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光が収まったときテオの目の前にあったのは『魔術喰らい(マジックイーター)』と題だけ書かれた空白のページが開かれた本。テオは元に還ってきていた。
テオの頭と心を埋め尽くすのはやはり様々な感情と情報、それらを繋ぐ考え。それでも今はそれらも並べられ整理されて少しの余裕が感じられていた。
「何を見てきた?」
テオがテーブルに両手を着いて大きく息を吐くと後ろから声をかけられた。
声はブルクハルトのもの、だがその声は父親の声とは違うように感じた。
「あんたは全部知ってたんだな」
冷めた声、それでもそこに怒りはこもっていなかった。ただ事実確認をしたかった。今見たもの見せられたものが偽りだとは思わないそれでも信じるためには当事者の言葉が必要だった。
「ああ、知ってた。オレとレオナはお前の本当の両親じゃない。お前の本当の両親はアロイスとミカエラだ」
全てを悟ってしまったような少し寂しげな表情。そんなブルクハルトに釣られてテオの表情も少し落ち込む。
「なら、マナってのはなんなんだ?ミアはオレの妹ってことになるのか?2人はもうこの世に居ないのか?」
矢継ぎ早に質問を重ねるテオに対しブルクハルトは自ら答えはしなかった。
「そいつらは全部こいつに答えてもらえ」
そう言ってブルクハルトは何かをテオとの中間目掛けて放り投げる。宙をくるくると舞うのはツギハギ模様ブリキ柄のクマのぬいぐるみ、一昔前に流行ったキャラクターでブリキベアという名前だったと思う。
先ほどの本同様にぬいぐるみに触れれば何か起きるのかとテオはぬいぐるみを受け止めに前へ出る。だがテオの手はぬいぐるみまでは届かない。
「何処に投げて」
『何処に投げてんだよ』そう言おうとした。しかしその言葉は目の前の衝撃の光景に失われた。
投げられたブリキベアは床に無様に落下する、はずだった。しかしぬいぐるみは地面に落下する直前、両手を着き華麗な前転を披露し立ち上がって自慢げにポーズまで決めていた。
「ちょっと、ブリッツ!親友を投げるなんてどういう了見だよ。弁明を要求するぞ!」
「というわけでだテオ。こいつがお前の父アロイス・ライデンベルクだ。魔術師としては『記憶を指揮する者』って二つ名を持つ。今お前が見たのはこいつの記憶の世界だ」
ブルクハルトが指差す30㎝ほどのブリキベアは『えっへん』と胸を張った。
「やあ、久しぶり・・・だね、テオ。こんなにも大きく立派に育ってくれて本当に嬉しいよ」
「いや、意味わかんねえよ!さすがにどこから取り付けばいいかもわかんねえ!なんなんだよこれ!」
テオにとってまさに人生最大の衝撃だった。もし今日が4月1日であれば間違いなくエイプリルフールのドッキリだと即断するほどの話である。それほどの出来事なのにテオ以外誰もそのことを気に留めようともしなかった。
「そうだな・・・マナっていうのは生命力、寿命って説明するのがテオには一番わかりやすいのかな」
「この状況で何説明されたって理解どころか頭にすら入ってこねえよ」
「そうだよね。やっぱり見て感じてもらった方が理解しやすいよね」
全く持って話が噛み合わなかった。それこそミアと始めてあったころを思い出すくらいに。でもそれは必要な事象だけを拾い最短距離を進もうとするがゆえだと今のテオには思えた。
ブリキベアのぬいぐるみもといアロイスは器用にテーブルを登ると『魔術喰らい(マジックイーター)』のページを開いた本をめくっていく。そしてあるページを開き止る。
そのページにテオも気を引き締め集中する。
「『人造人間』、『全能の魔女』」
そのページには2つの題が記されていた。そのどちらもミアに関するフレーズ。そのことにテオは自然と体に力が入った。
「いいね、その切り替えの速さと集中力。さすがは僕たちの息子だよ」
テオの姿を見てアロイスが語る。その表情はわからない。それなのにテオには彼がどんな表情おでそう語るのかわかる気がした。
アロイスは本を持ち上げテオに向けて傾ける。
「さあ」
テオはゆっくりと手を差し出し記された魔法文字に触れる。先ほどと同じ、文字は輝き帯となって宙を駆ける。その帯を掴み記憶の世界へとテオは飛び込む。
「これはテオが生まれたのと同じ日、テオが生まれた3時間後ぐらいの出来事だったかな」
場所は先ほども今も同じ。しかし状況はいささか変化している。シェーラーズ夫妻と赤ん坊テオの姿がない。変わりに14歳のテオの隣にはブリキベアのぬいぐるみが立っていた。
「テオ、ブリッツ・・・ブルクハルトとレオナを責めないであげてくれないか?彼らは僕たちの無理なお願いを聞いてくれたんだ。責めるなら私とレオナを責めてはくれないか?」
テオの足元でブリキベアが深く頭を下げていた。潔く正々堂々とした姿、相手が実の息子であるとか自分の今の姿とか関係なく自分が悪いと思ったことを正直に謝る姿。テオは素直にカッコいいと思った。本当は怒声の1つでもぶつけるべきなのかも知れないがテオからは大きなため息が1つ、こぼれただけだった。
「はあ・・・いいよ、もう。別に怒ってたわけでもないし。親父も母さんもオレのこと育ててくれた大切なオレの両親だしあんたもあんたの奥さんもオレのために色々考えてくれたのもさっきこの目で見た。この命をくれたことにも『魔術喰らい(マジックイーター)』を与えてくれたことにも本当に感謝してるよ。こんなにもカッコいい大人たちに育てられたことをオレは本当に幸運だと思うよ」
テオの言葉を何度も租借するように、アロイスはじっと見つめたまま耳を澄ましていた。
「本当にいい男に育っているんだね。レオナとブリッツにはどれだけ感謝してもしきれない」
そう言いながらもアロイスは少し寂しそうな仕草を見せていた。それはきっと親ゆえのことでマルクスに対してブルクハルトも同じようなもどかしさ感情を感じているのかと考えた。
「でも、マルクスのためとは言えミアを差し出したことは許す気はねえよ」
テオの突然の発言にアロイスは短く素っ頓狂な声を上げた後テオと顔を見合わせて大声で笑いだした。テオはすでにいつもの調子を取り戻しつつあった。だがもう1つテオには知らねばならないことがあった。
ドサッという大きな音とともに記憶の世界のミカエラが倒れこんだ。テオは驚き一瞬駆け寄ろうとするがアロイスが声をかけ呼び止める。
「彼女は僕の記憶の中の存在だ、僕らには触れることは出来ない。それよりもさっきの続きを話そう。マナについて」
記憶の世界のミカエラは駆け寄ったアロイスに抱えられ一度ベッドに寝かされる。アロイスはそのまま床に新しく術式を描き始める。
「マナっていうのは生き物の生きる力そのものだ。生命の誕生とともに生活の中でその量を減らしやがて底を尽き命も終わりを迎える。それを寿命と呼んでいるんだ。その使い道は肉体の成長、傷の修復、喪失した部位の復元、実に様々だ。僕たち魔術師は魔力を練るときにこのマナを微量だけど用いている。つまりマナは魔力の意味合いも持つんだ。問題はその質の高さだよ」
質の高さ、その言葉にテオはある出来事が頭に浮かんだ。
「ミアの魔力・・・」
「そう。彼女の魔力にはマナが多く練りこまれている。だから彼女の魔力は質が高く魔術は強力なものになる。その力は平均的な魔力の100倍以上だよ」
テオには何も驚きはなかった。彼はすでに喰らうことでミアの魔力がただの魔力でないことを知っていた。これはそれを数字として再認識したに過ぎない。
「本来、マナは自分の意思でコントロールすることなんて出来やしない。だけど僕たちはその扉を自由に開閉する鍵を見つけた。それが最初の錬金術にして全ての錬金術の源だよ。」
アロイスはそこまで話すと記憶の世界の2人に視線を向けた。
そこには術式の準備を終え素材を準備するアロイスとすでに息絶えてしまいそうなミカエラの姿があった。
「本当にいいのかい、ミカエラ?」
「いいと言っているだろう。私はもう長くない、ならばあなたの力になってテオの成長を少しでも見ていられる可能性に賭けるだけだ」
アロイスはこの状況で微笑むミカエラに背を押された気がした。
「いいかい?君の記憶を元に『人造人間』の人格を作る。生命維持に必要なマナは僕のマナを半分使う」
アロイスの顔は緊張して強張っている。体はがちがちで心臓の音がテオたちにまで聞こえそうなほどに緊張が体に出ていた。
「ふふ、ほんとうに君はダサいな」
ミカエラからのまさかの侮辱にアロイスは情けない声を上げた。
「世紀の大発見かも知れないのだぞ、もっと興奮した顔を見せたらどうだ。私はもっと挑戦的なあなたに惚れたのだぞ。この瞳を通してあなたを見るのはどの道最後なのだ。最後はあなたの格好いい姿を見ていたいのだが?」
「まったく、君の方が随分と挑戦的でずっとカッコいいよ」
アロイスは嘲て笑って見せると術式に集中する。
「テオの母親で僕の妻だったミカエラの記憶と命、それから僕の寿命の半分を使って生み出した『人造人間』、それがミアだよ」
アロイスは術が展開される光景を見つめたまま静かに語った。
「ミアはミアなのか?それともミカエラなのか?」
テオはずっと気になっていた。ミアがたまに見せた大人のような多くの感情を孕んだ表情が、彼女の知識、記憶が。
「さあね、どっちなんだろうか?彼女が生まれてから先日の事件まで一緒に暮らしてはいたけど結局その話題に触れることは出来なかったよ。だけど記憶はちゃんと受継がれているよ。ミアの表情や話し方、仕草はどれもミカエラのものだった。だけど彼女はミカエラじゃない。だからこそ彼女自身自分が何者なのか、悩んでいたのかもしれない。だけど、僕には声をかけることが出来なかった。その資格があるとはどうしても思えなかったんだ」
テオには今のアロイスの姿が自分と重なって見えた。
「テオ、君は彼女はどちらだと思う?」
アロイスの質問とともに記憶の世界に1つの産声が上がった。
ミカエラの死そしてミアの誕生とともにアロイスとテオは眩い光に包まれた。
「オレは――――」
テオは暖かな光の中1つの決意をした。




