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7月21日木曜日、この日テオは眠りの国から戻りまぶたを開く前から何かがおかしいと感じていた。
まぶたというフィルターを通してなお眼球に眩しいくらいの光をお届けする夏の日差しを感じないのだ。
『朝日よりも先に起きたのか?』とか『逆に寝すぎてもう夜なのか?』などと考えたがそんなことはない。日差しを感じない理由はもっとシンプルなものだった。
「・・・天井だな」
ゆっくりとまぶたを開いたテオはその目に映った光景をそのままつぶやいた。
まだ寝ぼけたままのテオの頭はゆっくりと記憶の海を探索する。検索にかけられた目の前の景色に対しヒット件数はゼロ、最新の記憶を探っても自室のソファの上で途切れている。
となればやはり、ここはテオの家なのだろう。そうゴミ溜めの中にある柱しか存在しない家。
その柱しかない家に天井がある。天井が、存在している。
「はあ?天井ぉぉ!?」
驚きの余りテオはソファから飛び起きた。
何度も目をこすり今一度空を見上げようとする。しかしその行く手を冷たい灰色のコンクリートが遮る。さらに言えば柱同士の間には天井と同じ色をした壁が存在し、床も同様に舗装されている。
見覚えのない景色にテオは呆然としつつもある考えに至る。
「・・・まさか誘拐!?監禁!?」
言葉にした途端大きな恐怖に襲われ自分の体を確かめる。
ぺたぺたとセルフでボディチェックを行うと安堵の息が漏れる。
「拘束されてないし、体にも異常はないな・・・。あっソファはオレのか」
振り返ると見覚えのあるソファが目に付く。
たったこれだけのことで不思議と落ち着くことが出来た。
もう一度周囲を確認すると壁に取り付けられた1枚の窓が目に付いた。
近づきスライド式の窓を開けるとテオはまた安堵の息を零す。
「ゴミ溜めだ・・・。いつものテゴだ・・・・・」
そう言ってテゴの朝の景色をぼんやりと眺めているとテオの耳にはトントンと小気味よいリズム音が聞こえてきた。
音のする方を見れば、見覚えのある扉が壁にはめられている。
言葉を覚え始めた子供のようにテオは自分に理解できた現実を考えもせずにつぶやく。
「先週の魔導飛行船に積まれてたドアだな」
7月11日月曜日朝、食料の調達へと出かける途中にゴミ山で同じデザインの扉を見かけた。
見覚えのある金色の取っ手に手をかけ扉を開くと、その先にはまるでモデルルームのようなダイニングキッチンが広がっていた。
所々テオの使用していた家具や家庭用魔導機械器具が置かれているが、一人用だった物は全てなくなっており代わりに2~5人用の物へと取り替えられている。そして新しく配置された物たちも漏れなくテオには見覚えのある品々である。
そんな衝撃的リフォームを目の当たりにしながらもそれ以上に驚かされる光景がキッチンにあった。
見覚えのあるキッチンに立つ見覚えのある少女に驚きが1周したテオは呆れた声で質問を投げる。
「オレの家はどうなったのかな?んでもってお前はそこで何してんの?」
ファミリー向けの家庭にあるような広めのシステムキッチンには昨日助けた少女の姿があった。デニムのショートパンツに黒のタンクトップの姿にフリルのあしらわれた黄色いエプロンを身に着けた少女はニンジンをカットする手を止めテオを真っ直ぐに見つめる。
彼女の瞳は髪同様に赤みがかっており力強さを感じる。それなのに瞳を包むまぶたはやる気なく開かれどこを見ているのかもわかりにくい。
テオが彼女の瞳から焦点を探っていると、少女は眉をひそめ首をかしげる。
「オレの家?それは柱だけが存在し、辛うじて間取りが把握出来るかどうかという状態のあの敷地のことを言っているのか?」
昨日顔を合わせただけの少女が初めてまともに話す会話。それはあまりにも歯に衣着せぬ言い振りでテオは反射的に少しだけムスッとする。
「それ以外に何かあんのかよ」
苛立ちを顔に出すテオに対しても少女は毅然として答える。
「そうか・・・。であれば私はあなたの家をリフォーム・・・いや、取り壊しその上から新たに家を建てた、と答えるのが正しいな」
少女のあまりに堂々とした態度にテオの苛立ちは瞬時にどこかへと行きかけたがテオは急ぎその足を捕まえ、質問を重ねる。
「家を建てた?この家をか?一体どうやってだよ」
昨晩までは存在しなかった大きな箱の形をしたコンクリート製の住居、扉や窓など内装に必要な家具もも外装の素材となるコンクリートの瓦礫もそこらのゴミ山に転がっている。だとしても彼女一人で昨晩のうちに家を建てることができるとは到底思えない。
「何を言っている?この世界には魔術というこの上なく便利なシステムが存在しているのだ。その恩恵を受けたに決まっているだろう」
少女は小ばかにしたような口調で言うがテオからすればそれこそありえない話だった。
「恩恵を受けたって魔術を使ったってことか?お前の他に誰かここに来たのか?」
「あなたの目は節穴なのか?ここに私以外の誰かの姿が見えると言うのならば今すぐ眼科に行くことを勧めるぞ」
少女の考えに対し噛み合わない質問を重ねるテオに少女は不安な声で心配した。
しかし、テオからしてみれば常識の中に居るのは自分で、アウトサイダーは完全に少女の方であり。
「んな話してんじゃねえよ!お前にこの家が建てられるわけがねえから、他の協力者の可能性を探っての!」
昨日テオが少女を助けに入った瞬間、少女が使っていた魔法は『レイアロー』光属性魔術だった。つまり少女の持つ魔力の属性は光、それ以外には無属性魔法・魔術しか使えないのだ。そして一晩でこの住居を完成させるには無属性魔法で各工程の効率化を計るだけでは無理だ。高位の土属性魔術でコンクリートの瓦礫を直接住居の形に練り上げる必要がある。ならば光属性の彼女には不可能、そのはずだった。
「本当に何を言っているのだ?この家は間違いなく私が建てた。こう見えても私は理系だからな、建築にも精通しているのだぞ」
少女は手の平に1階建ての立方体の家のミニチュアを造形して見せた。何もない手の平に土が生まれ家の形に収まる。
小さな家を手に少女はどうだと自慢げに胸を張った。
テオは脳内を驚きに埋め尽くされ活動が怠慢となる。そこからでも驚きだけは言葉となってこぼれる。
「信じられねえ・・・お前2つも属性持ってんのか・・・」
「2つ?私が扱えるのは2属性だけではないぞ。私は『全能の魔女』と呼ばれる全属性使いなのだ。」
少女は淡々と信じがたい事実を告げてきた。だがしかし、これもまた彼女の手の上に証明される。
開かれた手の上で炎が灯ると宙に消え次には野球の硬球ほどの水滴が現れる。そうして火、水、風、雷、闇と順に見せ付けられる。
テオの中に溢れる驚きの感情はとっくに許容量を超え、その目に現実を映しても尚素直に受け入れることが出来ない。少女の手の上で揺らめく闇の中にテオの視線は吸い込まれる。
「全属性?そんなことありえねえだろ・・・駄目だ、こんなの信じられねえ」
諦めにも似たテオの言葉に少女は嘆くように言葉をつむぐ。
「たとえありえなかろうが、あなただけには信じてもらえないと困るのだがな・・・」
初めて彼女の言葉に明確な彼女自身の本心とも思える感情を感じた気がした。テオの視線は闇に捕らわれていたためその表情を見ることは出来なかったが、きっと憂いを含んだ人間らしい複雑な笑顔でも浮かべていたのではないかとテオは思った。
次に出た言葉は自分でも驚くほどに柔らかく丁寧な音をしていた。
「どういうことだよ?」
答えはすでにわかっている気がした。彼女がテオの顔を見たときに発した言葉、目覚めた後もテオのそばを離れようとしないこと、どれもはっきりとではないが彼女の意思を含んでいた。
「もちろん、あなたが『魔術喰らい(マジックイーター)』だからだ」
『やっぱり』テオはそう思った。不思議なほどに驚きは全くなかった。
一般人には『魔術喰らい(マジックイーター)』の特定は不可能、そう思ったのは確かだ。だがいつか誰かが自分のことを見つけるのではないかとテオ自身どこかで思っていたのだろう。
「どうしてわかったんだ?」
ここまできて否定は不要だし時間の無駄だと思った。昨晩助けに入った瞬間からわかっていた。この少女は問題ごとを抱えている。それでもテオは彼女を助けたのだ、彼女がその問題に触れようとするのに今更引き伸ばそうとするなど何とも『ださい』。
彼女は手の中で揺らめく闇を手の内にしまい口を開く。
「私の父は錬金術の研究者なのだ」
テオは何を言われても大丈夫なようにあらゆる想定を脳内に準備していた。だが、それでもテオには彼女の言葉が全く理解できなかった。
少し間が空いてようやくテオが尋ねる。
「錬金術って、あの錬金術か?」
ようやく出た言葉も全くと言っていいほど中身の詰まっていない、ただの単語の連なりになっていた。
それでも、少女はその言葉からテオの心境を悟る。
「ええ、あなたがふんわりと思い描いているその錬金術で間違いないと思う」
「いやでも、それって化学とか科学とかの根幹で究極の目標、みたいなやつだろ?なんでそんなもんがいきなり出てくんだよ?オレの『魔術喰らい(マジックイーター)』なんて完全にスピリチュアルなもんだろ?そもそも魔術自体真逆で完全に畑違いじゃないのか?」
テオの記憶では錬金術とは非金属を金属に、無生物を生物にすることを目標にした学問、だったはず。それには特別な術式や触媒が必要であり、異属性の物の等価交換を実現するその触媒を『賢者の石』と名づけた、ぐらいにしか知らない。
それでもその学問から生まれ今まで発展を遂げてきた化学や科学などとテオやこの少女が関わる魔術の世界が相容れないものだと理解は出来た。
だが、少女が話す言葉は異なる現実をテオに告げる。
「そんなことはない。もちろん元の錬金術を言えばあなたの言った通りなのだろう。だが今の現実はあなたの思うものとは随分と異なる。私の父のような研究者はこれまで様々な研究を続け多くの発見をしてきた。だがそれでも錬金術に至る手がかりすらも見つけることは出来なかった。彼らの頭にある理想は不可能で、それらを可能にするための現実はまだ非現実だったのだ」
何を言っているのかテオにはさっぱりわからなかった。話の本筋には関係のない情報をばら撒かれているのではと猜疑心が湧き上がった。
いぶかしむテオを尻目に少女は言葉を続ける。
「だがそこに現れたのが魔法だ。魔力と呼ばれる未知の要素の発見により、それまで人類の中で非現実であったことが現実となったのだ。そして不可能であったことの多くもまた可能となる。人々は未知が詰まった魔法や魔力について死に物狂いで研究した。そしてその結果誕生し今日まで進化を続けてきたのが魔術という分野だ。」
テオの中で点在していた情報を光が結んでいく。頭の中で絡まっていた糸がほどけていくような感覚がした。
彼女の話の続きを待たずしてテオが口を開く。
「それで錬金術か・・・」
「そう、魔術の発展により非現実が現実となったのだ。そしてそれは、これまで不可能のままだった錬金術を可能へと変えようとしている」
テオの頭の中を覆っていた熱い雲は晴れ遠く広い空が広がる。
頭の中に点々と残った雲、その内の一つをテオは手に取る。
「なら、オレのこの力ってのは・・・」
握った手をゆっくりと開くがそこにはもちろん雲など入ってはいない。
「・・・錬金術だ」
少女の言葉をしっかりと耳に入れるとテオは力のこもった目を彼女に向ける。
「一体誰が、何のために?」
強く力のこもった目に向き合った少女は一度開かれたままのテオの手を見た後、もう一度テオの目と向き合う。
「それは・・・・・わからない」
少女の瞳は言葉尻、彼女の右下へと逃げた。その言葉は弱弱しくすぐに空中に溶けていった。
「そうか・・・」
テオはまた自分の手の平を見たがやはりそこには何も掴まれてはいなかった。
彼女が何か隠していることは明らかだった。だがそれでもテオはこれ以上追求しようとは思わなかった。これといって根拠があるわけではない、それでもいつか必ずわかるときが来ると思った。自分の手にこの力『魔術喰らい(マジックイーター)』が宿っている理由、そこにはどんな物語があり、誰のどんな思いが込められているのか。
快晴というわけではない、それでも気持ちよく晴れた頭でテオは一つ今更の質問を少女に向けた。
「そういえばお前名前は?」
彼女はそのやる気の感じられない目を少しだけ見開くと、少し言葉に詰まりながら答える。
「私の名は・・・ミア」
「そうか、オレはテオだ。よろしくな」
彼女の言い淀みを気にする素振りもなくテオは手を差し出し、自らも名前を名乗った。
テオの様子にミアと名乗った少女は安心したように表情を少しだけ和らげ握手を交わした。
繋いだ手をそのままにしてミアが短く『あっ』と間の抜けた声を上げる。
「もう一つの質問に対してだが、料理をしているのだ。見てわからなかったのか?」
ミアは心配げな表情で首をかしげた。
テンポの掴めないこの少女との生活を想像するとテオには苦笑いを浮かべることしか出来なかった。




