8 人形の神殿
俺は、変化に強い方なのだと思う。
鎧になり、そこが一万二千年後の世界だと言われ、壊し壊され、殺しもしたのに、ご神体として奉られる。
気がふれるようなイベントが目白押しだが、今のところ気がふれてはいない。ちゃんと思考ははっきりしているし、クスリをやったときみたいに視界がバラ色やひも状の虫で埋め尽くされてもいない。
カトレアの切れ込みが入ったスカートは色っぽく感じ、肩に乗っているはかなげなツバメに、これ以上傷ついて欲しくないと思いやれる。
たぶん、ラノベのおかげだろう。俺は平凡な高校生だったが、ライトノベルだけはそれなりに数を読んだ。そこではいつも、目新しい冒険がくりひろげられ、個性的なキャラクターが泣いたり笑ったり驚いたりしていた。このラノベでの読書体験が一種の「予習」になって、今の異常事態にも、何とか耐えられているのだと思う。
そういえばカトレアやツバメも、ラノベのキャラクターと言えなくもない。もっとも必死に生きている本人たちにこんなこと言ったら、機嫌を損ねるだろうが。
遠目から見たときは気づかなかったが、神社は城のように堀に囲まれていた。山の方から水が引かれており、その水が堀を満たしてさらに南の方に伸びる水路へ流れている。神社自体は周りより一段高い台地の上に建っていて、入り口に備えられた橋には傾斜がついている。橋は、木で作られたような茶色の色合いをしていたが、実際は金属だ。歩いてみてわかった。
「でも扉は木製だよ!」あけっぱなしの扉を、ツバメはわざわざさわる。「森がとっくの昔に絶滅してるから、木製品って、ものすごく貴重なの!」
境内は境内だった。つまり、ちゃんと俺が思い浮かべる神社の境内をしていた。小道があり、植え込みがあり、池があり、白磁の砂が敷いてある。これで寝床に帰るカラスとか飛んでいたら、完全に日本の風景だ。
ただ、すぐに「なんじゃこりゃ」と口に出してしまう。
場違いな人形がたくさん並んでいるのだ。
かつて薬局の前にいたゾウとカエル、舌を出したお菓子屋のマスコット、二足歩行する野球チームの虎に、人気ロボットアニメの主役機と赤いライバル機。等身大のベジータ(めずらしい超サイヤ人3状態)もあって、他にも見たことある人形がたくさん。なんだここは? 人形の家か?
ツバメがその一つ一つに、ぱん、と手のひらをあわせて回るので、俺は呆然と見守るしかできなかった。どう見てもセルロイドの人形を、神仏のごとくうやまっている。
カトレアが笑ってもっともな事を言った。
「あいつらはみんな、石油機文明時代のマスコットやキャラクターだって言ってるのに、ツバメは聞かないんだよ。この時代にまでちゃんとした形で残ったのだから、なにか霊的な力があるに違いないって。まあ、こう信じてる人、この世界には多いけどね」
最後に、ハンバーガーショップの道化師に手のひらを合わせてから、ツバメは戻ってきた。
「ごめんね、時間とらせて。これをやっておかないと、落ち着かなくて」
「どんなお願いしたの?」俺はたずねる。
「うん。今日もわたしたちを守ってくれてありがとう、明日も無事に、おいしいご飯が食べられますように、って」
「ほほう」ハンバーガー屋のマスコットにお願いするには、妥当な内容かもしれない。もっともこの世界にハンバーガーが残っているのかは知らないが。
俺たちは敷地の奥へと移動する。
この時代で初めて知ったのだが、神社には拝殿と本殿があるそうだ。拝殿というのは神様を拝むための建物で、本殿は、神様自身がおわす建物だ。
ちなみにこの神社は、祭る対象が「天空の大地チバ」なので、拝殿しかない。
「あの山には、天国へと続く道があるんだよ」ツバメが例の、俺に観光案内したがるクセを発揮する。トウキョウワン跡とは反対側に、山があるのだ。
気のせいかもしれないが、説明が少し悲しげだった。
拝殿も、神社にありそうな和風な建築物だ。ただ石段だけはコンクリートでできていて、幅も広く、まるで俺向けに作られたみたいだった。入り口は木製の引き戸で、大きいもののまだ高さが足りず、俺はかがみながら中に入った。
中はがらんとしている。賽銭箱と天井からたれさがった鈴、そして線香と木魚があった。――神社に木魚? 神仏習合か?
こんなのは序の口で、よく見ると鈴の向こうの壁には十字架を背負ったマリア様の像が立てられていて、「え、教会?」と思わず口に出した。
ツバメもカトレアも、マリア様に、ぱんぱんと手のひらを合わせている。拝んだ時間は一番長かった。
「ここがあんたの部屋になる」カトレアが向き直った。「普段はこのマリア像の足元に鎮座して、ちゃんとご神体の役目を果たして欲しいそうだ」
「なるほど、座っているだけの簡単なお仕事なわけだな」
「あはは」快活そうに笑った。カトレアが初めて見せた、心からの笑いに見えた。
「あんたみたいな力持ちを、ただ座らせておくわけないだろう?」
「?」
「それじゃあ、今日はこの辺で・・・」ツバメがしずしずと言った。「わたしたちニューカムは、日没までには神殿の外に出ないといけないから」
「どうしてだ?」
「そういう決まりなんだよ」カトレアの嫌そうな顔。「神様を怒らせないためだそうだ。この神社と神様が建てられた頃は、アタシたちニューカムはいなかったから、夜に見慣れないものがあると神様をびっくりさせてしまうんだと!」
「明日、日の出と共に迎えに来るから」ツバメがそう言い残して、扉を閉めた。
鍵のかける音がした。
辺りは驚くほど静かになる。
ゆっくりと、慎重に腰をかけた。畳のきしむ音がして、透明な足に溜まった水がゆれた。はたから見ると体育座りをくずした、うなだれたような姿勢に見えたことだろう。
ガラスのような鎧に夕日の光りがあたり、俺に乱反射を投げかけている。ヒビはすっかり消えていた。
木の格子からまだかろうじて差し込む明かりも間もなく無くなり、まったくの真っ暗闇になってしまうだろう。
急にさみしさを通りこした、恐ろしさに見舞われた。ここには人がいない。静かすぎる。
夕日よ、落ちるな! と心底から思った。回りにはろうそく一本もない。暗くなったら、どうすごせばいい?
いよいよあたりが漆黒になると、今まで目をそらしていた頭の中の記憶が、どんどん膨れ上がってきた。――この世界で蘇って死ぬのを見た人々の、最後の瞬間の再生だ。
人炭から目覚めた直後の、丘の上から見た市街戦の光景に、逃避行中に文字通り引き裂かれる家族。比喩表現でなく、自分が直接手にかけた兵士たち。
叫んで、この暗い神殿の中から飛び出したかった。今の自分なら容易にあの扉を打ち破って、外へ走り去ることができる。
だが体は動かない。意識ははっきりしてるのに、指先一つ動かないのだ。この鎧、太陽電池か何かで動いているのか?
俺は真の闇というものを、初めて体験している。鼻をつままれてもわからない闇、という表現は本当だ。今は、自分の鼻先が見えていない。
苦悶がしばらく続いた後、もう寝てしまおうと腹をきめ、目を閉じた。真っ暗で、目を閉じても閉じなくても、視界は変わらなかった。
だがダメだった。自分が失敗した場合の「もしも」の光景が、押し寄せてくる。
もしも自分が最初にクモ型ロボットの攻撃から、カトレアやツバメの身を守れなかったら。もしも自分が魔物の襲撃のとき、カトレアやツバメの身を守れなかったら。もしも自分の鎧が、銃弾に耐え切れず砕け、中の自分がさらされたら。当然敵は、その生身の部分ばかりを狙ってきた。生卵の割れ目に箸を突っ込んでかき回すように、透明な入れ物の中でぐちゃぐちゃになった。
人を殺した事実を夢に見たり、自分がまた死んだことに驚いて起きたりしながら、とにかく目だけは閉じて耐え忍んでいると、ふいに、辺りに緑のモヤが浮かび上がったのがわかった。まぶた越しにもわかる明るさだったからだ。
目を開けると、人魂のようなものがいくつも飛んでいた。心霊写真に写る、「オーブ」とかいうのにもちょっと似ている。
そのモヤがぐにゃぐにゃと、徐々に人の形のようになってきたとき、俺は寝落ちする事にした。――はばからず言えば、気絶したのだが。
次に気がつけば木の格子から明かりがもれていた。――明け方の五時ぐらいだろうか? この世界では、時計をまったく見ない。
「日の出と共に迎えに来ると言ったよな」
ならばこのまま起きていよう。鎧はまだ動かせないので、首をめぐらせる。奥の方はいまだ暗くてよくわからないものの、殺風景な部屋だ。
光りが強くなるにつれて、少しずつ鎧が動かせることがわかった。まず指から、そして腕、足の向きを変えられるようになった。
思いっきり自分がのびをしたとき、鎧も連動して同じ動きをした。座ったまま伸ばした足が畳をごりごりと削いでしまった。「あ、しまった」と思ったけど別の驚きに変わる。
中の詰め物が一万円札だったからだ。
「なんて贅沢な畳なんだ!」声をあげたときカギが開けられる音がして、ガラリと光りが差し込んできた。逆光ですぐにはわからなかったけど、ツバメとカトレアだった。
「あ!」と口走って、ツバメがすぐに外へと出て行った。何か予想外のものを発見したときの、仕草だった。
「あ」俺も思い当たる。もしかして、畳をそいでしまったことを、えらい人に報告に行ったのか? そういえばここは神域なのだ。
どうしよう、マリアさまのいる神社での罰はどんなものだろう? ・・・座禅の姿勢のまま十字架でしばかれたりするとかかな?
「おい」カトレアは駆け寄ってきた。――土足だ。「あんた、その姿どうしちゃたんだよ!」
「姿?」この鎧に乗ってると、自分の姿はほとんどわからない。ただでさえまだ暗いのだ。
「肩、背中、それに手足。昨日と全然違ってる。なにより頭ができてるぞ!」
俺が手足を確認したとき、ツバメが戻ってきた。隣にはデミオを連れている。
「ははあ、君は、進化する概念鎧なんだな」デミオがうめいた。
俺も腕を確認して気がついた。まるで鎧の篭手をつけたみたいに、厚みが増しているのだ。
俺が進化した箇所は五つ。腕、足、胴体、肩、そして頭だ。
腕は篭手を装着したような形に整えられて、太くなった。足の裏にはスパイクのような突起がつき、畳を削ったのもこいつのおかげだ。胴体、とくに爆弾の直撃をうけた背中部分は明らかに厚みを増し、砲弾がめり込んだ右肩には盾のようなものが形作られている。
そして頭。それまで、この鎧には頭に当たる部分がなかったのだが、お椀を伏せたように盛り上がりができていた。人間の頭ぐらいの大きさで、とても鎧の大きさに見合ったものじゃないが、それでも、首なし武者みたいなかっこう悪い造形からは一歩前進といえる。
鎧を脱ぐ方針は変わらないけど、着てる限りはやっぱりかっこよくないとな。
ツバメを喜ばせたのは、左肩にできた小さなくぼみだ。ちょうど、彼女のお尻にぴったりなのだ。「特等席ができた!」と嬉しそうに座った。
「会って間もないのに、ずいぶんこの人になれたな」カトレアが口を開く。
「だって、お兄ちゃんに肩車されているみたいだもの」
「私が推測するに」デミオの方は、そんなやりとりなど意に返さず、俺のすみずみまで観察する。
「攻撃を受けたところの装甲が増し、足と腕も、戦闘用に進化したようだ。概念鎧の『概念』とは、人の思いを表すと文献にも書いてある。君の生存本能が、鎧を強くしたのだろう」
早朝から、俺は神社の空き地のようなところで、いろいろやらされた。
身長を測られ、足の地面へのめり込み具合から推定体重を割り出し、腕力、握力、跳躍力、走る速さを測られた。
デミオを中心とした何人かの技術者によって「性能」を調べられたのだ。
コンクリートを握りつぶし、鉄の板をパンチで貫いて、自分の身長(一七一センチ)の二倍は高い位置まで飛んだ。道路百メートル分を疾走すると、『十ニ秒とちょっと」と数を口で数えていたツバメが言った。
「身長は二メートル八〇、体重は推定五〇〇キロ。握力は四〇〇キロで、成人男性のおよそ十倍。跳躍力は三メートルで、この身長と体重を考えるとすごい数値だ・・・」
デミオがつらつらと、しかし興奮を抑えられずに説明してゆく。
「パンチの装甲板貫通力はおよそ五十ミリ、そして昨日の戦闘で、君の鎧は百キロ爆弾の直撃や五十七ミリ戦車砲の徹甲弾に耐えられることが実証済みだ。
結論を言えば、君は我々の保有する最強の機動兵器だ」
「すごいな、あんた、英雄になれるよ!」カトレアもうれしそうだ。
俺はちっともうれしくなかった。兵器なんて「レッテル」を貼られたら、また戦争に巻き込まれるじゃないか。
もう人殺しはごめんだ。
きゃは、きゃは、とさっきからはしゃぐ声が聞こえてくるのも、普段はなんでもないのに腹立たしい。トウキョウワンで救えた赤ん坊を、ツバメがあやしているのだ。
「あなたが助けたんだから、あなたが面倒見なさいって市の人に言われたの」
ツバメはびっくりすることに、まんざらでもなさそうだった。「わたしずっと、弟が欲しかったから!」
たぶん、こうゆう孤児を世話する制度なり施設なりが、存在していないのだろう。自分たちが住む家でさえ、大昔の遺跡を修復して使っている有様なのだから。
でも、俺は思う。こんな風に「ゲタ」を預けられてしまうのなら、あんなふうに親に死なれた赤ん坊や子どもを助ける人が、極端に少なくなるのではないかと。――俺の考えが、汚らわしいのだろうか?
そう考えると、ツバメはとても心優しい少女なのかもしれない。彼女が傷つくのは絶対に嫌だなと、思ったとき――
「わああ~」と黄色い声がして、子どもの一団がかなりの速さで走りよってくる。カトレアがすぐに俺の脇に立って身構えるが、幼いうえどうも顔見知りが何人かいるらしく、なすすべもなく囲まれた。
「鎧だ鎧だ」
「かった~い」
「お話聞かせて! 石油機文明時代の話!」
べたべたとさわられる。竜人、長耳、猫のような耳を持った種族、いろいろで仮装大会みたいだ。カトレアが「危ないから離れて!」と言うものの聞かない。腰の辺りにどんどん指紋がついてゆく。
ただ、不快な気分はまったくない。少なくとも、昨日大人たちに触られたときのような嫌悪感はない。きれいな瞳で見上げ、欲得ずくの信心からでなく純粋な好奇心から、俺に興味を持ってくれているからだろう。
「鎧をなんと心得てるんだ!」デミオが怒った。「相士に通報して、追い払わせてくれ」助手らしき若い技師に耳打ちするのが聞こえた。俺は言う。
「いや、この子たちと話がしたい。機会を設けてくれないか?」
「それなら、先生をやればいいよ!」自分より小さな子どもの歓声に感化されたらしく、ツバメもうれしそう。「今から寺子屋の先生を代わってもらって、授業をするの!」
赤ん坊がぐずり出したが、すぐにゆすってなだめた。あやすのがうまくなっている。
神社の一画が、寺子屋になっていた。寺子屋の「寺」という字の意味はすでに忘れ去られ、ただ青空教室のことを「テラコヤ」と呼んでいるらしかった。
正面には、学校跡と思われる建物があるにはあった。ただ、校舎自体は上から叩き潰されたあとカビの生えたケーキみたいに崩壊して、しかもツル植物が覆っていた。鉄棒などの運動機具の類いはとっくの昔になくなっている。
車座になった子どもたちに、俺はかつて自分が生きていた時代、つまり石油機文明時代の話しをした。
その時代は、今はかたむいてかろうじて残っているに過ぎない建物がピカピカに光っていて、自動車が走り、電車が走り、二十四時間営業のお店がたくさんあった。宇宙にはジンコウエイセイというものが浮かんでいて、台風の動きとかを監視していた。子どもらは「うそだ~」と言いながらも、かなりマジメに話を聞いてくれた。
太陽が一番真上になった頃合いを見計らって、どこからか鐘が鳴ると、午後になる。カトレアと同じ竜人の女の先生が、午後の授業を始めた。昼休憩はないのか? と見てると、みんなタンポポの茎のようなものをはさんだサンドイッチやビーフジャーキーみたいな干し肉を、むしゃむしゃと食べながらの傾聴だ。なんて自由な授業だ!
授業は俺に合わせてくれた。この時代なら子どもでも知っている、石油機文明時代の終焉を、わざわざ教えてくれたのだ。
西暦二〇二二年。突如神が光臨した。
のちにアトミック様と呼ばれることになる、全知全能の最高神である。
神は憤っていた。環境を破壊し、享楽的で、お互いに争いをしてばかりいる人々を、浄化することを欲した。
すでにその前年に世界大戦が始まっており、人心は荒れ、都市も自然も破壊され、神に見限られる事態になっていた。
アトミックの光臨直前、空いっぱいを広がるように、光の波動が走ったと伝えられている。
まるで太陽が自爆したように、目に見える光の線がふりそそいだのだ。
そのため、神が光臨する瞬間を「シャイン・ライン」と呼ぶようになった。
光と熱が辺りを一掃し、多くの人々が死ぬ。その直後から大津波がおき、空が土砂で覆われ、太陽の光を三ヶ月と三日間さえぎる長い夜が始まる。生き残った人々も死ぬ。
一夜にして、それまで栄えていた石油機文明は崩壊した。
ただ争いは終わらない。むしろ磨きがかかる。
生き残った人類はわずかな資源を求め、血で血を争う戦争を続ける。「戦争は発明の父」の法則を、忠実に実行し続けたのだ。
それまでSFやファンタジーでしかお目にかからなかった自立式のロボット、機械の鎧ともいうべきバトルスーツ、レールガンや音波兵器に、人体各所を強化したセミ・ターミネーター、生物兵器が実戦投入される。それらは現在でも遺物として――すさまじい数の人骨と共に――発掘される。
また、この頃にはニューカムや〈アトミック様のケガレを受けたもの〉たちも地上に増え始め、今までいた人類との争いや生存競争が起こる。地球も思い出したかのように、急に氷河期に移行し始め、作物が年ごとに採れなくなっていく。
崩壊した石油機文明は、完全に終焉を迎えた。
後に残ったのは、おびただしい数のゴミと汚染物質、くたびれて別の惑星のようになった大地、そしてそのゴミを利用し、過去をうらやみつつ、汚染された大地になんとかしがみついて生きる人々だ。