「問題点のない面白くない作品」と「問題点のある面白い作品」
「問題点のない作品」を当たり前に要求する人がいる。
だがそれは、「問題点のある面白い作品」よりも、本当に面白いのだろうか。
これは例えるなら、地を歩く堅実さと、空を飛ぶ危うさとの差になる。
小説は夢だ。
「お前のその理屈じゃ空は飛べん」と突きつけられない限り、空は飛べるのだ。
そうすれば、地を歩くだけでは見えなかった景色も見ることができる。
その夢に、誰を一緒に連れて行けるか。
無垢な者、あるいはおおらかな者ほど、いろいろな人の夢に乗っていくことができる。
世の道理を知る者、知ったつもりでいる者、重箱の隅をつつく者ほど、説得力の弱い夢を打ち壊してしまう。
作者の能力は常に有限だ。
有限の中で何ができるかを模索するものだ。
堅実に地を歩くか、危うく空を飛ぶか。
鳥は堅実に空を飛べるかもしれないが、宇宙を飛ぶことはできないだろう。
あらゆるソラを堅実に飛べるのは、全知全能の神だけだ。
しかして小説を書く者は、全知全能の神ではありえない。
作者の能力は常に有限だ。
あなたに小説は書けるか?
空を飛ぶ小説は書けるか?
「書けない」と答えるなら、それはあなたが自らを縛っているからにほかならない。
「書けない」わけがない。書けば書けるのだ。それじゃあダメだとあなたが勝手に決めつけているだけだ。
一番タチが悪いのは。
あなたが自縄自縛をしているその縄で、他人をも縛りつけようとすることだ。
それはそれとして、僕らは地道に神へと近付こう。
より多くの者を乗せて飛び、夢の世界へと連れていくために。