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目の前にあるのは1つの四角い建物、コンクリート製で真っ白な特徴のない1階建ての建物。その周りには鬱蒼とした森が広がり建物の壁にもツタが這い草花が咲いている。
始めて見る建物始めて見る光景、なのにこの建物をじっと見つめているとテオにはどこかで見覚えがあるように感じられた。
「そうか、この建物うちに似てんのか!・・・ってはあ!?」
テオは思ったことを口に出して驚いた。コンクリート製の四角い家など何処にでもいくらでも存在するはずである。にも関わらずどうしてゴミ溜めにあるテオの家に似ていると思ったのか。テオにはそれが驚きだった。
「まあ似てるとも思うだろうさ。これはミカエラが建てたアロイスの研究所だからな」
「それってミアを作ったっていう研究者か。で、なんでそんなことをあんたが知ってんだよ?」
テオの声にまた怒りが込められる。だがここはブルクハルトも逃げずに正面から向き合う。
「それは、オレが大学時代彼らとともにここで錬金術の研究をしていたからだ。だが、それも大学の卒業して終わりにしたんだ。それからは14年前に1度だけ訪れただけ」
『だから、この場所の住所もこの場所の存在も、すっかり忘れてしまっていた』ブルクハルトはテオに聞き取れるかどうかそんな小さい声に哀愁を込めて付け足した。
ブルクハルトの感傷に浸るもの悲しい表情にテオは言葉を見失った。
無言の時が続くとブルクハルトが1歩踏み出すしながら無言の空間を破る。
「さあ、行こうか」
テオはブルクハルトの背に引っ張られるように言葉もなくただついて行った。
ミアが残したカードキーをリーダーに通すと入り口が開く。中を見るとテオが一言零す。
「これ、うちと同じ間取りなのか?」
建物の入り口を通るとすぐにダイニングキッチンその奥にはリビング他に部屋が2つにバスルームこれらは全てミアが新築したテオの自宅と同じ間取りになっている。
同じ間取りの建物にテオは1つの疑問を思い浮かべる。
『14年間住んでいたからといって同じ建物を作れるのか』
さらに疑問は疑問を呼ぶ。
『そもそも14歳の彼女に建築の技術だろうと知識だろうと備わっているのがおかしいのでは?』
本当にふとした疑問だった。だがその疑問がテオの中で彼女の存在をより一層遠ざけることとなった。
テオは探究心があるわけでも好奇心に唆されたわけでもなく興味を持つわけでもなく、ただただ屋内を見て回った。
建物の中はどの部屋を見て回っても書類が壁を埋め尽くし本が棚を埋め尽くしていた。メインの研究室となっていたであろうリビングに至っては不気味さと恐怖を感じさせるような光景でいた。ホワイトボードをはみ出した術式の理論式は壁や天井、床にまで部屋中を這いまわっている。その上に棚から落下したと思われる分厚い古びた本たちが山を築いている。
テオは本の山に近づくとその山にそっと手を添える。
「これ・・・血なのか」
本山には血痕が残されていた。大人の男性のものと思われる手の形をした痕ががあれば何かを引きずったような痕もある。足元を見ればそこには土が散らばっている。
そしてテオは1つミアの話を思い出していた。
『ミアの父親はゲオルクに殺されている』
そのことが思い出されると目の前の光景に怒りや恐怖、憎悪や恨みたくさんの気持ちの悪い感情が胸の内を駆けずり回った。
ギリッと奥歯が軋む音がすると口の中に鉄の味が広がる。気がつけば拳にも力が込められている。
眉間に深くしわが刻まれ表情が険しくなるテオの肩に後ろから手が置かれた。
「テオ」
優しく語り掛ける声、しかしテオの眉間からしわは消えない。険しい表情のまま振り返ればそこには悲しむような諭すようなはっきりとしない表情をしたブルクハルトが立っている。
ブルクハルトはテオの表情を見るとさらに悲しみの色を濃くする。
そんな父の顔を見ているのは今のテオには随分と不快なことだった。テオは視線を逸らし手を払うと引きずられた血痕を辿る。
血痕はリビング中央、大きくずれた長テーブルの前で途切れている。何かが置かれていたのか後から置かれたのか、はたまたここからまだ続いているのか、テオはまっすぐに途切れた血痕を指でなぞる。触れて初めて気付いたがそこからはわずかに魔力の匂いを感じる。カモフラージュかトラップか時限式発動か遠隔発動か。だがそんなことテオには関係のないこと。
血痕が途切れた少し先の床に手を当てわずかに感じる魔力を喰らう。床に積もった土やほこりが舞い上がり1冊の埋め込まれた本と1枚の扉が現れた。
「本?」
1冊の古びた大きく厚みのある本。そこには大げさにも見える鎖が巻きつけられ開けないように固定されている。本を取り出そうとテオは鎖に手をかける。
「痛っ!」
突如鎖は有刺鉄線のように棘を出し掴んだテオの手を突き刺した。本に巻きつけられた鎖はただの鎖ではなかった。それは本を縛る鎖であり本を守る番人であった。そして番人はやってきた人を選び道を譲る。
『遺伝子情報識別・・・・・遺伝子情報ヲ確認イタシマシタ。個人名特定テオドール・ライデンベルク。主、アロイス・ライデンベルクノ実子。長男。守備ヲ開放イタシマス』
鎖から音声が流れると独りでに鎖は解けその身を本の内へと仕舞う。
「は?テオドール・ライデンベルク?何だよそれ、一体誰と間違えてんだこのボケ番人は?」
手にした本をノック師ながらテオは話しかけ、同意を得るように後方に立つブルクハルトに視線を送った。
だがブルクハルトから同意の返事はなかった。そこにあったのは寂しそうで申し訳なさそうなブルクハルトの真剣な表情だった。
ブルクハルトは何も話さない。代わりに本とともに現れた扉へとテオを促す合図を送る。
自分を巻き込んだ大きな流れが自分の与り知らぬところでうねり進んでいる、そんな心地悪い感覚と抗いようのなさに包まれたままテオは促されるままに扉へと向き直す。
「え?」
しかし、そこに扉など存在してはいない。あるのはぽっかりと空いた穴と地下へと降りる階段だけ。
「きっと本の鎖自体が扉の鍵になっていたんだろうな」
ぼそりとテオに呟きかけブルクハルトはテオの横を抜け先に階段を下り始める。
階段は思っていたよりも長く地下へと伸びていた。薄暗い通路をタンタンと階段を下りている間もテオの頭と心の中はずっと騒がしいままだった。いくら考えたところで騒音は減りはしない、いくら悩んだところで雑念は消えてはくれなかった。
そうしているうちに長く続いた階段にも終わりがやってくる。1枚の木製の扉、扉を開くとブルクハルトは中へは入らずにテオを先にと招いた。
テオは一度喉を鳴らした。緊張や不安、その他もろもろの感情呑み込みたかった。
ゆっくりと1歩中へと足を踏み入れる。
中は存外に清潔に保たれていた。地上の部屋ほど書類や本が散らかっているという様子ではなくひどくほこりっぽいということもない。だが生活感があるとは言えなかった。人が住んでいるために保たれているというよりは誰かが清掃にだけ来ているというような不自然な清潔感だった。
テオの足は自然と部屋の中央に置かれたテーブルへと向かった。テーブルの上に置かれた本、開かれたページには『人造人間』と題があり小難しい理論や術式の説明、練成方法などが書かれている。
「なんだこれ?」
本の影テーブルの上にシミを見つけたテオは本を除けシミに触れた。
「くっ!」
その瞬間テオを激しい頭痛が襲う。痛みを受けたの拍子にテオは手にしていた本をテーブルの上に転がした。本は開かれた状態でテーブルの上に止まった。
頭を抑え頭痛に耐えながらも本を拾おうとテオは手を伸ばすがその手は本に触れる前に静止する。
「『魔術喰らい(マジックイーター)』」
テオは開かれたページに記された題を読み上げる。しかしそれ以外にはそのページに書かれた文字を読むことは出来なかった。
「これ、魔術式とかに書かれてる模様、魔法文字ってやつだよな」
本に書かれている文字はテオには読めない、意味もわからない。テオはその模様の並びを指ですっとなぞった。
「わっ!」
指でなぞった瞬間本に記された魔法文字たちは白く輝き1本の帯として本を飛び出し宙を泳ぎ始めた。
「これって・・・」
テオは誰に言われたわけでもない。しかし迷うことなく宙を泳ぐ文字の帯をその手に掴んだ。掴まれた帯はその場から次々とテオの手の内に吸い込まれていく。全て吸い込まれるとテオの頭は焼け切れそうなほどに熱くなりテオはその場に頭を抱え目を閉じてうずくまった。
痛みはほんの数秒で治まった。テオは警戒しつつもゆっくりと立ち上がる。しかしそこは同じ場所なのに同じ状況ではなかった。
テーブルはベッドの代わりとなり1人の女性が赤ん坊を抱いて寝ている。ベッドのそばには1人の男性とレオナ、ブルクハルトも立っていた。
男性陣は安堵の表情を浮かべ場には幸せが満ちていた。だがそれもほんの一瞬のことだった。女性が赤ん坊に産声を上げさせようと背中を叩き赤ん坊から待望の産声が上がった瞬間だった。
ゴウッと魔力の波が赤ん坊から流れ始めたのだ。魔力は本来意識して初めて存在を知り努力して初めて外に出すことが出来るものなのだ。しかしごく稀に生まれながらに魔力を排出することの出来る魔力との親和性の高い赤ん坊が生まれてくるという。だが、その子はもれなくその産声が泣き止むと同時に命が尽きてしまう。
赤ん坊から漏れ出す魔力にレオナとブルクハルトは顔を真っ白にしていた。ところが赤ん坊の両親と思われる2人は落ち着いていた。すぐに状況を把握し対策を立てる。
「ミカエラ、マナロストが起きている。もう扉を閉じて鍵を壊すしかないよ!」
「待ってくれないか、アロイス。それじゃこの子が可愛そうだ。『魔術喰らい(マジックイーター)』は使えないか!?」
アロイスと呼ばれた父親の声は諦めと悔しさを含んだ沈んだ声。逆にミカエラという名の母親は強気で挑戦的な力強い声で叫ぶ。
「でもあの技術はまだ実験段階で人に対しての成功率はわからないだろ?」
「それでも確立は0じゃない。このままだとこの子は、テオドールは死んでしまう。マナロストを止めたところで今のファルネムトではリアムは死人と同義だ。ならば私はここの子が強く前を向いて生きられる未来を用意してやりたい。『活路を得るため敢えて死地へ赴く』私に教えてくれたのはあなただったよな?」
ミカエラの精一杯の笑顔にアロイスは呆れるように微笑む。
急ぎ地面に術式を準備する。地面を見つめたままアロイスは真剣な表情でミカエラに向けて言う。
「ミカエラ、『魔術喰らい(マジックイーター)』の触媒にするマナは僕のものを使うよ」
アロイスの言葉を聞きながらミカエラは痛む体を無理やり起こして答える。
「馬鹿なことを言わないでくれ。この研究は私のものだ。初めの発動は私がする」
「何を言っているんだ!今の君が代償を払ったらもう」
ミカエラの返答にアロイスは慌てて顔を挙げ反論しようとした。しかしその口をミカエラの唇が塞ぐ。
「わかってる。でも私たち家族はまだ始まったばかりなのだ。そう易々と終わらせるつもりはない。それにアロイス、あなたには別に役目があるだろう?」
ミカエラはすっと唇を離すとアロイスの瞳を真っ直ぐに見つめ訴える。アロイスはその熱意に納得したように術式の準備を終えるとその場を離れた。
「テオ、この世に出てきてすぐにこんなことになってすまない。あなたがこれからどれだけ大変な思いをするのかわからない、なのにあなたを助けてあげられないことも本当にすまないと思う。だが私もアロイスも君を心の底から愛している。あなたが私たちが両親だと知らなくとも私たちにとってはいつまでもあなたは私たちの息子だ。いつでもあなたのそばであなたのことを思っている。今はせめてあなたのために未来に向けて進める可能性を受け取ってほしい」
赤ん坊を術式の中央に寝かせるとミカエラは術式に両手を置き力を込める。強い光が溢れ空間が真っ白に塗りつぶされた。




