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テオの一週間の始まり、月曜日の朝は食料の調達に始まる。
このゴミ溜めテゴにはファルネムト国内で出たゴミが集まるため容易に物品の調達が出来る。だが食料の調達に関してだけはその限りではない。テゴにゴミがやってくるのは週に一度、一体いつどこで集められたゴミなのか、どのようにしてここまでやってきたのかもわかったものではない。
以前、ゴミ山から持ち出した食品を口にした者がそのまま姿を見せなくなったこともあった。どれだけ空腹であろうとそんな物に手を出すわけにはいかなかった。
それにそんなことをせずともテオには決まった食料の調達先があった。壁の向こう側に広がるのはファルネムトの首都であるニクスベント、その郊外には「シェーラーズ」という小さな定食屋がある。夫婦二人で経営する自家製のバケットが人気のお店。その店がテオの食料調達先となっている。そしてそこの店主ブルクハルト・シェーラーこそテオの父であり五歳のテオをこのゴミ溜めに送った張本人でもあるのだ。
身支度を済ませたテオは濃い目のベージュカラーをした半袖パーカーに少し大きめのカーキ色カーゴパンツ、それにグレーの迷彩スカーフと黒のキャップ、ハイカットスニーカーを装備した姿。その全てがゴミ山から手に入れた物らしくナチュラルにダメージ加工されている。
準備が整うと9匹の黒猫たちに見送られながらシェーラーズへと足を向ける。
その最中、視線の端を通り過ぎていくゴミ山を横目に眺める。かつて誰かに必要とされていた彼らだが、今はこうして境遇を同じくした仲間たちと肩を寄せ合い全てを諦めたように静かに眠っている。今朝新たに築かれた山の表面には多くの家具が見られた、扉に窓、キッチンにバスタブどれもこれも新品同様・・・それどころか緩衝シートで包まれた物まで積まれている。
そしてそのふもとには彼らと同じく全てを諦めた敗者たちが腰を下ろし飢えに耐えている。
リアム、この国では魔法を使えない、魔力を扱えない人間のことをそう呼ぶ。意味は『永遠の敗者』。
敗者の群れの中である初老の男性の姿が目に付く。
彼とは一度だけ話をしたことがある、その昔IT関連の会社を経営していたのだという。だが魔法が普及したことで会社の価値は下がり、魔法に適応しない彼は完全に社会から取り残されることとなった。その後、会社を倒産させ自己破産した彼は逃げるようにテゴへとやってきたのだという。だが実際にはここ以外にどこにも行き場など用意されてはいない。ここに居る者は皆外の世界から捨てられたのである。
初めこそは「いつか必ず僕の技術にもう一度光を当ててみせる」と目を輝かせていた彼も、今は死んだ魚・・・いや腐った魚の目をしてしまっている。その姿は今この国で魔法が使えないということが示す意味を脳裏に刻みつける。
自然と眉間にしわが寄り拳に力が入る。歩く速度も気がつけば早歩きどころではなくなっていた。
体の奥底に怒りの感情が沸き立つのを感じる。だがそれは魔法を優遇した政府や魔力を持たない者から居場所を奪った社会に対するものだけではない。突如として他人に居場を所奪われた現実、リアム『永遠の敗者』と呼ばれゴミ同然の扱いを受ける現状に抗うことを止めゴミ溜めに留まり俯く彼ら自身に対する怒りも含まれていた。
それは当然、今もこうしてゴミ溜めに住み続けているテオ自身にも当てはまることだった。
『国民みんなの明日のために』
そんなフレーズが記載された選挙ポスターが目に付く。
ポスターの文字を読み終えるより先に右の拳を打ち付けていた。
拳にじんと鈍い痛みが走り血が流れる。
「なにやってんだ、オレ・・・」
自然に口からこぼれた言葉だった。
ただのよくある一枚の選挙ポスター、ありふれたキャッチコピー。上辺だけを塗り固め体裁だけを整えた心のない言葉を何百何千万と印刷した内のたかが一枚。そんな紙切れに何をイラついているのだろうか。
言葉にならない苛立ちに振り回された。その現実から目を逸らしたくてポスターから視線を外しため息をつく。
地面に落とした視線が捉えた白い布を拾い上げると今も痛みが反響する右の拳に巻きつけた。
拳の傷を覆い隠して今一度ポスターを見ればなんてことのないただの紙切れ。一瞥して視線を上げる。
目の前には遠くに見えていたコンクリートの分厚い壁。噂では厚さ3m高さは50mだという。魔法の使える者からすればこの壁を攻略する方法などいくらでもある。だが壁の内側、このゴミ溜めに居るものには何の道具もなしに攻略することなど不可能に等しかった。
もちろんテオにとっても例外ではない。なにせテオも魔法が使えないのだから。
それでも彼は壁に近づきその手足をかける。見れば壁にはジグザクにおよそ60㎝ほどの間隔で窪みが上まで続いている。
テオはこのゴミ溜めでおよそ10年生活している。その当初から食料の調達は父親が営む『シェーラーズ』に頼っているのだ。
この壁の窪みはまさしくテオの十年の足跡なのである。
一歩ずつ過去の足跡を辿りながらテオは壁を登りきる。窪み通りに進むだけといっても普通の人間に命綱なしに垂直にそびえ立つ50mの壁を素手で上りきることなど到底出来ることではないし挑もうともしないだろう。だがそれもテオにとってはただの週課となっていた。
「まったく・・・いつものことなんだけどさ。一枚壁を隔てるだけで、こうも差が出るものかね」
ゴミ溜めを囲う壁を登りきったテオは壁の上に立ち二つの世界を交互に見比べて言った。
巨大なコンクリートの壁を挟んだゴミ溜めの反対側、そこにはファルネムトの首都ニクスベントが広がっている。
大きな道路で区画された街には無数の高層ビルが並び立っている。道路は地面を走るだけでなく、立体的に配置された高架道路も存在し、さらには魔導飛行車や箒の利用者のための上空道路も指定されている。
上空道路の使用には政府の定めたメガネ型のVR機器の装着が義務付けられており実際の景色に指定されている道路や標識、信号などがあわせて表示されるようになっている。
こうしてニクスベントの街を見ているとその光景にはかつての技術社会の影を色濃く見える。だがどれも100年以上も昔から変わらない光景なのだという。魔法社会の誕生以来ここ100年、技術社会の進歩は燃料を魔力へとシフトさせるだけに終わっている。人々の快適な暮らしのために尽力した技術力たちは魔法という新参者にその席を明け渡したのだ。