第五話 Castle in a Frontier・上
第五話。よろしくお願いします。
光はアジトへ一直線に帰った。
ドアを蹴るようにして強く入り、廊下を駆け、脇目を振らずに自室へと駆け込んだ。自室の扉が閉まっているのを確認し、換装体を解く。
換装体の時に飲み食いしたものは、生身の体に直接摂取される。故に、お酒を多少飲んでも、換装体に酔いが回ることはない。逆に言えば、換装体を解いた時、飲んだお酒の量に比例したフィードバックが容赦なく身体に襲いかかるのである。
成人にも満たない人は、酵素の分解力が未発達なせいで、酔いが回りやすい。それは光も例外ではなかった。
彼女は傭兵として故郷を出て、外界に何回も赴いた。外界は酒に対する制約が少ない場所が多く、時々お酒を強要されることもある。彼女の師匠はそういう席に今後座ると考慮して、お酒の飲み方も教えてきた。
光は換装体を解いた。衣装が戦闘時のものから、先日ノーラから貰ったものへと変わる。
(少し、飲みすぎたかな‥‥‥)
彼女は、枕を手に取り抱きついた。それは、誰かに執着、依存しているかのような、強い力だった。
彼女の目から、ぽつりと涙が落ちる。
それを皮切りに、抑制していた感情が、溢れ出した。
光は、五歳の時にレジスタを手に取り、剣を握った。
それからというもの、彼女の周りには必ず誰かが居た。かつての隊長、仲間、ライバル。
しかし、剣を取るということは、戦に身を委ねるということでもあった。
彼女の心の支えとなっていた仲間は、次第に戦とともに消え去っていった。
それでも、彼女は剣を取り続けた。師匠とともに、外界に出て国家対国家の戦争にも参加した。それは、幼い時からの心の拠り所である、師匠が傍に居たから。
けれども、世界は彼女に優しくはなかった。
あれは故郷を守るための戦争に参加していた時のこと。
今でもあの感覚を憶えている。
地球の中心にへばりついたような、ドロッとした痛みが、身体の各所からこみ上げた感覚。
次第に暗くなる視界は、地面に流れ出る血と、むき出しになった内蔵、骨を映していた。
『死』を覚えた。けれども、それは壮絶なものでは無かった。『死』が近づくと、心理の葛藤が強く現れるのだと、彼女は思っていた。しかし、『死』へ対する感情は、蓋を開けてみると、非常に粗末なものであった。
『全てがどうでもいい』。それが、彼女が死を目前として思いあげたことだった。
死にたくない。という心理も、死が避けられない運命になると、どうやら諦めが付いて、逃げてしまうのだった。
耳からは通信機越しに、二年間半寄り添ってきたオペレーターの声が聞こえる。けれども、それに耳を傾けるほどの気力は無い。本当に、どうでもいいのだ。
それから客観的に見れば一分ほど、体感では十数分ほどの時間を経て、意識がストンと落ちる。
藍原光の人生はその時、幕を閉じた。十三年の生涯であった。
けれども、世界は彼女に優しくなかった。
彼女に、再び意識が戻った。
身体に被せられていたのは、師匠が換装体の時に羽織っていた長い、黒のジャケット。
周囲には、時間が経って、茶色に変色した血痕があった。数時間から数日間、眠っていたらしい。
光は、手が何かを握っていることに気が付く。棒のように細いが、僅かに曲がっている。
彼女は、それを確かめるべく、ジャケットの中から自分の手と、その物体を取り出した。
それは、師匠が愛用していた刀であった。
「──、応答して下さい! 繰り返します。──、応答して下さい!」
聞き慣れない男性の声が耳に届く。それは、師匠が所属する組織のオペレーターが発する声だった。
彼女の身体を取り巻くエナジー形質は、師匠と全く同じものとなっていた。
エナジー形質は指紋のようなもので、例え親子であったとしても、同じ形質を持つことはない。誰かのエナジーによって作られない限り。
彼女の『全感強化』による、第六感強化は、彼女が意図していようがしなかろうが、勝手に働く。
「ねぇ‥‥‥、うそ‥‥‥でしょ‥‥‥?」
光は悟った。自分が息を吹き返すまでのプロセスを。
『身体創造』。それは、師匠が極めた創造魔術の最長点にあるもので、身体の成分を一部でもサンプリングできれば、クローンの作成、或いは、身体から失われた命ですら、再構築が可能となるものであった。
勿論リスクも大きい。創造魔術は良くも悪くも等価交換の魔術であった。
魔術は、元素を作る事はできても、生命を作り上げる事はできない。それ故に、術者本人の命を代償とする魔術であった。
創造魔術にて作られたものは、基本、術者のエナジー形質を示す。
これより、彼女は師匠によって再構築されたものである。という理屈がまかり通る。
彼女は、幼い時からの心の拠り所を失った。けれども、それに比べれば期間は短いものの、固い絆で結ばれた親友が居た。
彼女は師匠の剣を継ぎ、戦った。その先に、救いがあると信じて。それは、登っている坂の頂点を見て、奮起するような行動であった。
しかし、世界は彼女に優しくなかった。
師匠の剣を受け継いだ彼女は強かった。それは、敵のマークを今までよりも多く受けることでもある。
彼女は、敵の切り札で、遠い見ず知らずの外界に飛ばされた。
遥か彼方の惑星に、身体だけ放り出されたような感覚だった。
彼女は、全ての関わりから隔絶された。もはやそれは、運命のようにも感じられた。
それから彼女一人の戦いが始まった。それは、自分の故郷へ帰るための戦い。
誰にも縋らないと決めた。
例え、滞在中の生計を立てるために、誰かと協力して働くことがあっても。
誰にも縋らないと決めた。
傭兵に属して戦を共にし、居場所を与えられても。
誰にも縋らないと決めた。
誰かに縋られたとしても。
師匠から受け継いだものは、一人で生きていくための道具が、いっぱい詰まっていた。
それでは、誰にも縋らずに、生きてこられたか。
答えは『YES』だった。彼女は、心で関わりを絶って歩んだ。
じゃあ、もう一人ぼっちでも生きることはできるか。
答えは‥‥‥。
『NO』だ。
お酒の酔いは、人の感情を素直なものにして、増幅させる。
彼女の心は、人を捨てきられるほど、強くなかった。
彼女は枕を抱きしめて、目から溢れる涙を零しながら、廊下へと出た。そして、よろけた足を何とかつないで、二階のダイニングへと向かった。
ノーラは画面だけが宙に映された端末を操作し、光が接敵した相手のデータを、前情報と比較していた。
そこへ普段とは様子が違いすぎる光が、正面のドアから現れた。ノーラはきょとんとした表情を浮かべていた。
「どうしたの。そんならしくない顔して」
頬がほんのり赤く、目線を下に逸らしながら涙を浮かべている光の姿に抱いた感想を、ノーラは率直に伝えた。
少しの沈黙が訪れた。
その後、光の足がノーラへと一歩一歩動く。
光が持っていた白い枕がするりと彼女の腕から抜け落ちた。
光は、ノーラの胸元に抱きついた。ノーラの胸元に頬を当て、鼻を啜る音を鳴らし、涙を浮かべた上目遣いで、光はノーラの顔を覗く。
もう、光には理性が残っていなかった。誰でも良いから、人肌を感じたかった。
ノーラは、いきなり抱きつき、上目遣いで訴える光の姿に、目と心を奪われた。僅かにちらつく本能を抑え、ノーラは軽く光の背中を片手で抑え、もう片方の手で黒い髪を撫でる。
「あんた、あんなに飲んでおきながら、こんなにも弱いのね」
「‥‥‥うるさい」
寝言のようなあやふやな返事だった。
ノーラは端末の画面を消し、自分に泣きつく光を眺める。フードの首元の襟と肌の隙間から、光の水色のブラジャーと、小さな胸の膨らみが見えた。
既に夜の十時を回っていた。今日は早く寝よう。ノーラはそう思った。
光はノーラにくっついて離れない。
ノーラは、そうだ。と思い、ある悪戯を思いつく。
ノーラは悪戯を実行した。光がそれに感づく気配は一切なく、ベッドに潜らせるとノーラの腕を強く抱いてあっさりと寝始めた。
*
巨大な門から伸びる大きな石畳の道路。背景には薄っすらと、一大国を築き上げた王が住んでいるのを連想させるような城が映っている。
石畳の道路には、門から正面向かって五十メートル程の所に、噴水があった。両サイドにはアーチ状にくり抜いた石レンガの壁が連なり、消失点を作っている。
その壁の輪郭は規則的に凹凸している。メイは凸の影にしゃがみ込み、隠れながら端末を見ていた。
直後、端末から小さく着信音が発せられる。新しく映し出されたウィンドウをタップし、メイはそれに書かれた文字を読み取る。
この戦いでは、結界外との通信が一日に一度を条件に許されていた。その結界外の通信相手を、『シンクタンク』と皆は呼んでいる。
『どうだい? 何か変わった情報はあるかいな?』
壁の下の道路の隅をゆっくりと進むニコラは、端末のヴァイブレーション機能で着信を勘付き、メイにひそひそ話をするようなトーンで聞いた。
「特に。脱落者が増えた情報もないし、強いて伝えるといえば、ウラジミールのアンドレイが、ヴェストファーレンのちっちゃい子と酒を酌み交わしていたぐらいかな」
『そりゃまた、悠長な話だね。アタシらなんて、ずっと哨戒続きだというのに。
あーあ。アタシも酒が恋しいよ』
「全く、何言ってんのさ。酒飲まれたら面倒なのはわたしなんだから」
『アンタがどう言おうと、アタシには関係ない話だよ』
「はいはいっと」
通信機越しにメイはニコラと会話をしてから、壁の凹の部分から道路の様子を、エナジー反応型の暗視スコープで窺う。
ニコラの周辺から、視線を泳がせる。敵の反応は見当たらない。メイは五秒ほど門から奥に向かう方へと走る。
壁の凹凸模様の影に隠れ、隙間から様子を窺う。反応は見当たらない。
走る。隠れる。覗く。
走る。隠れる。覗く。
反応は見当たらない。
再び走り、凹凸模様の影に隠れ、様子を慎重に窺う。
反応は‥‥‥、あった。噴水の影から、一人の体格の良い男性が隠れて、こちら側の様子を伺っていた。まだこちらの存在に気がついていない。
「居た。まだこっちに気付いてないよ」
『はいよ。何人で、どんな奴だ』
ニコラはアーチ状にくり抜かれた壁の中へと潜り、身を隠す。
「えっと、一人で、体格が良い。男性。わたしが射って仕留めようか?」
『まだ射ったらダメだよ! いいかい。狙撃っていうのは、用心深く行わなきゃならない。他に周りには居ないのか』
「えっと他には‥‥‥」
メイは耳に手を当て、ニコラと通信を行いながら、周囲をキョロキョロと見渡す。
「あ‥‥‥」
反対側の壁の上。メイの真正面に、不気味で黒く、重厚な鎧と兜を装備した一人の騎士が暗闇に紛れて姿を現す。刀の銀と、鎧の光沢が、月明かりを反射し、白い光を零していた。
右手には明らかに両手持ちサイズの剣が握られており、右腕からはエナジーが漏れ出していた。一体どこから気付かれずに壁に登ったのだろうか。メイがそれについて考える時間を、騎士は与えてくれなかった。
騎士は地にヒビが入るほどの力強い跳躍で、メイの乗る壁へと飛びつく。
「きゃあ!」
メイの悲鳴が、地鳴りのような着地音とともにニコラの耳に届く。
『全く、世話の焼ける子だね!』
メイの耳に、ニコラの呟く声が届く。しかし、そんな言葉に耳を傾ける程の余裕は無い。
騎士が着地した時に舞った砂埃の中から、重厚感と矛盾するような身軽さでメイへと距離を詰める。
騎士の大剣が、彼女を襲う。矢筒の上に仕舞っていた片手剣程の大きさの鉈を取り出し、両手で握って受け太刀する。
二度金属音と火花が舞う。騎士の三手目で、鉈はメイの手を飛び出し、遠くへと落ちていった。
(早いし、‥‥‥重たい)
メイは後ろへと小さくステップを踏んで、騎士の剣をギリギリの所で避ける。
彼女の右手に黄色い光の粒が集まり、弓を形成する。
素早く矢を構え、剣が振り下ろされる前に放つ。
騎士は一歩横にステップを踏み、矢を躱す。矢の方向が相手に見られている以上、軌道は読まれている。
けれども、そのことは彼女も計算に入れていた。
矢はウニのように棘を一瞬にして周囲へと広げる。
しかし、騎士はその棘を避けようともしなかった。
棘は騎士の鎧を貫通できず、コツンと音を鳴らさせただけであった。
メイは細工のない矢を放ち、距離を取ろうと図る。
しかし、騎士には軌道を読まれており、その矢は騎士によって、ひらりと躱される。
騎士は剣を振り下ろす。メイはシールドを寄せて展開し、受け止めようと試みたが、シールドはあっさりと割れ、彼女の換装体に一筋の傷が右肩から左脇腹まで走る。
「うっ‥‥‥!」
メイの傷からは血がにじみ出ていて、服を朱に滲ませた。
換装体である以上生身に対しては痛みのフィードバックのみしか現れないが、体制を崩れる上、換装体の修復にエナジーを費やされるため、ロスは大きい。そして、騎士は次の一振りの体制を既に整えていた。
黒く重たい鎧も目と鼻の先まで見え、騎士の剣が彼女の身体を上下二つに引き裂くのも時間の問題だった。メイは目を瞑り、換装体が崩壊する瞬間から目を逸らそうとする。
「なーにぼさっとしてるんだ!」
ニコラの叫び声が壁の上を駆ける。騎士の背後からニコラは現れ、豪快に薙刀を振り回す。騎士の剣速とニコラの剣速はほぼ等しく、火花と金属音がメイを置き去りにして響き渡る。
「やれやれ、無駄に硬い鎧だね。あんたどれくらいエナジー持ってるんだい」
ニコラが薙刀に出力されているエナジーの量では、騎士の鎧を貫通できない。そのため、一歩踏み込める騎士が終止優勢だった。
ふと、メイは噴水に隠れていた男性の方向を一瞥する。そこからは暗視ゴーグル越しにエナジーによる発光が。それはこちらに向いていた。
それは攻撃態勢に入っていて、こちらを狙っているのだと直感した。
「もう一人、来る!」
通信機越しにニコラに告げ、メイは壁から道路の反対側へと飛び降りる。壁から跳躍した直後、爆発音とともに、主にニコラと騎士が居た部分が崩落し、砂埃を上げる。
騎士とニコラは傷を負わずに着地する。砂埃の中からは男性の影が。
「面白そうな戦いだのう。俺も混ぜてくれないか?」
野太い男性の声。砂埃の中から、アンドレイの顔が浮き出た。
ご購読ありがとうございます。
光の過去は後々スピンオフ(or 例剣の過去編)でやれたらな。と。
まだ続きます。よろしくおねがいします。