5-2
アロイスの研究所を出てから1時間テオたちは研究所のあった森を抜け首都ニクスベントに向けて歩みを進めた。ゲオルクがミアとマルクスを連れて行った先は彼がニクスベントの外れに所有する魔術実験場も備えた大型研究施設だった。
研究所は正面入り口を抜け広大な実験場を通り抜けた先に建っている。
その入り口の前まで来たところでテオたちは足を止めた。
「何も真正面から入る必要はないんじゃないかな?」
弱気な声で嘆いたのはアロイスだった。テオは念入りにストレッチをし始め、ブルクハルトは装備を再度確認する。
「今更慌てたって仕方ねえだろ。家族の命が2つもかかってんだ。男なら腹括れ」
ブルクハルトは靴紐を固く縛りながら静かに答えた。
「3つだよ、親父」
地面に腰を下ろし開脚前屈をしながテオが静かにでもはっきりと力を込めて訂正する。
その声にアロイスはすっと力を抜きふと空を見上げた。1羽のカラスが早朝の白んだ空に高く飛んでいくのが見えた。
「開けるからな」
カラスとともに遠い空に視線を奪われていたアロイスはテオの声に慌てて後を追った。
研究施設の正面入り口は巨大な2枚2枚の扉によって閉じられている。だがそこに鍵はかけられていない。それが『来れるものなら来てみろ』というゲオルクの余裕のようにも感じられた。
「オレは・・・たとえミカエラとしての記憶を全て持っていたとしても今の彼女を父さんの妻でオレを産んでくれたのミカエラだとは思えない。だけどそれ以上に彼女がオレと異なる生き物だとはとても思えない。それをゲオルクは物だと言ったんだ」
テオはリュックに入ったアロイスに聞こえるか聞こえないかそれほどに小さな声で呟いた。その声は今までになく熱く怒りに満ちていた。アロイスはあえて聞こえない振りをして何も答えなかった。いや、答えることが出来なかった。
ミカエラの記憶と命を摘み取りミアを練成した本人、でもだがらこそ彼女に対してどう接すればいいのか、自分がどう接したいのかわからなかった。妻の代わりとしても娘としてもこれまで中途半端な接し方しかすることが出来なかった。一番悩んでいるのはきっと彼女なのに。
後悔の海に溺れるアロイスを他所に扉は開かれる。
ギギィと重く軋む音で扉が鳴く。中は広い駐車場のようになっておりたくさんの目盛りが整備された地面に引かれている。
テオたちは扉はそのままに中へと歩みを進める。正面奥に見える研究所に向けて4分の1ほど進んだところでその足を止めた。
「ラスボスが自らお出迎えとは随分と手抜きだな。研究が間に合ってないのか?それとも魔力の回復が間に合ってなくてお人形が作れねえのか?」
3人の突然の訪問を出迎えたのはミアとマルクスを連れて行った張本人ゲオルクだった。テオはリュックを下ろすとアロイスに荷物を任せゲオルクに向け挨拶代わりの挑発を飛ばした。
「もちろん、どちらも答えはノーですよテオ君。昨日言ったはずですよね?あとはミアさんさえ手に入れば、と」
アロイスがそう答えると地面から次々とゴーレムたちが現れる。大きさはテオの3倍ほど数は、数えることなど出来なかった。
「だっせえ、何かと思えばただのゴーレムじゃねえか。こんな人形いくつ並べたところであんたの魔力が減るだけだぜ」
テオは両手を開き呆れるように首を横に振って見せる。
ピュン。
首を振るテオの髪を掠め何かが通り抜けると後方でズズゥゥンと爆発の広がる音がした。髪の焦げる匂いとともに芳しい香りがする。
「おいてめえ、何しやがった?」
テオの表情が怒りに満ちていく。声に苛立ちと焦りが滲むのがわかる。
「私ではありませんよ。ゴーレムが自分で考えて、自分で魔法を放ったのです」
雷属性魔術ライトニングストライク。テオの知るものに比べれば実に小規模だがテオにわからないはずがなかった。ミアがテオを助けるために放った魔術、それをゴーレムがテオに向けて放ったのだ。
テオが聞いているのはそんなことではなかった。
「とぼけんじゃねえよ!てめえミアに何しやがったって聞いてんだよ!」
テオの怒号が大気を震わせる。
さっきの魔術から感じた芳しい香り、多少変質してはいるがそれは間違いなくミアの魔力の匂いが元になっていた。
「ああ、そちらのことでしたか。それならば、ほら」
ゲオルクが胸元から端末を取り出すと空中にモニターを映し出した。
モニターの中には多くの機器接続され液体に満たされた容器に入れられたミアの姿が映っている。
「ミア!」
テオは思わずモニターに向け叫びを上げた。モニターに映るミアの表情は衰弱し切っている。
「あはは、モニターに叫んだところであれには届きませんよ」
ゲオルクの瞳はテオの逆鱗を逆撫で声は心を斬りつけた。
「このクソ野郎がっ!」
テオは叫び声を追い越しゲオルクに向け殴りかかった。だが、その拳は届かない。ゲオルクに届く前に巨大な岩の手に捉えられた。突き出した右の拳を掴まれ中へと吊り上げられる。
「いいですか、リアムのクソガキさん。君の拳は一生私には届きません。君たちのような物はあのゴミ溜めに一生埋もれているのがお似合いなのです」
身動きの取れないテオに対しゲオルクは顔を近づけテオの心に向けて言い放つ。出来るだけ深く出来るだけ強く癒えることのない傷をつけるように。
それだけ言うとゲオルクは身を翻し研究所へと向かう。去り際に一言顔だけテオに向け言い残して。
「成長した弟との感動の再会ですよ。思う存分殺しあってください」
「待てこら!逃げんな!」
テオの叫びがゲオルクの背中を掴むことはない。ゲオルクの姿は研究所の中へと消えていった。
「クソッ、あの野郎。ぜってーぶん殴ってやる。・・・くそっ!離せこら!」
いくらゲオルクを殴りたくとも今のテオはその姿を追いかけることも出来なかった。
握られた腕が千切れんとばかりにテオは身をよじり岩の手から抜け出そうとするがびくともしなかった。
すると、岩の手が動き出し地面から巨大なゴーレムが姿を現した。ゴーレムは地面から抜け出すと同時にテオを振りかぶり正面入り口目掛けて放り投げる。
投げ飛ばされたテオは扉まで届く前にブルクハルトの体で受け止められた。
「いってえな、何しやがんだ!て・・・めえ・・・・・」
勢いよく起き上がり顔を振り上げたテオの目に映ったのはゴーレムに取り込まれ涙を流すマルクスの姿だった。
「マルクス!」
マルクスの姿を見てブルクハルトは走り出そうとするが即座に大量のゴーレムによって行く手を阻まれる。
「ごめん・・・ごめんなさい、父さん兄さん。僕兄さんが羨ましくて・・・自分だけの力が欲しくて・・・でも、僕はやっぱり駄目で・・・だから」
マルクスが何を言おうとするのかテオには不思議とわかった気がした。『これが自分だ』そう言い張れるような力がないことが悔しくて、それを得る努力をすることさえも許されなくて、誰かに助けを求めた瞬間に大切な何かを傷つける。なら、自分なんて居ない方がいい。きっとテオならそう思う。だからテオはマルクスの言葉を遮る。
「駄目なんかじゃねえ!人が何かを欲することもそのために努力することも絶対に駄目なんてわけねえ!今回は努力の仕方を間違えただけ、頼る相手を間違えただけだ。誰だって、オレだって間違える。人間なんだ、間違えもするさ。でもなあ、大切なのは間違えたことから何かを学ぶってことだ。意思を持って、自分で考えて決めた行動には叶わず何かしらの意味がある。たとえその先にあったのが失敗であっても、間違いであっても自分で決めて1歩踏み出した時点でお前は前へ進んでんだよ。」
取り囲むゴーレムと戦いながら、テオはマルクスのために叫んだ。喉が裂けるほど強く血が沸騰するほど熱い思いを込めて。
「失敗したって間違えたって今は構わねえ。お前のケツぐらいオレや親父が拭ってやる!」
マルクスの前に立ちふさがるゴーレムの群れをテオはまとめて吹き飛ばす。一瞬道が開くとマルクスの目にテオの勇ましく逞しい笑顔が輝いていた。
「いや、オレはちょっと・・・13にもなった息子のケツを拭くのは嫌だぞ」
ゴーレムをあしらいながらブルクハルトがすかさずテオに抗議を入れてくる。
「ちょっと今カッコつけてんだから黙っててもらえっかな!」
マルクスに見えた家族の姿はたったの一瞬。だがその一瞬がどれだけ彼の心を救ったか、それは彼自身にも計れない。
「じゃあ、兄さん。悪いんだけど後よろしくね。ちゃんと借りは返すから」
ゴーレムたちが築く厚い壁でお互いの姿は見えはしない。しかし心は近く、声は鮮明に耳に届く。
「うっせ、兄からの借りぐらいそのままパクッてろ」
お互いに心の中に降り積もり思いをせき止めていたものが溶けだし二人の間をようやく思いが流れ始めた。そうテオは感じた。
マルクスはテオには助けられたくないのではないか、ほんの少しではあるけれどもテオの中にそんな不安があったのは確かだった。それが解けて無くなるだけでテオの体はまるで羽でも生えたかのように軽くなる。
「なあ、テオ」
まだ肉体強化魔術も使わずに生身でありながらテオの倍以上のゴーレムを屠りながらブルクハルトが余裕を見せ話しかける。
「たとえ身内でも窃盗は犯罪なんだぞ」
父親のあまりにも空気の読めない一言にテオの体は一瞬凍りついた。
「あぶねっ。おい、気い抜いてんじゃねえぞテオ!」
テオの背後に迫ったゴーレムを蹴り飛ばすとブルクハルトは自然に注意した。
「っざけんな!あんたのせいだろうが!どんだけ空気読めねえんだよ!逆に感心するわ!」
ムキになってテオはブルクハルトに向かうゴーレムを横から殴りつける。お互いにお互いの相手を狙いあう歪なタッグマッチが広げられる。
「だからなテオ」
1歩ブルクハルトが踏み出しテオとクロスするとぼそりと真剣なトーンで語りかける。
「マルクスに貸し作ったらちゃんと返してもらいに、うちに戻って来いよ」
ふと口元の力が抜け口角が吊り上がる。
「当たり前だろうが、クソ親父!」
テオの拳がゴーレムを殴り飛ばし気持ちよく伸びる。
「じゃあ、マルクスのこと頼んだぞ。こいつらはオレに任せとけ」
ブルクハルトは胸から術式の描かれた紙を取り出しそれを地面に落とす。テオはそれを見てとっさに耳を塞ぐ。紙が落下すると同時にブルクハルトはそれを踏み抜いた。
「属性は雷、形状は稲妻、用途は身体強化、その魔術名はライトニングドーピング」
全身から稲妻が光を出すと衝撃波と同時にバンッという破裂音が空中を切り裂いた。ブルクハルトの体表ではバチバチと稲妻が波打ち足元の地面は焦げついている。
次の瞬間ブルクハルトの姿は消えテオの前の敵を全て吹き飛ばしマルクスまでの道を開いた。
テオは間髪入れずにリュックを掴み開けた道を一直線に駆け抜けた。しかしマルクスの正面に立つころには道は閉じゴーレムがテオの背後に迫ろうとしていた。だがテオは振り向きはしない。
「マルクスのことはオレが何とかする。父さんは先に行ってミアのこと頼む」
「わかった・・・ちゃんと来いよ」
アロイスは本が入ったリュックを抱え上げ走り出す。
マルクスを見上げるテオへゴーレムが腕を振り上げる。しかしその腕が下りてくることはない。
「人形の分際でよそ見してんじゃねえぞ。てめえらはオレの遊び相手だ」
振り上げられた腕をブルクハルトが握っていた。すぐさまゴーレムたちは正面入り口まで殴り飛ばされテオとマルクスだけが残される。マルクスはすでにゴーレムに飲み込まれ今意識があるのかもわからなかった。
しかしまだゴーレムの瞳に光は灯っていない。もしかするとマルクスが魔力の循環を妨げているという可能性があった。テオはすっとマルクスに近づく。今ならすぐにコアを喰らってマルクスを救えるかもしれないと。




