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7月20日水曜日、太陽は傾き日差しも随分と和らいできた午後5時すぎ。一人の少年が念願の初勝利を飾った。
少年の名前はテオ、年齢は14歳身長は少し低めだがよく絞り込まれた体つきをしている。トレードマークはダメージ加工が目立つキャップに迷彩柄のスカーフ。魔法が使えない彼のことをこの国ファルネムトではリアム『永遠の敗者』と呼ぶ。だが彼にはもう一つ異名が存在する。
その両手であらゆる魔法・魔術を喰らうことから『魔術喰らい(マジックイーター)』と、彼は呼ばれる。
そんな彼にも越えられない壁があった。
父ブルクハルト・シェーラーである。彼はかつて『稲妻の拳』という二つ名を持つほどの高位の魔術使いだった。
その父とは5歳の時から離れて暮らしているテオだが、週に一度月曜日に食料の受け渡しをかけて勝負をしている。一撃父に加えればテオの勝利、逆にギブアップするか戦闘不能になれば敗北というハンディマッチ。それでもテオはこれまで一度も父に勝利したことはなかった。
だがこの日テオは父にカウンターを決め初めて勝利を手にした。
7月11日月曜日、食料を巡っての恒例の親子戦でテオは魔力エネルギーの過剰使用で限界を超えた高速の一撃をみせた。このことをきっかけにブルクハルトから高速戦闘を身につけるため10日間の合宿を受けることとなった。
毎朝5時から『シェーラーズ』の近くの空き地で10時まで午前練、店のランチタイムが終了すると15時から17時まで午後練、店の定休日である月曜日には朝から晩まで訓練を重ねた。訓練内容はとにかく高速戦闘に体を慣れさせること。慣れた後はひたすらブルクハルトを相手に実戦訓練を重ねた。
その最終日である今日は『シェーラーズ』を臨時休業にして朝からブルクハルトと実戦訓練を繰り返していた。そしてついにテオは初勝利を飾ったのだ。父の大振りになった右の拳をくぐり、そのまま懐へとタックルを決めブルクハルトを地面に押し倒した。
決して綺麗な勝利ではない、ただそれでもテオにとっては10年目にしてようやく手にした初勝利、嬉しくないわけがなかった。
父を押し倒し魔力を練れないように心臓の上に左手を乗せ右手にはとどめの一撃を構えていた。しかしテオの表情は満面の笑みを浮かべていた。それがブルクハルトの一撃を交わした瞬間からなのか、タックルが決まった瞬間なのか、はたまたマウントを取り勝利を認識した瞬間なのか、それはテオにもわからない。気がつけば笑顔になっていた。弾む息も疲労によるものなのか興奮によるものなのか全くわかりそうにない。
倒されたブルクハルトはといえば『今のはスリップだ』とか『今日はたまたま調子が悪かっただけだ』などと目の端に涙を浮かべて大人げなく言い訳を並べていたが、満面の笑みが収まらないテオを見ていると観念したのか、気恥ずかしさと悔しさに顔を赤らめながら大きめの声で言っていた。
「まあ、お前はそこそこ成長したよ・・・。よし、今日はお祝いだ!晩飯も食って帰れ!」
それでも『タダ飯とは言ってねえから』ということでレオナと一緒に自分のお祝い用の料理の支度をした。その間ブルクハルトは『前祝いじゃ~』と言って一人でビールを呷り、いびきを上げ爆睡していた。
その姿にため息ををこぼすと隣でリズムよく包丁を叩いていたレオナが顔を上げずに優しい笑みを浮かべて話しだす。
「テオの成長がよっぽど嬉しかったのね、きっと。いつもテオのこと心配してたのよ。『whoeversee』だったかしら?あの動画サイトにテオの動画が上がるたびにあの人興奮して言ってくるのよ。『さすがオレの息子だ』ってね」
ファルネムトで最も人気のある動画投稿サイト『whoeversee』、そこにはテオが暴行犯を返り討ちにする動画が痛快動画としていくつもアップされている。中には強姦しようとしていた世間でも少し名の知れた中級魔術師を倒し捕縛した動画もある。この動画は当時ニュースにも取り上げられ『魔術を喰らう謎の少年ヒーロー』としてしばらく世間を賑わせた。
それでもテオにとってレオナの言葉は意外だった。
正直動画サイトなど見ているとも思わなかったし、自分が映った動画を見ているとはなおさら思いもしなかった。
これらの動画は自分で投稿したのではなく助けられた被害者や通行人が撮影した映像。そのほとんどでテオの姿は小さくぼやけて映っている、その上全ての動画でテオはスカーフで口元を隠しキャップの上からフードを被っているため一般人には個人を特定することなど絶対に不可能なものになっている。
そんな映像から自分の姿を見つけ出し見ていてくれる、そのことにテオは親という生き物のすごさを感じた。
隣で話す母の横顔を見つめているとレオナは一定のリズムで動かしていた手を止めふと顔を上げた。
夫の寝顔を見つめ再び話出したレオナの声には優しさとともに暖かさがこもっている。
「これまでは隠れて見て応援してるだけだったからね。いつも悶々として動画見ながら一人で百面相してたのよ。だから自分が教えてあげられることがあって、父親らしいことが出来たって喜んでるのよ」
レオナの言っている意味はまだ14のテオにははっきりと理解はできなかった。テオはただレオナの横顔を見つめていた。
だから突然振り向いたレオナの瞳が不安そうに揺れていることにテオは心臓をきゅっと締め付けられた。
「でもね、私は心配だからあんなこともうして欲しくない。テオが今の社会を嫌いだと思う気持ちもわからなくはないけど・・・でもこんなこと続けてたらいつかテオが痛い目に遭うんじゃないかって心配なの」
レオナがどれだけの思いを込めて口にしているのかテオにはわからない。
テオよりもずっと長く生きてきてテオよりもずっと多くのことを知っている母がそう言うのだ。絶対にそうした方がいいに決まっている。その方が安全で確実で真っ当に生きていけるのだ。それはテオにだってわかる。
だが、テオにだって14年間生きてきたなりの譲りたくないものがある。
自分よりもよっぽどすごいと自分自身が認めている人の助言にあえて背を向ける。その罪悪感と恐怖を胸に抱きながらテオは口を開く。
「心配してくれてありがとう。でも、それが今オレのやりたいことだから・・・。オレはリアムだけど高い階級のやつらにだって対抗出来る特別な力があるんだ。だからさ、強い力に屈服させられる、抗いたいのに抗うための力がない、そんなやつらのためにオレは戦うよ。オレには今、目標だとか夢だとかそんなものはないからさ、いつかちゃんと見つけられるまではオレは悔しい思いをしてる誰かのために戦い続けるよ」
最初の言葉こそ掠れて上手く出なかったが自分の思いは思っていたよりもずっとはっきりと口にすることが出来た。これまでテオ自身、ただ目の前の理不尽な力の行使に苛立ち暴れているだけだと思ったこともあった。
だけど言葉にして気付かされた。そこにも自分の中ではちゃんと理由があったのだ。
そこまで一気に言ってテオはレオナの反応を窺った。一息に言葉にしながらも、他人のためなどとそんな薄っぺらい理由で戦うことを母がどう思うのか不安だった。戦うとは極論を言えば命を賭けること。自分の命は一つしかないのだから、それを赤の他人のために賭けていい訳がないとテオも頭では思っていた。
しかし、レオナの反応はまたもテオにとって意外なものだった。
「そう、ならいいのよ」
明るい笑みを作ってレオナは軽くそう告げた。
唖然としたままのテオをよそにレオナは言葉を続ける。
「テオの中でちゃんと納得がいく理由があって、それで躊躇いなく行動が起こせるって言うなら別にいいのよ。もちろんテオは私の大切な子供だけど、テオの人生はテオのものなのよ。だからテオが納得してやることなら私は文句なんて言わないわ」
自分の母ながら本当にかっこいいと感動させられる。こんなにも強くて優しくて暖かい女性が母であることを心底誇りに感じた。