりましたかな?ヒントは、死んでいる方では決してございませぬ。タイトルにもあったでしょ。それが答えですよ。逆さまなんですよ。でも、今は分離しかけている。どちらに仕えていたのか?選択肢を選ばさせてもらいましょう、今の主人です。もうちょっとヒントを与えると表の人格はワタシです。裏の人格、悲嘆主義者の私です。
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[とある間違い:「私」と答えた場合]
「ええ、間違いですよ。これはね、本物でありながらも、仕えるべき主人ではありません。なぜなら、この方は自己完結してしまっているんですよね。本物は、ワタシではないですよ。そもそも、答えが最初から出しているじゃないですか。なんで、わざわざ、意味深なタイトルを与えているのか?では、間違えてしまったアナタにも、特別大出血サービスとして、一回だけやり直させていただきますので、今度こそは正しい道をお選びください。もしも嫌ならば、今回の世界はやり直しとさせていただきますが?」
初めからやり直す。
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「では、ほんの少しだけ、まとめさせていただきますね」
1.この世界は嘘ではない。真実であるが、しかしながら、現実でありながら、混沌でもある。
2.シオンの花言葉は英語では忍耐、愛の象徴、優美、繊細を意味さす。が、日本語でのシオンの花言葉は追憶、君を忘れない、遠方にある人を思う。
3.ここでの君は“ワタシ”である。ワタシではない。
4私と答えたこと自体は決して間違いではない。
具体的に言うと、ネガティブで自己否定に走りやすい彼は、死を終わりだと考えてしまった私がすべての元凶ではある。だが、私は自分の元から去っていく大切な人の終着点、新たなる始まりを認めることができなかった。死んでいる人間とは謝ることも、お礼を言うこともできないから。だから、私は死者を生きている生者だと定義を書き換えた。
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[とある間違い:「ワタシ」と答えた場合]
「ふむ、この答えでは、正しくない。それでは、底抜けに明るいだけ。上を向いて走ってしまって、誰もお前を見なくなる。お前ではダメだ。併存していないお前ではダメだ。お前は嘘をつきすぎた。最初の嘘は、私という一人称からワタシへと変えて、存在を成り代わった。だから、お前ではダメなのだ。ごめんね。キミをここで殺さないと、キミは最初からやり直してくれ。ありがとう。原初のご主人」
初めからやり直した。
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[結:どちらも自分だと答えた未来]
[フクジュソウの花言葉]
「幸せを招く」「永久の幸福」「悲しき思い出」
フクジュソウの花が描かれた作品がユートピアシリーズ第一巻。
「そう答えましたか?ようやく、アナタは自分が犯した罪を理解してしまったのですね。その償いの覚悟があるとも。ああ、ならば、あなたから結論を教えてくだされ」
「まず、私とワタシの話から整理させていただこう。私がワタシの中から溢れ出してしまったのは、ワタシが気づいてしまったから。死を断絶ではないかと疑問を浮かべてしまったこと。元々の私は死は終わりではないと考えていたわけではない。ワタシに語ったのは、死とは終わりであって、次の同じ魂を持つワタシへとなるということ。そして、この混沌の世界が成り立つためには、ユートピアシリーズの本のような私が書いた本があることなのだろう。そして、私がワタシになったのは、三年前だ。三年前、あの子が私と会った帰り道に飲酒運転の車に轢かれて死んだ。だから、許せなかった。ああ、私は激しく憎悪して、公園に生えているクローバーを摘んで握りしめて誓ったのだ。復讐すると!」
「ワタシは、私をカナシミ様として祀り上げて、悪者にした。幸いにも、私が書いていた物語は、あのアイのなくなった世界の中に秘められた言霊を利用すれば、世界を一時的に書き換えることができた。でも、ワタシは復讐心なんて無かったんだよ。きっと、私も無かったんだと思う。いざという時のために準備をしていたけれども、あの高校での日々があったから、溶けていった心は、ユートピアシリーズを書いた時に膨れ上がってしまった。理由は、忘れられたくなかったからだ。しかもね、平行世界の私と混じってしまったんだ」
「それが、私の書いた生きている死者と死んでいる生者の世界線のワタシ」
つまりはね、この世界は、物語だ。
そして、ワタシと私は共にこの世界を終わらせるために、生きている彼女に会いに行かなければならない。
挽回の結はいらねえ。だって、アイツらへ遺したい想いも、これから書いていくんだからな。
じゃあ、これは黒歴史として語ろう。何故と思うかもしれないが、これ、文化祭用に書いた作品なのに、一度も使われないからだよ!
うん、そもそも、この話は、長すぎるんだよ!
さっさと終わらせて設定へと移ろうぜ。まあ、設定とか語る必要もないかもしれないけれども……語らないといけないから。長文なので読み飛ばして構わないよ。
主観的観測者は、この部室にて置き手紙を残すことにした。将来というものは、本当に不確定なもので、この高校に通うと選択したあなた様たちに敬意を込めて、先にこの学校から卒業するワタシからは思い出と共に激励でも残させていただこう。歯車というのがピタリと噛み合ったから。こうした方がいいなと頭に電撃が走る。そういった理由で、ワタシは色んなことを選んできた。直感に勝るものはなかった。直感に任せておけばいいというわけではない。人生の中で培われてきた経験が、直感を支えてきていた。例えば、ワタシがこの高校へと通い始めた頃から、なんども言われてきたのだが、何故一個上のランクの高校の行かなかったのか?直感というよりも恩師がここなら、伸び伸びと生きていけるよと言ってくれたことだったのです。先日行われた高校見学会で部活体験をした結果、この高校で学び抜こうと決めたのですが、大成功でした。自分の人生の選択で、最も賢良な選択はこれであるかもしれません。ええ、皆さまがこの部活動を選んでくださって、ワタシはとても嬉しかったのです。だって、色々な話が聞こえてくるから。ワタシは人と関わるのが苦手で、コミュ障なんで、人に積極的に話すことなどできないから。ワタシは変人だから、気持ち悪い人間だと言われてきた存在だから、ワタシにとっては、世界の全てに怯えていました。この部活動から、ワタシはとても変わることができました。例えば、信じられないでしょうが、ほんの少しは空気を読むことができるようになりました。ほんのすこしだけ自分を出せるようになりました。ほんのすこしだけ、勇気をもらいました。だから、センパイと呼んでくれていたあなた様たちと最後にクトゥルフ神話TRPGを行いたかったのですが、もう遅かったようですね。もう時間の流れが速すぎて、ワタシはあなた様たちとの日々を終わらせてしまわないといけないのです。なぜなら、あと学校にいく日が5日だから!もう、キミたちと出会うの、卒業式なんじゃねえかなって思うくらいに時の流れが早すぎんねん。なんなん!まあ、クトゥルフ神話TRPGの持ちキャラにオディロン=ルドンという人がいるのですが、妻を亡くしているという設定ですが、モデルになった人物も先に妻を失っているんですね。気づかずに妻を亡くしている設定を立てましたが、まあ、人生は偶然に身を任せてみるのもいいのかもしれません。進路だって、親から勧められて行ってみたところが合っていたというよりも、自分の目で見たところが合っていたということもあるかもしれません。ワタシは変人でした。一言で自分を表すとしたら、関わり合いになりたくない人間でありましょう。ですが、はしゃいでブツブツ独り言をいう空気を悪くさせるワタシを無視して、老人会とも揶揄される日常が好きでした。小説を書くために生きてきたワタシの人生とは違い、あなたさまたちはワタシなんかよりも才能があるのでしょう。
好きなように暮らして、好きなように騒いで、好きなように生きていたうるさい変人の先輩は、また来年克己会の時に冥府の底からやってくるので、その時にはまたみなさまの話を見させてもらいにやってくるでしょう。後悔、後退、打ち込みミス、そんなもん、何回も何回もやっていってもいいんですよ。結末を決めるまでは、結論を出すまでは。
まだ三ヶ月と一年、2年以上はあるのですから、なんども迷って、どの漢字を使うかと迷って、己が思う幸せを掴み取ってください。あなた様たちには、そのための手があるのですから。さようなら、きっとまたどこかで会ったならば、もう一度語り合おう。もっと語り合いたいのに……涙が込み上げてきて……ごめんなさい
最期にワタシに会いに行こう。あの子と喧嘩別れをした塾を営んでいた祖母の家の前の柿の木の下、目と鼻の先にはロータリーが見えており、あの子と別れた時にはなかったクリーニング店がある。あの子との喧嘩別れの時にはあった移転してしまった駅名のついた高校もあるのが、時の流れを否が応でも教えてくれる。だが、変わらない光景も、西側にはあった。西側は本当に何も変わっていない。パン屋も、小学校も、中学校も、何も変わっていない。変わらなさすぎて、目からビームが出てしまいそうだ。そんな場所の中で、押入れから引っ張り出してきたあの子のことを思って書いた文の書かれた自由帳。その中には未熟で稚拙、幼稚としか言いようのないが、真剣に心情が書き綴られていた。当然、今のワタシには駄作としか言えないほど、助詞の間違いや、訂正すべき箇所は数えきれないほど見つかりはする。だが、このままでいい。このままがいい。このままでなければダメなのだ。
「ああ、そうだ。いつだったか、お互いの愚かさをなすり付け合い、お互いの未熟さを後悔し合って自滅する。あの子は認めないだろうけれども、実は似た者同士なのだろうね。そうだ、忘れていてごめんね。返したかったんだ。帰したかったんだ。還せなかったんだよ。でも、もうダメなんだね。ほら、身体が崩れかかっている。ワタシは、私は、あの子に、今まで……ありがとう……言いたいのに……誰もいない。誰も覚えてなどいない……ワタシだけが覚えているのが悲しいんだ。忘れたくないのに……忘れているんだ。おかしいよ。キミから奪った×という名前を返さないといけないんだよね。おかしいよ。ずいぶん前から気づいていたんだ。ワタシだけがおかしいって」
あの子の幽霊なのだろう、今もまだ慈愛に染まった瞳でキラキラとワタシを見ている。死神の足音がヒタヒタと近寄ってくる。覚悟なら据わっている。だが、その時が迫るに近づき、ワタシの息は荒くなり、危機回避の本能が後ろを振り向くなと警報を鳴らす。でも、後ろを振り向かずに前だけをみて、私情を最期に漏らす。
「あのね、実はワタシは君たちが羨ましい。君たちと過ごす放課後の時が至福だった。常に不安の陰から怯えているワタシからすれば、ここは梶井基次郎の作品に出てくる一顆の檸檬だったから。一顆の檸檬が不安の塊を振り払うがごとし。話を書くと反応してくれて、意見が合ったり、合わなかったり、いつも影響を受けていたのかもしれない。優しく接してくれて常識を教えてくれた大黒柱。奇術を見せてくれて、努力の大切さを伝えてくれた人。幸せに囲まれたまま、幸せなままにこの部屋を去ることになったね。ああ、伝えきれないよ。ありがとう、シショー」
そう言い終えると、オボロが近くのバス停で待っていた。
顔のないバスの車掌が乗れと手招きをしてくる。
「ごめんね。やっぱり、あの子の……アイのいる世界のハッピーエンドなんて糖分過多で死んじゃうって言うけど、あの子のいない世界では、ハッピーにはなれないから。ハッピーになるために……先に逝くよ。楽園でまた会おう。オボロ、あとは……」
そう言い残すと、始発のベルが鳴り響く。周りの景色が遠く離れていく。見覚えのある景色から、何もない世界へ、無明の世界の中で、キラリと輝く一つの光に向けて、バスは突き進む。
この言いようもない悲しみも、この幸せな時間も全てを乗せて、私はアイを帰しに行くのだ。返しに、孵しに行くのだった。そう、これに副題をつけるなら。
「これはカミサマの遺した置き土産のお話」
[真エピローグ:アイのかえされた世界]
「逢いたかったよ!アイ。キミの名前を帰しに来たから、私の名前も返してもらおうか」
「うん、ワタシはそれほど逢いたくはありませんでした。何故、あなたはそんなにも幸せを拒絶するのですか?目前の幸せにしがみついて離れなければ、ワタシもまだ憎めたあいせたのに。まあ、来たからには仕方がありませんね。ワタシもこれでようやく安心して、あなたを迎えに行けますので。ええ、ワタシは死神なのですよ。アイという死をもたらす悪魔なのですから。だから、あなたは何も悪くありません。あなたが悪いのは何もありませんでした。注意散漫で、舞い上がっていて、喧嘩別れで終わったのも、仲の良さの証明でしょう。誇りに思うべきでした。ですので、指切りげんまんしましょう」
「「お互いの未熟さに後悔しあって、それでまた罰を負わせましょう」」
「「ずっと忘れない。嘘ついたら、針千本飲ます。指切った」」
「じゃあね」
「うん、じゃあ、また明日」
「……明日も来てもいいかな」
「そう言ってくれるといった甲斐があるよ」
これで終わり。いいや、新しいワタシと私の始まりなのだと信じて、慌てて駆け出す。あとは地獄へ向かうだけだから。
「さよなら、またいつか」
[裏エピローグ:載せられなかったオモイデ]
幼い頃、殺めた生命は数知れず。小さな生命を弄っては、平然と笑って帰路についた。今になって考えてみると、真っ先に死ぬのは私でよかった。
ふと、そんな歌を聴いていると、やっぱり、伝えたい思いを付け足したくなった。だから、こんなノートに書き綴るのだ。
「クトゥルフ神話TRPGでも思うんだけど、やっぱりさ、作るキャラクターは運命的なものによって作られた赤子も同然なんだよな。だからさ、たくさん作ることがいいことではなかったのかもね。1人を徹底的に愛した……を見ていると、やっぱり、こう思うのだ。一生、そいつを見捨てない覚悟もなく、ただただ作ったワタシはやっぱり最初にいなくなった方が良かったのでは」
「ねえ、ワタシなんて、この部室にいてもいいのかな?」
やっぱり誰も答えてくれない。でも、答えてくれないどころか、無言の世界が嫌になって後ろを振り向くと誰もいない。
ハロウィンの日、普段よりも早く着いて鍵を開ける。まあ、部活動ではいつもワタシは早くきているから、みんな、まだ来なくても仕方がないだろう。
誰も来ない、誰も来ないとなると、自己嫌悪が襲ってしまう。自己嫌悪をするたびに、部員の1人が言った言葉を思い出す。
「お前はメリーバッドエンドが多いね」
「ワタシはさ、好きなんだよね。シアワセの価値基準は人それぞれだというのに、みんながシアワセだと感じてしまうような作品なんて、なんでそんなの書かなきゃなんねえんだろ」
でも、気づいている。人はハッピーエンドしか求めていない。メリーバッドエンドは、作者の自己満足に過ぎない。でも、小説なんて、ただの自己満足でしかないだろう。だって、こんなの、ただの満たされない自分を、小説の中でだけ、救われてほしいという自己陶酔だ。こんなのに価値がない。
うらうらとした周りの空気が濃くて存在価値を奪うでしょ。のんびりとした周りの空気、空気を読めという静かな重圧が強すぎて、大きな独り言をつぶやいていないと自分を保てないのに。自分を保てなくなって存在価値が消えていく。
「生命線とか無駄に長いだけで何の役にも立たないただのしわだよ。心の奥がしょうもない人生観を嘆いているの。耳に刺さる理想を吐き捨てて消えてしまいたい。生涯なんてもんにどんな値が付いて自己中心的だって?思いの欠片も知らないでどうせ向こう数十年経った先では煙たがれて、なら私を刺して殺して奪って去って」
実際、この曲の通りなのだろう。ワタシがどれだけこのクラブ活動に癒されて居場所を与えてもらえているかというシアワセなのかも知らないであんたらは生きていくんだ。
卒業式が終わってしまっても、自分はきっと忘れられないだろう。自分は個性はあっても、何も覚えてもらえるような価値などなかった。でも、個性があるからね。けれども、卒業式が終わると、彼らと会うのはごくわずかになる。それが辛い。
どうしようもなく愚かしく、情の深さゆえに死した男の話をしようか。ワタシの存在価値などどこにもないじゃないか!ワタシが誰にも見られていない、忘却されたワタシの存在を取り返したかったのだろうか。エピローグの後は基本的には蛇足なのだ。だって、そんな幸せに満ちた日々を過ごしていたというのに、幸せが色褪せてしまうから。この色褪せた幸せを再び色付けたかった。
後悔してしまっていた。この部室の鍵を毎度開けるたび、なかなか来ないみんなを待っているのが辛かった。居なくてもいいのではないかな。居ることがだんだんと辛くなる。自分がいる必要はない、自分を誰も見てはいない。自分のイタイ思いが、誰かを傷つけてはいないだろうか。狂っていく、価値観が歪んでいく。誰もが独善的なんだ。誰かのことを気にしているようで、結局は自分しか見えてはいないのではないだろうか。苦しみが、自己嫌悪の塊がワタシを追いかけてきてしまう。もう、部室には誰もいない。部室にワタシを知っている人がいないのだ。センパイのセンパイ、そのまたセンパイという風になって行くのか。部活動の引退が決定した文化祭の後もワタシは部室へと通い続けていた。徐々に部室には同級生がいなくなっていく。はじめにいなくなったのは誰だろうか。頼れるあの男か、女の子か、どうだっていいか。もう感覚は麻痺してきた。悪いことは重なるもので、祖母が死んだのも、部活動の終わりが見えてきた12月ごろだろう。
ワタシの部活動にいる間の気分を“陽”と喩えるとすれば、自分が家へと帰る気分は“隠”となる。暗闇がワタシを追っかけてくる。
光がどこにも見えやしない。クトゥルフ神話TRPGをみんなですることも、キャッツ&チョコレートをすることも、みんなとTRPGをすることもないのだ。追い本が贈られたら、もうこんな楽しい日々も終わる。バイバイも言えない、バイバイを言うことで、このぬるま湯の関係を終わらせるのが嫌だった。生きているようであるが、死人も同然のこのワタシ。優しさで誤魔化そうとするな。もうきっとわかっている。だから、この終わりには、最高の拍手喝采が待っていて欲しかった。
さあ、次に会うのは同窓会。己の未熟さに打ち克ち、理想を語り合おう。まだ未熟なこどもであるワタシたちは、いつか立派なオトナ様になったら、この物語を再び語るとしよう。
今作は、文化祭の時に、所属している部活動で、書いたものの、長すぎてお蔵入りしていたのを取り出して、やや改良したものです。この作品は、簡潔にいうと、人生謳歌です。
設定:ワタシ(私):私、小説家になろうで蒼空の龍神として活動しているほか、絵を描くのが好きな主人公。ただし、二次創作の絵を頭ごなしに否定されて以降、一次の絵にも自信を持てなかった。美術の授業をとった理由は、小説に挿絵に使うため。なお、その作品は後日、pixivに投稿予定。
ワタシ(真):このモデルになったのは、小学校時代の思い出と、フィクション八割増し。アメトイナがナイトメア。
<主人公の時系列>
小学四年生:いじめられっ子。鉛筆削りの刃を椅子で壊してできた刃で、右手首を斬られてしまい、人が怖く感じるようになる。
中学三年生:私だった頃に“ワタシ”と出会い、自分が自由帳に書いていた小説を読んでもらったことがきっかけで彼女と仲が良くなる。




