お兄ちゃん狩り(ゴア、グロ、スプラッター注意!)
[プロローグ 過去]
妹は、死体を気の済むまで弄び、
「次はどのお兄ちゃんを殺そうかな?」
と、笑顔を振りまいた。
血化粧の中に咲く笑顔は、可愛らしくて太陽のようだった。
[兄視点 現在]
クンクン。見つけた! あやの匂いだ! そこは昼下がりの普通の商店街。
俺はいつものように妹の痕跡を探していた。
「ママ〜」
小さい子が遠くから俺のことを指差している。
「見ちゃダメっ!」
母親らしき人が、その子を連れてそそくさと去って行く。
「全くなんだよ。人を変態みたいに……失礼だな」
と俺は呟いた。みなさん! 俺のことを変態だと思いましたか?
いいえ。ただ妹を溺愛しているだけです。要するに重度のシスコンな訳です。
「ん? 風が運んでくるこの匂いは……2週間前の日曜日に、あやが駅前の三丁目の大通りのカフェでカフェモカSサイズ120円を飲んだ匂いだ!」
見つけた! 今度こそ見失わない!
「ママ〜。あの人なんであんなことわかるの?」
小さい子が遠くから俺のことを指差している。今度は別の子だ。
「見ちゃダメっ!」
今度も俺をまるで変態扱い……でも、知るか!
あやを見つけるためだったらなんだってしてやる。どんなことでもやってやるよ!
あやのためだったら犯罪をしても許されるのだ!
「ママ〜。あの人妹のためなら犯罪を犯すことも厭わないって」
また別の子がこっちを指差している。つーか、君今俺の心読んだよね?
「見ちゃダメっ! ああいう人は、刑法174条の公然わいせつ罪によって6ヶ月以下の懲役もしくは30万円以下の罰金、または拘留、科料を課せられればいいのよ!」
おいっ! 具体的すぎるだろ。なんでそんなに詳しいんだ、あんたら?
しかもなんで俺が公然わいせつ罪を犯す方向で話が進んでるんだ?
そんなこと一言も言ってないぞ?
まあいいや、気を取り直して、早くあやがいたカフェに急ごう。
————そしてカフェの方へダッシュした。
「きゃ〜。こっちに来た〜」
きゃ〜じゃねーよ。何もしねーよ!
「きゃ〜あの人きっとシスコンよ。ロリコンよ。きゃ〜」
合ってるけど、君俺の妹じゃないよね? 関係ないよね? あとロリコンを足すな。
「きゃ〜。あの人きっと熟女も好きよ! 幼女から熟女まで幅広いラインナップなのよ。
でも、同年代の女の子だけは怖くて話しかけられないのよ。
なんでかわかる?
自分に自信がないからよ。自信がないから身内である妹に依存してるのよ。きゃ〜」
おいー。おめーらいい加減にしろよ。熟女はないわ。つーか、こいつら分析力半端じゃないな……
————俺はボロクソ言われながら商店街を後にした。
[妹視点 現在]
そこは、とある小さな街。都会とは言えないけど田舎とも言えない。
ビルの隙間からところどころ緑色の木々が顔を出している。
言うなれば、これから都会になろうとしている都会。そんな場所に私はいた。
「はあ〜。この街もダメか〜」
私がお兄ちゃんを探し始めて13日経つ。まだお兄ちゃんは見つからない。
一体どこにいるのだろう?
「ねえ。君いま1人? 可愛いね? 一緒に遊びに行かない」
見るからにちゃらんぽらんそうな若い男が話しかけてきた。というよりナンパだ。
————まただ……今日だけで何回目だろう?
「あいにく私はいま忙しいので……」
「綺麗な黒髪と綺麗な顔が合わさって、相乗効果ですごく綺麗だ。可愛いの何乗かな?」
「初めてそんな口説き文句聞きました。ありがとうございます。でも本当に忙しいので……」
「いいじゃん。いいじゃん。ちょこっと遊ぶだけだから〜」
あーもう面倒臭い。もういいや、嘘ついてとっとと行こう。
「すいません。私、男なんです」
笑顔でそう言った。
「マジで〜! 俺こう見えて男もイケるんだよね〜」
マジかこいつ?
「すいません。私女の子が好きなので〜それでは〜」
あーもう! うっとおしい!
「頼むよ! ほんの少しでいいんだ! ちょっとフリスビーするだけだからさ!」
え? この人、ナンパでフリスビー誘ってるの? 行くわけないでしょ……
「すいません。フリスビーなら1人でもできると思うので……私はこれで」
フリスビーはもちろん1人でなんてできない。割と露骨にうざがってるんだし、もういい加減にしてよ。
「ええ〜やろうよ〜。フリスビーやろうよ〜。フリスビーフリスビーフリスビ〜」
「あーうっさいわねっ! あんたの顔は好みじゃないの! 早くお兄ちゃん探しに行きたいのっ!」
「ひっ! お、俺の顔が好みじゃない? たまに3人に1人くらいはイケメンかもって言ってくれる時もあるんだぞ!」
いや、それイケメンじゃないわよ。明らかにイケメンじゃないやつに『俺の顔どう?』って聞かれてはっきり言いにくいからお世辞言ってるだけじゃない……なんだかこの人が可哀想になってきた。
だけど、お兄ちゃんを早く探したいんだ。可哀想だけど現実を見せてあげよう。これも一種の優しさだ。
「なら、今からあんたに点数をつけてあげるわ! それに懲りたらもう諦めなさい」
「よ、よぉ〜し。どんとこい!」
何がどんとこいだよ? この人、本当にヤンキーか? というか、よくナンパできたな。
「行くわよ! 顔2点。体1点。喋り方1点。性格2点。ファッションセンス2点。
フリスビー8点。以上よ」
「ほへ〜〜そんなに低いのか〜。ショックだ……つーか一個おかしい項目あるだろ!」
そうよ! 早く突っ込みなさい。
「フリスビーはおかしいだろ! なんでフリスビーの点数が満点じゃないってんだ?
俺のフリスビーに何の不満があるんだよ?」
そこかよ……フリスビーくらいしか褒めるところがなかったから入れたのに、まさか点数に不満を持つとは……
「あら……そうね。確かにあなたのフリスビーにかける情熱は並並ならぬものを感じるわ。
それを考慮してフリスビー10点。おめでとう! あなたの勝ちよ」
私はだんだん彼が可哀想になってきたのでフリスビーの項目の点数を上げてあげた。
というか100点満点のつもりだったけど、黙っとこ……
「うわ〜い。やったー。じゃー僕もう行くね。フリスビー!」
「ええ! じゃあフリスビー!」
なんてフリスビーが別れの挨拶みたいになってるんだ? まあいいや、早く次の街へ急ごう。
[兄視点 現在]
「はあ……はあ……」
ようやくあやがいたであろうカフェについた。痕跡は2週間前のものだ。早くあやを追わないと……!
————そして、あやの座っていた席に行くと……そこには先客がいた。
「あのっ! はあ……はあ……席を譲っていただけないでしょうか?」
「はあ? なんでよ? 他にも空いている席はあるじゃない? そっちに座ってよ」
黒髪の同年代くらいの女の子が読書をしていた。妹にそっくりで可愛らしい。
瞳の色までそっくり。ウッヒョ〜。シスコンにとってはたまりませんな。もう最高!
「いえ、この席じゃないとダメなんです」
「なんでよ?」
「妹の匂いがするからです」
「は? ひょっとして変な人?」
「失敬な! あやは真面目でいい妹です。それを変な人呼ばわりとは……謝ってください!」
「いや……あんたのことを言ってるんだけど……」
「いいから謝ってください!」
「ご……ごめんなさい……」
全く失礼な人だな。でもこれであやの匂いにありつける。俺は女の子に近寄って行った。
————そして、肩を手で掴むと無理やり椅子から引き摺り下ろした。
「きゃっ。ちょっと何するのよ?」
女の子は怒っているみたいだ……だけど急がなくては……店内はざわつきだし、周囲の客が俺の方を見てひそひそ声で喋っている。
だけど、そんなこと気にしている時間はない。
「いただきますっ!」
そして俺は女の子が座っていたところの匂いを一心不乱に嗅ぎまくった。
「きゃーーーーーーーーーーー!」
店に響き渡るくらいの大声で叫ばれた。
————そして、女の子は右手をおおきく振りかぶった。
轟音とともに空気が裂け、平手打ちがまっすぐゴールを目指して突き進む。
フルスイングされた右腕は凶器に近かった。凶器は俺の頬をまっすぐ正確に叩いた。
俺は頭に強い衝撃を受け吹っ飛んだ。インパクトの瞬間は走馬灯が見え、あたりがスローになった。
楽しかった日々が消えては浮かび……また消える。さよなら……あや。
[兄視点 15分後]
「ごめんなさい……で、でも……あなたにも原因はあるんだからねっ!」
頬を真っ赤に腫らした俺は女の子の向かいの席に座っている。
この人本当に女の子か? 男の俺と同じくらいの力だった。
周囲の客はよほどびっくりしたのかほとんど店から出て行った。そこまで引かなくてもいいだろうに……
「…………」
「は、はい。これお詫びにアイスコーヒー。ありがたく飲みなさい」
「コーヒーが歯茎にしみる……」
「ごめんなさい……それで、その探している妹さんはどこにいるの? あなた、妹が行方不明なら早く探しに行きなさいよ」
「だから、それを君に邪魔されたんだろっ?」
「あんたが悪いんじゃないのー! というか私の名前はカナよ」
「いーや。俺の捜査を邪魔した君……じゃなくてカナが悪い! 公務執行妨害で逮捕してもいいのか?」
「公務執行妨害って……警察官じゃないでしょ……それと、私は絶対悪くないわ。
女の子の座っていた椅子の匂いを嗅ぐなんて変態よ!」
「ああ。俺は変態だ。3人兄弟の中で一番の変態だ」
「……それに、いい歳して妹、妹って……変態のシスコンよ」
「ああ。そうだな。俺はシスコンだ」
「さらに……」
カナが言い終わる前に俺は遮って、言おうとしているであろうことを言った。
「さらに、俺は彼女いない歴イコール年齢だ。同年代の友達は次々と彼女を作って青春を謳歌しているのに、俺には彼女一人作れない。だからそれを紛らすためにシスコンと変態に走った」
「あんたなんで人の心が読めるのよ……? 怖いんだけど」
「シスコンだからだ」
「それじゃ説明になってないけど……まあいいわ。シスコンのお兄さん。あなたのその探している妹さんはどこにいるの?」
「うむいい質問だ。カナの座っていた椅子の匂いを分析した結果が出た。
あやは2週間前の日曜日に、ここに来ていた。そして汗の匂いの劣化具合から察するに14時から16時までここに座っていたようだ。頼んだのはアイルコーヒーで、砂糖は2つにミルクは1つだ」
「なんでそんなことまでわかるのよ……ってかあんたかなりヤバイ人みたいね……もう痛みは引いたでしょ。
妹さんに会えるといいわね。じゃ私は行くわね」
「ダメだ! 君も手伝ってくれ。君にぶたれたせいで匂いを辿るのが難しくなった。
早くしないと……また死人が出る」
[妹視点 2週間前の日曜日 カフェにて]
「おにー……っちゃん!」
やっとお兄ちゃんに会えた。嬉しいわ。頑張って探した甲斐があった。
「なんだよ……改まって……照れるだろ」
お兄ちゃんが照れてる。かわいい。
「えへへ……なんでもない」
大好きなお兄ちゃんの前だと緊張する。ドキドキする。やっぱりお兄ちゃんのことが大好き。
「ヒカリは本当に俺のことが好きだな……他の兄弟にも、ちゃんといい子で接するんだぞ?」
「他のお兄ちゃんのことも好きだもんっ! でも一番は航平お兄ちゃんだよっ」
私はお世辞抜きで他のお兄ちゃんも好きだ。だけど、やっぱり一番は航平お兄ちゃん。
カッコよくて優しくて、妹思い。
「そろそろ行こうか。カフェでだべり出してもう2時間。アイスコーヒーも飲み終わったろ?」
「うん! 行きましょう」
[兄視点 現在 フリスビー公園にて]
俺とカナはもう残り香のようになったあやの匂いをたどって公園まできた。
この公園は通称フリスビー公園。なんでフリスビー公園っていうかって?
そりゃもちろんフリスビーをやる公園だからだ。懐かしいな……妹と何度かきたことがある。
一緒になって夕方までフリスビーして遊んだな。懐かしい。
本当に懐かしい。もう随分と昔のことに感じる。
「ハアハア……どういうことよ……死人が出るって……?」
と息を切らせたカナ。俺は黙って公園の入り口に張られたバリケードと『KEEP OUT』の文字を顎で示した。
「もう遅かったみたいだな……」
「え? どういうことよ?」
真剣な表情で俺に尋ねるカナ。そんなカナの思いに応えるように俺は真剣な表情で答えた。
「死人が出たんだ」
[妹視点 現在 とある街にて]
お兄ちゃんを探す旅に出てからもう何日経っただろうか……
「この街にもいないなー私のお兄ちゃん」
私は独り言を呟いた。ファーストフードのハンバーガーは美味しい。
食べ過ぎは体に毒だけど、病みつきになる。一回食べたら忘れられない。
しょっぱくて甘くて舌の上で快感が踊っている。
「今回もダメか……」
そう思って席を立とうとした時だった。お兄ちゃんが現れた。
「おにーちゃん!」
「君がもしかして……」
「そう! モエです。これからよろしくね! お兄ちゃん」
見つけた! 私のお兄ちゃん!
[兄視点 現在 フリスビー公園にて]
「俺ちょっと行って捜査状況を聞いてくる!」
俺はいても経ってもいられずに『KEEP OUT』の文字を無視して公園の中へ走った。
「は? え? 一般人が行って捜査状況なんて教えてもらえるの? ちょっと!」
「カナはそこで待っててくれ!」
——15分後
「ぐわっ。いててっ」
俺は案の定、警備の人に放り出された。
「ほら〜。言わんこっちゃない……で、何かわかった?」
「ああ。殺されたのは男性。凶器は巨大なノコギリ。
よほど恨みがあったんだろうな……遺体は一刀両断されていたそうだ」
「え……ひょっとしてあなたの妹さんが……」
「いや、犯人は女じゃない。あやがここにきたのは確かだが、男の力じゃないと無理だと言われた」
「え? さっきから、話についていけないわ。何がどうなっているのか……」
「カナ……君はもう帰るんだ。ここまで協力してくれてありがとう。本当に感謝している」
「嫌よ。ここまできたんだし、最後までやるわ」
「わかった。なら引き続きあやの後を追う。俺は妹の痕跡を辿るのが得意だからな。待ってろよ……あや」
[兄視点 現在]
あやを追い始めて随分たった。痕迹から察するに、別の街へ向かっているようだ。
俺とカナはその街へ続く一本道をひたすら歩いた。もうクタクタ。
足は痛いし喉は乾いた。だけどまだ歩を止めるわけにはいかない。
「まだ……?」
「ああ。まだだ」
「あとどれくらい?」
「あとちょっとだ」
「それさっきも聞いた」
カナがしつこく聞いてくる。余程疲れたのだろう。追跡慣れしていない普通の女の子にはきついだろうな。だけど、カナと同じくらい俺も疲れている。
「ああ。さっきも言った」
「本当にこっちで合ってるの?」
しつこいな……いい加減俺の痕跡を辿る能力を信じてほしい。
「ああ本当にこっちで合っている」
「どうしてそんなに自信があるの?」
「なぜなら、あやの履いている靴は『Beauty Lady』というブランドの2009年モデル。
足のサイズは24センチ。色は薄い水色で、匂いはあやの足の匂いだからだ」
その時、すれ違った子連れの親子がこっちを見ていることに気づいた。子供が俺の方を指差して俺に言った。「ママ〜。あの人なんであんなことしてるの?」「見ちゃダメっ!」母親はそう言うとそそくさと子供を連れて何処かへ行ってしまった。
「うわっ。久々に出たわね……改めてすごく気持ちが悪いわ」
「ありがとう。そんなに褒められると悪い気はしないよ」
俺は嬉しくなって笑顔で答えた。
「シスコンにとっては今のが褒め言葉ってことね! だんだんあなたのことがわかってきたわ」
「カナ! 急ぐぞ! 足跡が増えている」
「どういうこと?」
「あやの足跡をトレッキングしていたが、別の誰かもあやを追っている。それに、あやは今1人じゃない……」
「具体的には何人いるの?」
「今度のはすごいぞ……3人一気にヤる気だ。
ここまでついてきてくれてありがとう。
だけどもう危ないから帰ってもいいんだぞ?
カナは俺の妹探しとは何の関係もないんだし……」
「いいえ! ここまできたし最後までついて行くわよ!
それにあなたにはまだ私が必要みたいだしね!
それとも、私がいなくても大丈夫?」
「いや、ダメだ。一緒にきてくれ」
そういうと俺とカナはダッシュであやを追った。もうあやに追いつくし、カナの助けはいらないように思えた。
だけど、なんとなくカナがまだ必要だという気がした。
——10分後
「……でも、どうして……あなたはそこまでするの?」
カナが俺に尋ねた。だが、俺は答えなかった。
————その時、前方を歩いている4人組を見つけた。
「さ! 早く行くぞ! もう追いつける! いたぞ! あやだ!」
俺はようやく追いかけていた人物を見つけると、彼女の名前を呼んだ。
「あやっっっっっっ!」
[妹視点 現在]
ランランランラン。私は今とってもいい気分。だって探していたお兄ちゃんをようやく見つけたんだから。
「おにーちゃん!」
嬉しくてお兄ちゃんの名前を呼ぶ。
「なんだよ。急に」
「ううん。なんでもない」
「おとーさん!」
嬉しくて今度はお父さんのことも呼ぶ。
「なんだい? モエ。嬉しそうだな」
「ううん。呼んでみただけ」
私はそういうと可愛い顔をして見せた。
「おかーさん」
「あら? 私のことも呼んでくれるの?」
「うん! だって家族じゃない!」
私は嬉しい。家族がいれば他に何にもいらない。私は家族の大切さをよーく知っている。そう、誰よりもね。
「あやっっっっっっ!」
その時だった。後ろから私のことを呼ぶ誰かがいる。
私の幸せを壊そうとするのは誰なの?
私は後ろを振り返る。
そこには知らない人がいた。私のことを、あやと呼んだ男の人が走ってくる。
私はその人に言った。
「あなた……誰?」
[兄視点 現在]
あやはこちらを振り向くと迷惑そうな表情で返事をした。
「あなた……誰?」
とぼけやがって、もう逃げ場はない。俺はあやを問い詰める。
「また記憶を消したふりか? そんなことをしても無かったことにはならないぞ!」
あやに向かって言うが、あやは、なおもとぼけた表情。ふざけやがって。
「ちょ、ちょっと。あなた誰ですか? 人違いじゃありませんか?
この子はモエです。あなたの言うあやって子じゃないです。
あなたストーカーかなんかかしら?
警察を呼びますよ?」
中年女性が俺に向かって言った。かなり動揺しているようだ。
俺は懐から身分証明書を取り出した。
「俺は神田明、警察官です。宮本あや。
お前を殺人容疑で逮捕する。……俺の両親と……世界一大切な俺の可愛い妹……さやをよくも殺したな」
[兄視点 過去 あやに追いつくちょっと前]
「え? あなた本当に警察官だったの?」
カナが俺に言った。
「ああ。本当だ。じゃなきゃトレッキングなんてできないし、殺人現場に入れて情報をもらったりなんてできないだろ?」
「それもそうね。それで……あなたの義理の妹さんの話もう一度よく聞かせて。
今度は全部本当のことを言って。ここまで一緒に痕跡探ししてきたのよ。
私を信じて。私もあなたを信じるわ」
「あれは……10年前……」
[兄視点 過去 10年前]
「お兄ーちゃん」
とあやが俺を呼ぶ声。
「お兄ーちゃん」
とさやが俺を呼ぶ声。
新しい妹が来てから数週間。家はすごく賑やかになった。
両親は俺と血が繋がっていない。俺と妹達もだ。
だけど、そんなこと俺たちに関係なかった。両親は子供が望めない体だった。
そこで俺たち孤児を養子として迎えてくれた。2人ともすごくいい人だ。
まるで血が繋がっているみたいだった。お金はあまりないけど、暖かくて幸せな家族だ。
妹のためなら命なんて惜しくない、そう思えるくらい幸せな日々だった。
そんなある日のことだった。それは何の前触れもなく起こった。
俺はいつものように学校から帰ると玄関を開けた。いつものように、ただいまと言った。
だが、返事はない。まるで家が俺を拒んでいるみたいだった。
来るな。中に入って来ちゃダメだ。無言でそう行っているように聞こえた。
だけど、俺は無言の忠告を無視すると、家の中に入った。
最初の死体を見つけるまでそう時間はかからなかった。
動かなくなった父親の体からは温度が消えていた。
なぜ死体は気持ち悪いのだろうか。
さっきまで生きていたはずなのに、死ぬと途端に気持ち悪いものになる。
俺は、声をかけながら必死で父親の死体を揺すった。
死体に返事なんてできるはずがなかった。俺はここで引き返すべきだった。
家から逃げ出して大声で助けを求めるべきだった。
だけど、俺の妹がまだ生きているかもしれない。救急隊と警察に電話をかけてから、妹を助けるために震える両の足を交互に動かして部屋の奥へと進んで行った。
部屋の中はいたって普通だった。いつもの光景、いつもの部屋だった。
いつもと違う点は一点のみ。部屋は温度が無くなったようだった。
まるで部屋そのものが死体になったみたいに。
そして、2人目の死体を見つけた。遠くから見てもわかる。もう死んでいる。
母親の亡骸のそばに来ると後ろから俺を呼ぶ声がした。
「お兄ーちゃん!」
俺は恐る恐る後ろを振り返った。
————そこには可愛い妹がいた。あやに早く逃げようと言った。
「どうして?」
あやは俺に聞いた。この状況を見てなぜ平気でいられるんだ。
とにかく早く逃げようと言った。
「いやよ」
なおも、家から出たがらないあやに、どうして逃げたくないのか尋ねた。
「だって、まだ全員殺してないもの」
あやの笑顔は不気味だった。まるで死体が喋っているようだった。
俺は、あやが両親を殺したことに気づいた。あやは一家惨殺をするために養子になったんだ。
俺はすぐに逃げ出そうとした。だけど足が動かない。
足に温度がないのだ。まるで足だけが死んでしまったかのようだった。
死を覚悟した時————
「なに……してるの……?」
さやの不安そうな声が聞こえて来た。
後ろを振り返るとさやがいた。最悪のタイミングで学校から帰ってきたのだ。
————そして俺の横を何かが風をきって走り抜けた。俺は、見ているだけだった。
————あやはまっすぐさやに距離を詰める。周りはスローになり、一瞬が永遠に感じる。
————さらに、距離を詰める。一撃必殺の急所狙いだろう。確実に一撃で深く刃物を刺すつもりだ。
あんな刃物で刺されたらひとたまりもないだろうな。頭ではわかっていた。
俺が助けないとさやは死ぬ。なんとかするんだ。俺はさやの兄ちゃんだ。
俺がさやを守らないといけないんだ。妹のためなら命なんて惜しくない……そう……頭ではわかっていたんだ。
だけど、体は凍りついたように動けないでいた。
あやは嫌がるさやを押さえつけた。
「いやっ! やめて!」
「ほら? あんたの妹が死ぬよ? シスコンなんだろ? 妹が好きなんだろ?」
あやが俺を挑発する。
だが、俺は……ただ見ていることしかできなかった。
「ちっ! 根性なしめ……」
そういうとあやはさやを押し倒し、刃物を振り下ろした。
何度も何度も……とっくに致命傷を負っているのに、それでもあやは刃物を突き立て続けた。
振り下ろされた凶器は、小さいさやの体に不釣り合いな大きな刃物だった。
刃物はさやの体を貫通して地面にあたりガツガツと音を立てていた。
————俺はそれをずっと見ていた。何もできずに。
ようやく満足したのかあやはさやの小さな体から降りると俺の方へ歩いてきた。
「本当に何もしないで見ているだけかよ……この腰抜け」
俺は殺されると思った。あやが近づいてくる。一歩、また一歩と距離を詰める。
————そして、俺の目の前まで来ると…………何もせずに引き返して玄関から出て行った。
殺人鬼がいなくなりようやく動けるようになった俺は、さやに急いで駆け寄った。
さやの体は血で濡れていない部分が無かった。
頭から爪先まで全てが血でグチョグチョになっていた。
体に触れるとほのかに暖かい。消える前のロウソクのような儚い体温を感じた。
「お兄……ちゃん……」
さやが必死で口を動かす。
「何……?」
俺は泣きそうになりながらそれに答えた。
「さやを……本当の妹みたいに可愛がってくれてありがとう」
さやの胸から出血が止まらない。さやは自分の死期を悟ったのだろう。
「何言っているんだ、血が繋がっていなくてもお前は俺の可愛い妹だ」
「お父さんとお母さんは?」
「2人とも命に別状はないよ……お前も大丈夫だ」
俺は嘘をついた。両親はとっくに絶命している。さやももう助からない。
「お兄ちゃん……お兄ちゃんは優しいね……」
「ああ。お前のことが大好きだからな」
「ずっと優しいお兄ちゃんのままでいてね……」
「ああ。ずっと優しいままだ。約束する」
「ゲホッゴホッ」
さやは急に咳き込むと、血を辺りに撒き散らした。
「おい! 大丈夫か? もう救急隊の人が来る。
その人たちが助けてくれるからもう安心しろ! 絶対大丈夫だ!」
「……お兄……ちゃ……」
「もう喋るな! もう喋らないでくれ……頼む……」
さやの体が痙攣し始めた。痙攣が起きるたびにさやの小さい口から血がみるみる溢れて来る。
「……死にたく……ない……お兄ちゃ……ん」
「ああ。死ぬもんか! 絶対殺させやしない! 俺がついてる!」
さやの体温がだんだんと消えていく。
「……嫌だ……助けて……お兄ちゃん……」
さやの声がかすれて消えていく。一言何か言うたびに吐息と血が口から漏れて来る。
もはや吐息よりも血の方が多く体外へ出ていっている。
「大丈夫だ! 妹を目の前で死なせたりするもんか! 兄ちゃんがついてる! 絶対に大丈夫だ!」
「……助けて……」
その時、家のドアがバタンと大きな音を立てて開いた。
続いて、大人数で駆け寄ってくるような足音が聞こえて来た。救急隊の人達がきたんだ。
「さや! もう大丈夫だぞ! 救急隊の人達がきた!」
「君! 早くどいて!」
救急隊の人はさやの脈を測るといった。
「心停止している。除細動器を当てる」
「さや! 絶対大丈夫だ! 絶対助かる! 兄さんを信じろ!」
かすかにさやが頷いた気がした。
それから幾度となく除細動器からさやの体に電流が流れた。
「絶対にお前は助かる! 絶対に大丈夫だ!」
もう俺の声なんて聞こえていないのはわかっていた。
「もう安心しろ! さや! 俺がついてる!」
だけど、俺は叫び続けた。そうしないと本当にさやが死んでしまうような気がしたから。
「さや! 絶対大丈夫だ! お前は絶対に助かる!」
————そしてさやの体から温度が消えた。
妹のためなら命なんて惜しくない。ずっとそう思っていた。
だけど、いざとなると何もできなかった。ただ妹が死ぬところを震えて見ていただけだった。
俺は……腰抜けだ……
[兄視点 過去 あやに追いつくほんの少し前]
「それで……妹さんを……さやさんを殺した犯人を追っていたのね?」
かなが俺に尋ねる。
「ああ。正確には出血多量で脳死したんだ。今も病院のベッドで寝たままだ。
もう起きることはない……死んだも同然だ」
「……そう」
カナが黙り込んでしまった。自分のことのように辛そうだ。
「あいつの……あやの手口はこうだ。
まず、インターネットで父親、母親、そして必ず自分より年上の男の子がいる家庭を探す。
『養子にしてください。親から虐待されました』とかね。人の良心に漬け込んで獲物を探す」
「なんで自分より年上の男の子が必要なの?」
「それは……あやに会った時に教えるよ。そして、しばらくその家族に溶け込んで満足すると……全員を惨殺するんだ」
「女の子1人の力で?」
「心臓を大型の刃物で正確に狙えば即死させることができる。
それに、家族として溶け込んでいるんだ殺しの隙なんていくらでもある」
「そして……殺しが終わったら……」
かなも俺と一緒に殺人犯を追跡しただけあるな。あやの動向がわかるようになってきている。まるで第二の俺だ。
「ああ。次の獲物だ……」
「……でも、どうして……あなたはそこまでするの?」
俺は答えなかった。
————その時、前方を歩いている4人組を見つけた。
「さ! 早くいくぞ! もう追いつける! いたぞ! あやだ!」
俺はようやく殺人鬼を見つけるとその名前を呼んだ。
「あやっっっっっっ!」
[回想終了。現在に戻ります]
[兄視点 現在]
「俺は警察官です。宮本あや。お前を殺人容疑で逮捕する。
……俺の両親と……世界一大切な俺の可愛い妹……さやをよくも殺したな」
「なんのこと? 私はあなたなんて知らない。それに、私はあやなんて女じゃない。私はモエよ」
冷酷に言い放つあや。とぼけやがって。もう言い逃れできると思うなよ。
必ず捕まえて、法の裁きを受けさせる。そのために警察官になったんだ。
「もうとぼけるなよ……! 全部わかっているんだ! その家族で何人目だ?」
「さあね。なんのことを言っているのかわからないわ」
「黙れっ! 全部もう調べているんだ……お前の本当の兄のことも……何が会ったか知っている……もうこんなことよすんだ……」
「…………」
「もうお前だけが苦しむ必要なんてないんだ」
「お前に何がわかる……」
「俺も家族を失った。だからわかるよ……認めたくないよな……」
「うるさい! 黙れ!」
「お前は父親と母親がいる家族の養子になり、その一家を惨殺してまわっている殺人鬼だ」
「私は……私は……ただ」
「だけど必ず一人生存者を残す……」
「やめてよ……お兄ちゃん」
「……そうだ。兄を必ず生かしておくんだ」
「…………」
「それはメッセージだった」
「…………」
「お前の本当の両親を殺し、お前を殺そうとした……お前の兄、宮本リュウヤへのな……」
「リュウヤお兄ちゃん……」
「10年前、凄惨な殺人事件は起きた」
「なんだ……そんなとこまでもう調べていたんだ……」
観念したようにあやはうつむいている。
「宮本悟、夏実、リューヤ、そしてあやの4人家族は幸せではなかった。
貧しい家庭での生活は厳しく、やがて両親は子供を叱りつけるようになった」
「あれは……辛かったな」
「うちに金がないのはお前たちが生まれてきたからだ。お前の父親は『お前たちがわがままを言うからうちは貧乏なんだ!』と言ってお前たち兄弟を殴りつけた。何度も……何度も」
「私は、あんなのなんでもなかった。平気だった」
「そうだ。お前は両親の虐待を耐えることができた。だがリューヤは違った」
「リューヤ兄ちゃんは優しいかったからね……」
「リューヤは耐えることができなくなった。
そして……惨劇の夜に繋がった。
リューヤが両親を殺し、お前を殺そうとした」
「リューヤ兄ちゃんは詰めが甘かった。私を殺したと勘違いした」
「…………」
俺は何も答えなかった。
「そして、生き残った私は長男だけを残して家族全員を殺す……家族狩りを始めた」
「それは……リューヤへのメッセージなんだろ?」
「ええ。全く同じような状況での殺人を行ってニュースにする。
何度も何度も……そして、リューヤ兄ちゃんはこう思うの『次は俺だ。あやは生きている』ってね」
「あや……もうやめるんだ……」
「いやよ……あいつは絶対に殺す。私にしたことを償わせてやるんだ」
「違うんだ……リューヤを殺すことなんてできないできないんだ」
「何が違うのよ? 何も違わないわ! リューヤを殺すのが私の生きる目的よ!」
「リューヤなんていないんだよ!」
「は? 何を言っているの? もう死んだってこと?」
「違う! お前は両親の虐待に耐え切れた。
そう思い込んでいるんだろ?
本当は違ったんだよ!
お前は耐え切れなかったんだ。
お前の中に生まれた残酷な人格……それがリューヤの正体だ。
宮本リューヤはお前のもう一つの人格だ」
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あやに残酷な真実を告げると、あやはその場で座り込んで呆然としてしまった。
一言も喋らずにうつむいている。警察も呼んだし、これで事件解決だ。長かった復讐も終わりを告げたのだ。
カナはいつの間にか、いなくなっていた。どこへ行ったのだろう?
事件が解決したから帰ったのだろうか? 手伝ってくれたしお礼がしたかったのだが……
しばらく立ってようやく落ち着いたあやに尋ねた。
「最後にひとつわからないことがあるんだけど、俺とさやがよく行ってた公園……ほらフリスビーの公園」
「あの公園がどうかしたの?」
「あの公園で男の人を殺しただろ? あれどうやったんだ? 警察官に聞いたら犯人は男だって言ってたぞ?」
「え? なんのこと? フリスビーの人ならわかるけど……あの人殺されたの?」
あやは殺していない。俺の体を悪寒が舐めた。
じっとりと粘つく舌で舐めまわされた気分だ。
汗が毛穴から吹き出てくる。
まだ終わっていないんだ。
————その時だった。
つんざくような女性の悲鳴とともに、血が頸動脈から吹き出る噴水のような音があたりにこだました。野次馬の一人が女性を殺した。
その男はまっすぐあやの方を見ている。
「あいつに見覚えはっ!?」
「あいつは……3番目のお兄ちゃん……
「家族をあやに殺されて復讐しにきたんだろうな……」
その男はひどくやつれていた。無理もないな。家族を全員殺されて1人だけ生き残って……
「やっと見つけたぞっ! ヒカリ! よくも俺の家族を殺しやがって! ぶっ殺してやるっ!」
そういうと、男はあやに向かって突進して行った。手には大きなノコギリのような刃物がある。
「あや! 逃げろ!」
なんで俺はあやを心配しているんだ。さやを殺した犯人なのに……どうして?
「ううん。いいのこれで……」
そういうとあやは一歩前に出た。
そんなこんな終わり方……だめだ。
だけど、間に合わないことは明白だった。
この距離だともう止められない。
俺は、さやを失って……もう一人の妹まで失うのか……
————そして、男はまっすぐあやに距離を詰める。周りはスローになり、一瞬が永遠に感じる。
————さらに、距離を詰める。一撃必殺の急所狙いだろう。確実に一撃で深く刃物をさすつもりだ。
あんな刃物で刺されたらひとたまりもないだろうな。あやは苦しんで死ぬだろう。さやのように……
その瞬間————俺は目の前のあやがさやとダブって見えた。
俺はさやが死んだあの日を思い出した。人生最悪の日だった。
家族をみんな失った。一人ぼっちになった。あの日から復讐だけを生きがいにしていた。
————そして、自分でも信じられないことをぼそりと口走った。
「絶対殺させやしない……俺がついてる……」
なんでそんなことを口走ったのかわからない。
かつてさやに言ったセリフだ。
なぜか目から涙が溢れてくる……どうして?
「大丈夫だ……妹を目の前で死なせたりするもんか! 兄ちゃんがついてる! 絶対に大丈夫だ!」
次から次へとあの時の記憶がフラッシュバックする。
苦しみが心の底から流れ出して止まらない。
これじゃまるであやを助けたがっているみたいじゃないか……
「あや! 絶対大丈夫だ! 絶対助かる! 兄さんを信じろ!」
おかしいな……こいつはさやを殺した殺人鬼だ。なのに……なんで……?
「絶対にお前は助かる! 絶対に大丈夫だ!」
さやを失った時と同じだ。俺の腕の中で必死で呼吸しようとするさやの姿を思い出した。胸が苦しい……
「もう安心しろ! あや! 俺がついてる!」
俺は叫び続けた。そうしないとまた妹が死んでしまうような気がしたから。
俺は、もう躊躇わない。もう迷わない。
「あや! 絶対大丈夫だ! お前は絶対に俺が助ける! 妹のためなら命なんて惜しくない!」
気がついたら体は動いていた。俺は刃物を持った男と自分の“妹”の間に体を滑り込ませた。
男の刃物は俺の体を深々と突き刺した。
刃物は俺の骨と骨の間を縫うようにして体内に侵入してきた。
臓器が引き裂かれる痛みで俺は気を失って目を閉じた。
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「……ちゃん……お兄……ちゃん?」
「なんだようるさいな。もう少し寝かせてくれよ」
「お兄ちゃん! 起きて!」
俺は、目を覚ますとそこは真っ白い世界だった。
壁も天井もなくどこまで行っても無限の白。その白い世界の中にポツンと一つベッドがある。
シーツは白、毛布も白、枕も白。俺はそこにいた。
「お兄ちゃん!」
「さ……や……?」
ベッド脇にはさやが立っていた。最後に見たときと変わらない。元気そうな笑顔が俺に勇気をくれる。
「ごめん……俺……お前のことを助けられなかった……」
「いいのよ……」
「でも……」
「だからいいって! あんまりうじうじしてると怒るわよ! このシスコン!」
精神世界に来てもシスコン呼ばわりか。
そう思ったが、そんなことを口にするような気分じゃなかった。
代わりに口から出たのは後悔の言葉だけだった。
「俺……絶対に助けるって言ったのに……」
「お兄ちゃんは私のことを助けてくれたよ……」
何をいっているんだ? 助けられなかっただろ……さや……俺はお前を目の前で死なせた。
「……さや……俺は死んだのか?」
「いえ。死んでないわ。今すぐにあっちの世界に戻れば生き返ることができるわ!」
「…………」
「お兄ちゃん?」
「俺は生き返りたくない」
思っていたことを口にした。
「どうして?」
「俺はお前の仇を討つためだけに生きてきた……あの女を……あやを捕まえることだけを生きがいにしてきた」
「そして、あいつはもう捕まった。だからもういいんだ」
「もういいって……なんで? これからようやくお兄ちゃんの人生を生きることができるのよ! これからじゃない!」
「あんな世界に戻りたくないんだ……両親を妹を亡くした俺に、大人たちはみんな『大丈夫だ。世界の終わりじゃない』と言ってくれた。
まるで待っていればいいことが起こるみたいに…………」
「その通りよ! これからいいことがたくさん起きるわ!」
「ずっとそう信じて生きてきた……だけど、現実はどうだ? 辛いことしかないじゃないか?」
「そんなことないわよ……」
「みんなそう言ってくれたよ……どいつもこいつも無責任になんとかなるさって……辛いのは今だけだって……そんな保証なんてどこにもないのに……」
「…………」
「いいことだらけの人生なんてどこにもない。
生きていれば必ず辛い目に会う。
嫌なことや苦しいことからは逃れられない。だけど……その逆は?」
「辛いことだらけの人生……」
「そうだ。いいことだらけの人生なんてこの世のどこにもないけど……その逆はいくらでもあるんだよ……辛いことだらけの人生を送っているやつなんて数え切れない……」
「だからもう戻りたくないのね?」
「そうだ。戻ってもいいことなんてない。
だからここでずっと一緒にお前と過ごしたいんだ。
お父さんとお母さんも探してまた家族一緒に暮らそう」
「……だめ」
「どうして? 本人が生きたくないって言っているんだ……もういいだろ」
「そんなの許さない。お兄ちゃんが私をこんなに思ってくれているんだから……それに……これからはずっと一緒だよ」
「どういうこと?」
「お兄ちゃんは今心臓が止まってしまったの……蘇生させるためには生きた人間の心臓が必要……そして、同じ病院で脳死状態の私の心臓はもう私には必要のないもの……後はもうわかるでしょ?」
「そんな! だめだ……まだ希望はある」
「もう私は死んだの! 妄想に逃げないで!」
「俺は妄想に逃げたりなんかしていない!」
「お兄ちゃん……現実から目をそむけないで……傷ついた人間の胸に空いた穴を埋めてくれるのは、虚しい妄想なんかじゃない……お願い気づいて!」
「気づいて? 一体何にだよ? 俺は現実をしっかり見てる!」
「いいえ……あなたはまだ幻を見ている。家族の死を乗り越えられていないのよ……」
「もうケリはついた! これ以上何をしろって言うんだよ!」
「お兄ちゃん……これから言うことは現実よ……よく聞いてね……宮本あやは幼少期の虐待が引き金になって統合失調症となり、新たな人格を生み出した。
ここまではお兄ちゃんも知ってるでしょ?」
「ああ! それがなんだって言うんだよっっっっっっっ?」
俺はイラついて答えた。
「でも、統合失調症になったのは、あやだけじゃなかったの……あなたもそうだったの」
俺は衝撃を受けて口が開かなかった。さやはそんな俺を無視して続けた。
「家族を眼の前で殺されると言うトラウマがあなたにもう一つの人格を与えた……その人格の名前は……」
俺は目を閉じて胸に浮かんだ一つの名前を口にした。ゆっくりとだけどはっきりと……
「……………………カナ」
目を閉じてカナとの出来事を振り返って見た。
思えば不審な点はいくつもあった。
カフェで騒いだ時に客がいなくなったのは俺がうるさかったからじゃない。
誰も座っていない席で、俺が1人きりで喋っていたから不審がったんだ。
俺とカナが喋っていたんじゃなかったんだ。
俺が一人二役を演じていたんだ。
まず、俺は喫茶店に着くと本を開いてカナを演じた。
そのあと神田明として、わざわざ立って架空の人物カナに話しかけた。
そして、自分で自分にビンタをして、自分でアイスコーヒーを買ったんだ。
それに、初対面の人間にいきなり捜査を手伝ってもらうのもおかしい。
子連れの親子が『見ちゃダメ!』と言っていたのもそうだ。
俺が誰もいない道で1人で喋っていたからだ。
【その時、すれ違った子連れの親子がこっちを見ていることに気づいた。子供が俺の方を指差して俺に言った。「ママ〜。あの人なんであんなことしてるの?」「見ちゃダメっ!」母親はそう言うとそそくさと子供を連れて何処かへ行ってしまった。】
カナは最後にいつの間にかいなくなっていたけど、それもそのはず。最初からいなかったのだ。
同じ髪の色。
同じ瞳の色。
同じ声。
そして、少し伸びた背。
カナはさやの成長した姿だったのだ。
もし生きていたらこんな女の子に成長していただろうな。
そんな妄想が生み出したさやそっくりの俺の人格。
俺が目を開けると、さやの隣にカナがいた。
「ようやく気づいた? 遅いよ! このシスコン!」
「カナ……ごめん……俺が弱かったから……」
「ううん……いいのよ。気づいてくれてよかった。これで心置き無くあなたの元を去っていけるわ」
「それじゃ……やっぱり君は……」
「ええ。消えないといけない。それが私の役割だから」
カナが最後に見せた笑顔は俺が長い間忘れていた何か、失ってしまった何かを取り戻させてくれた。
パズルピースの足りないパズルは、いつまで経っても完成しない。
今までの俺はずっと1人で暗い部屋に閉じこもり、壊れたパズルを必死で組み立てようとしていた。
そんなことできるはずないのに……
カナの優しい笑顔は俺の胸に開いた穴を埋めるための最後のパズルピースだったのだ。
カチリと音がして俺の心に火が灯った。胸の中に感情の渦ができて、様々な感情が混ざり合う。
悲しみ、苦しみ、痛み、虚しさ、孤独感、無力感、絶望。
それらの全ての感情は濁流になり涙になって目からこぼれ落ちた。
「あらら……あんたシスコンのくせに泣き虫なの?」
「シスコンは関係ないだろ」
俺は泣きじゃくりながら反論した。カナの体は反対側がすけて見えるくらい薄くなっていた。
「もう行くわね……あなたと一緒に妹さんを探せて楽しかったわ。私がいなくても大丈夫?」
「ああ。もう大丈夫だ」
——そう言うと、カナは最後にとびきりの笑顔を見せてゆっくりと消えてなくなった。
「私たちもそろそろお別れね……」
さやは少し悲しそうに、だけど安心したような顔で言った。
「さよなら……さや」
[遠い未来のある日]
「お……ん……お……さん」
なんだ? 俺を呼ぶのは誰だ?
「お父さん! 起きて!」
俺は大きなあくびと共に起床した。
「ねえ! 聞いてお父さん! たつひこが私のおもちゃ返してくれない」
はあ〜またか。俺は寝室を後にするとリビングに行った。そこには息子が一人で遊んでいた。
「たつひこー。さやにおもちゃを返してあげなさい」
「いやだ! さやはいつもおもちゃ壊しちゃうもん!」
「お兄ちゃんは、妹に優しくしないとダメだろ?」
「だって本当の妹じゃないもん!」
その瞬間家の中が静まり返った。さやは半べそをかいている。
俺はたつひこのもとへ行くと屈んだ。
「そんなことを言うな。血の繋がりがあっても酷い事をする親だっているんだ」
俺はあやのことを思い出しながら言った。
「俺がそんなこと一度でもしたか?」
優しく聞いた。首をフルフルと横に振るたつひこ。
「血が繋がってるかどうか……そんなどうでもいいこと気にしなくていい」
そう言うと、息子は娘のもとに走って行き、おもちゃを返した。
「ごめんね!」
と息子が言う。
「ううん。私と一緒に遊ぼ! お兄ちゃん!」
と娘が言った。
——その時ほんの一瞬だけ、幼い自分と自分の妹の姿がチラついた。
もう死んでしまった妹。俺は長い間その事実を受け入れられないでいた。
だけど今は違う。しっかりと現実と向き合っている。もう妄想に逃げたりなんかしない。
そして、俺の家からはいつまでもいつまでも温度が消えることはなかった。
実在しない人物と偽名は、全てカタカナ表記になっております。
例、リュウヤ、カナ、ヒカリ
現実に存在する人間のみ、平仮名と漢字表記です。
「妹とフリスビーをしたんだ」というセリフがありましたが、この時の妹とは、殺されたいい子の方です。
妹が実は二人いることを悟らせないため、あえて妹という”ややボカした表現”にしました。
最初の頃は、時系列、視点が激しく切り替わるので、わかりにくいと思います。
さらに序盤では「ん? 妹の名前ってなんだっけ」という反応になるかと思いますが、それで正解です。
序盤ではよくわからないはずです。
それが後半で、一本の線になったように感じてくれたら嬉しいです。
最後まで読んでくれた方! 本当に感謝の言葉もないです。
お付き合いいただき、ありがとうございました!