驚愕
目を開けると薄暗かった。
ボヤけた視界が少しずつハッキリしてくる。
ここはどこだろうか。
そう思った瞬間、鼻がムズムズしだした。
私はとっさに横向きになり、胎児のように体を曲げた。
仰向けのまま咳をすると腰に負担がかかり、下手をすればギックリ腰になりかねないからだ。
「ぶえっくしょん」
盛大なくしゃみとともに、鼻と口から何かが飛んだ。
今のは思いっきりアウトだけれど、人の気配はないから、ぎりぎりセーフだな。
そんなことを考えながら、私は視線を動かした。
視界の端に、白い物体が見えた。
私は反射的に反対側に寝返った。
何も見ていない。
おそらくあれは目の錯覚だろう。
よしんばそうだとしても、ただのぬいぐるみか何かだろう。
そうに違いない。
この流れ出る鼻水も、溢れる涙もたまたまだ。
空気が変わったときや、気温差があるときにちょっとでるあれだ。
断じてあの生き物のせいではない。
あの悪魔の使いであるはすばないのだ。
「大丈夫ですか?」
澄んだ声が私の鼓膜を揺らした。
「びぇっくしょん」
返事をしたかったが、大きなくしゃみになる。
トン、と軽やかな音をたてて、私の枕元に白い生き物が降り立った。
「ぶぇっくしょん。くしゅん、くしゅん」
私はたまらず立て続けにくしゃみを連発する。
涙で視界がぼやけ、生暖かい鼻水が滝のように流れ出す。
喉の奥もかゆい。
「大丈夫……」
呼びかけに応える余裕などない。
私は反対側を向き、頭から布団をかぶった。
「大丈夫ですか?」
声とともに、布団がトントンと軽く叩かれる。
私は身を固くした。
なんて恐ろしい。
認めたくなかったが、私の隣にいるのはあの悪魔の使いだ。
そう、一般的にはネコと呼ばれる生き物。
遠くから見る分には、可愛いと思わなくもない。
しかしあの生き物は私の天敵。
私にとっては死神と言っても過言ではない。
なぜなら、私は重度の猫アレルギーなのだ。
「聖なる乙女。森野あおい様」
流暢な日本語で私に話しかけてくるのは、おそらくはあの毛の長い白いペルシャ猫。
チラリとしか見なかったが、室内に人の気配はなかった。
人語をしゃべるネコ。
あり得ない。
ネコの声帯の構造では人間の言葉をだせるわけがないはずだ。
ネコが間近にいるだけでも恐ろしいのに、それが言葉まで発するのだ。
先ほどの妙な外人集団もそうとう変だったが……。
そこまで考えた私は、ハッと飛び上がるように立ち上がった。
布団を放り出し、ベッドの上に仁王立ちになる。
「あり得ない、あり得ない。ネコも外人も」
叫びながら床に飛び降りた。
「これは夢。夢なんだぁ」
私は鼻水と涙でぐしゃぐしゃになりながら部屋の中を走り回る。
もう限界だった。
一刻も早く目覚めたかった。
「落ち着いてください」
布団から這い出たネコが私の方に走りよってくる。
「ヒィィ。来るなぁ、来るなぁ」
私はネコを追い払おうと、手に触れたモノを掴み投げつけた。
ガシャン
ガラスの割れるような音が響く。
私はネコが怯んだ隙に、視界のすみにみえた扉めがけて走りだす。
「私は猫アレルギーなんだぁぁ」
叫びながら一気に扉を開けた。
その瞬間、私は腹部に鈍い衝撃を受けた。
そして、またしても意識を手離した。